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<東京怪談ノベル(シングル)>


想い出は雲に似て

「こんばんはー」
 桜塚 詩文(さくらづか・しふみ)がママをやっている、スナック『瑞穂』に、『蒼月亭』のマスターであるナイトホークがふらっとやってきたのは、少しだけ雪が降ったある夜のことだった。
「いらっしゃい。来てくれて嬉しいわーん。ささ、ここ座ってちょうだい」
「おじゃまします」
 以前雨の日に詩文が蒼月亭に行ったことがあり、その時に「今度は私の店に来てね」と言ったのだが、ナイトホークはそれを覚えていてくれたらしい。手には紙袋を持っており、中にはケーキの箱が入っているのが見える。
「これ、お土産…甘いもんはどうかなと思ったんだけど、良かったら」
「いただきまーす。来てくれたお礼に一杯目はご馳走するわね。何がいいかしらん?」
「あ、寒かったから何か暖まりそうなので」
 カウンターが七席にボックス席が二つの小さな店の中には、今日も瑞穂の常連達が来ており、初めてやってきた長身で色黒の若い青年を見て、今日の突き出しの「モツの味噌煮込み」を小鉢に入れている詩文に話しかける。
「おや、噂のふみちゃんの彼氏かい?」
 そんな事を言いながらも、皆は何だか楽しそうだ。
 ここに来るお客達は年配層が多く、皆、詩文がいつもニコニコとしていることを望んでいる。詩文もそれを分かっているので、にこっと艶のいい唇を上げて目を細める。
「うっふふん♪そうよぉー、私の彼氏は瑞穂の来てくれるお客さんみんななのよん♪」
 その言葉で皆がどっと笑い、一瞬慌てていたナイトホークもふっと息をついた。
 『瑞穂』と『蒼月亭』は雰囲気がかなり違う。ここはカラオケの横に演歌歌手のポスターが貼ってあったりする昭和風のスナックだが、蒼月亭はジャズがかかっていたりするバーだ。それでも同じ客商売なので、それで雰囲気を掴んだようだ。
「じゃあ俺達もふみちゃんの彼氏だな」
「ママと一緒に歩いてたら『お父様ですか』って言われっぞ」
 ハハハハ…と、また明るい笑い声。
 何か暖まりそうなもの…と言われたので、詩文はお気に入りの芋焼酎「ホコツ」のお湯割りを作ってナイトホークに差し出した。
「おまちどうさま。この芋焼酎美味しいから味わってねん」
「どうも。もしかして忙しかった?」
 グラスから立ち上る湯気をフーフーと吹きながら、ナイトホークがくすっと笑った。賑やかなので忙しそうな感じがするが、皆わがままを言うような客ではないのでゆっくりと一緒に会話とお酒を楽しむという感じだ。
「ううん、大丈夫よん。うちは自分でお客様がいろいろやってくれるから」
 くすっ。悪戯っぽい微笑み一つ。
 そんな事を言いつつも、詩文はちゃんと客のグラスを見て、グラスに入った氷が溶けていればグラスに足し、水割りがなくなっていればさっと作って手早くカウンターを拭いていた。
「ナイトホークさんは今日はお店どうしたの?」
 確か蒼月亭の営業時間は深夜2:30のはずだ。今は詩文の腕時計で22時ぐらいだから、ずいぶん早い。それを聞くとナイトホークは黒いシャツの胸ポケットからシガレットケースを出してカウンターに置いた。
「雪が降ったから早じまいしてきた」
 それは果たして本当なのか。
 もしかしたら瑞穂にやってくるために時間を作ってくれたのかも知れないが、それを聞くのは野暮だろう。自分が言ったことを覚えていてくれて、ちゃんと顔を出してくれたことが詩文は純粋に嬉しい。
「今日は珍しく雪だものね。東京で雪を見ると、珍しいからはしゃいじゃうわ」
 桜色のネイルが塗られた指をそっとカウンターに置くと、近くの中年男性が話しかけてくる。
「ママやお兄さんは雪好きかい?」
 ここでは詩文が言った言葉に対して、誰かがまた話しかけて話題が広がる…というのが普通だ。辺りからも「たまに降るぶんには冬らしい」とか「俺は雪国生まれだから、雪が降らないと物足りない」などという話し声が聞こえてくる。
「うーん、俺は寒いの苦手なんで」
「ああ、南の国生まれっぽいもんな。そりゃ寒いのダメだわな」
 ナイトホークの肌の色を見て、話題を振った中年男性が笑った。その様子に詩文もくすっと笑う。
「私、ベランダに足跡つけてきたわ。雪が降ってて足跡がついてないと、何か嬉しくなるわよねー♪」
 詩文が生まれた場所は、雪深い北欧だ。
 その頃は雪は楽しむものではなく戦うものだったが、今は違う。時々スキーを楽しんだり、小さな雪だるまを作ったりして遊ぶこともある。
 そこから雪遊びの話で盛り上がり、誰ともなしにこんな声が上がった。
「兄ちゃん『トロイカ』って曲は知ってるかい?」
「あ、『走れトロイカ…』ってやつですか?ロシア民謡の」
 ナイトホークがそう言った瞬間だった。詩文がカラオケのマイクをそっと手渡した。
「ナイトホークさんの歌聴きたいわん♪」
「えっ?」
 実はナイトホークはカラオケに行ったことがほとんどない。
 歌を歌うのが苦手というわけではなく、店にいる間はラジオもテレビも見ないので、新しい歌を全く知らないからだ。マイクを持ったまま戸惑っていると、あちこちから拍手が上がる。
「えーっと、俺カラオケ苦手なんだけど…」
 ぽん…とナイトホークの隣に座っていた年配の男が、肩に手を置く。
「下手でもいいんだ。歌は心だ」
「そうよ。それにここじゃ皆で歌ったりもするから『トロイカ』一緒に歌いましょ、ね?」
 カラオケの前奏が始まると、ナイトホークも覚悟を決めたようだ。
「しばらく歌ってないんで、音外してもスルーで」
 カラオケの画面に出る歌詞を見ながら、ナイトホークがと一緒に皆が合唱し始めた。カラオケは苦手…と言っていたが、その割に歌は上手く音を外すようなこともない。もしかしたらただ単に慣れてないだけなのかも知れない。
 トロイカ自体はかなり古い曲だ。それをすらすら歌えるということは、やっぱり見かけ通りの歳ではないのだろう。一曲歌い終わるとまた拍手が上がる。
「兄ちゃん上手いじゃないか」
「古いのによく知ってるなぁ。やっぱりいい男は何でも出来るんだねぇ」
 ぶんぶんとナイトホークが首を振る。
「いや、すげー緊張しましたから。新しい歌は全然だけど、古い歌なら何とか…」
 マイクを返し、目の前のグラスを空ける。
 別の客が歌う『雪の降る街を』を聞きながら、詩文は悪戯っぽくナイトホークに笑いかける。
「ナイトホークさんのレアな歌声聞いちゃったわん♪」
「詩文さんにやられた。でも、何かこういうの楽しいわ」
 煙草をくわえ、苦笑するナイトホークに詩文はライターをそっと差し出した。
 楽しんでくれればそれでいい。本当に嫌なことだったら詩文も無理に勧めたりはしないが、歌はそれだけで人の心に働きかけるものがある。一緒に歌って、皆と一体感を味わうのは素敵なことだ。
 詩文が瑞穂のママを辞められないのも、この雰囲気が好きだからだ。
 食べていくだけならマンションの賃貸収入だけで充分すぎるが、誰かと一緒に泣き、笑い、ゆったりとしたひとときを過ごすために瑞穂は必要なのだろう。詩文にも、他のお客様達にも。
「楽しんでくれて良かったわ。おかわり何にする?」
「今日は焼酎な気分かな。さっきの焼酎ロックで…美味かったから名前聞いて帰ろう」
「焼酎も飲むのね。何だか意外だわん」
 『雪の降る街を』が静かに暖かく響き渡り、ナイトホークが煙草を灰皿にそっと置く。
「酒なら結構何でも飲むなぁ。極端に甘いワインとかはちょっとダメだけど」
「じゃあお酒は辛口派なのね」
「うん。普段飲んでるのは大抵そうだな…日本酒とかも飲むよ」
 歌が終わり二人で一緒に拍手をすると、歌っていた客が立ち上がって詩文にマイクを渡した。歌って欲しい…というリクエストらしい。
「ふみちゃん、一曲歌ってよ」
「ふみママの歌、そこの彼氏にも聞かせてあげなきゃ」
 チラとナイトホークの方を見ると、目を細めながら拍手をしている。
「あらあら、どうしましょ。ナイトホークさん何かリクエストとかあるかしらん?」
「好きな歌でいい?」
「何でもいいわよん」
「じゃあ『異邦人』…それ、結構好きなんだ」
 ナイトホークにそう言われ、パラパラとカラオケの番号が書いてある本をめくり、慣れた手つきで詩文は番号を入れ始める。カラオケの機械だけはどんな曲がリクエストされても大丈夫なように最新のを入れてある。新着配信のを歌ったりすることはほとんどないが、古い機械だと唱歌や歌謡曲が入っていないこともあるからだ。
「じゃあナイトホークさんのリクエストにお答えして『異邦人』を」
 詩文が歌うと、皆それに聞き入るのが分かった。
 十歳で呪歌人(ガルドラ・マズ)十三歳で呪歌の匠(ガルドラ・スミズ)を名乗る事を許された詩文の歌は、その声だけで歌詞に込められた情景や想いなどを伝えていくようだった。
「ふみちゃんの歌はいいだろ」
「いいっすね…」
 隣の客とグラスを傾け、ナイトホークが頷く。
 詩文とナイトホークは、ある意味この時代の『異邦人』だ。普通の人よりも長い時を生き、そのままの姿で変わらず夜の街に住んでいる。
 ただの通りすがり…と言ってしまうには悲しすぎる。
 もて余すような哀しみに触れてきた夜もある。
 それでもお互い旅の途中で、そこで触れ合ったのは奇跡なのかも知れない。そんな二人が一緒にグラスをかわし、同じ時間を共にしている…。
「あとは哀しみを…」
 そっと歌っているナイトホークを見て詩文がにっこりと笑った。
 目を細めて何かを想っているようだが、その仕草は何故か嬉しそうに見える。
 歌が終わると一瞬皆がほぅ…と溜息をつき、それから拍手が上がった。
「やっぱりママの歌は泣けるねぇ」
「うふ、ありがとう。皆もどんどん歌ってちょうだいね」
 マイクを戻すと、詩文はまたてきぱきとグラスを下げたり、自分が作った物などを皆に出したりと働き始める。
「何か手伝う?」
 その言葉に詩文は首を横に振る。
 ナイトホークが同業者でもそれはダメだ。ここは自分が先代のママから譲られた大事な店だ。目が回るほど忙しいならともかく、お客様としてきたのだから楽しんで貰わなければ。
 人差し指を立て、悪戯っぽくウインク。
「ダメよ、ここは私のお店だから。それより私が作ったレンコンのきんぴら評判いいのよん。食べて食べて」
 小鉢に盛られたきんぴらを出し、食べるまでじっと見つめていると、ナイトホークは苦笑しながらそれを口にした。
「あ、本当に美味い」
「そりゃそうだ、ふみちゃんが作ったんだから」
「ママが作る物は何でも美味いよ。ただのスルメもママが皿に乗せたら、それだけでご馳走だ」
 ふふっと笑っていると、ナイトホークはそれを見ながら詩文に小さく呟いた。
「『瑞穂』が評判いいの分かる。詩文さんに会いに来て話すの楽しいわ」
 それはお互い様だ。
 時々疲れたときに羽を休めるような場所。来る年代層は違うが、皆それを求めて来ているのだから。
 賑やかに夜が更けていく。
 ナイトホークに『高校三年生』のリクエストが行って慌てたり、詩文が歌った『秋桜(コスモス)』で、今年の春に嫁ぐ娘を持っている常連が涙ぐんで切々と花嫁の父の心境を話したりと、何だか今日はいつにも増して楽しげだ。それは詩文だけではなく、他の客やナイトホークも同じらしい。
「何だか今日は盛り上がるねぇ」
「やっぱふみちゃんの彼氏が来てるからかね」
「いや、俺別に彼氏じゃないんで。皆さんと同じ立場で」
 そう言いながらもナイトホークは笑っている。それが詩文は一番嬉しかった。
 たまにはこうやって、いつもと違ったひとときを。
 それで楽しんで、また明日から新しい一歩を踏み出せるように。
「ボトルキープしてくかな。何かすげー楽しい」
 煙草の灰を灰皿に落とし目を細めているナイトホークに、少し悪戯っぽく詩文が笑う
「カラオケ苦手なんじゃなかったの…なーんて」
「…歌ってみたら結構楽しかった。でも、やっぱり新しい曲は分からない…ボトル、お勧めしてもらった焼酎にしとく。あえて買わずにここで飲もう」
 それはまたここに来るという約束代わりなのだろう。
 雲のように形を変えていく想い出を語る相手がいるのも悪くない。きっと東京にいる限り長い付き合いになるのだろうから。
「じゃあボトル入れちゃうわねん。私もまた蒼月亭さんに遊びに行かせてもらうわ。その時は…」
「うん、『チェリー・ブロッサム』ご馳走するよ。昼もやってるから遊びに来て」
「そうするわね…はーい、ボトル入ったわよーん♪」
 新しいボトルの横に置く小さな創作人形を出し、大きく拍手をする。
 その手には芋焼酎「ホコツ」の瓶が大事そうに握られていた。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
前回は詩文さんが蒼月亭に来る話でしたが、今度はナイトホークが瑞穂に行くというお話とのことで、こんな感じで楽しませて頂きました。ナイトホークの本当の年齢だと、瑞穂は落ち着く場所なのかも知れません。苦手なカラオケも何だか楽しそうです。
詩文さんの歌もきっとしみじみと聞き入るのでしょう。
リテイク・ご意見は遠慮なく言ってください。
こんなお付き合いも楽しげです。またよろしくお願いいたします。