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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


注文の多い宿泊客

 たのしい初詣でを終えて、かれらはそれぞれの家路についたはずだった。
 いい夢が見られるといいね、などと笑いながら帰った。その夜見る夢は、ふたりの、今年の初夢ということになるはずだ。茸の夢を見そうなの、と、蘭が言ったので、雪彼は声を立てて笑った。
 そうして、家に帰ったはずなのに、気がつくと、蘭と雪彼はまた顔を合わせている。
「蘭ちゃん……?」
 雪彼が小首を傾げた。
「雪彼ちゃん……わあ」
 蘭が思わず声をあげたのは、雪彼の服に目をうばわれたからだった。
 ごくあわい桃色の、やわらかな布地でできたドレスだったが、スカートの後ろを張り出してふくらませたバッスルスタイルのシルエットで、頭の上の薔薇をあしらったちいさなトーク帽とあいまって、まるで鹿鳴館時代の貴婦人をきどったかのようだった。
 一方の蘭は、鹿打ち帽にケープコートという、探偵小説の登場人物そのままのいでたち。
 そんなふたりの前には、ぼんやりとした灯を投げかける門燈があった。
 まるで導かれるように、石のポーチを進み、ドアを押しあけると、ふたりを迎え入れたのは、うす暗いロビーだ。
「ここ……」
 雪彼がきょろきょろとあたりを見回す。
 ほんの一瞬、親戚のある少女が勤めている店に似ているような印象を持ったが、よくよく見ればさほど似ているというわけでもない。でもなにか同じ匂いがするように感じられたのは、調度類がいずれもアンティークであったからだろうか。
「いらっしゃいませ」
 ふいに声をかけられて、振り返る。
「あ――」
 ふたりからすればずっと背の高い姿が、そこにあったが、不思議と威圧感は感じさせず、彼はうやうやしく、ふたりを迎えるのだった。

「ようこそ。ホテル・ラビリンスへ――」

  † † †

「ほてるらびりんす……? あ、雪彼しってるよ。きいたことあるもん」
 若い叔母たちの話を思い出す。
 いわく、異界の狭間に建つ不思議なホテル。取り仕切るのは、黒髪に、すみれ色の瞳をもつ美青年のボーイ。お代は自分の『秘密』だけ――。
「ひみつ、なの……?」
 蘭は目をしばたいた。
「とめてもらえるの?」
 雪彼は訊いた。
「どなたでも、必要があれば当ホテルにいらしていただくことができます。ここへいらっしゃった以上は、その資格がおありかと」
 ボーイは、端正な顔に、微笑を浮かべた。
「じゃあおねがいします。ええと、たしか……ろみおちゃん」
 ボーイの名を思い出して、にっこりと、ほころぶような笑顔を見せる。
 ロミオは一瞬、あっけにとられたような顔を見せたが、すぐに、いつものアルカイックスマイルに戻って、彼女たちを案内するのだった。
「どうぞ、こちらへ。ご案内します」
「雪彼ちゃん、待ってなの」
 ボーイと歩き出す雪彼を追う蘭。
 どうしよう、と蘭は思った。何を払えばいいだろう。『ひみつ』って、なにがあっただろうか。
(持ち主さんが、『あいつには言っちゃだめだぞ』っていってたアレのこと……? だめ、それは僕のじゃなくて持ち主さんの『ひみつ』なの。……でも、持ち主さんが、言っちゃだめっていってて、僕もないしょにしてるんだから、やっぱり、それって僕の『ひみつ』???)
 あれこれと、思い悩んでいるうちに、部屋についたようだ。
 鈍い色合いの、金属のキーホルダーのついた鍵が、ふたりのための部屋の扉を開いた。


「雪彼ちゃん」
「なぁに?」
「たんけん、いこうなの」
「たん、けん?」
 あてがわれたのは、ふたりにしては随分広く感じられるツインルームだったが、ただ部屋に大人しくしていろというのも無理な話だ。最初のうちこそ、部屋中の家具のひきだしや物入れを開けてみたり、ベッドのうえで飛び跳ねてみたり、飾ってある額の裏やランプシェードの内側をのぞいてみたり、窓から鬱蒼と樹木の茂る中庭を見下ろしてみたり、バスルームに置いてあるソープやシャワージェルの匂いを嗅いでみたりといったことに費やしていたが、見るべきものを皆見てしまうと、蘭の好奇心は部屋一室には収まりきらなくなったようだ。
「ここは不思議なホテルだから、きっと不思議で面白いものがありそうなの」
「……うん、そうだね!」
 瞳をきらきらさせて、雪彼も頷く。
 部屋の鍵をおしりのポケットにつっこみ(鍵を持って出ないと、勝手に扉が閉じてしまうのだと教えられた)、ふたりは厚い絨毯の敷かれた廊下へ飛び出す。
「蘭ちゃん、たんていさんみたい」
 くすくすと雪彼は笑った。
 ちいさな探偵とちいさな淑女は、くすくす笑いを押し殺しながら、静かな廊下を足早に過ぎて行った。
 壁にはゆるやかな曲線で構成された、花のつぼみをかたどったランプがちろちろと頼りなげな灯りを投げかけている。その光がふたりの影を壁に落とし、ゆらりと伸び上がった影法師のふたりぐみが、蘭と雪彼のあとを着いて来るのだった。
 ホテルの廊下は静まり返っている。
 しかし、じっと耳をすませば、どこからか、低い誰かの囁く声が聞こえてくるような気がしないでもない。
 金字で部屋番号が記された扉が並ぶ廊下はどこまでもどこまでも続いていた。
 果たして、来るとき、こんなに長く歩いてきただろうか?
「……?」
 ――と、雪彼が、蘭の袖を引いた。
「蘭ちゃん」
 他はすべて閉ざされ、その向こうに宿泊している客がいるのかいないのかわからない。しかし雪彼がおずおずと指したそのドアだけはわずかにだったが開いているのだった。
 その扉は、ふたりが見ているのに気づいたように、音もなくさらに開いた。
「坊や。お嬢ちゃん」
 ドアの中から呼び掛ける声がある。
「誰?」
「よかったら、お部屋に来ない? すこし、お話しましょう」
 年配の女の声のようだったが、その姿はドアの影になってうかがいしれない。蘭と雪彼はほのかな、ハーブの香りを感じた。
「ハーブティーを入れたの。お菓子もあるわ。でも独りだと楽しくないでしょう? お茶の時間なのに、誰か来てくれないかと待っていたのよ」
 ふたりは顔を見合わせた。
 なにか奇妙なものも感じたが、断る理由もなかった。
 蘭と雪彼は、誘われるままに、そのドアの向こうへ足を踏み入れたのである。

「そこに坐って頂戴、ふたりとも」
「……」
 部屋は、スイートルームだった。蘭たちの部屋よりもずっと広く、家具も多い。お代はそれぞれの『秘密』だというが……ではこの部屋の客はよほどすごい『秘密』を支払っているに違いない、と蘭は思う。
 雪彼が、ソファに腰を降ろす。蘭はその隣に坐った。テーブルの上には、なるほど、ハーブティーの入った硝子の茶器が並び、白磁の皿の上にクッキーが盛られていた。雪彼と蘭のふたりぶんがそこにあるのは、部屋の主はほんとうに、だれかが廊下を通りがかるのを待っていたとでもいうのだろうか。
「すきなだけ、食べて頂戴ね」
 だがそんなことよりももっと奇妙な……というか、異常なことがある。
 部屋のあるじの姿が、どこにもないのである。
 ただ、続き部屋――おそらくベッドルームへの扉が半開きになっていて、その影に誰かがいる気配があって、声がそこからしてくるのだ。蘭と雪彼は声の主の顔を一度も見ていない。
「一緒に坐らないなの?」
 蘭がもっともなことを言った。
「ごめんなさいね。おばさんったら、照れ屋なの。でも、こうしていてもお話できるでしょ?」
「……」
「お嬢ちゃん、坊やにお茶を入れてあげて」
「うん」
 雪彼はティーポットから、蘭の茶器に中身を注ぐ。やわらかなハーブの香りがふうわりと広がる。続いて自分の分も。
「上手、上手。きっといいお嫁さんになれるわね」
 そんな言葉に、無邪気にはにかむ雪彼。
「たくさん飲んでね。ハーブのお茶がいい香りづけになるわ」
「ひとりで泊ってるなの?」
「ええそうよ。ふたりはお友達なの?」
「うん。仲良しなの」
「そう……ふふふ」
 女は笑った。
「お茶は美味しい?」
「うん、とっても美味しいよ」
「よかったわ」
 会話だけを取り出せば、なごやかな一席といえたかもしれないが。
「……お顔は見ちゃだめなの……?」
 しばしの歓談の後、たまりかねたように、雪彼が訊ねた。
「……」
「あ。ごめんなさい。べつに――」
「いいわよ」
「え」
「そのまえに、お嬢ちゃん、ヘアピンをしていない?」
「?」
「外してほしいの。ブローチとか、硬いものは全部」
 耳の上で髪をとめていたピンや、アクセサリーを、言われるままにはずしていく。
「それをはずしたら、こっちへ来て頂戴」
 蘭も立ち上がって、雪彼とともに、奥の部屋へのドアをくぐった。
 ところが――
「……」
 またしても、そこには誰もおらず、空っぽのベッドがあるばかり。そしてそのまた奥のドアがすこしだけ開いている。その向こうからの声が言った。
「そこのサイドテーブルにクリームがあるでしょう。とってもいい匂いのする、お肌がすべすべになるクリームなの。あげるから、つけてみたら? おばさん、その匂いを嗅ぐと安心するの。ふたりがそのクリームの匂いがしてたら、照れずに会えると思うわ」
 なにかおかしい。
 蘭は、そう感じはじめていた。
 いや、おかしいといえば、最初からおかしいことだらけなのだが……、今、なにか、決定的な局面が訪れようとしているような……うまくはいえないが、そんな感じがする。
「なんだか」
 ぽつり、と、雪彼が呟く。
 たぶんそれはなにげない、心からの、思いつきを口にしたに過ぎないのだろうが――

「『注文の多い料理店』みたいだね」

「!」
 蘭は気づいてしまった。
 奥の扉の隙間から、じっとふたりを見つめている目の存在に。
 目以外のものは闇に沈んで何も見えない。ただ、真ん丸な、血走った目が、炯々たる眼光を輝かせて、ふたりを凝視していたのだ。
「雪彼ちゃん」
 蘭は雪彼の手を引いた。
「もう行こう、なの。おばさん、ありがとうございましたなの。僕たち、もう――」
「お待ちッ! そうはいかないよッ!」
 バタン!――と、音を立ててベッドルームの扉が閉じた。
「逃がしやしないからね、覚悟おしッ!」
 それまでの優しい口調をすべてかなぐりすてて、声は怒鳴った。
 そして、すべてが、ぐにぐにと形を変えていく。ベッドが、家具が、ドアが、壁が、天井が、ダリの絵画のように輪郭を失って、溶け出していった。ふたりは、足元の絨毯が、なにか得体の知れない生温かさとやわらかさをもった、弾力と、ぬめりをそなえているのに気づく。
「蘭ちゃん!」
 足をとられて姿勢をくずした雪彼を蘭が支えた。
「おいしそうな――……なんておいしそうな子たちなのかしら」
 奥のドアが開いた。
 いや……すでにそれはドアではなかった。
 ずらりと、細かく鋭い牙が何列にも並んだ、それは巨大なあぎとだった。その向こうの、奈落のような闇から、胸の悪くなるようなにおいがただよってきていた。
「さあ、そろそろ、ハーブのエキスもしみた頃でしょうねぇえええ」
「蘭ちゃん!」
 雪彼が蘭にしがみついた。
 なんとかしなくては。蘭は考える。
 そして。
(そのまえに、お嬢ちゃん、ヘアピンをしていない?)
(外してほしいの。ブローチとか、硬いものは全部)
 さきほどの言葉が甦る。
(硬いものは……食べるときに邪魔になるから? ……硬い――もの……硬いもの?)
 うしろのポケットに、部屋のキーがある!
 蘭はそれをひっつかむと、大口のなかへと放り込んだ。
「……ッ!!」
 部屋がはげしくうねり、揺らいだ。
「ぅぐぇええっ、な、なによこれっ、か、金物くさい! な、なにをするのぉおおおおおおおお」
 上も下もなく、なにもかもがめちゃくちゃになる。
 そして、ふたりは……吐き出されたのである。文字通り。

「お客様」
「……ろみおちゃん」
 呆然と、雪彼が見上げたところに、ロミオの端正な顔がある。
「お部屋の鍵は、なくされませんように」
「あ」
 手の中に、鍵をぽとん、と落とされた。
「あ、あれ……?」
 蘭があたりを見回す。
 ふたりは、廊下にぺたんと坐り込んでいた。
「では、私はこれで」
 彼はワゴンを押していた。いい匂いがしているのは、ルームサーヴィスの食事を運んでいくのだろう。
「お届けが遅くなってしまったので、お腹を空かせてしまわれたお客様がいらっしゃるようですので」
 かるく頭をさげて、美貌のボーイは、ワゴンを運んで行くのだった。

  † † †

 たのしい初詣でを終えて、かれらはそれぞれの家路についたのだった。
 いい夢が見られるといいね、などと笑いながら帰った。その夜見る夢は、ふたりの、今年の初夢ということになるはずだ。茸の夢を見そうなの、と、蘭が言ったので、雪彼は声を立てて笑った。
 結果――
 起きたときは、すっごく不思議な夢を見た、と思ったのに、それは日向の雪が溶けるように、すぐに記憶の彼方にふわふわと消えていってしまった。
 ただ、蘭も雪彼も、お互いが夢の中に出てきたことだけを、覚えていた。

「でも……雪彼ちゃんと一緒だったら、きっと楽しい夢だったなの」
「うん。雪彼もそう思う」
 後に、そう言って、ふたりは笑い合ったのだった。

(了)