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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


壁は大きく、茸型


 年の瀬が、またやってきた。どこの家庭も大掃除に着手し、新たにやってくる年を気持ちよく迎えようとしている時期である。
 守崎家も例外ではない。守崎・北斗(もりさき ほくと)に言わせれば、年の瀬はイコール年越しそばが煌びやかに光臨する。
 年の瀬といえば、年越しそば! 熱い汁に、細く長くという思いを込めてずるずるとすする。てんぷらやちくわといった具を乗せたら、さらにおいしくいただける。ああ、すばらしき年の瀬よ!
 だが、守崎・啓斗(もりさき けいと)に言わせれば、それは決してイコールとして成り立たない。今、守崎家が直面している年の瀬とは、年賀状なのだから。
 紙でできた、新年の挨拶状。その年の干支を描いたものから写真つきまで、内容は様々だ。といっても、何しろ新年の挨拶。今年もよろしく、という思いをこめて出すものだ。
 その年賀はがきを目の前に、啓斗はじっと悩んでいた。悩みは果てしなく、白い紙面が恨めしく思えてくる。
 大きな壁にぶち当たってしまったのだ。
「むう」
 啓斗は小さく唸る。年賀状の絵柄を、どのようにするかを悩んでいるのだ。真面目に、真剣に、心の奥底から。
 そんな悩める兄の姿を、北斗はぐっとこぶしを握り締めながら見守っていた。
「兄貴」
 小さく呟くものの、その声が啓斗に届くことはない。北斗はどことなく目頭が熱くなってきたような気がして、ぐっと押さえた。
 泣いてなんていない。泣くまでのことじゃないのだから。
 お互い、同じような外見をしてきた。だが、中身はまったく違う。ここでこうして同じ屋根の下にいるというのに、抱いている思いは異なっている。
 悩める対象は同じだというのに、立ちふさがる壁は共通しているというのに。その質は違う。例えるならば、漆喰とモルタル。鉄筋とガラス。コンクリートと土……。
「悩ましいな、きゃさりん」
「また、キャサリンだ」
 二人同時に呟く。
 年賀状の前に現れた悩める大きな壁とはつまり、巨大茸「キャサリン」だ。啓斗はキャサリンに送る年賀状で悩み、北斗はそんな兄の行く末で悩んでいた。
 北斗が兄の将来を心配するのも無理はない。相手は、茸なのだから。
 啓斗の頭の中には、すでに「キャサリンで黒字計画」なるものが発動しており、キャサリン確保のために様々な策が練られているのだ。その黒字計画発動のきっかけを作ってしまった北斗としては、赤字を出さないようにするからやめてほしい、だなんて言えなかった。
 赤字を出さないようにする、ということはつまり、自らの食欲を抑えなければならないということだから。
 それは無理、と腹の虫は言っている。ならばどうやって赤字をとめさせるかといわれると、言葉に詰まる。
 何より、黒字のために捕獲しようとしているキャサリンに対し、啓斗の言動がだんだん不可思議な方向に進んでいるのも止められない要因の一端でもある。最終的な目標は変わっていないのかもしれないが、心が乙女な巨大茸に向かって、ラブレターまがいの手紙まで出す始末なのだ。それも、言葉の端々で「捕獲したい」という意味合いが見え隠れするという、おまけつきで。
 今回の年賀状も似たような状態になるのではないかと、北斗は頭を抱える。
「……北斗」
 ふと名を呼ばれ、北斗はびくりと体を震わせる。
「な、何だよ? 兄貴」
「年賀状の絵柄なんだが、こういうのはどうだ?」
 すっと啓斗が図面を差し出した。恐る恐る受け取ってみると、そこには「今なら特典付!」と赤い字ででかでかと書かれていた。
「兄貴、何この『今なら特典付』って」
「うちに来るメリットだ。それがあれば、きゃさりんも心を動かされるかもしれない」
 ぐっとこぶしを握り締めつつ、啓斗は言う。北斗は怪訝そうに「そう?」とたずね返す。
「当然だ。俺も、こういう謳い文句があったら心を動かされる」
「それってもしかして、スーパーとかのチラシじゃねぇ?」
 北斗が尋ねると、啓斗はこっくりとうなずく。情報源として選んだ所が、良いとは思えない。
「この守崎家に来れば、特典がついてくる。この言葉に、きゃさりんも心を動かすはずだ」
「無理だと思うぜ」
 きぱっと北斗が言い放つ。特典がついてくるという言葉自体、胡散臭い気がしてならない。まるで何かの契約を結ばせようとしているかのようだ。
「そうか?」
「うん、駄目だと思う。そういうのってさ、警戒するんじゃねーか?」
 北斗の言葉に、啓斗は「ふむ」と言って頷く。
「しかし、そうは言ってもきゃさりんをこの家に来させるためには、何かしらの特典が」
 北斗は「だから」と言って、尚も「特典付」を推し進めようとする啓斗の言葉を遮った。放っておいたら、本当に「特典付」の年賀状を出してしまいそうだ。
「それより、無難にして警戒心を解く方が大事なんじゃねーの?」
 北斗の言葉に、啓斗は「なるほど」と言って、ぽんと手を打つ。
「じゃあ、簡易露天風呂でも作って招待するか」
「あ、いいんじゃねーか。露天風呂って、冬らしいし」
「ならば、早速その旨を絵にしてみるか」
 啓斗はそう言い、年賀状に向かう。今度は図案など出すのではなく、直接はがきに書いてしまうようだ。
 北斗は「さすがに、露天風呂に入る茸だったら大丈夫だろ」と呟く。今までは、キャサリンに対して「これは駄目だろう」といった絵や文章を送り続けていた啓斗だったが、露天風呂に入っている茸という絵柄ならば、そのような事もないはずだ。
 何しろ、キャサリンが警戒する要因になるような情報はどこにもないのだから。
 出荷だとか、捕獲だとか、栽培だとか……そういった類の言葉さえ出さず、露天風呂に入る茸を書くだけなのだ。
 そうして数分後、やり遂げた顔をして啓斗が年賀状を持ってきた。
「できたんだ、兄貴」
「ああ。なかなかうまく描けたと思う」
 どことなく誇らしげな啓斗に、北斗は「へぇ」と言いながら年賀状を受け取る。
 受け取り、押し黙った。
「……兄貴」
「ん?」
「これ、出すんだ」
「当然だ」
 そこに描かれていたのは、鍋にいのししと入っている茸であった。一見、牡丹鍋……もとい、猪鍋。猪は、まだ牡丹肉に変化していないのだから。
「兄貴、何で鍋なんだ? 露天風呂じゃなかったのか」
「きゃさりんのサイズ的には、大きな寸胴鍋が風呂としてジャストサイズだろう」
 きょとっと小首をかしげながら、啓斗は言ってのける。つまり、本気なのだ。
 北斗の目には猪鍋にしか見えぬこの絵も、啓斗にしてみれば「猪と一緒に温泉に入るきゃさりん」ということになるのだろう。
「上手くかけていないか?」
 言葉の出ない北斗に、啓斗は尋ねる。
「絵だけの問題なら、すっげー上手くかけてる思う」
「そうか」
 満足そうに啓斗が頷く。
 そう、絵だけで言うならば、非常に良く描けていた。だが、それが悪い方向に進んでしまったのかもしれないと思わされる。妙に筆に力が入ってしまったから、このような事態になってしまったのでは、と。
 何しろ、故意的としか思えないくらいなのだから。
 北斗はぐっと唇をかみ締め、文面も見る。こちらは比較的まともで、このような露天風呂(と言い張っている)に入りに、是非遊びに来ればいいといった、勧誘している文章が書かれてある。
 途中までは、確かにまともなのだが。
 北斗は「お前が気に入りそうな絵柄にした」という、啓斗の無駄に誇らしげ文章にがっくりとうな垂れた。
(どう考えても、気にいらねーだろ)
 心の中で突っ込むが、それは啓斗に直接いえない。言える訳がない。こんなにも、誇らしげに書いているのだから。
 たとえ、故意的であったとしても。
 北斗は目頭を再び押さえた。涙が出てしまいそうだ。だが、自らを励ましてそれを我慢する。ここで泣いてはならないと、何度も何度も言い聞かせて。
(もう、どうにでもなればいい)
 涙は流していない。泣いてなんていない。ただ、心の中で忍び泣いているだけだ。
「……なぁ」
 北斗が忍び泣いているなんて気づくことなく、啓斗は口を開く。北斗は「まだ何かあるのか」と警戒しつつ、啓斗の言葉を待つ。
「そろそろ、親しみを深めた名で呼んだほうがいいと思うか?」
「親しみを深めた名?」
「ああ。たとえば『きゃしー』とか」
 がくっ。
 どうだっていいよ、どちらかといえばやめてほしいけど、という言葉をどうにか飲み込む。北斗が忍び泣いていることなんて、全く気づかない啓斗。もっと空気を読め、むしろその先も読め、と言ってやりたくてたまらない。
 北斗は、ぐったりと体の力が抜けるのを感じた。もう止まらない。止められない。
「なぁ、どう思う?」
 あくまでも返事を欲する啓斗に、北斗はようやく口を開く。
「キャサリンがいいと言ったら、それでもいいんじゃねーか?」
 北斗の言葉に、啓斗は「なるほど」と一応の納得を示した。啓斗は年賀状にさらさらと何かを書き添える。
「すまないが、出してきてくれないか?」
 真顔で言う啓斗に、北斗はただ頷いた。もういろいろな事がありすぎて、頭の中がぐるぐると回っている。
 北斗は、ふらふらと言われた通りにポストに投函しに行く。その際、最後に書き添えた文章を確認する。
「今度から、お前を『きゃしー』と呼ぼうと思う。仲良くなれそうだよな?」
「仲良くなれそうだよなって……」
 困惑する、キャサリンの姿が用意に目に浮かぶ。北斗は年賀状を、投げやりになりながらポストに投函した。
「兄貴に目をつけられたのが、運の尽きって思ってくれっかなぁ……」
 ため息混じりに、北斗は呟く。
 願わくは、キャサリンがそう思ってくれますように、と祈りながら。


 元旦過ぎ。年賀状の返事がキャサリンから届いた。年賀状にはかわいらしい猪の絵が描いてあったが、これはキャサリンがいる研究所の所長が書いたものだと思われる。
 その横に、どんどんどんと丸が続いていた。キャサリンの石突のところを使って書かれる、おなじみの文字(らしきもの)だ。それには、これも毎度の事ながら訳が添えてある。
「仲良くなれるか分からないけど、呼んでいいよ」
「ほほう、少し懐柔されてきたな」
 啓斗はそう言い、北斗に向かって「北斗のアドバイスの賜物だな」と言って笑う。
 北斗は適当に頷いてから、年賀状を見る。相変わらず、涙の滲んだ後のようなものが見られた。
 そうして、はがきの端のほうに小さな字が書いてあった。目を凝らしてみると、それはどうやら研究所所長の言葉らしかった。
「露天風呂と鍋は違います。違いますよね……?」
 最後の方は、やっぱり滲んでいた。何も分かっていないキャサリンの隣で、涙ながらに小さく訴えている様子が、いやと言うほど目に浮かぶ。
「運の尽きって、思ってくれ」
 ぱんぱん、と北斗が手を合わせる。
「お、それはいいな」
 啓斗もそれを見、ぱんぱんと手を合わせる。
「今年こそ、きゃしーが家に来て、胞子を得られるように」
(もう、きゃしーって呼んでる!)
 熱心に祈る啓斗の隣で、北斗は大声で叫んでしまいたいのをかろうじてこらえた。
 一年はまだ、始まったばかりなのだから。


<二人の間に茸型の壁が立ちはだかり・了>