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<東京怪談ノベル(シングル)>


オス! 影中道場その三

 ある日ある時、いつもの通りの道場。
 黒・冥月が作り出す異空間の中にある建物だ。
 そこで軽く準備体操をしている小太郎に向かって、冥月は思い出したように口を開く。
「ああ、そうだ。稽古の前にお前にやる気の出るようなことを聞かせてやろう」
「エロい話題ならノーサンキューだぞ」
「馬鹿を言うな。私がいつ、そんな下らない話題を口にしたと言うんだ?」
 嫌な予感を感じ取った小太郎は先手を打ってみるが、笑みを浮かべる師匠冥月はフルアクセルで白を切った。
「……まぁ、別の話題だとして、どんな話だよ?」
「実はな、私はとある少女とお前と同じような訓練をしているんだ」
「なるほど、師匠は少女趣味かグゲラっ!」
 随分と気合の入った平手が一閃。良い音を立てて小太郎の頬にぶつかった。
「どこぞの馬鹿所長の悪影響はあまり受けないほうが良い。寿命を縮めるぞ」
「……は、はい。覚えときます」
 この手の話題は冗談抜きで、本当に寿命を縮める。なんと言うかすぐにでも死期が訪れそうなぐらいだ。
 実際、今の平手もグーパンチならどれだけ痛かったことだろう? それを何度も受け、耐えているあの男は妙な所で尊敬できそうだった。
「で、その少女だが、私が稽古をつけるまで戦闘の『せ』の字も知らなかった一般人だったんだ。だが、二度目の訓練の時に私の身体に触って見せた」
「……ま、まさか、俺と同じ訓練内容でか!?」
「そう言ってるだろう。そういえばお前は今回で……三度目だったか?」
 この道場での訓練は三度目だが、それ以前にも何度か経験はある。
 冥月との手合わせの場数が多いはずなのにも関わらず、少女に、しかも一般ピープルに、小太郎は負けているのだ。
「す、すぐ稽古にしよう! 何としても今回の内に師匠の身体に触らねば!」
「傍から聴けば、エロガキが喚いてるようにしか聞こえんぞ」
「う……っ! 多少語弊はあるかも知れんが、この際気にしないっ! どうせここに居るのは俺と師匠だけだろ!」
「話を聞いてなかったのか? ここで、お前とは別の少女が、私と、訓練をしていたんだぞ?」
 冥月はわざとわかりやすく、言葉を区切って小太郎に聞かせる。
 何が言いたいかというと、この道場にも第三者が現れる可能性があるのである。まぁ、冥月の意志が無ければ無理だが。
「ま、まさか師匠……ここに俺たちのほかに誰か……!?」
「今日は特別ゲストを招いている」
「しかもさっきの俺の発言を聴いている……!?」
「今しがた到着した。多分、話の流れは汲めてないだろうな!」
 小太郎、図らずもエロガキのレッテル獲得。
「うああああ!?」
「嘘だ。落ち着け」
 乱心を始める小太郎に、冥月はきつめのデコピンを喰らわせた。
「彼女はお前と違って暇な学生じゃないんだ。そうそう連れては来れんよ」
「だったら今の件はなんだったんだよ!?」
「……ただのからかい、だな。だが全部が全部嘘ではない。少女に稽古をつけていたのは本当だし、その娘が私の身体に触れられたのも事実だ」
「ぬ、ぬぅ……」
 劣等感。それは思考をネガティブな方向に誘導する事もあるが、逆にやる気のバネにもなる。
 この小僧の場合、どちらかと言うと後者だ。
「どうだ? やる気が出ただろう?」
「おう! 俺だってやる時ゃやるさ!」
 両拳を打ち合わせて気合いを示す小太郎に、冥月は満足そうに笑った。
 だが、すぐに稽古を始めるわけではない。
「そうだ、小太郎。気になっていたのだが、お前、身体はどのくらい柔らかいんだ?」
「……どのくらい、と訊かれても返答に困るな」
「寝て背反らせ爪先が肩に付くか? 百八十度開脚し腹が床に付くか?」
「あんまり気にした事は無いが……多分できるんじゃないか?」
 そう言いながら、小太郎は床にうつ伏せる。
 そして自分の足首を持ち、それを頭側に引き寄せて見せた。
「どうよ?」
「……なんと言うか、微妙だな」
 爪先が肩につきそうでつかない。惜しいのだが、もう少し頑張れないのか? と言う微妙っぷり。
「もう少しこう……足をだな」
「痛ててててて!」
「あと、背中もこう……」
「痛いっつってんだろうが!」
 いつの間にかキャメルクラッチを喰らっていた小太郎はすんでのところで冥月の拘束から逃げ出した。
「何すんだよ! 柔軟の話だったろ!?」
「いや、お前のなんとも歯がゆい姿を見ているとどうにもイライラしてきてな」
「だからってなんでキャメルクラッチ!?」
「まぁまぁ、落ち着け。次は開脚して前屈だ」
 強引に話を終わらせられ、渋々小太郎は次に移る。
 だが、これもまた微妙な事で、開脚も開いていないわけではないが百八十度開いているわけでもない。前屈もデコが床につきそうでつかない。
「どうよ?」
「……なんと言うか、本当に微妙だな」
 冥月は小太郎に顔を上げさせ、小太郎の足の間に立つ。
「開脚はもっと……こう。しっかり開け」
「いたたたたたたたたた!!」
 足の間に立ちながら、冥月はどんどんと脚を開く。その内、小太郎の脚が冥月の足に押され、小太郎の限界以上に開脚を迫るのだが、やはり限界と言うものは限界らしい。
 危うく手遅れになる直前で小太郎は後転で冥月の責め苦から逃れる。
「おいこら! 何だこれ! イジメか! イジメ相談センターに即問い合わせか!?」
「ちょっと言ってる事が意味わからなくなってきてるぞ」
「誰の所為だよ!?」
 本気で涙眼になる小太郎を見て、少しやりすぎたか、と冥月は反省した。
「まぁ、悪くは無いが伸び白はあるな。もう少し柔軟も自主トレしておけ。身体が柔らかければそれだけ体術が向上する。損は無いだろう」
「お、オス」
「因みに、目指す所はこうだ」
 言いながら冥月はうつ伏せになり、そのまま自分の足首を引っ張り上げる。
 すると吸い込まれていくかのように肩に引き寄せられ、何の苦もなく爪先が肩についた。
「わかったか?」
「……師匠、何か妖怪みたいだぞヘブっ」
 影で一撃。腹部に拳が入った。
「ついでに開脚前屈はこうだ」
 言って、開脚前屈も見本を見せる。
 綺麗に開かれた脚はほぼ直線。ベターっと上半身を寝そべられたら、まるで何かに潰されたかのようだ。
 健全な少年ならばその圧迫された胸に劣情を催すものだが、小太郎は冥月の様子を見てただただ普通に感心していた。
「それが出来るようになれば師匠を超えられるだろうか?」
「夢を見すぎるな小僧」
 夢見がちな少年が男として目覚める日はいつか……。

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 さて、訓練はここからが本番である。
 いつもの通り、冥月が直径一メートルの円の中に立ち、小太郎が冥月の掌以外の部分に触れる事を目指すアレだ。
 この訓練をするのももう三度目。そう、三度目なのだ。
 冥月の言う『少女』の事を考えれば、小太郎は出遅れているのである。
 これ以上差をつけられないためにも、今回で冥月に触れたい所なのである。

 だが、そんな小太郎の気持ちを知ってか知らずか、いや多分それも承知なのだろう。
 冥月は今回からどんどんと手加減を減らしていく事に決めていた。
 と言うのも、小太郎が慢心しないようにするためだ。
 前回、偶然奇跡的にも小太郎は、冥月にほんの少し本気を出させたのだ。
 その時、彼女は小太郎の成長を感じ、それと共に彼に対して過小評価をしていたのではないかと思ったのである。
 アレだけの良い動きをする素質はある。だがそれを小太郎に気付かせるわけにはいかないのだ。
 小僧のことだ。その事を教えればすぐに天狗になろう。
 慢心は怠惰を呼び、怠惰は死を呼ぶ。それを黙って見過ごしていては師匠失格なのだ。

 開始から数十分後。
 不用意に飛び込んできた小太郎の顎に、冥月の掌底が叩き込まれた。
 コレで計十五発目のクリーンヒットになる。
「……っぐ! くそっ!」
 振り返り様に、小太郎は右ローキックを放つ。が、冥月は狭い足場の中で軽くステップを踏んでそれを躱した。
 間をおかず、小太郎の裏蹴りが繰り出されるも、冥月はそれを楽々受け止め、足首を軽く捻る。
 軽く、と言っても冥月基準で軽くだ。普通人なら結構な痛みになろう。
 小太郎はその捻られた足の痛みを緩和すると同時に反撃を狙うために、軸足を床から離し、そのまま踵落としを狙う。
 しかし踵が冥月にぶつかる前に、踵落としの反動で起き上がった小太郎の上半身目掛けて冥月の掌底が飛んだ。
 足首を掴んでいた手も離し、両手による掌底。ちょっと一般人には聴き慣れない打撃音が聞こえた。
 掌底によって吹っ飛ばされた小太郎は受身を取って床に倒れこんだが、起き上がる気力はもう無いようだった。
 超人的なスピードで行われた攻防はやはり小太郎の負けだ。
「ここまでにするか」
「……な、なんの! これぐらいで、へこたれてらんねぇっつの!」
 そう言って虚勢を張ってみても、小太郎は起き上がれなかった。
「その様では当分動けまい。今日はこれで終わりだ。良いな?」
「お、オス。お疲れ様でした」
 寝転んだまま挨拶とは無礼も甚だしいが、これも最早いつもの事なので冥月も特に何も言わない。
 だが、そのまま小太郎がむっつり黙ってしまったのを見て、多少、フォローを入れる気にはなった。
「気にしているのか、私の言った少女のこと」
「……別に」
 思いっきり気にしているのが語感に現れまくりだ。
「あの娘の事は気にするな。実を言ってしまえば、あれは不意打ちだったんだ」
「不意打ち?」
「そうだ。言ったとおり、戦闘の『せ』の字も知らない娘だったからな。少しやりすぎたかと思って気を抜いて近付いたら……というわけだ。素人過ぎて私が油断しただけでお前より強い訳じゃない」
「そ、そうだったのか……」
 その言葉に幾ばくかの安心が見えたが、フォローの後には何かしら気が引き締まる事を言わねば。調子に乗ってもらっては困るのだ。
「だが、戦場で生き残れるのはどちらかと言えば彼女の方だ」
「どういうことだよ?」
「戦闘で重要なのは戦い方より生き残る事だ。戦闘中に自分が生き残る以外の事をちらつかせているお前は早死にすると言うんだ」
「ぬ、ぬぅ……」
 小太郎が悔しさで口をへの字に曲げる。
 そんな様子を見て、冥月は小さく笑った。
「私にもそんな時期があったな」
「は? 師匠にも? 想像できねぇ……」
「馬鹿を言うな。私にも子供の頃はあったし、弱い時代もあった」
 子供とはいつもそうだ。大人は最初から大人だったと言う認識しか持てないのである。
 小太郎にとっても師匠冥月は、最初から強く、美しく、男っぽゲフンゲフンなのだ。
「私も師匠に、お前と同じような訓練をさせられてな。十年も同じ事をやったが一度として触れなかったよ。手加減なんて言葉を知らない人でな。どんな手を使っても敵わなかった。そのまま勝ち逃げされてしまったよ。随分と悔しがったものだ」
「……その師匠の師匠って人は何処に居るんだ? ちょっと興味あるんだが」
「ふ、何処だろうな。ちょっとやそっとじゃ死ななそうな人だから、案外今でもヒョッコリ生きているのかも知れん」
 そう言って遠い目をしながら微笑む冥月は、自分の知らない人のような気がして、小太郎は何となく寂寥感を覚えた。

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「っち、師匠の弱点でも教えてもらおうと思ったのに……」
「何か言ったか、クソ餓鬼」