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<東京怪談ノベル(シングル)>


『Night Walker シンデレラ』


 それは童話のシンデレラにとても似ている少女の物語でした。
 少女のお母さんは少女がまだ物心もつかないうちに死んでしまいました。
 少女の父親はそんな娘をとても不憫に想い、少女の母親の姉と再婚しました。
 少女の亡き母親の姉は少女の父親に対しては良き貞淑な妻でした。
 しかし姪であり義理の娘である少女に対してはとてもひどい母親でした。
 とてもとてもひどいひどい母親でした。
 それでも少女は産みの母親がおらず、それをとても哀しく想っていましたから、義母に愛されようと、懸命にがんばりました。
 涙を見せずに、笑っていました。
 しかし義母は、そんな少女をいびり倒しました。
 旦那が居る時は良い妻、母。
 旦那が居ない時は悪魔のような酷い母。
 少女が童話のシンデレラと違うのは、亡き母のお墓に豆を蒔き、育った豆をついばみに飛んできた鳩たちから綺麗なお洋服や硝子の靴を貰わなかった事。
 少女の物語には王子様は登場しません。
 でも少女には友達が居たのです。
 真っ白な仔猫でした。
 小さな小さな仔猫でした。
 その仔猫の白だけが少女の友達でした。
 そして今日も意地悪な義母に少女が虐められていた時です、
 ―――その酷い酷い、悲劇が、起こってしまったのは……………。


「ねえお義母さん。大丈夫だよ。白は許してくれるよ。お義母さんが白の大切な鈴を捨ててしまった事も、お義母さんが殺した事も。うん。白も許してくれるから、だからこれからは二人で仲良く暮らしていこうね」
 小さな小さな仔猫の影を持った少女は、優しく義母に微笑みました。
 


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 その夜は雨。
 雨が降る前にあった人の匂いも、
 人が作った物の匂いも、
 人が奏でる音色も、
 人が作った物が奏でる音色も、
 みんな、みんな、みんな、その雨が降る音色に覆われている。
 雨のカーテン。
 雨音のカーテン。
 雨以外の物をみんな包み込む、魔法のカーテン。
 優しい神様の手。
 ―――でもあなたが包み込んで隠したかったのは本当は、
 ―――――ドンナモノ?
 雨音の中で、しゃりーん、と、鳴った音色は、その黒髪の少女が拾った小さな鈴が奏でた音色。
 しゃがみこんで、固いアスファルトの上に溜まった水溜りの中のそれを拾った彼女の背後から、小さな仔猫は声をかける。
 甘ったるく可愛らしい囁き声。
 ―――誘うような、そんな、声。
「白ちゃんの鈴、見ぃつけたぁ♪」
 夜の帳がそのまま形を成したように黒い髪、背中、だけど振り返った彼女の顔は、肌は雪のように白。真っ白。
 雨に濡れた美貌は、振り返って、その視線の先に居た黒髪ツインテールの娘を見て前髪の先から雫を垂らしながら小さく傾げられた。
「あなたの探し物? あなたも?」
 しとしとと降る雨の音と掻き消されそうな声がその唇から零れた。抑揚の無い一定のトーンの声。
 それは雨音の方がまだ感情があるようにも思えた。
 けど、そう思い、聞き流すには、聴き捨てられない言葉が多分にそれには含まれていた。
 あなたの探し物?
 ―――それは、白ちゃんの鈴、見ぃつけたぁ♪ に、かかっているから良い。
 だけれども、あなたも? とは?
 ツインテールの髪が楽しげに揺れた。
 ツインテールの娘の薄く形の良い唇から発せられた声は、少女のものとは違い、歌うように元気。
「そう、あたしの探し物。白ちゃんの、鈴なの、それ♪ 白ちゃん、というのは、千影のお友達の猫ちゃんの事だね♪ それで、お姉ちゃんの探し物は、何?」
 縦に揺れるばかりだった無邪気で好奇心旺盛な仔猫のような顔が、今度は少女のそれを倣ったかのように横に小さく傾げられる。
 娘の美貌を構成する緑色の瞳というパーツは、今は悪戯っぽい、それでいて思春期の少女特有の艶やかな印象を感じさせた。
 ツインテールの娘は、無邪気でありながら、しかしどことなく人の本能に待ったをかけるような、そんな雰囲気を帯びた邪気の無い笑みを浮かべている。
 ―――ああ、そうか。そのツインテールの娘の顔は、蝶の標本を作るために、アゲハチョウに針を刺す時の子どものような笑みを浮かべているのだ。
 無邪気である事がどこまでも残酷である、そんな子ども特有の笑み―――。
 しかし黒髪の少女はそれを意に介さずにただ淡々と言葉を紡ぐばかりだった。
「きっと、あなたと同じ物」
「同じ物? でもこの鈴は、ここにある物だけだよ? 同じ種類の鈴は世にたくさんあれど、でも白ちゃんの鈴はこれだけ。なら、同じモノでは、無いよね?」
 無邪気に笑いかけるツインテールの娘に、黒髪の少女は雨に濡れた美貌に表情の欠片のような物を浮かべた。
「あたしが探しているのは、それの音」
「音?」
 ハンカチで拭いてから黒髪の少女が渡してくれた鈴をツインテールの娘は鳴らして見せた。
 雨音だけが流れるばかりの世界に、絹糸がするすると手の平から堕ちるようなそんなしっとりとした、艶やかな鈴の音色がした。
 黒髪の少女は雨に濡れた髪を顔に貼り付けさせたまま、小さく微笑んだ。
 ツインテールの娘も、にこりと笑む。
「そう、その音。あたしの探し物は。ずっとその音色は鳴っていた。迷子の子どもが、道に迷って悲しくって、それで母親を泣きながら呼ぶように」
「この鈴が持ち主の白ちゃんを探していたのかな?」
「違う。あたしの聴く音色は、きっとその白という仔猫の魂が奏でる音色。それはきっとその鈴がとても大好きで、大切だったから、だからその鈴の音色と同じ響きの声に鳴ってしまった。或いは、鈴が、白の仔猫を助けたがっている?」
 黒髪の少女がそう言うと、
 ツインテールの娘はくすくすと笑った。
「えっと?」
 唇に右手の人差し指の先をあてながら娘は小首を傾げ、
 少女は表情を一ミリも動かさずにただ、
「綾瀬まあや」、と名乗った。
「あたしは千影だよ、まあやちゃん。愛称はチカ」
「まあやちゃん?」
「そう、まあやちゃん。まあやちゃんもどうぞあたしの事はチカと呼んで」
 スカートの裾を上品に両手でスカートを持ってあげながらそうお辞儀をする娘の人見知りしない無邪気な緑色の瞳にまあやは額に貼りつく前髪を掻きあげただけで何も言わなかったが、しかしその紫暗の瞳は満更でもない、いや、嬉しげだった。
 そしてそれを千影もわかって、にんまりと微笑む。
 まあやは緑色の瞳と千影の笑みから気恥ずかしげに逃げるように顔を逸らし、ある一方の闇を見据えた。
 それと同時に雨は、いっそう激しく降り出した。
 土砂降りの雨の中で、千影は傘を叩く強い雨の音にもリズムを壊されない歌うような軽やかな声で訊いた。
「まあやちゃんは、それで探し物を見つけたら、どうしたいの?」
 千影は言いながら鈴を振るが、しかし、どういう訳か、鈴は、確かに揺れているのに鳴らなかった。
「迷子になって泣いている子が居たら、そしたらその頭を撫でてあげるだけ。それで一緒に待ってあげたり、探してあげたりしたい。それがあたしの贖罪だから」
「優しいね、まあやちゃんは。それはあたしの優しさとは違う形の優しさだよ」
 千影の本当に無邪気な声に、まあやは振り向いた。


 ねえ、あなたは、考えた事があるだろうか?
 ―――この世、いや、知恵を持つ生き物という種に本当に無邪気な、という種類の感情が存在するのだろうか? と。
 純真無垢な、という言葉を冠される幼い子どもでさえ、しかし、泣いたり、笑ったり、時に怒ったり、おどけたりする時に、周りの大人の反応を窺い、上手にそれを使い分けたりする。
 つまりこの世界には純粋に、無邪気、という感覚も、純粋無垢、というカテゴリーでさえも存在するかは窺わしく思えるのだ。
 しかし、千影という娘は、ツインテールの髪に縁取りされた美貌に、ただただ本当に邪気の無い、真性無垢な表情を浮かべている。
 まるで無邪気、という感情が、千影、という存在を形成している様に。
 もしも本当に、無邪気、という一切の計算の無い感情がそこに存在するのなら、それはこう言い切れよう。
 その無邪気という感情は、狂気、だと。



 狂気という概念が、無邪気なのだ。



 千影はまあやに優しく優しく微笑んだ。
 まるで母親が幼い我が子を諭すように。
「それは童話のシンデレラにとても似ている少女の物語でした。
 少女のお母さんは少女がまだ物心もつかないうちに死んでしまいました。
 少女の父親はそんな娘をとても不憫に想い、少女の母親の姉と再婚しました。
 少女の亡き母親の姉は少女の父親に対しては良き貞淑な妻でした。
 しかし姪であり義理の娘である少女に対してはとてもひどい母親でした。
 とてもとてもひどいひどい母親でした。
 それでも少女は産みの母親がおらず、それをとても哀しく想っていましたから、義母に愛されようと、懸命にがんばりました。
 涙を見せずに、笑っていました。
 しかし義母は、そんな少女をいびり倒しました。
 旦那が居る時は良い妻、母。
 旦那が居ない時は悪魔のような酷い母。
 少女が童話のシンデレラと違うのは、亡き母のお墓に豆を蒔き、育った豆をついばみに飛んできた鳩たちから綺麗なお洋服や硝子の靴を貰わなかった事。
 少女の物語には王子様は登場しません。
 でも少女には友達が居たのです。
 真っ白な仔猫でした。
 小さな小さな仔猫でした。
 その仔猫だけが少女の友達でした。
 そして今日も意地悪な義母に少女が虐められていた時です、
 ―――その酷い酷い、悲劇が、起こってしまったのは……………。


『ねえお義母さん。大丈夫だよ。仔猫は許してくれるよ。お義母さんが仔猫の大切な鈴を捨ててしまった事も、お義母さんが殺した事も。うん。仔猫も許してくれるから、だからこれからは二人で仲良く暮らしていこうね』
 小さな小さな仔猫の影を持った少女は、優しく義母に微笑みました。



 これは、背中に小さな黒い翼を持つ仔猫が見たある人間たちの風景。
 あのね、まあやちゃん、不幸で、バラバラだった家族がだけどそうやってようやっと一つの形になったんだよ♪ それは喜ばしい事なんじゃないのかな? 大きな大きな不幸は確かに存在したけど、それでも今はその義理の母子は、叔母と姪は、幸せなんだよ。白ちゃんだって幸せ。それを壊す権利は誰にも無いよね?」
 雨は激しく激しく降る。
 降り続けている。
「そうだね。家族という一つの世界にとってはその女の子の望む世界にとってはそれが幸福という世界なのかもしれない。だったらチカちゃんはあたしの邪魔をする? あたしの望む事は、その世界を壊す事だから」
 小首を傾げたまあやに、
 果たして千影は自分の傘をさしかけた。
「しないよ♪ あたしはね、あたしにもね、とても大切な人が居るの。大切な大切な人が。その人は本当にとても大切な人。あたしにとってはだから、神様。その人はあたしの神様だから、だからあたしはその人が望む事は全部叶って欲しいと望むし、叶えてあげたいし、あたしがいつだって守ってあげる、守ってあげたい、守り通す。そして、そのあたしの大切な人、神様がたとえ世界の全てを敵に回して、世界の敵になっても、あたしはその世界の敵の守り手として、世界に対するの。世界の全てにあたしの神様が否定されてもあたしがあたしの神様の味方で居るの。それがあたしの願い。喜び。幸せ。あたしの福音。それはまあやちゃんも一緒なんでしょう? あたしの全てが神様であるように、まあやちゃんにとっての神様が、望む自分自身。贖罪。ならあたしはまあやちゃんのその願いも叶えてあげたい。叶う様を見守り続けてあげたい」
 そっと千影の手が、まあやの濡れた顔に貼りつく髪を掻きあげた。
 無邪気に微笑む顔を、一ミリも表情を動かさない顔に、そっと右手で少女の髪を掻きあげて、掻きあげた髪を耳の後ろに流して、少女の濡れた頬に添えてから、近づける。
 左耳に唇を近づけて、ただただ無邪気な声で、千影は囁く。
「まあやちゃんが、あたしの神様の敵となり得ない限りは」
 ―――無邪気という感情は、狂気。
 狂気が運ぶ物は、破滅? それとも、幸福?
「あなたも神様なのね」
「ううん。あたしは違うよ。あたしは好奇心旺盛なの。だからあたしは色んな願いの物語を見たいだけ」
 ―――そしてその物語を見ているうちに、あたしは気づいたの。
 世界という物語は多くの一の物語で出来ているんだ、って。
「多くの一の物語はそれ一個でも物語で、そして多くの一個の物語は寄り集まればそれ一個一個が歯車となって噛み合って、より大きな物語と成って演じられる。そう、シンデレラのような少女の願いが、義母の物語と仔猫の物語と絡み合い、噛み合って、願い通りの家族の物語へと成った様に。あたしはまあやちゃん個人の願いの物語も見たいし、そしてその物語がまた歯車となって、ようやっと幸福になった家族の物語に噛みあった時、それがまたどう変わるかも見たいだけなの♪」
 それが小さな小さな黒い翼のある仔猫が夜のお散歩をする理由。
 世界は不思議で、楽しくって、時に哀しい物語で満ちていて、そしてそれらは、物語の展開は、いつでも変わっていくから。
 触れ合う事で―――。



 +++
 

「こんばんは、お姉ちゃん。白ちゃんの鈴、見つけたから、持って来たよ」
 千影は手の平の上の鈴を、大きなお屋敷の玄関で、中から出てきた娘に渡した。
 娘はにこりととてとも嬉しそうに微笑んで、鈴を両手で胸に重ねるように当てた。
「嬉しい。ずっと探していた白の鈴。ようやく見つけられた。もう絶対に無理だと思っていたから、本当に嬉しい。お義母さんにも教えてあげなくっちゃ」
 涙を流しながら喜んだ娘は大事そうに右手で鈴を持ちながら左手で屋敷の中を指し示した。
「どうぞ、家の中へ。美味しいお茶を出します。それからよろしかったらお風呂でもいかが?」
「およばれしていこう、まあやちゃん」
 千影はまあやの背中を押した。
 そのまま雨に濡れた二人は浴室に案内された。
 浴槽に張られた湯はとても温かかった。聞けば父親の仕事はとても忙しく、彼が帰ってくるのはいつも0時近いそうなのだ。
 だから今夜も父親の為に浴槽にはとても温かな綺麗な湯が張られていた。
 しかし今夜は仕事の為に父親は帰って来れなくなり、娘はちょうど良かったととても無邪気に微笑んだ。
 千影とまあやは二人で風呂に入り、濡れた身体を温めると、娘の服を借りて、今度は居間へと通された。
 暖炉の前には車椅子に乗った白髪の老婆が居た。
「お義母さん、こちらの千影ちゃんとまあやさんが白の鈴を見つけてくれたのよ」
 娘は優しくお義母に言った。
 義母の渇いた肌の上を、一滴の涙が伝い落ちていく。
 カサカサの唇が小さく動いていた。
「白。白。白。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。もう、化けないで………」
 それは暖炉の火が爆ぜる音と、雨が乱暴に窓を叩く音に掻き消されてしまうような弱々しい小さな声だったが、しかし、はっきりとまあやの耳には聴こえたようだった。
 まあやが娘を見ると、娘は体裁が悪いように苦笑を浮かべた。
「ごめんなさい。義母は少し心を壊してしまっているんです。その、少し陰鬱な話なのですが………」
「構わないわ」
 まあやが淡々と言って、千影は無邪気に微笑みながらそれを見守っていた。
 そして娘は口を開く。
「私の本当の母はもう随分と昔に亡くなっているんです。この義母は母の姉なんです。昔は亡き母と一緒でとても綺麗な人でした。今はこんなおばあちゃんみたいな姿をしているけど、本当はまだ36なんです。義母がこうなってしまったのは半年前、ちょっとした事故で義母が白をその、殺してしまって、あっ、でも、本当にそれは、事故だったんですよ。事故。あれは哀しい事故でした。行き違いだったんです。感情の。私と、義母との。本当につまらない、感情の行き違いでした。それで、その時のちょっとした事故で白は死んでしまったんです。そして義母は白を殺してしまった事をとても後悔していて、自分を責めすぎて………。でも、白の事は本当に可哀想だけど、でも、私はこうなって、幸せでもあるんです。本当に酷い意地悪もされたけど、私はこの義母の事が大好きだったから」
 ―――大好きだったから。
「そう」
「あの、千影ちゃん、まあやさん。今晩は家に泊まっていってください。今からでは碌なお礼もできませんから。だから、お願いします」
 ぺこり、と、娘は頭を下げた。



 そして、娘は暖炉の前で苦しんでいる。
「だ、ダメ。白。白、ダメぇ。お義母さん、を、たすけぇて。あの人たちを、傷つけない、で………」
 娘の耳が、獣の耳に。
 肌は白い毛に覆われていく。
 鋭い八重歯が生え、
 目は、赤く、紅く、あかく、アカク…………
 娘の前を走りぬけていこうとしたネズミは、憐れにも娘に捕まえられ、頭から―――
 惨たらしいネズミの断末魔の声がし、
 車椅子の上の義母は泣きながら両手で耳を塞いだ。


「ダレカ、タスケテェ―――」


 肉が裂かれ、貫かれる、湿った惨たらしい暗鬱な音が止んだのは、雨音が止んで直ぐだった。
 誰かの息遣いと、濡れた土を掘り返す音が、するのだ、庭の方から。
 娘はネズミの死骸を放り捨てて、走り出した。
 そして彼女が目にしたのは、掘り返された白のお墓だった。
「何をやっているんですか? 何で白のお墓を掘り返しているんですか?」
「白?」
 まあやが小首を傾けた。
「ここに眠っているのは、仔猫じゃないわ。あなたよ?」
 千影はまあやの横で、娘にただただ微笑む、という行為を純粋に実行したような表情を浮かべ、それからまあやが掘り返した穴を見た。
 そこには彼女が半年前に確かにあの義母が埋めたモノが形を変えてはいるが、あった。
 白骨化した娘の死体が確かにそこにあった。
「嘘よ」
「ほんとだよ。だってあたし、一部始終見ていたもん。あなたのお義母さんがあなたを殺して、ここにあなたを埋めているのを」
 ああ、だからまあやはこんなピンポイントで白のお墓を暴けたのか。
「そうだね。ある意味、ここは仔猫の白ちゃんのお墓だね」
 にこりと、千影は無邪気に微笑んだ。
 まるで蝶に針を刺す時の幼い無邪気な子どものように。
「お義母さんに殺されたあなたは白ちゃんに憑依して、そして変化した。生前のあなたの姿に。あたしはその物語を見ていた。ずっと。それは、あなたと、あなたの本当のお母さんと、お父さんの望む願いという歯車が噛み合って、出来上がった物語だから。あなたひとりだけの願いだけなら変化まではしなかった。変化したのは、三人の願いがあったから。自分たちを殺した彼女への復讐。ううん、あなた、お姉ちゃんだけは、あの人にお母さんを、望んでいたよね。だからあたしはその願いを見守っていた。あたしがお散歩が好きなのは、たくさんの物語が見たいから。そしてあたしの神様の敵となりえない限りはその物語を、願いをあたしは成就させてあげたいと望む。そして、だからうん、今夜まではそうしてきてあげた」
 千影は歌うように夜にそう軽やかな声を発する。
 娘に、猫と人間との中間の姿をし始めてきた娘に笑いかける。
「だけどあなたの物語にまあやちゃんの物語が絡みつき、噛みあった時、物語は他の方向へと動いた。展開した。それは復讐にだけあった、哀しい願いにあったあなたのお話が、救われる方向に動くように」
「私は、私は幸せよ? お義母さんの世話をできて、やっと本当の母子の様になれて」
「うん。あなたの望みはその方向にだけあったから、あたしは何もしなかった。あたしは夜を歩く者。夜のお散歩を好む者。そこにある物語に出会うのが好き。そこにある願いを見届けるのが好き。そして時にあたしの好奇心はその物語に、願いに、あたしを触れさせたくなる。まあやちゃんが物語に触れた事で、白ちゃんの物語も動いた。白ちゃんはあなたを受け入れた。それは白ちゃんもあなたの物語が叶う事を願っていたから。あなたを愛していたから。だから同時にあなたが救われる事を願っていた。そしてそんな白ちゃんの前に優しいまあやちゃんが来た。まあやちゃんを頼った。だから、願いを口にした、」



『ダレカ、タスケテェ―――』
 ―――「あなたを、誰か、助けて、って」



 千影はだから無邪気に微笑む。
 その白い仔猫の願いに。
 ただ、見ているだけの彼女は、好奇心で触れる。
 白い仔猫の物語に。
 願いに。
 まあやという物語を介して。



「我が使役するのは幾夜を哀しみと苦鳴と共に過ごしてきた憐れな魂を癒す千の闇。我は傷つき汝がための道標なり。汝は知るだろう、我が鎮魂の千の闇を持って久遠の憎しみと哀しみの絆絶たんと欲すれば、それは優しき手として汝の魂を癒し、浄化すると。憐れな魂よ、鎮魂の闇に包まれて安らかに眠れ―――」


 千の闇―――鎮魂の闇に三つの魂は癒されて、天に昇って逝った。



「御礼言っていたね、白ちゃん♪ 喜んで天に昇って逝った」
「そうね。でもあたしは何もしていない。したのはあなた。チカちゃん」
「んー、でもあたしは、お散歩がただ好きで、そこにある物語を見ているのが好きなだけで、まあやちゃんが居なかったら、あたしはただ見ていただけだったから、だから、まあやちゃんのおかげ。全部全て。あたしはまあやちゃんの物語にほんの少しだけ触れただけ。まあやちゃんの願いを叶えただけ」
 千影はまあやに無邪気に微笑んで、そして夜の月を指差した。
 そこには夜空にかかる虹が確かにあった。
 銀の月が描き出す虹が確かにあった。
 死者の魂が、天国へと渡っていくための橋が、夜の空にかかっていた。



【ending】


 二人の少女が去っていた屋敷の暖炉の前に一匹の黒猫が二階のキャットウォークから舞い降りた。
 背中の翼を使わずともしなやかに着地した仔猫は車椅子の上でくすくすと笑っている老婆のような女を悪戯っぽく見据える。
 ばちぃ、と、暖炉の火が大きく爆ぜて、その音が合図であった様に背に翼を生やした黒猫はひとりの黒衣の少女に変わっていた。
 どこか嫣然とした色気をその無邪気な笑みを浮かべた顔に感じられるのは少女が纏う衣装のせいだろうか?
 女性と少女とのちょうど中間の色気を漂わせる笑みは、どこまでも魅力的で、美しく、だからこそ妖艶を超えた麗(冷)を感じさせた。
 車椅子の上の女は、その少女に乾いた視線を向けた。
 そして少女も変わらずに女に無邪気に微笑みかけている。
「あなたの願いはずっと見ていたよ。あなたはずっと自分を誰かに殺して欲しいと願っていたよね」
 少女の声は無邪気だった。
 無邪気すぎるぐらいに無邪気だった。
 車椅子の上の女は顔を壊れた様に左右にふった。
 車椅子は固い軋みをあげて、少女から逃げるために下がっていく。しかしすぐに車椅子は壁に当たった。
 車椅子の上の女の皺塗れの顔に恐怖と絶望がブレンドされた表情が浮かび、アンモニア臭が、暖炉の火で暖められた部屋の空気に濃密に満ちた。
 少女の無邪気な声が、哂う。
「嘘。あたしはいつも見ていたよ。あなたの唇が白やあの娘に許しを請うていたのを。その唇で、誰か私を殺して、って言っていたのを。だから、あなたの望みも叶えてあげに来たの。そう。あたしはね、あなたの望みを叶えてあげる、って最初から決めていたの。憐れな家族3人を殺してまであなたが叶えようとした大金持ちになりたいという願いを遥かに超える、誰かに殺されてこの化け猫に苦しめられる地獄から救われたい、っていう願いを、あたしが叶えてあげようと最初から決めていたの。だから、まあやちゃんに、あの家族3人を救ってもらったの。あたしはあなたの願いを叶えると誓っていたから」


 そう、だからあの3人をまあやちゃんに救ってもらった。
 あの3人があなたを殺して、千の闇でも救えぬ深淵の闇に飲み込まれてしまう前にね。
 ―――だから、さあ、あたしがあなたの魂を、食べてあげるよ♪


 まるで鈴が鳴るように、
 仔猫が蝶を追いかけるように、
 無邪気無邪気に、千影はそう言って、微笑んだ。
 白の鈴が静かに、鳴った―――。


 →closed