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知らない過去
――おかしい。
街を歩きながら、那智三織はずっとあることを考えていた。
近頃、どうも彼女の師の様子がおかしいのだ。
「何でもないさ」
返ってくるのは、その一言だけで。
彼女をよく知らぬ人間であれば、その言葉をあっさりと信じてしまうことだろう。
だが、やはり何かがおかしい。
三織には、どうしてもそう思えてならなかった。
もし、自分に何かできることがあるのなら。
そう思ってはみたが――原因すらわからないのでは、自分に何ができるかなど思いつくはずもなかった。
気がつくと、三織は見知らぬ場所にいた。
ずっと考え事をしながら歩いていたせいで、途中で道を間違えたのだろうか。
都会のビルの隙間に、隠れるようにひっそりと残っている小さな広場。
その片隅には、小さな祠が建てられている。
相当古くからここにあるのか、祠自体はすでにぼろぼろで、ほとんど見る影もない。
それでもまだ何らかの力は感じられるし、こんな場所に未だに取り壊されずに残っていることからしても、きっと何かいわくのあるものなのだろう。
三織がそんなことを考えていると、その祠の裏側の方から歌声が聞こえてきた。
――こんなところで、一体誰が歌っているのだろう?
何となく気になって、祠の裏をのぞき込んでみると、そこには一人の少女の姿があった。
その少女は、しかし、普通の人間ではない。
その証拠に、彼女の身体はうっすらと透き通っていた。
十中八九、幽霊であると見て間違いないだろう。
と、そうこうしているうちに、少女が三織に気づき、歌を止めて驚いたような表情で彼女の方を見返してきた。
幽霊である彼女の声を聞けるものは少なく、姿を見ることのできるものはさらに少ない。
彼女にとっては、「誰にも気づかれない」ことが、すでに当たり前となっていたのだろう。
「すまない、驚かせてしまった」
三織は彼女に一言謝ってから、改めて広場を見回した。
都会の喧噪からそう遠くない場所にありながら、ここはなぜか不思議と静かで。
ここより考え事をするのに適した場所は、この近くではそうそう見つからないだろう。
「もうしばらく、ここにいていいか?」
その申し出に、少女が小さく頷く。
「ありがとう」
彼女に礼を言って、三織は近くのベンチに腰を下ろした。
それから、しばしの沈黙の後。
三織の思索を中断させたのは、先ほどの少女の視線だった。
自分の存在に気づいてくれるものに会うのが久しぶりなのか、構ってほしそうに彼女の顔をのぞき込んでくる。
――なかなかいい案は思いつきそうもないし、仕方ないか。
そう思い直して、三織は彼女の相手をすることに決めた。
とはいえ、彼女がいつの生まれで、どのようなことに興味を持っているのかもわからぬ以上、どうしても話の内容はきわめてありきたりな、他愛もないものにならざるを得ない。
それでも、彼女はその一言一言にはっきりとした反応を返してくれた。
なぜか、彼女が言葉を発することはなかったが、時に目を輝かせて喜び、時に楽しそうに笑顔を見せ、身振り手振りを使って懸命に意志を伝えようとしてくる少女の姿は、なんとも微笑ましいものだった。
冬の日は短い。
少女の相手をしているうちに、いつしか空は青から薄紫を経て紺へと色を変えつつあった。
逢魔が時。
「夕暮れ時には魔が潜む」ということからそう呼ばれるようになったといわれる、まさにその刻限である。
「そろそろ私は帰るとしよう。今日は楽しかった」
別れを告げて腰を上げた三織に、少女が名残惜しそうな顔で駆け寄ってくる。
と、その時。
足下の小石に躓いて、少女がバランスを崩した。
転びそうになった彼女を、三織はとっさに両手で支え――その瞬間、そこから彼女の記憶が流れ込んできた。
その記憶の中に、三織は見覚えのある女性の姿を見つけた。
あれは――間違いなく、彼女の師だ。
三織が我に返ると、少女がどこかばつの悪そうな、後ろめたいような表情でこちらを見つめている。
「今のは――」
三織はそう尋ねようとしたが、少女はその暇を与えず、くるりと後ろを向いて走り去っていく。
不思議と、その後を追いかけようという気にはなれなかった。
ただ――彼女の記憶を通して見た、自分の知らない師の姿が、なぜか脳裏に焼き付いて離れなかった――。
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<<ライターより>>
撓場秀武です。
このたびは私にご依頼下さいましてありがとうございました。
三織さん、及び少女の描写の方、こんな感じでよろしかったでしょうか?
もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。
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