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<東京怪談ノベル(シングル)>


人魚の舞台



1.
「おい、お前ら、新しい仲間だ」
 その言葉と同時にみなもは桶に入れられたままその場にいた『もの』たちと顔を合わせた。
 蛇女に、一寸法師、あちらにいるのは一つ目か。
 ここは浅草の見世物小屋。しかし、みなもが暮らしている世界ではないと感じるのは『見世物』ではない者たちがみな髷を結い着物を身につけているからだろうか。
「お前らどうした、新入りに挨拶もできねぇのかっ」
 見世物小屋の主らしい男がそう怒鳴りつけると、異形たち(といってもみなももそれは同じなのだけれども)はゆっくりとみなもに近付いてきて、外見とは裏腹にその場にいる「まっとうな」人間たちよりも優しい声でみなもに「よく来たねぇ」と声をかけてくれた。
 どうやら、みなもは歓迎されているようだ。
「あんた、名前はなんてぇんだい?」
 姉御肌らしい蛇女がそう尋ねてくる。
 みなもだと答えると、他の者たちも「そりゃあお似合いの名だ」とけらけら笑ったが、すぐにその顔が曇ったものになる。
「あんた、人魚だね」
「えぇ、そうみたい」
 みなもの答えに、周りの者たちは自分たちを見渡してから、小さな声で「可哀想に」と呟いた。
「え?」
「てめぇら、無駄話はそこまでにしてさっさと出の用意をしろ!」
 その会話を遮るように興行主はそう怒鳴りつけ、みなもを他の者たちから引き剥がした。


2.
 みなもの芸というのは、簡単なものだった。
 誂えられた水槽の中に身を沈めて舞台に立たされ、三味線などのお囃子に合わせて泳ぎ、時にはぱしゃんと水中から跳ねればよい。
 それだけで、観客は「おぉ」と感嘆の声を上げる。
「あれが人魚か」
「本当にいたのか」
「あれが、」
「あれが、」
 みなもの姿を見て、客たちは何処か興奮気味に話しているのをみなもは見た。
 見世物の芸を見に来ている目ではない。
 では、あれはなんだろう。
 みなもにはよくわからなかった。
 みなも以外の見世物たちに対する客の反応は、まったく違っていた。
 姿を現したときから哄笑が上がり、どんな芸をしても品のない野次が飛ぶ。
 これほど扱いが違うというのに、見世物たちはみなもに対して優しかった。
「なに、しかたがないさ。村にいた頃みたいに石もてぶつけられるよりかはずっと良い。笑われてるくらいなんでもない」
「でも、じゃあなんであたしは」
「あんたは人魚だからさ」
 そう言ったあと、また「可哀想にね」と呟いたような気がした。

 可哀想に。
 いったい何が可哀想だというのだろう。
「人魚だからさ」
 その言葉が、みなもの頭にかすかに残った。


3.
『夢』にしては随分と長い間、みなもは人魚として見世物小屋にいた。
 興行主や自分を「まっとう」だと思っている者たちよりも、みなもは見世物たちと仲が良くなった。
 みなもの水槽の周りには見世物たちが出のないときには寄ってきて、みなもにいろいろは話を聞かせてくれた。
 見世物にされているわりに、彼らには悲壮感というものがあまり感じられず、陽気でみなもを楽しませるようなことをおどけて話し、みなもはそれに笑うことが多かった。
「人魚ってぇのはお高く止まってる奴らばかりかと思っていたよ」
 そんなみなもを見て何気なく言われた言葉に、みなもは声がしたほうを振り返った。
「前にも、人魚はいたの?」
 途端、気まずい空気がその場を包んだ。
「可哀想にね」
 また、誰かがそう言った。
「でも、しかたがないよ。あんたは人魚なんだから」
 そう言われてもみなもにはなんのことかさっぱりわからない。
「もうじき、わかるさ」
 そう言った声には、先程までの陽気さはまったくなかった。


4.
 その日もいつもと同じように客寄せが始まった。だが、口上が少し変わっていた。
「さぁ、お立会い。ここで見れるのはなんとあの人魚だよ。生きた人魚が目の前で泳ぐ姿なんてぇものはそんじょそこらじゃお目にかかることができないものだ。しかも、今日はその人魚の見納めの日だ」
 最後の言葉に、集まっていた者たちは「おぉ」と歓声をあげた。
「その分いつもよりお代は高くつくが、人魚の見納め、見ないと損する、損するよ」
 そうして、いつも以上の客が次々とみすぼらしい見世物小屋に入ってきた。
 今日が自分の見納めだということをみなもは聞いていない。
 しかし、見納めとなった後、いったい自分はどうなるのだろう。
 まさか海へ返してくれるわけでもあるまいに。
 みなものそんな疑問には誰も答えず、いつもなら陽気に話しかけてくる見世物たちもみなもを遠巻きに見ていた。
「可哀想にね」
「可哀想だね」
「でも、しょうがないよね」
「あぁ、しょうがないよ。だって、あの子は人魚なんだから」
 人魚なんだから。
 以前にも聞いたことがあるような言葉だった。

 みなもの出番は一番最後だ。
 他の見世物たちは出てきて芸を披露しているが、それには普段以上に野次や罵声が飛び交った。
「お前たちなんてどうでもいいんだ、早く人魚を、人魚を出せ」
 石もてぶつけられるよりずっと良いと笑っていたものたちに、何処から拾ってきたのか石が飛ぶ。
 それでも彼らは最後まで自分の芸をやり遂げた。
 あたしらの仕事はそれなんだ、やらなきゃしかたないじゃないか。
 そんなことを言っていたものもいたような気がする。
 場がやや落ち着いたところで、興行主が姿を現し「こりゃどうも、お見苦しいものを」等と言って客たちの機嫌を伺っている。
「では、最後の出し物。皆様お待ちかね、今日限りの人魚でござぁい」
 その言葉と同時にみなもの入った水槽が運ばれる。
 見世物たちはその姿を悲しそうに見つめていた。


5.
 最後といった割に、みなもの芸はいつもと変わらないものだった。
 囃子に合わせて水槽を泳ぎ、時折ぱしゃんと跳ねてみせる。
 客たちは、それに拍手ひとつしようとせず、じっとみなもを見ていた。
 人魚だ、人魚だ、そんな囁き声がみなもの耳にも届いたが、みなもは最後まで芸をやり終えた。
 ようやくそこで、拍手が起きたが、それはみなもの芸にではない気がした。
 普段ならば、そのまま水槽に入れられて運び出されるはずが、今日は違った。
 みなもはその場でいつも移動用に使われていた桶に入れられた。
 最後の興行。
 そんな言葉が頭を過ぎる。
「さて、皆様人魚の最後の芸、存分にお楽しみいただけたでございやしょうか。なにせ、こいつは今夜が最後の芸の見せ場。せめて拍手だけでも送ってやっちゃあもらえやせんか」
 心のこもっていない言葉にぱちぱちと、おざなりの拍手が起こる。
 それを一応聞いた後、興行主は「では」と口調を改めた。
「本当の見世物、人魚にとって一生に一度きりの大舞台。そいつを始めさせていただきましょう」
 その言葉に、今度は割れんほどの拍手が沸く。
 拍手の中、舞台にひとつのものが用意された。
 大きくはなっていたが、みなもにはそれが何かすぐにわかった。
 これは、まな板だ。
(可哀想にね)
 ふと、そんな声が頭に蘇る。
(人魚だからさ)
 そう言っていたのは誰だったか。
(他にも人魚がいたの?)
 そう聞いたのはみなも自身だ。
 いたのならば、彼女たちはいったい何処へ──答えは目の前にある。
 興行主はそんなみなもに目もくれず、口上を述べた。
「昔から人魚の肉を食らえば不老長寿が得られるてぇのは餓鬼でも知ってる話でござんす。けれど、なかなかどうして本物の人魚様なんてぇものはそう簡単には捕まえられねぇ。ところが、ところがこいつがどういうわけかあっしの見世物小屋に現れてくれた。いやいや、勿論独り占めなんてぇことをしたら江戸っ子の名がすたるってぇもんだ。ここはひとつ、こうやってお足を運んだくださったみなさんにも一欠けなりともと、こうあっしは思ったわけでござんすよ」
 割れんばかりの拍手と喝采、そして何よりも「早く食わせろ」という声があがる。
 食われる。
 このままじゃ、食われてしまう。
 そのときになって、ようやく思考が『人魚』のみなもから『中学生』のみなもに戻った。
 冗談じゃない。確かにあたしは人魚の血は引いてる。けど、あたしは人魚じゃない! 人魚じゃないのよ!
 そんなみなもの声は押し寄せる客席からの声に掻き消されて誰の耳にも届かない。
 もがこうにも、身体は動かない。ゆっくりとまな板の上に身体を乗せられる。
(夢なら覚めて、お願いだから早く──!)
 必死にそう願うみなもの前に、板前らしき男が巨大な包丁を持って近付いてくる。
(早く夢から覚めなくちゃ、早く、早く──)
 そうしたら、きっと、きっと元の私に、『現代』の私に──

 そう思ったとき、ふと、みなもの脳裏にあることが掠めた。
 人魚は以前にも現れていた。
 もしかするとそれは、やはりみなもだったのではないか。
 繰り返し繰り返し、みなもは同じ夢を見ているのではないか。
 ならば、目が覚めてもまたこの夢を見るのだろうか──何度も、何度も、何度も。
 そう考えて悲鳴を上げたみなもの身体に無情にも包丁が振り下ろされ、
 場は拍手で埋め尽くされた。