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<東京怪談ノベル(シングル)>


こたつと初稽古

「あけましておめでとうございます」
 年が明けたばかりのある一日。
 いつものように立花 香里亜(たちばな・かりあ)は、黒 冥月(へい・みんゆぇ)の影の中にあるジムのフロアで、正座しながらぺこりと一礼していた。
 正月休みで仕事はないが、体を動かしていないとなまってしまう。今年一年の気合いを入れるためにと、冥月と前々から二日に初稽古をすると約束はしてあった。なので今日の香里亜はいつもより少し気合いが入っている。
「うむ、今年もびしびしやるから覚悟しろよ」
「はい。お願いします、老師」
 始めたばかりの時はついていくのがやっとだったが、冥月に実践式の稽古をしてもらったり、ヨガの指導をしてもらったりしているおかげで最近少しだけ体力に自信はついてきた。今日は何から始めるのだろう…緊張しながら正座をしていると、冥月は突然影からこたつを取り出した。
「前にこたつを欲しがっていたな」
「えっ、くれるんですか?」
 ぺち。
 目をキラキラさせた香里亜の額を冥月がちょんと叩く。
「あいたた…」
「話は最後まで聞け。ただでやるってのも面白くない。今日の訓練内容が良ければあげよう」
 「こたつが欲しい」と言う話は、クリスマスの時に聞いている。
 冥月は子供の頃貧しかったので、使える物があるとつい拾ってしまい、その中にはこたつもあるのだが、普通に渡すよりもこうした方が香里亜も頑張るし、面白いだろうと思ったのだ。
「老師、質問です」
「何だ?」
「今日の訓練内容がダメだったら、こたつなしですか?」
 こくり。不敵に微笑みながら冥月が頷く。すると香里亜は緊張したように笑って、ぐっと両手を握って気合いを入れた。
「おこた欲しいので頑張ります…あ、それだけじゃなくて、ちゃんと今までの成果もお見せしますね」
 物が欲しいだけで頑張るとケガの元だ。
 それを少し心配していたのだが、ちゃんと香里亜は分かっているようなので、その辺りは安心だ。飴と鞭は必要だが、飴ばかりに目を向けられても困る。
 立ち上がって準備体操をし、前に教えたヨガのポーズで体の奥にある筋肉を刺激していく。最初に教えたときは体が痛いと言っていた香里亜も、冥月が「家でもやるように」と言っていたのをちゃんとこなしていたのか、前よりもかなり足が開くようになっている。
「家でもやっていたようだな」
「はい。寝る前にやると体が温まって布団に入ってもぬくぬくなんです」
 一気に上を目指さず、何事も言われたとおりにコツコツやっていく香里亜に物を教えるのは楽しい。ジョギングや筋トレも少しずつ続けているようだ。
「じゃあ今日もいつものから始めるぞ」
 体をほぐした後は訓練開始だ。床に書かれた一メートルほどの円の中に冥月が立ち、香里亜が攻撃をして間合いを見極める…というものだ。実践形式で体に覚え込ませることで、いざというときに恐怖で萎縮したりすることを防ぐ意味もある。
「今日も私の体を触る訓練だ。ただし、触る事よりも私の捌き方や手と体の使い方、そしてその結果自分がどうされたかをきちんと見極める方に重点を置け」
「分かりました」
 今まで何度もやって来たので、体を動かすことに関してはかなり身に付いてきただろう。その感覚を体で覚えれば、次は「具体的にどうやって捌くか」という、頭で考える訓練だ。冥月ほどの戦闘センスがあれば考えずとも無意識に体が動くだろうが、香里亜にそれを求めるのは酷だろう。だったら頭で考えながら動くしかない。
「たあーっ!」
 最初の頃よりも動きのキレが良くなってきた香里亜が、冥月の体に触れようと手を出す。それを冥月は逆手でかわして、がら空きになった足元を引っかけて転ばせた。受け身を取りながら、香里亜はちゃんと冥月のアドバイス通りに顎を引きマットに手を突く。
「今、何をされたか分かったか?」
 マットに転がる香里亜を見下ろしながら、冥月は腰に手を当てる。がむしゃらに来るのはいいことだが、それだけではダメだ。
「う…っ、上半身ばかりに気が行って、足がお留守でした…」
 ぴょんとマットから起きあがった香里亜は、小さく溜息をついてそう言うと、また間合いを計りながら冥月に向かった。
「分かればいいんだ。その調子でいくぞ」
「はい」
 足下から胸元へのフェイント。懐に飛び込んでの肘打ち。顎へ向かっての掌底。その攻撃を受け流したり、時には投げ飛ばしたりしながら冥月は香里亜に徒手格闘のアドバイスをする。
「いいか、攻撃の最大急所は『あご』『喉』『目』だ。自分から仕掛けなければならないときはそこを狙え。あと相手が男だったら股間だ…訓練だからといって遠慮せず来い」
「はい。でも、目とかはちょっと怖いかも…」
 まあ香里亜の攻撃であれば容易く避けられるのだが、実際の兵士達もこうやって実践を詰みながら訓練をしている。白兵戦はただ襲いかかるだけではなく、自分の力を決定的な形で効果的に発揮しなければならない。それは訓練だけではなく、やはり知識も必要だ。
「私、もう少し隙とか急所を意識した方がいいですね…」
 額の汗を拭いながら、香里亜は冥月の周りを歩く。自分がどうして攻撃を避けられたか、冥月がどんな腕捌きや足捌きで香里亜の攻撃を逸らせたかを考えているようだ。
 しばらくそれを続け、喉元に伸ばされた手を弾いた後、冥月はあっさりこう言った。
「では攻守交替だ」
「はい?」
「私が香里亜の体を掴もうとするから、それを全て払うか避けるかしろ。私は掌だけだったが、香里亜にはそこまで厳しくしない」
「ええー!」
 それを言われた香里亜が驚いたような顔をする。
「これがこの訓練の本番だ。護身が目的の訓練なのだからな」
 いつもは香里亜が攻撃するという訓練ばかりだったのだが、ここからが訓練の真骨頂だ。
 元々香里亜がここで訓練しているのも「自分の身は自分で守りたい」という理由からだった。今まで攻撃の間合いを教えていたのも、それを覚えることで効果的に自分の身を守ることが出来る。
 無論、条件はかなり甘くしてある。
 冥月は円の中に立ってそこから出ないが、香里亜が自分を守る時はその条件はなしだ。あれは戦闘の達人だからこそ出来る技であって、誰にでも出来る代物ではない。
 円の外に出た冥月に、香里亜はあわあわと首を振る。
「冥月さ…じゃなかった、老師相手は無理ですよ。私、絶対鈍くさく捕まっちゃいます」
「勿論本気は出さない。本気でやれば…」
 そう言った瞬間だった。
 香里亜が髪を結んでいたはずのゴムが、冥月の手にかかっている。今まで普通に話していたのに、急に髪の毛がはらっと落ちたことに香里亜は驚きを隠せない。
「はにゃっ!?」
 髪に気を取られた瞬間、冥月の姿がふっと香里亜の目の前から消えたかと思うと、背後から伸びた手が香里亜の胸を鷲掴みにする。今日の香里亜はスポーツブラのようだ。
「ほにゃーっ、触られたーっ!」
 背後にいる冥月に振り返ると、香里亜は少し顔を赤くしながら自分の胸を一生懸命隠した。そんな香里亜に冥月は苦笑する。
「これでは訓練にならんからな」
 冥月が本気を出せば香里亜を殺すことだって可能だ。暗殺者として組織にいた頃は、ほぼ百パーセントの達成率で依頼をこなしていたぐらいなのだから。髪のゴムを取るのも、悪戯心で胸を触るのもその応用だ。
 着ているTシャツの裾をなおし、香里亜がしっかりと構えを取る。
「油断したらまた触るぞ」
「うっ…頑張ります」
 まずはゆっくりと冥月は香里亜に向かって手を突き出した。いきなり本気でやっても自信をなくすだけだし、第一それでは訓練にならない。子供でも避けられるぐらいの早さで、冥月は手を伸ばし、それを香里亜が体を反らせたりしながら避けていく。
「これぐらいなら避けられるか」
 最初の動きについてこられるようになったのを見て、少しずつ動きを速くしていく。香里亜はその場からあまり動かないが、冥月は間合いを取って走り込んだり、時々フェイントを織り交ぜていく。
 それを避けていた香里亜が、何かに気付いたように声を出した。
「老師、もしかして私がやってた攻撃真似てます?」
 その言葉に冥月は少しだけ目を丸くする。
 実際その通りで、今まで香里亜が取ってきた戦法などを真似ていたのだが、それに気付くとは思っていなかった。
「よく気付いたな」
「今日一番最初に足がお留守だったのと同じだったし、老師ならもっと激しくやって来そうだし…」
 反復訓練はちゃんと身になっているようだ。それに感心しつつも、容赦なく冥月は攻撃を加えていく。香里亜も受け流しをしたり、逆手を取ってみたり、足を使って逃げたりと、色々頑張って避けている。
「防御のコツは、前腕を使って頭と胴への攻撃をカバーすることだ。慣れれば必要最低原理の動きで攻撃をかわすことが出来る」
「は、はい…」
「あと、構えは前に出す手と同じ側の足を出せ。右手が利き手なら右足が前だ」
 足と手を同じように出すことで、敵に見せる体の面積は狭くなる。右手で防御して左足を出してしまっては左の脇腹ががら空きだ。それは戦闘では命取りになる。
「はっ、はい…あれ?あれあれ?」
 とはいうものの、今までずっと攻撃に回っていたのでその「手と足を同じように出す」というのに慣れないらしい。つい違う足を出しては冥月に突かれそうになり、慌てて後ろに下がって避ける…という感じだ。
「ひーっ、避けられなくなってきました」
 さて、どこまで頑張れるだろうか。
 結局防御に関しても体で覚えるしかないし、変な癖をつけないためにはその都度頭で考えながらやっていくしかない。動きが速くなっていくにつれ、手だけではなく足や体に冥月が触れる機会も増えてきた。
「ほら、構えは片手でも受け流すときは両手を使わないと意味がないぞ」
 すっと冥月の右足が上がる。力一杯蹴る気はないので寸止め前提だが、キックに対しての防御も覚え込ませないと…そう思ったのだが、それを香里亜はぱしっと左手で受け流した。
「はっ、止めましたっ!」
 今のは足先が体につくつもりだったのだが。
 ほんの少しの驚きと共に、冥月は左手で香里亜の胸をぺたりと触った。本来であれば、受け流した後に相手の衿を掴んで…と行って欲しいところだったのだが、受け流せたのがよっぽど嬉しかったのか、その後がすっかりお留守になっている。
「甘いぞ。攻撃は連続で来る」
「きゃー」
 結局、会心の受け流しはあの一回きりで、後は時々逃げ回ったり触られたりしながら初めての防御訓練は終わった。足を使ったりしてへろへろになった香里亜がぺこりと一礼する。
「ありがとうございました…防御も大変なんですね…」
 タオルで汗を拭きながらバスルームへと向かおうとする香里亜を、冥月が笑いながらちょいちょいと呼び寄せる。
「こたつはいらないのか?」
「えっ?おこたもらえるんですか?」
 元々香里亜にこたつはあげようと思っていたのだ。たくさん持っていても仕方がないし、それに素直に渡したくないのでそう言ったのだが、香里亜はもらえないと思いこんでいたようだ。
 影からこたつを見せると、香里亜は急に嬉しそうな顔をして、にっこりと笑う。
「ありがとうございます。冥月さん、これからご予定入ってますか?」
「いや、入ってないが」
「じゃあ、お風呂に入ったら私の家に来ませんか?お雑煮とおせちがあるんです…」

 風呂でゆっくりと汗を流した後、香里亜の家の居間に設置したこたつの上には手作りのおせちと雑煮が並んでいた。こたつ布団も冥月が持っていて、それをかけてある。
「うちのお雑煮は、お醤油味で鶏肉と大根と人参なんです。おせちも作ったんで、たくさん食べてくださいね」
「すごいな、黒豆とかも自分で煮たのか」
 小さなお重の中には黒豆や栗きんとんだけではなく、うま煮や紅白なますに伊達巻きと、最近珍しいほどの伝統的な品物が並んでいる。
 感心している冥月に、香里亜は雑煮用の餅を灯油ストーブの上で焼きながら微笑んでいる。
「はい。お餅は実家から送ってもらったんですけど、後は自分で作りました。でも、たくさん作っちゃったんで、お裾分けしようかなとか…」
 何だか台所で楽しげに料理している姿が目に浮かぶ。これをご馳走してもらえるのはちょっと嬉しいかも知れない。冥月は箸で器用に黒豆をつまむとそれを口にする。
「美味いな…。香里亜、初稽古はどうだった?」
 正月から稽古など、折角仕事が休みなのに大変だっただろうか…そんな事を思いながら聞くと、餅の焼け具合を確かめながら香里亜はお椀を手に取った。
「頑張らなきゃなって、気が引き締まりました。おこたももらっちゃったし、今年もよろしくお願いしますね」
 初稽古はそれなりに収穫があったようだ。出汁を入れたお椀を差し出し、いそいそとこたつに入った香里亜の足と冥月の足がぶつかる。それを冥月がくすぐった。
「ふふーこたつ憧れだったんですよ…ひゃぁ!」
「こたつで寝ないようにしろよ。さて、頂くかな」
 今年も充実した一年になりそうだ。
 暖かい雑煮の出汁を口にすると、冥月と香里亜は二人ほっと息をついた。

fin

◆ライター通信◆
発注ありがとうございます、水月小織です。
クリスマスマーケットで話していた「こたつ」を頂くために、初稽古…ということで、今までやって来た訓練の他に防御訓練と、正月から一生懸命な話になっています。
素手格闘の本を読んだのですが、実戦訓練というのが一番効率が良いみたいで、冥月さんの訓練方法はものすごく理にかなっています。今年はどんな一年になるのでしょう。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。