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<東京怪談・PCゲームノベル>


【人形よろず、承ります】 -愛憎背反-

 大粒の、霙のような冷たい雨が降る日だった。
 お気に入りの傘を差して、ゆっくりと歩く。
 雨は止むこともなく降り注ぎ、アスファルトに当たって、一瞬、大きな輪を作る。
 差した傘の下から、そんな無数の輪たちが、出来ては消え、出来ては消えて。
 まるで、リズムを刻んでいるかのような光景。
 雨が他の音を吸い込んでしまうのか。
 しとしと、しとしと。
 そんな水滴たちが奏でる音だけが、みなもの耳を撫でる。
 服に水が跳ねないようにそっと、歩いていく。
 ほどなく、目的の場所に着いた。
 蔦が絡まった石壁と、その向こうに見える古い洋館。
 住宅街の中に紛れて、それでもその存在感は消えない。周囲の空気から浮いた、どこか生活感のないその姿。もう、ここまでの道程もすっかり慣れてしまった。
 久々津館。
 最後に来てから、まだ一週間くらいだろうか。
 鮮明に覚えている、そのときのこと。
 アンティークドールショップ『パンドラ』で、話を聞いてもらって。久々津館に案内されて。居並ぶ人形たちの中で、その頬に触れた。
 そんな偶然があって、出会えた。
 球体関節人形のマリー。薦められて、望んで。一緒に暮らし始めた。

「いらっしゃい、ませ」
 そんなことをぼんやりと思い出しながら、庭を抜け、館の扉に手をかける。玄関ホールへ入ると、たどたどしい、聞きなれた声がかかった。
 傘を丸め、傘立てに差す。顔を上げると、その声の主――久々津館の住人、館内にある人形博物館の受付兼管理人である、炬(かがり)の姿が見えた。その顔には、声と同じく表情がない。彼女には感情というものが欠落しているのだ。日々、それを身につけさせようと他の久々津館の住人は苦労しているらしい。
「一週間ぶり、ですね。マリー、は、元気に、して、いますか?」
 その言葉にも心配の響きはない。
 でも、分かっていた。炬は感情を表に出せないだけだ。気配りもできる。逆に言うとお世辞などは言わないので、言葉をそのまま素直に受け取ればいい。
「ええ、元気過ぎるくらい。相変わらず口は悪いけど、ね」
 思わず苦笑してしまう。
 本当に、マリーの毒舌は尽きることは無かった。どこでそんな言葉を覚えたのか、びっくりするくらいに語彙もある。
 だけど、何でも悪し様に言うだけではなかった。遅く帰ったときなどは、みなもを心配してくれているのが、言葉の端々でよく分かった。
 ただそのときは本当に話が長くて、全く眠らせてくれず、閉口してしまったけれど。
「どう、しましたか?」
 炬が顔を覗き込むようにして、聞いてくる。
 慌てて頭を振る。なんでもない、と言って、用件を告げる。今日は、鴉さんに相談があってきたのだと。
 苦笑が、いつのまにか、思い出し笑いに変わっていたのだった。
「よんで、きますね。おまち、ください」
 ホールの端にある椅子を勧めて、炬は踵を返した。どうやら鴉はいるらしい。
 大人しく椅子に座る。ホールは吹き抜けになっていて、広々としている。その分寒いかと思ったが、椅子の近くにはストーブが置いてあった。染み入るような暖かさが心地いい。
 数分だったろうか。足音が響き始める。炬が戻ってきた。
 その後ろには――うっすらと、人影があるように見えた。混じり気のない、黒装。目深に被った同じく漆黒の帽子に視線を隠されて、薄闇に溶け込むかのような、朧げな様子を醸しだしている。
 それが、みなもが訪ねてきたもう一人の久々津館の住人、鴉だった。
「私をご指名とは、珍しいですね。どのような御用でしょうか――マリー、のことですかね?」
 察してくれているようだった。顎を引き、小さく頷く。
「話を聞いて欲しいことがあるんです。人形のことなら何でも、相談に乗ってくれるんですよね?」
 そんなみなもの言葉に、
「ご用件を、お伺いいたしましょう。こちらへ」
 鴉は芝居がかった調子で、一礼した。

 部屋に通される。
 そこは、こじんまりとした部屋だった。向かい合うようにして、ソファーが二組。間には、素朴だが上品そうなテーブルが収まっている。奥にはデスクが、さらにその奥には窓が見える。静けさの中、硝子に叩きつけられる水滴の音だけが、不器用な音楽を奏でているように聴こえる。
「どうぞ、お座りください。紅茶が良いですか? それともコーヒー? お茶でも用意できますが」
 鴉のそんな問いに、じゃあ紅茶、お願いします――と答えると、炬が軽く頷き、出て行った。こういったところの世話なども炬の仕事の一つなのだろう。
 手前のソファーに座ると、鴉も向かい合うように座る。
 ……。
 強烈な違和感を覚える。
 ストーブの熱気が暑いくらいの、心地良い部屋。みなもは既に上着を脱いでいる。
 対して、正面にいる鴉はといえば。
 手と顔以外は肌が見えない。すっぽりと身体を包む黒の洋装に、帽子。先程と全く変わらない。脱いでも着替えてもいないのだから、当たり前だけれど。
 だけれど。
 帽子に隠れて表情は読めないが、その顔は、汗一つかいていない。
 ――いったい、どうなっているのだろう。暑くないのだろうか。帽子も、蒸れないのだろうか。特殊な素材なのかもしれない。いや、実は――。
 気になりだすと――止まらない。
「では、お話を伺いましょうか。マリーのことでしたね。確か、一週間前にレティシアがご紹介した」
 呼びかけに、入りかけていた妄想の世界から引き戻される。
「あ、は、はい。そうです。こんなこと、来てもらってからじゃ遅いんですけど……マリーさんのお手入れの仕方を教えて欲しいんです。ネットで色々調べてみたんですけど、今一つ……必要なものがあれば、揃えたいし。あと、洋服も何着か買ってあげたいし。お金ならあります。そんなには、用意できないかもしれないけど。それと……」
 言い淀む。本当はもう一つ、あるのだけれど。
 聞いていいものかどうか、逡巡してしまう。
「言いたいことを我慢するのはよくありませんよ。知らないことや、言えないことは答えませんから、安心して話してみてください」
 丁寧に、優しく。
 風体は怪しいことこの上ないのだが、何故だか鴉の言葉には、すんなりと受け入れてしまいそうになるような、そんな力があった。人を安心させる響きが。
「できたら、で。聞いてもいい範囲でいいんですけど……マリーさんの性格とか、あと、呪うって言ってたんですけど、そんな力があるのかどうか。もしあったとして……適切な理由があるなら、しかたないかなって思うんですけど、可能な限り回避したいし、不快な思いもさせたくないし」
 いつのまにか、身を乗り出すように語っていた。語らされていたのだろうか。そんな自分に気づいて、みなもははっと口を押さえた。
「まあ落ち着いて。紅茶でも飲んで、ゆっくりお話しましょう」
 気づくと、テーブルの上には白い湯気を揺らすティーカップが置いてあった。ベルガモットの爽やかな香りが鼻をくすぐる。薦められるままに、軽く、口をつけた。
「……美味しい」
 紅茶の良し悪しがそれほど分かるという自信はないのだけれど、素直に、美味しかった。
「落ち着く香りでしょう。寒い時期には身体も温まりますし。何より、炬は紅茶やコーヒーの淹れ方については天才的です。身内のお世辞なんかじゃなく、ね。喫茶店でもやったらここももっと人が来るかもしれませんね」
 本当に、そうかもしれない。そう納得できてしまうほどの美味しさだった。淹れ方一つで、こうも変わるのだろうか。
「さてと。いくつかありましたね。一つ一ついきましょうか。まずは、手入れの方法ですかね。少し、お待ちくださいね」
 そう言うと、鴉は出て行く。入ってきた扉ではない。右手にもう一つ、それと同じデザインの扉があった。
 数分も待ったろうか。何かを探しているようなそんな物音がした後、鴉は戻ってきた。
 手には、小さな飾り箱があった。
「彼女みたいな人形は、日々の気遣いだけしっかりしていれば、基本的には大丈夫なんですけどね。汚れた手で接しないだとか。ただ、気になると言うならば、これを――」
 箱を開けて、薄い白手袋をに包まれた細い手先――まるで女性のようだ――につままれて出てきたのは――小さな羽根ボウキだった。何の羽根だろうか。真っ白いそれに、柄には小さな装飾がついている。控えめな可愛さがあった。アクセサリとしても通用しそうだ。
「これで軽く、埃をとってあげるといいでしょう。それほど神経質に毎日、でなくてもいいとは思います。きっと、くすぐったがるでしょうしね」
 そう言って、くすりと笑う。釣られてみなもも笑ってしまった。
 確かに想像できる。くすぐったがりながら悪態をつく、そんな様子が。
「後は、そうですね……汚れてきたな、と思ったら、アルコールで拭いてあげてください。これも強くこすらなくても、撫でてあげるような程度で。それで十分汚れは取れます。人形は汗をかくわけじゃないですし、マリーは自分で歩き回れはしませんからね」
 相槌を打ちながら、鴉の言葉を、忘れないように頭に入れる。
「まあ、こんなところですかね。マリーに関して言えば、何より、相手をしてあげることですよ。それが一番です。ああ見えて、寂しがりやですから」
 ――そう。なんだかんだと悪態を付きながら、心配してくれる。そして、彼女は――寂しがりやなのだ。遅くなったときの心配も、もちろんみなものことを思いつつも、純粋に、一人で寂しかったという気配が滲み出ていた。
「あの口の悪さも、寂しさの裏返し――なんですか?」
 みなもの言葉に、しかし、鴉はほんの少しだけ、首を横に振った。
「少し、違います――もちろん、そう言う面もあるかもしれませんが……ああ、そうそう、少なくとも、マリーには人を呪うまでの力はありませんよ。可能性がゼロかというと、未来のことは分かりませんが……それは、貴女があの子を大事に思ってあげてくれれば、それは大丈夫でしょう」
 諭すような口調。でも、だとしたら。
「じゃあ、どうしてなんでしょう? 彼女が、あんな性格になったのは。ご存知なんでしょう?」
 鴉は、何かを知っている。これまでの口振りから、みなもはそう感じていた。
 帽子の陰から少しだけ、目線が覗き、みなものそれとぶつかる。
 根負けしたのは、鴉だった。
「細かいところは、いつか、あの子から直接聞いてください。でも、そうですね。少しだけならお話しましょう、彼女がああいう性格になった、その理由を」

 ――紅茶、淹れなおさせましょう。
 そう言って、そして姿勢を直し、鴉はゆっくりと語り始めた。

 それは、そんなに遠い昔ではなく。
 ほんの、数年前のこと。
 あるところに、人形作家がいて。
 それは若い、まだとても若い女性で。
 彼女の人形は機械のような精緻さと、にも関わらず生きているようにすら見える表情とが特徴だった。
 それらの要素は混ざりあい、絶妙に散りばめられて。
 見る者を虜にしてしまうような、倒錯さを醸しだしていた。
 やがて、彼女の作品は好事家・人形の愛好家たちの間で、評判になった。
 だが彼女は独りで手作りしているが故に、できあがる人形の数は少なかった。需要が供給を上回れば、必然、価値はより高いものとなる。
 価値が異常に高くなれば、金銭だけではない、様々なしがらみを生み出してしまう。トラブルも起きる。また、彼女の人形は金銭を抜きにしても、異常な執着を産むだけの力があった。
 当時、既に何度かそう言ったことは起きていて。
 少しずつ、エスカレートしていって。
 やがて矛先は、所有者だけではなく。製作者へと向かっていった。

 その男は、最初は彼女自身に興味があるかのように接触して。やがて親密な関係となって。彼女は、男のために人形を作るようになる。
 しかしすぐに彼女は気づいてしまう。
 男が愛を向けるのは、あくまで人形であって、自分ではないことに。
 それでも――相手に喜んでもらいたくて、人形を作り続けた。
 元々持っていた人形への愛情。男の喜ぶところが見たい。そんな思慕。でもきっと、この人形ができれば、愛情は取られてしまう。憎悪。嫉妬にも近いそれ。
 込められた様々な感情はしかし、より一層、彼女の作る人形に輝きを与えた。
 だが、一度できた歪みは、少しずつ、少しずつ広がっていって。
 その歪みは、さらに人形に込められていく。
 そして、マリーは――そんな彼女に、最期に作られた人形だという。
 彼女が最初に意識を持ったころ、眼にしたのは。
 創造主の苦悩。
 愛慕と憎悪。
 幸せになることで、誰かが苦しむ。
 素直になってはいけない。

「人でないものは、人の想いを受けて、たくさん受けて、そして心を持つようになります。だから――その時受けた強迫観念から抜け出すことができない。それを取り除くには、同じくらいの想いをかけてやらないといけません。気長に、そして大事に接してあげてください。貴女なら――きっと、できます」

 そして、一時間後。
 みなもは、久々津館を辞していた。その手には鴉から買った、羽根ボウキなどが入っている、あの飾り箱。
 雨は、いつの間にか小振りになっていた。
 きっと、マリーは待ちくたびれているだろう。決してそうは言わないけれど、寂しがっているのだろう。
 お気に入りの傘を差して、少し急ぐ。
 マリーの待つ、家へと。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/鴉/男性/30歳/よろず人形相談・承ります】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、伊吹護です。
 連続でのご依頼ありがとうございます。
 ちょっと期待されてるものと方向性が違ったかもしれませんが、いかがでしたでしょうか。
 マリーについては、書いてるうちにだんだんと楽しさがましてきました。
 また機会があれば、もっと掘り下げて書いてみたいと思います。