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イヴの林檎
■幻鏡前夜
一歩、足を踏み入れる。
碇麗香は空間が変わるような波動を感じて怖気だった。
鏡!
その鏡に映るのは、麗香の姿と麗香の背後にある鏡。
合わせ鏡だ、と思ったときには真っ白な血の気のない手が麗香に伸びていた。
背後からぐいと引き寄せられる。
「あ」
とろけるような感覚。
そして、暗転。
どこに立っているのか、いや―――立っているのかどうかすらあやふやになる。真っ暗だと平衡感覚がなくなるわね、と麗香はため息をはいた。
スーツのポケットをさぐると、携帯が入っていた。
いちかばちか、電話をかけてみる。
呼び出し音。不思議な場所だ。携帯が通じるらしい。
「三下、聞こえる? ああよかった。そう。取材中なんだけど、教会の控え室に入ったら鏡の中に入っちゃったみたいなの。迎えに来なさい。え? あー、そんな怖いトコじゃないから。アァ? だっから、誰でもイイから誰か連れてきなさい。早く来ないと、減給またはグッチの時計を買ってもらうわよ。そうそう、いい子ね。よろ……」
麗香は背後を振り返る。
***
「編集長? へんしゅうちょーう!!」
三下は切れてしまった携帯を、困り果てたように見つめていた。
今日、麗香はアンダルシア教会に行っていたはずだ。一年に一度の頻度で花嫁がいなくなる教会。呪われた教会として有名なのにもかかわらず、怖いモノ好きのカップルたちが絶えない場所。控え室でいなくなるケースが多いらしい。
「ヤバイなぁ……グッチの時計かぁ……」
三下は泣きそうな顔でがっくりと体を落とす。
■グッチの時計は買いたくないんです
三下からヘルプコールがかかってきたのは夜になってからだった。氷室・浩介は肩をすくめる。
「まさかこんな依頼が来るたぁ……」
言いつつニヤリと笑う。存外楽しそうだ。鼻歌交じりに身支度を調えた。
三下と合流したのは一時間後。アンダルシア教会前で、三下は待っていた。氷室を見るや泣きそうな顔で名前を呼ばれた。
「あんた、ンなヘタレてんじゃねぇよ」
言葉遣いは乱暴だが、氷室の表情はやわらかい。
「す、すみません……」
「一応いろいろ用意してきてやったぜ」
背中から黒いリュックを下ろし、中からそれらを取りだした。三下は唸る。
「何だよ」
「いえ、あの、その、そそそそれは?」
「三下さん、はっきり喋れよ」
「だって、だってソレ」
彼が指さしたのは、たこ糸―――の横にあるスカート2枚と白シャツ、黒いボレロ、黒いタートルネック、ウィッグ、アクセサリ、バッグ……。
「女限定で引き込んでるってんなら、やっぱ必要だろ?」
「まさか……」
三下は笑えないまま、引きつらせた表情で氷室を見上げる。
神妙に唇を引き結んで、こっくりと頷いた。
二人は教会内でそそくさと着替えた。
二人はお互いの姿を見つめ、三下は大きくため息を、氷室はそっぽを向いてクックックッとか笑っている。
三下は意外にも可愛い。ノーメイクにもかかわらず肌もキレイだし、目がくりっ☆としていて可憐だ。また、赤らめた顔がそそr……ってオイ! 自分で自分にツッコミを入れながら、氷室は笑い続けていた。
ヤンキー姉ちゃん、だった。三下の目の前にいるのは、2006年の紅白に出ていたヤンキー姉ちゃん(♂・芸人)によく似ている。けれど笑うというよりは、自分もこのひとみたいに見えてるのだろうかと項垂れた。
トイレに入ると、二本のタコ糸の端をそれぞれの手首にくくりつける。糸巻きはドアの蝶番の隙間に通して外に置いておいた。
二人の姿が、鏡に映る。じっと、鏡を見つめる。
「入れませんねぇ……まぁ普通は入れないけど。本当に入ったんですかねぇ。編集長、からかったんじゃないんですかねー?」
「ああ……」
ぬるり、と鏡が水面のように揺れた。二人は言葉を失った。ベージュのマニキュアを塗ったキレイな手が、ぬっと突き出た。手は三下の首ねっこをぐいと掴んで、引き寄せた。
「氷室さッ……!」
氷室は三下の手をとる。ぐいと引っ張って、引き戻そうとするけれど、異常な力に目を見開いた。
(ダメだ!)
そのまま、鏡の中に吸い込まれた。鼓膜がキンと突っ張り、一瞬無重力になった。
気がつけば、氷室たちは真っ暗な闇の中にいた。何故か自分たちのことは見える。光を持っているように明るい。
「氷室さん、ここ……」
「鏡の中に入れたみたいだな」
三下は顔を真っ青にしている。
「さっき、なんか首をしめられてたような」
「あー、うん」
「適当にスルーしないでくださいよッ!」
そう言われても話を流す氷室に、三下は歯がみする。
そのとき、後ろ姿が見えた。
何か、クダを巻いている女が二人いる。
「だーかーらー、男はダメだって言ってンのよ!」
「そうでしょ! 碇!!」
二人がコタツに座って焼酎を酌み交わしている。
「男ってさぁ、だからダメなのよ!」
「でしょ!? 大体なんでそんな簡単に婚約者のことフったりできるのよ!」
「でーもー、死んじゃうことなかったんじゃない? あなたみたいなイイ女が」
「そうかなぁ……」
思い切り男批判をしている女性二人に、声をかけることもためらわれ二人は立ちつくしていた。
「ちょっと、三下! そんなところで突っ立ってンじゃないわよ」
「は、はははははははハイ〜!」
「三下はさぁ、男だからわかんないかもしんないけどw」
(……俺はどうしたら)
もっとわかんねえだろーにと思い、氷室は途方に暮れた。
「えーちょっと姉さんコイツら男なワケ?」
「いいのよ、あいつらは男みたいであって男じゃないから」
(え、えー?)
引きながら氷室は三人を見ている。
「三下! アンタ好きな女は大切にする?」
酔っている麗香の絡み方は尋常ではない。麗香は顔色には出さないものの、目がとろりとしている。
「た、大切にしますよ!」
「他に好きな子ができちゃうんでしょ?」
ウエディング姿の女が悲しそうな声で言った。
「そんなにモテませんもん!」
「そうね、アンタそんなカンジよね」
ためいきを吐かれた。三下はちょっとヘコんだ。
今度は矛先が氷室に向く。
「アンタは!」
(今度は俺かよ……)
「えっと、俺スか」
なんか女性二人はコワイし、もうどうしていいやら。
ゴホンと咳払いをして、何か言おうかと思ったが顔を真っ赤にして、
「言わねぇよ、ンなこと」
そっぽを向いた。
女性二人は氷室を見て、ほぅと息を吐いた。
「いいわね、なんだかほっとするわね」
「こういう男もいるんだよねー」
「そうよ、アンタ。もっとイイ男見つけなさいよ」
「へーい」
勝手に話は進んでいく。しかしここで下手に話しかけるわけにもいかないので、黙って成り行きを見守っていた。
「いいわね、アンタみたいな男がよかったかもなー」
女性はにっこりと氷室に笑いかけた。
そのまま、闇に消えていく。
パリン、とセカイが割れる音がした。
思わず目を瞑る。
■イヴの林檎
「要するにね、男が浮気をしていたんですって」
「よかったですねぇ、何事もなく」
かみ合わない会話だが、二人の中では成立しているらしい。
なぜか氷室はリンゴを手にしていた。真っ赤な美しい、光沢のあるリンゴ。
「なんで、俺にはリンゴなんだ?」
「あー、それはね、彼女の彼氏が好きだったんですって。だから、ずっと持ってたんだって」
なんだか微妙な気持ちでリンゴを見つめる。
「プレゼントってことでしょ。多分」
(そうは言われてもな)
氷室は考える。さて、このリンゴをどうするか?
(まぁ、いいか)
氷室は高くリンゴを放り投げた。弧を描いて、朝日に美しく輝いた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【6725 / 氷室・浩介 / 男性 / 20歳 / 何でも屋】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、タカノカオルです。
少し遅くなってしまい申し訳ございませんでした。
また、あなたの物語が紡がせてもらえることを祈って……!
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