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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


トキカエリノギシキ


 肌を撫でていく寒風に白息をつきながら、シュライン・エマは草間武彦の隣で燃えさかるオレンジの炎を眺める。
「武彦さん」
「ん?」
「いろいろお疲れさま」
「ああ、そうだな……」
 サングラス越しの彼の目が、わずかに細められた。
 シュラインにとって、元旦から今日までは実に慌しいものだった。
 新年早々、逃げ出した猪の捕獲に乗り出し、年賀状書きの手伝いをして、黒豆が優勝商品なスゴロクに興じると、瞬く間に三箇日が過ぎていった。
 次いで調査依頼をはさみながらも七草粥を興信所の常連に振舞い、さらにはサプライズ的に誕生日まで祝ってもらった。
 そして最後にこの差義長の行事をこうして迎えるまで、シュラインのスケジュール帳はみっしりと埋められ、ハイスピードで流れていったのだ。
 しかも、それらは既に遠い出来事のように思えている。
 去年一年が瞬く間に過ぎ去ったように、今年も事件を追いかけている内に、あっという間に終わってしまうのかもしれないという予感すらする。
「今年こそは怪奇の類が飛び込んでこないことを祈りたいな」
「あら、もう手遅れかもしれないわよ?」
 くすりとからかうように笑うシュラインに、武彦はもの言いたげな視線を寄越す。
 だが、反論すべき材料が見つからなかったのか、言葉の代わりに、早くも諦観のこもった深い溜息が吐き出された。
「……神社で祈願してくるべきだったか」
「神様から依頼が来るかもしれないのに?」
「ソレを言うな」
 こういう姿をカワイイと思うのは、もしかすると業かもしれない。
 もう一度小さく笑みをこぼして、燃えさかる炎のぬくもりに頬を火照らせながら、ふとシュラインは思いつく。
「……そういえば、こういう行事ってあの森にもあるのかしら」
 そろそろ恒例となりつつある、冷蔵庫からクマの森への年賀状。
 一度は新年を迎える瞬間にも立ち合わせてもらったが、それでも扉一枚隔てた異世界の友人への興味はつきない。
 彼らは今何をしているだろう。
 不意に浮上した好奇心はあっという間にシュラインの心を占めた。

 軽く買出しもして、武彦とともに暖かな興信所に帰りついてすぐ、いそいそと手紙をしたためる。
 クマの森での特別行事。それは一体どんなふうに行われているのか。
 律儀な茶色クマのロドルフからの返事はいつ頃になるだろう。
 もしかすると、まさに行事の只中で準備に追われているのかもしれない。そうすると何日かは待たなくてはいけないだろう。
 できれば見学させて欲しいが、彼に会って話を聞かせてもらえるだけでも十分だと思っている。
 都合がつくなら、日時を決めて友人たちに声を掛け、新年会と称してふかふかもふもふとしたロドルフとの再会の場を設けてみるのもいいかもしれない。
 普段はぬいぐるみのふりをして棚に収まっている夕日色のクマは、シュラインから手紙を受け取ると、気合の敬礼をして、さっそく冷蔵庫の向こう側へと運んでいった。
 シュラインは『待つ楽しみ』というのを知っている。
 相手からの手紙が読める日をワクワクと楽しみにして、常連が差し入れてくれた豆を挽いて、武彦と自分、そして郵便に出かけた夕日色のコクマのために手落としでコーヒーを淹れる。
 鼻先をくすぐる芳香。
「お、コーヒーか」
 それに誘われたのか、ひょこひょこと武彦が応接間兼所長室から出張して来た。
 シュラインの手元を興味深そうに覗きこんでくる。
「武彦さん、咥え煙草で」
 歩きまわるのは危ないと注意しようとしたその言葉は、突然飛び込んできた声と音に遮られる。
「お手紙ありがとうございまーす!」
「――!」
 茶色いクマのぬいぐるみと夕日色のクマによって勢いよく内側から開け放たれた冷蔵庫のドアは、ものの見事に武彦にアタックを掛けた。
「毎回毎回思うんだがな……どうにかならないのか、その登場方法」
「大変申し上げにくいのですが、こちらの冷蔵庫が我々の世界と一番相性が良いのです」
 抗議と非難を込めた武彦の言葉に、しごく生真面目な顔でロドルフは応える。
 無垢でつぶらな黒い瞳にまっすぐ見つめられ、抗議の続きを飲み込む代わりに、武彦は煙草を台所に置かれた灰皿代わりの空き缶に押し潰した。
 ぬいぐるみに負ける怪奇探偵。
 今日はとにかくいろいろな表情が見れて、つい笑ってしまったシュラインの前に、もぞもぞと冷蔵庫から這い出てきたクマたちがチョコンと立つ。
「改めまして、先日は丁寧な新年のご挨拶を有難うございました。そして、今回のお手紙を拝読し、これはぜひともご参加いただきたいと思いまして」
 クマの森の外交担当氏は丁寧にお辞儀をしてから本題を切り出し、
「まさに、今これから行われるものがありましたので、大急ぎで迎えにあがった次第です」
 頭から被ったシロップのせいでほんのり甘い香りを漂わせつつ、シュラインの手を取って優雅に一礼した。
「あら、ということはもしかして?」
「はい」
 にこやかに力強く頷き、更にロドルフは事務所の方へ行こうとする武彦の手もしっかり握り、
「さあ、シュラインさん、草間さん、ずずいっと冷蔵庫へお入りくださいませ!留守番はコクマにお任せください」
「あら」
「いや、俺は遠慮す――っ」
 ふわり。
 この世界の物理法則を軽やかに無視して、ぬいぐるみと事務員と探偵は冷蔵庫の中へと引き込まれていった。
 留守番を言い付かった夕日色のクマは、それを見届け、ぱたりと冷蔵庫の扉を閉めた。

 不思議の世界、クマの森へようこそ。


 見上げた先では、薄紅色の空が小さな花々を雲のように漂わせながら揺らめいている。あの日見た、静止画像のように凍りついた空ではないのだ。
 こちらでも年は明けている。
 そんな当たり前のことを、当たり前に感慨深く思う。
「お、シュラインさんだ」「探偵の兄さんも」「おひさりぶりですぅ」「会いたかったよ」「待ってたよ」「こんにちは」「おめでとう」「明けましておめでとう、シュラインさん」「シュラインさん」
 わらわらとどこからともなくやってくるのは、チェックや水玉やストライプの柄も色鮮やかなクマのぬいぐるみ達だ。
 キラキラと輝くつぶらな瞳。
 好奇心と愛情をたっぷり詰め込んだふかふかの体。
 握手を求め、抱きつき、あふれんばかりの親愛の情を全身で表現するクマたちによって、あっという間に二人のまわりには生垣が出来上がった。
「ん、やっぱりこういうのっていいわね」
 久しぶりに訪れたこの場所は、幼い頃に読んだ絵本の世界のように、変わらず自分を出迎えてくれる。
 ふと胸を過ぎるのは、なぜか『郷愁』じみた想いだった。
「……変わらないな」
「ん」
 大小さまざまなクマのぬいぐるみに歓待を受け、シュラインはくすぐったそうに、武彦はいくぶん戸惑いながら言葉を返す2人に、ロドルフは告げる。
「わたくしたちはいつだって、シュラインさんや草間さんをお迎えできる準備を整えているんですよ?」
 いついかなる時であろうと、願ってさえくれれば扉は開く。
 ロドルフを代表とするクマの森の面々から贈られるのは、やわらかな優しさととても温かい言葉。
「ありがとう」
 ほんわかモコモコとしたぬいぐるみ達から寄せられる愛情を感じつつ、シュラインはにっこり笑う。
 その笑顔で、クマたちも一層嬉しそうに笑い、はしゃぐ。
「それではさっそくご案内しましょう。万一時間に遅れては、一番いいところを見逃してしまいますから」
 まだまだ再会の感動を分かち合いたい仲間たちを宥めるように、ロドルフはひときわ大きく宣言する。
 始まる、長い長い行進。
 これも何だか懐かしい。
 つい口元がほころんでしまうシュラインの隣では、武彦が場違いな自分に戸惑うように視線を泳がしていた。
「ああ、なんだ……こう、遊園地のパレードに参加してる気分だな……」
 ハードボイルドを目指す彼には気恥ずかしいのだろう。うっすらと頬の辺りに朱が走っているのが窺えて、やっぱりカワイイと思ってしまう。
「どうしましたか、シュラインさん」
「ん?ううん、なんでもないわ」
 不思議そうに覗きこんできたロドルフに、ちょっとだけ慌てながら笑ってごまかす。
 そしてごまかすようにぐるりと周囲へ視線を巡らせ。
「あら……」
 新しい年に生まれ変わったクマの森では、月と星と太陽のオーナメントが吊るされ、至る所をキラキラと照らしている。
 ただし、吊るしている糸がどこから下がっているのかは分からない。
「そういえば、この飾りを見るのは初めてだわ」
「あ、これは新しい年が生まれた後、今日の儀式の間だけ見られるものなんですよ」
 ロドルフの言葉に重ねて、シュラインと武彦を取り巻くクマたちが口々に、どの形がいいか、どんな色が好きかと問いかける。
 ワイワイと、楽しく続く長い道程。
 やって来たのは、見覚えのある丘の上の景色だった。
「ここが会場ですよ」
「あら、これって」
 シュラインの目に入ったのは、堂々とした文字で【鎮守の塚】としたためた紙が張り付けられた、見上げるほど巨大な赤茶色のツボだ。
 かつて、これを守るために盛大な追いかけっこを展開したのもいい思い出かもしれない。
「はい。今回は鎮守の塚で催されるのです」
 見れば、腕力・体力自慢の大型クマたちが、鎮守の柄を囲むようにせっせとやぐらを組みあげている。その作業もどうやら佳境のようだ。
 リーダーと思しき大クマの号令の元、組まれたやぐらから、色とりどりの花、星、月、太陽、そして空のカケラがつぼの中へと流し込まれ――
 オーロラ色と呼ぶにはあまりにも多彩で幻想的な光が、炎のようにツボから溢れ出す。
 高く高く燃えさかり、そびえ立つ光の柱。
 神聖な色。
「ずいぶん大規模というか……」
 サングラスごしでも充分に伝わる色彩に、思いきりファンタジーだなという感想をもらす武彦。 
「あれは何をしているの?」
「新しい年が生まれた後には、過去になった古い年を世界に還してあげなくてはいけないのです。その準備なのです」
「古い年を世界に還すって、一体……?」
「まあ、見ていてください。そろそろ始まりますよ?」
 花を散らした長い道。
 そこを歩くのは、確か一年の吉兆を占う『くまのタマゴ』から去年生まれた子だ。
 湖色のその子が堂々とした足取りでツボに向かう。
 キラキラふわふわとした同じ色の光を、そのクマもまとっているのだと分かる。
 鎮守の塚と呼応するかのように、キラキラキラキラと輝き揺らぎ、湖色クマの輪郭は次第におぼろげになっていく。
 そうして頂上に着いた時、かのクマは緩やかに、じっと見守る同胞と、そしてシュラインと武彦とに向けて礼を繰り返した。
 まるで、役者や指揮者が舞台の最後に、万感の想いと感謝を込めて客席に頭を垂れるかのように。
 そして。
 そうして、春色クマはふわりと空に浮き、鎮守の塚から溢れ、天に伸びた柱に吸い込まれ――
 光が勢いを増した。
 目を焼くような峻烈さはないけれど、全身、それも内側まですっかり浸透してしまう強さを感じる。
 気付けば消えたクマの変わりに、見覚えのあるタマゴはひとつ、光の中に浮いている。
 やわらかな真珠色を纏ったタマゴ。
 自分の中の『どこか』で淀んでいた『何か』まで残らず浄化されていくような、不可思議な体験。
 クマたちもどこか眩しげに、そして心地良さげに、タマゴから放たれる光を全身で浴びている。
 ロドルフは言った。
 古い時間を還すと。
 これが――
「これが、時還りの儀式です」
 ロドルフの言葉を、シュラインはそっと口の中で繰り返す。
 トキカエリノギシキ。
「わたしたちの時間は、こうして時の神さまの元に戻るんですよ」
 そうして新たにあたためたタマゴによって、『幸せの時間』はクマの森を循環するのだという。
「すごいな」
「ん、すごい……」
 率直な感想が武彦の口からも小さく漏れた。
 いつまでもいつまでも眺めていたいと感じさせる、魂が浄化される一年に一度の貴重な時間。
 しばし世界を包みこむ響音に身を浸す、夢幻の時間。
 
 
「ところでシュラインさん、草間さん、お時間はまだ大丈夫ですか?」
 儀式の『余韻』がふんわりと消えていくのを見届けて、ロドルフは首を傾げて2人を見上げた。
「時間……」
「ええ、もちろんあるわよ? なにかしら?」
 武彦が言葉を続けるより先に、シュラインはロドルフに目線を合わせて笑ってみせる。
「ああ、ソレはよかった。実はですね」
「ん?」
 ふいっと逸らされたロドルフの視線に釣られて自分の背後を振り返ると。
「シュラインさん親衛隊がぜひとも森を案内したいと申しておりまして」
 期待と不安を取りまぜてそわそわするクマたちの一団が、寄り集まってシュラインに熱いまなざしを送っている。
 赤やピンクやブルーや緑、パステルカラーでチェックや水玉を織り成す可愛いクマたちの、その瞳はかすかにうるみ、頬はほのかなさくら色に染まっている。
 思わず駆け寄って、全員をギュギュっと抱き締めたくなる光景だ。
 可愛いもの好きのストライクゾーン、というべきだろうか。
 胸がキュンと鳴った。
「以前シュラインさんより送っていただいた写真を集めた、公民館となりの博物館にもぜひぜひお立ち寄り頂きたいと……よろしいでしょうか?」
「むしろこちらがお願いしたいくらいよ」
 笑顔全開で頷き返すシュラインの言葉に対し、『うおおんっ』と元気な声が沸き上がった。
「……本気か」
「さ、武彦さん、行きましょ?」
 早くもわらわらと数を増して集ってきたクマたちの囲まれ、手を引かれて歩き出しながら、彼女は嬉しそうに笑い、声を掛ける。
 クールで有能で機動力に優れた、草間興信所秘蔵の『事務員』兼『調査員』兼『司令官』。
 そんなシュラインの、普段はあまり見せない可愛らしくも意外な一面に、武彦が逆らえるはずもなく。
 クマの波にさらわれるようにして、武彦は彼女の後をロドルフとともに追った。

 不思議の国のクマの森。
 日常にして非日常の世界での幸せの時間はまだ続く。


END