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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 地に足の着いた仕事はやはり落ち着く。
 探偵という仕事も好きだが、こうやって研究所からの書類を本社の方へ持っていくと、安定した仕事はいいと思ってしまう。
 デュナス・ベルファーは、篁コーポレーションの社長室にある応接セットに座り、封筒に入れられた書類を社長である篁 雅輝(たかむら・まさき)に手渡した。
「ドクターから、直々に持っていくように言われましたので」
「ありがとう。迷惑掛けてすまないね」
「いえ、これが私の仕事ですから」
 デュナスの仕事。
 少し前までは収入の安定しない『探偵業』を主に営んでいたのだが、最近それに『篁研究所の事務』が加わった。この研究所は篁コーポレーションの傘下であり、雅輝の兄である雅隆(まさたか)が研究所長を務めている。
 事務と言うと聞こえは良いが、主な仕事は雅隆のお守りだ。ボディガードだけでなく、散らかした机の整頓やスケジュール管理…まるで秘書のようなものだが、肩書きはあくまで事務になっている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 雅輝の秘書である冬夜(とうや)が、温かいお茶を出してくれた。
 本当は書類だけ渡して帰れば良さそうなものだが、用事のついでに雅隆のいつもの様子を報告するのも仕事の一部だ。書類を取り出し目を通しながら、雅輝はチラリとデュナスに目をやる。
「兄さんは元気かい?」
「ええ、いつも通りです。今日はレベル4実験管理棟に行くって言ってました」
 篁研究所には感染症などに対応する実験管理棟がある。研究員の話ではかなり危険なウイルスの研究もしているそうなのだが、今のところその部屋を使っているのは雅隆だけだ。
 元気だという報告に、冬夜が息をつく。
「少しぐらい元気じゃない方が丁度良さそうだ」
「ははは…」
 デュナスが把握している人間関係では、冬夜は雅隆のことを異様に嫌っているらしい。
 これで雅隆も冬夜を嫌っていれば、お互い顔を合わせても話もせずと言う状態で済むのだが、なかなかそう上手く行くものではない。雅隆は冬夜に何とか好かれようとするので、それが原因でまた嫌われる…という状態だ。
「兄さんは変わらないだろうね。少し落ち着いて欲しいって言うのが僕の本音だけど」
 まあ確かに少しぐらい落ち着いてもらえれば、デュナスの仕事も楽になるかも知れない…そう思いながら力なく笑って見せたときだった。
 プルルルル…。
 壁に掛けられていた内線電話が鳴り、会話が止まる。
 社長室に直で内線連絡というのも珍しい。冬夜が電話の側に近づき、どこからの発信されたものかを見た。
「…雅輝さん、レベル4実験管理棟からです」
 その言葉に、デュナスは嫌な予感がした。
 そこを使っているのは雅隆しかいないのだから、電話をかけたのは本人だろう。
 レベル1の実験室であれば少し制限はあれど割と簡単に入ることが出来るが、レベル4になると事情が違う。レベルが2になれば制限が増え、許可された人物しか入ることが出来ず、3になると廊下の立ち入り制限だけでなく、作業員名簿に記載された者以外の立ち入りは禁止になる。
 まさか自分がちゃんと来ていることの確認のためではないだろう…目の前に座っていた雅輝はスッと立ち上がると、鳴り続けている受話器を取った。
「もしもし」
 それと同時にボタンを押す音が小さく鳴る。
 スピーカーから聞こえたのは、雅隆のこんな言葉だった。
「雅輝?あの…その…ごめん」
 いきなり謝罪から入るとは。
 だがその瞬間、部屋の温度が一気に下がったような気がした。
 受話器を持った雅輝と、それを聞いた冬夜が恐ろしいほどの緊張感を漂わせる。デュナスは自分の体を温めるためにお茶を一口飲んだ後、雅輝の側に近づいた。
 本当なら「何があったんですか?」と聞きたいのだが、今自分が口を開くと視線で石になりそうな気がする。
「兄さん、先に謝れば許してもらえると思ったら大間違いだよ。何したんだい?」
「あのね…ラット逃がしちゃった」
 それは本来犯してはいけないミスだ。
 病原体を持ったラットをケージに戻すときに、うっかり実験室の中に放ってしまったらしい。自分でも何とか捕まえようとしたのだが、元が鈍くさいので捕まえられるどころかどうにもならなくなり、それで電話をかけてきた…それを聞きながら雅輝は目を細める。
「一番大きなセキュリティホールは、人間が使用することだって言うけれど、全くその通りだね…兄さんなら知ってると思うから聞くけど、レベル3からの実験に関するバイオセーフティーレベルを述べよ」
「あい…『実験は生物学用安全キャビネットの中で行う』『動物実験は生物学用安全キャビネットの中、若しくは陰圧アイソレーターの中で行う』…でも逃げちゃったんだもん!僕だって悪いと思ってるもん!」
 逆ギレか。デュナスが頭を抱えると、雅輝はふぅと溜息をついた。
「…まず聞くけど、ラットに噛まれたり手袋に傷を付けたりはしてないね?」
「それは大丈夫」
「困ったね。二重ロックとはいえ迂闊にドアを開けてラットに逃げられたら、大変なことになる…どうしようか」
 これは助けに行かなくてはならないだろう。ラットを捕まえるのは初めてだが、少なくとも雅隆よりは上手く捕まえられるはずだ。自分が行こう…そう声をあげようとする前に、冬夜は雅輝に向かってこう言い放った。
「いい考えがあります。三日ぐらい食物を与えなければラットは餓死しますから、ラットを回収後室内を消毒というのはどうでしょう」
 冬夜には雅隆を何とかする気はないらしい。受話器の向こうで雅隆が喚いているのが聞こえる。
「冬夜君ひどい!僕は?」
「人間は三日ぐらい大丈夫だろう」
「お手洗いとかは?うわーん、デュナス君いるよね?たーすーけーてー」
「ドクター、ちゃんと行きますから安心してくださいね」
 デュナスの声を聞いたので、雅隆はやっと大人しくなった。

 本来レベル3以上の実験室には『作業員名簿に記載された者以外の立ち入りは禁止』という制限があるのだが、それは雅輝が何とかしておくということで、ラット捕獲にはデュナスと冬夜の二人が行くことになった。
「血を飛び散らせないように、出来れば無傷で捕らえて欲しい。感染源は体液だから。あと、ラット回収まで外に出ないようにね」
 ウイルスの正体についてデュナスは教えてもらえなかったが、それは仕方ないだろう。知ったとしても仕方がないし、かえって足がすくむ原因になるかも知れない。自分が知っていればいいのは『危険である』ということと『噛まれないように注意する』ということだけだ。
 作業服を着て消毒の後、ゴム手袋を二重にする。その上さらに宇宙服のような物を着なければならない。着替えをしながらデュナスは、冬夜に聞いてみたいことがあったことを思い出した。
「冬夜さんは、どうしてドクターのことが嫌いなんですか?」
 その質問に冬夜はいつもかけているサングラスを外し、眉間に皺を寄せた。澄んだ青い瞳にはやはり冷たさを感じる。
「存在自体」
「は?」
「虫が生理的に嫌いという奴がいるように、俺はあれを好きになれない。あと、今日は本当なら書類を貰った後、雅輝さんは何ヶ月かぶりの半休だったのに、こうやってタイミング悪くトラブルを起こすところとか、謝れば何とかなると思ってるところとか…」
「ごめんなさい、もういいです」
 ダメだ、これは自分が頑張ったところでどうなるものでもない。ラットが隙間から逃げないようにとドアの大きさに切った板を持ち、デュナスはドアの前に立った。
「ドクター、大丈夫ですか?」
 ノックしながらデュナスが聞くと、中からもドンドンと叩く音がする。
「助けるのは後として、その付近にラットはいないだろうな」
 ラットを回収しなければ外に出ることは出来ない。ラットが近くにいないということを確認すると。板を戸の前に置いて二人はドアを開けた。
「うわーん、デュナスくーん!寂しかったよぅ」
 よほど心細かったのだろう。雅隆はデュナスに抱きつこうとするが、それを冬夜が突き飛ばした。
「どけ!ドアが閉められなくなる」
 慌ててドアを閉めると、ロックが自動的にかかった。突き飛ばされた雅隆は、それでも果敢にデュナスに抱きついてきた。
「冬夜君ひどいよね、ひどいよね」
「…ドクター、ドアを閉めなければラット捕まえられませんから」
 多分ここでの自分の役目は、ラット捕獲と雅隆のお守りなのだろう。そんな雅隆を壁際の方にやり、二人はラットがどこにいるのかを確認した。
「ラットはどこだ?」
「オートクレーブが置いてある裏とか、機械の裏とかに入っちゃうの」
 これは全く厄介だ。家の中にハムスターを逃がしたのとは訳が違う。相手は病原菌を保有しているあげく、自分達は宇宙服で動きが制限される。持ち込んでしまった物は焼却処分などにしなければならないので、入ってくるときにドアにたてた板以外何も持っていない。
 デュナスは雅隆が「今その辺」という場所を覗き込んだ。
「冬夜さん、います」
 壁でラットは落ち着かないようにそわそわと辺りを見回している。冬夜も逆からそれを確認した。
「デュナス、そっちからラットを驚かせてくれないか?食べ物でおびき寄せる手も使えないから、まず見える場所に出して隙間を何とかしよう」
 お互いの声はレシーバーで聞こえている。取りあえず音を出して向こうへ追い出そう…カンカンとラットが隠れている棚をデュナスは手で叩いた。
「行きました!」
 ビクッ!大きな音に驚いたラットは、デュナスの顔を見た後脅えるように逆に走り出す。向こうに出せばきっと冬夜が捕まえてくれるだろう。ちょろちょろと走るラットが、かがんだ冬夜の足下に来たときだった。
「ラット!僕捕まえる!」
 いらんことしい…という日本語は、こういうときに使えばいいのだろうか。
 そのまま黙っていれば冬夜の動きなら捕まえられたはずなのに、ラットの姿を見た途端走り寄った雅隆に邪魔され、また棚の裏に入り込んだ。
「あー、逃げちゃった」
 多分本人は手助けをしているつもりなのだ。
 だがそれからも、デュナスの方に来たと思えばくしゃみと共に床を慣らしてみたり、あちこちうろうろしている足下をすり抜けられたりと、ただただ時間だけが過ぎていく。
「…ドクター、お願いだからじっとしてください」
「でも、隅っこにいるの飽きる」
 ぴくっ。それを聞いた冬夜が振り返る。宇宙服で表情は全く見えないが、雰囲気で「怒っている」というのは分かった。それも、本気で雅隆を殺しかねないほど。
「貴様…その実験台の上に座れ。死にたくなければ今すぐ」
 流石の雅隆もこれはまずいと思ったのだろう。デュナスに支えられながら実験台の上に正座する。それを冬夜はじっと見た。
「冬夜君…姿勢を変えさせてくれませんか?」
 邪眼の能力で、雅隆の体が実験台に座ったまま固定される。デュナスが冬夜から後で聞いた話では、なるべくこの力は使いたくないので普段サングラスをしているらしい。それを解いたということは、よほど腹が立っていたのだろう。
「ラットが捕まったら動けるようにしてやる」
「あーしーがーしーびーれーるー」
「ドクター、もう少しの辛抱です」
 気の毒だとは思うが、デュナスとしても正直雅隆がじっとしていてくれる方がありがたい。少なくともラットを捕獲するためには。
「早く何とかしますから、我慢してください」
「もう手段を選んでる暇はないな…」
 バタバタしていたのが収まったので、様子を見に来たのだろうか…部屋の端をラットが走った。冬夜がその方向に目を向けると、ラットは立ち上がるような仕草をしたままピタと止まる。
「はい、じっとしてて下さいね…」
 近くにいたデュナスはラットをそっと持ち、ケージの中にラットを入れた。

 足が痺れて立ち上がれない雅隆に肩を貸していると、冬夜は内線で既に連絡を入れていた。ラットも何とか捕まったしこれでやっと外に出られる…思わずほっと息をつくと、雅隆は実験台の上で足をぶらぶらさせ、二人に向かってこう言った。
「二人ともありがとね。今度からは気をつける」
 見えてはいないが多分にこっと笑っているのだろう。デュナスが苦笑すると、冬夜は雅隆の前に立った。
「気をつけるじゃない。次はないと思え」
 雅隆は冬夜を見上げた後、デュナスの肩を借りて冬夜の前にぴょんと立った。
「うん。でもね、僕冬夜君がそうやってはっきり言うの嫌いじゃないよ」
「俺は嫌いなままだが」
 雅輝に報告してくるので後は頼むと言い残すと、冬夜は実験室を後にした。ぽつんと残されてしまった雅隆が、首をかしげながらこう言う。
「デュナス君、普通ああ言われたら『少しは好きになってもいい』とか言うもんじゃない?折角いい話にしようと思ったのに、どうして冬夜君はお約束をぶち壊すかなぁ」
「ドクター、そうやって計算するから嫌われるんだと思います」
 いや、計算しなかったとしても好かれることはないだろう。そしてさっきの一言で、多分冬夜の雅隆嫌いに拍車がかかったような気がする。
「それよりドクター、部屋を片づけて消毒が終わったら社長に謝りに行きましょうね」
「えっ?やだやだ、雅輝絶対怒ってるよぅ」
「素直に怒られた方がいいと思いますよ」
 ラットは無事に捕まえられたが、まだ仕事は残ってる。
「デュナス君、雅輝に怒られたら庇ってくれる?」
 それは、ちょっと、無理だろう。
 雅隆の話が聞こえなかったことにして、デュナスは黙って部屋を片づけ続けた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6392/デュナス・ベルファー/男性/24歳/探偵

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
レベル4実験室で逃げたラットを冬夜と一緒に捕まえる仕事ということでしたが、ラットを捕まえる事より社長室で話を聞いている方が長くなってしまいました。
日本にはレベル4の実験室があっても運用していないそうですが、話の中では色々と運用していることになってます。本来部屋に逃がすことはないのですが、まあ話としてはありですよね。うっかりですし。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
後々怖そうですが、またよろしくお願いいたします。