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狸だって恋するさ
青年は、表情を歪めながら歩いていた。
「あのクソが……インチキ霊媒かよ」
青年は、その端正な顔からは想像できない程の汚い言葉で、今は居ない誰かを罵る。
そのうち足取りも重くなり、息をするのも辛くなってきた。
大体東京というのは、空気があまり良くない。
自分が居た山に帰りたい。
そう思いつつ、この街に居続けたのは自分の意志だったのだ。
なのに。
「ちくしょ…、聞いてねぇよぉっ…」
いつの間にか正体がバレて、何だかよく判らない人間に襲われて。
もう身体が限界の近かった。
ふら、と揺らいだ視線の先にある扉には、『草間興信所』の文字。
「あ、やべ…」
気づいた時には、その扉に身体を押し付けるようにして倒れてしまっていた。
派手な音に気付き、草間武彦は慌てて扉の方へ向かう。
そこに倒れていたのは、青年だった。
ただし、耳と尻尾の生えた青年。
この尻尾はまさしく。
「化けダヌキ……」
何だって自分の所にはこんなものしか飛び込んでこないのか。
武彦は頭を抱えた。
櫻紫桜がその興信所に顔を出した時、武彦は一匹の狸と戦っていた。
「こらっ、逃げるな!男なら大人しく耐えろ!」
やたら傷だらけの狸が、消毒液が沁みるのであろう、武彦に向かって威嚇している。いつもはハードボイルド路線を貫こうとしている武彦も、今は冷静さを欠いて怒鳴り散らしている。
呆然としていると、隣から草間零が声を掛けてきた。
「こんにちは、紫桜さん」
「あ、零さん…これは…」
「傷の手当てをしようとしていたら、狸さんが暴れだしてしまって…」
「武彦さんにもそんな動物愛護の心があったなんて」
さり気なく酷いことを言うと、零はちょっと困ったように首をかしげながら苦笑した。
「いえ、何というか…勝手に入ってきたんです。化け狸、らしいですよ」
「は?」
どういうことか尋ねようとしたときに、突然大きな音がした。
慌てて振りむくと、そこには大きく動いた応接ソファーの隙間に狸を抱えたまま落ちてしまった武彦の姿があった。
「…紫桜は何の用だったんだよ」
「いえ、前に零さんに頼まれていたお茶の葉が手に入ったので…」
「あ、どうもありがとうございます」
「いえいえ」
用件のお茶の葉を渡すと、改めて目の前にいる青年の顔を見た。
不貞腐れた表情でそっぽを向いているが、その頭から見える耳も、ジーンズからはみ出した尻尾も紛れも無く狸の耳だ。
「…いるんですねぇ、化け狸って」
「いたら悪いのかよ」
青年はキッと紫桜を睨む。
「だから人間は、嫌いだ」
そう呟いた青年の表情が一気に影を落としたことに紫桜は気付いた。
「じゃあ何でその嫌いな人間に化けてるんだ」
狸の状態だった青年を手当てしているときに、その爪でひっかかれた傷を零に消毒してもらいながら皮肉そうに言う。
「何だと!」
「何だよ」
尻尾の毛を逆立てて青年は武彦を睨む。武彦も煙草を咥えたまま睨み返した。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて…何があったのか分かりませんが、とりあえず話を聞いた方がいいんじゃないでしょうか。何かの事情があるかもしれないですし」
「ったく…なんでこんなのばっかり俺のとこに…」
「今更じゃないですか」
にっこり微笑んで、紫桜は青年に向き合った。
「狸さんも、助けてもらったんですから。ね?」
「………………」
露骨に嫌そうな顔をしたが、しぶしぶという感じで青年は頷いた。
零が先ほど受け取ったお茶を淹れると、3人の前に並べた。
「で、名前は?」
「………」
武彦が聞くと、小さく「……サキ」と呟いた。
化け狸――サキは、俯いたまま話し始めた。
「…俺、初めて山から降りたのが半年前で、」
「何だ、意外とガキか」
「…一人前にならないと、里から出ちゃいけないから…」
「まぁまぁ。で?」
口を挟む武彦をにっこり睨んで、紫桜は続きを促す。
「俺…結構前に人間に助けられたことがあって…怪我してたのを、手当てしてくれて…そいつは周りの人間に『玲様』とか呼ばれてたから、レイって名前なんだと思う」
「お、零と一緒か」
「偶然ですねー」
「…で、初めて山から降りた場所が、ちょうどレイの家の庭だった」
「何でわかるんだ?」
「ニオイで判った」
「……ははぁ、お前その『レイ』って人間に惚れたな?」
「な、何言ってんだよ!!」
動揺したサキは、未だ隠しきれていない耳と尻尾の毛を逆立てる。かすかに頬も紅潮しているようだった。
「何だか、昔話みたいですね」
苦笑いをして、紫桜は「で、どうしたんですか?」と聞く。
「…だから、怪しまれないように人に化けて…」
「ちょ、ちょっと待った!」
武彦と紫桜は同時に声をあげる。
「お前…それ、何時ごろだ?」
「夜だったけど」
「………普通、庭に見知らぬ人間がいたら、ますます怪しくて泥棒扱いされますよ……」
「で、でも里長は人間になって迷い込んだ振りをすればいいって…」
「何十年前の話だそれは!都会の住宅地の庭に迷い込む人間なんでまずいねぇんだよ!」
「そ、そうなのか……?」
「……何だか怪我した理由も判ってきた気がします…」
はぁ、と重いため息をつく。武彦も呆れてしまい、「ったく、ホントに何で俺のところばっか…」と愚痴をこぼす。
二人とも落ち込んでしまったので話を続けていいのか戸惑っていたサキに、零がとりあえずどうぞ、と促した。
「それで、レイを見つける前に変な人間に撃たれそうになったりして……」
「…銃?アメリカじゃあるまいし」
「……武彦さん、きっとこの傷、弾丸が掠ったんですよ」
紫桜が、サキの腕にあった傷を示す。切り傷でもなく擦り傷でも無い、赤い筋が走っていた。
「で、夢中で逃げて、ここに辿り着いたってことか」
サキは無言でこくんと頷く。
話が途切れ、沈黙が降りた。
その時紫桜が、武彦のデスクにあった地図を持ってきた。
「サキくん、どの山から降りてきましたか?」
地図の上にある山を探し、これだと指をさす。その山のすぐ傍にある私邸を示す図には、武彦も見覚えのある名前が記されていた。
「風恩寺……?もしかして、風恩寺財閥か!」
「ええ。あらゆる分野に事業を拡大している…」
今度は武彦が立ち上がり、デスクの上に山積みになった雑誌をめくり始める。サキは何がなんだか判らないという顔で二人を見ていた。
「……おい、狸…お前が見た奴って、もしかしてこいつのことか」
武彦が広げたページには、風恩寺財閥についての特集が書かれている。その中でも家族紹介という欄に、一人の少年が映っていた。
「そう、こいつ!レイ!」
「………野生の化け狸ってのは、性別もわからんもんなのかね」
「確かにここのご子息は中性的な顔立ちはしてますけどね…」
風恩寺玲。
風恩寺家の長男として生まれ、現在18歳。今月からカナダへ留学する。
サキがみたのは、紛れも無く男だった。
「サキくん、レイさんは男ですよ」
「嘘!」
「でもほら、ここに書いてますし」
「絶対違う!」
「でも、」
「だって、」
「だから…」
「じゃあ、」
途方も無い権力を持つ風恩寺財閥の庭なら、発砲ぐらいするかもしれない。
目の前で紫桜とサキが言い合っているのを見ながら、そう武彦は思った。
結局、サキは傷の手当ての礼を言って、また山へと帰っていった。
「はぁ、最近の狸は…」
「お前にしては珍しく声上げてたな」
「今日の武彦さんも、ですよ」
「俺はいつもハードボイルドに、」
「いってません」
また目の前で口げんかでも始まるんじゃないかと、零は思いながらもすっかり冷え切ったお茶を片付け始める。
「……レイ……」
サキは夜空を見上げる。
頭上を、飛行機が飛んでいる。
「…………っ、」
少しだけ滲んだ視界を振り切って、サキは走り出した。
「ま、初恋は実らないってのが相場だしな」
「あれが彼の初恋かはわかりませんけどね」
■■■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■■■
【5453 / 櫻・紫桜 / 男性 / 15歳 / 高校生】
■■■ライター通信■■■
初めまして、桐原京一と申します。
この度はご発注ありがとうございました。
自分にとっての初めての仕事で、とても緊張して取り掛かっていました。
期限ぎりぎりになってしまい、申し訳ありません。
少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。
今回は本当にありがとうございました。
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