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つないだ手と手。
光月羽澄にとっての年末年始は、彼女のあらゆる面をサポートしてくれる後見人の家で過ごすことになっている。
白い大きな家は、彼女にとっては『幸福』の象徴。
血のつながりと絆の強さと心地良い結びつきを感じられる、親戚や親友や大切な存在が集う大切な場所。
この手で守りたいと願い、また、その手で守られてきた人たちとの賑やかで楽しい時間がここにはある。
自然体でいられる心地良さ。
同時に、スタイリッシュでスマートな彼や彼女等に、半端な自分は見せられないとも思っている。
決める時には全力で決める。今日のこの装いに手抜かりはない。
けれど。
羽澄の透明感を引き立てる振り袖の艶やかさは、ここにいる『家族』のためだけではない。
「あ」
チャイムの音に真っ先に気付いたのは何かを予感したのかもしれないし、待っているもの特有の敏感さだったのかもしれない。
久しぶりに勢ぞろいした『家族』の輪からそっと抜け出し、羽澄はちりめんの巾着を手に階下へ向かう。
幸福を約束する家の、幸福の訪れを出迎える扉へ。
押し開けて。
軽く目を見開いた。
「よ、迎えに来たぜ。少し早いけどな」
そう言って目を細めてニッと笑う待ち人――葛城伊織の惚れ惚れするほど様になる袴姿に言葉を失う。
「……お、どうした?」
「ん……うん……」
まだ驚きの余韻が残る羽澄の背後から、足音が続く。
振り返ると、自分を追うカタチで、騒がしげな二階から降りてきた家人が、誰が来たのかと声を掛けてきた。
羽澄は一瞬逡巡し、それから『ナイショにしてて』と、唇に指を添えて可愛らしく目で語る。
以心伝心。
相手がひどく楽しげに頷き笑うのを確認し、驚きと嬉しさでうっかり固まっていた羽澄は、ようやく自分のペースを思い出す。
「じゃ、出発しましょ?」
そうしてさっさと玄関から外へ。
「あ、おい、ちゃんと挨拶していかなくていいのか?」
「冷やかされるのがオチよ」
半分押し出される形となった伊織の問いかけには、ちょっとだけ拗ねた口調で返す。
「それじゃなくても、後から絶対囲まれて質問責めになるんだから。いいの」
今年一年の出来事アレコレはもとより、2人で何をしたのか、どんなことがあったのか、どう思っているのか……日常非日常取り混ぜて、絶対面白がって聞いてくる。
しかも、ただ面白がるだけでなく、羽澄が選んだ相手を見極めようとする厳しさまで含んでいるから余計に恥ずかしい。
「そういうもんか?」
「そういうものなの。あ、でも」
むくれたカオを、くるりと仔猫のように可愛らしい表情に変えて笑う。
「気合の入ったその姿で、こんなに早く迎えに来てくれてすごく嬉しい」
「俺もお前のそのカオが見れてすっげ嬉しい。しかも、数時間は振り袖の羽澄を独り占めできるのもいいな」
さらりと言ってのけて笑い返してくる相手に、一瞬で耳まで赤くなる。
「え、と……」
「羽澄の雰囲気や瞳の色とよく合ってんな。蝶の図柄も上品だし、これは羽澄をよく知ってる奴の仕事と見た。そして、お前は俺のためにそこまで気合入れてくれたんだと自惚れてる」
美しい日本文化をまとった美しい恋人の姿。これを自慢しなくてどうすると言わんばかりの、ストレートな伊織の愛情表現。
けれど、羽澄にとってはそのストレートさが必要なのだ。
気丈で凛とした立ち振る舞いから『強い女の子』だと誤解されることも多い彼女の、硝子のような繊細さと脆さを伊織は知っている。
だからこそ、伝えるべき言葉も想いも、まっすぐに、間違えようがないくらい正直に伝えようと彼は考えていた。
「星、見えないな」
「初日の出もアヤシイかもね」
「だな」
シン…と冷え切った東京の空の下。
わずかに火照った2人の頬と、そしてやわらかな髪を、さわりと風がなでていく。
沈黙すらも心地良い、2人だけの時間。
やがて2人は、都会ゆえにけして漆黒とは呼べない闇をまとった『夜の神社』へと辿り着く。
「お、予想以上の人出だな」
「すごい……」
普段は閑静なその場所には既にかなりの人数が押し合いへし合いしていて、本殿までの道程を満遍なく埋め尽くしているが遠目にも分かる。
「そういえば……」
鳥居を潜り、境内に足を踏み入れた辺りから一気に膨れ上がった人々を目の辺りにして、羽澄の胸に不安が過ぎる。
伊織とともに歩き、弾んでいた心に、ふと水を差すがごとくによみがえって来る思い出。
はぐれるのだ。
なぜかいつも必ず、『特別な日』には離れ離れになってしまい、望みどおりにはいかないようになっている。
ソレは初詣ばかりではない。
伊織と出かける度、あるいは伊織と待ち合わせる度に、どういう運命のイタズラなのか、病気で倒れたり、道に迷ったり、連絡がつかずにすれ違ったり。時には妖と対峙するなどというあり得ないトラブルまで飛び込んできている。
今回もそうなってしまうのだろうか。
神様はけっこうイジワルだ。
どんなにささやかな願いごとであろうと、こちらの望んだとおりのことは、なかなかしてくれないのだから。
「……大丈夫かしら」
「大丈夫」
一度浮上した想いはなかなか消えず、つい身構え、辺りを警戒する羽澄の頭上から、優しく頼もしい声が降ってきた。
同時に。
ふわりと羽澄の手を包みこむ、あたたかな感触に軽く心臓が跳ねる。
思わず反射的に顔を上げる。
見上げた先には、伊織の笑顔。
「な、多少寒くたって一緒なら大丈夫だ。風邪なんか引かせネエよ」
「そっちなの?」
「そっちってどっちだ?」
「ん、なんでもない」
笑って、絡まる指に少しだけ力を込めて、きゅっと引っ張った。
敷き詰められた砂利道と、長い石畳。
しっかりとつながれた手のぬくもりと確かさに安心しながら、そろそろ身動きすらもままならなくなってきた人ごみの中で参拝の順番を待つ。
ただずっと立って待ってちょっとだけ歩く時間につきものなのか、どこからか眠りの気配が漂ってきて、列の動きは一層鈍くなる。
この分だと、午前0時を目指して来た者たちは、鳥居を潜ることすらままならないかもしれない。
そうなってしまったら、たぶん自分たちも二年参りを断念していたかもしれない。
「早めに出てきて正解だろ?」
「うん」
年を越える前にまず1回。
参拝を終えて、一度人だかりから離脱する。
振り袖と袴のカップルはめずらしいのかもしれない。
不思議と周囲の視線を引きつけながら、2人は色とりどりのお守りが並ぶ場所まで足を向ける。
途中、神社側から甘酒を振る舞われ、ほっと一息つきながら、星のない空を見上げた。
「あ」
重く強く響き渡る鐘の音が耳を打つ。
「除夜の鐘……」
「な、本当に108つなのか数えようと試みたことないか?」
「え、伊織はあるの?」
「話せば長くなる」
ちょっとだけ垣間見せた、年上の恋人の子供じみた表情に、笑みがこぼれる。
「お、そろそろはじまるぞ」
「あ」
言われて、羽澄は彼が取り出した時計を横から覗きこみ、確認する。
どこからともなく始まった、カウントダウンの声。
10…9…8…7…………
一緒に声を合わせれば、ワケもなくドキドキと胸が高まる。
それは手をつないでいる相手と、更にはここに集っている者たち全員と共有する時間だ。
3…2…1…
ぐわんっと盛大な拍手と歓声が湧き上がり、辺り一帯の空気が大きくうねった。
「新年明けましておめでとうございます、羽澄」
「あけましておめでとうございます」
ギュッと詰まった人ごみの中で、それでも丁寧に一礼する。
顔を上げ、かしこまったお互いの姿がおかしくて、つい笑いあう。
「それじゃ、今度は新年のご挨拶をしに向かうか」
「そうね」
先ほどよりも更に膨れ上がった人だかりの中、互いと周囲を気遣いながら方向転換し、動いているのかどうかも分からない参拝客の列にもう一度並び直す。
「何とか今年は無事に2人でここまでこれたな」
「ん」
「2年越しで手もつないでたしな」
「あ……ん、そっか。何だか幸先良いかもね」
牛歩より更に遅く、ゆっくりゆっくりと流れる時間。
白息と不思議な熱気とさざめきを肌で感じる。
一度目よりも更に長い時間を掛けて辿り着いた神様の前で手を合わせた時、羽澄は神様に『願いごと』ではなく『約束』をする。
ソレは伊織が教えてくれたこと。
今年一年をどう過ごすか、どうしたいかを、しっかり決めて、神様に報告して。
甘酒で温めた分もすっかり冷え切るころ、2人はようやく二年参りを完遂した。
「さてと、最後はやっぱりおみくじか」
「毎年どんどん新しいおみくじが増えてる気がする」
白い木箱にザラリと入ったおみくじの他、七福神のお守り入りや花をモチーフにした可愛らしいものまでが自分たちを待っていた。
一瞬心惹かれたけれど、結局伊織と2人、一番シンプルで一番オーソドックスなおみくじを選んで引いた。
すぐに人が並ぶ為、列を離れて、羽澄は伊織とともにわずかな外灯が光を注ぐ脇道まで逸れて中を開く。
「ええと、結果は――『中吉』ね」
つい恋愛を真っ先に確認してしまったのは、恋する女の子の性かもしれない。
中吉にしてはやや厳しい結果になっているけれど、とりあえずは前向きに捉えておく。
「伊織は?」
彼の結果も見せてもらおうと声を掛けたのに、何故か伊織は早々に近くの『おみくじ結び』に自分のおみくじを結んでしまっていた。
「結果、どうだったの?」
「おみくじというのは結果の良し悪しに一喜一憂するもんじゃない。そこに書かれた神様からの言葉を自戒として心に留めておくものなんだ」
「え?」
つらつらと棒読みで答える伊織の顔を、ついっと覗きこむ。
「おみくじ、悪かったの? まさか……凶とか?」
「たとえ大吉を引いても『吉』は『凶』にかえると言う。逆に、凶にも吉がやがてやって来るから落ち込む必要はないんだぜ」
「あ、やっぱり悪かったんだ」
わざとらしいくらいに憐憫の情を込めて見上げる羽澄の額を、伊織は指先ではじく。
「恋愛が『その人でよし』と出てるんだ。それだけ言ってもらえりゃ上等じゃないか」
「……そう、かも」
仕事も含め、伊織の引いたおみくじは他の項目全てが非常に投げやりというか不吉のオンパレードではあったが。
それでも十分だと彼は笑う。
「さてと、それじゃ帰るか」
「うん」
つないだままの手を、もう一度確かめるように強く握って。
相手の温度を手の平で感じながら、ゆっくりゆっくり歩きだす。
今年ははぐれずにいられた。
一年の始まりをこんなふうに迎えられたのだから、今年は去年より一緒にいられる時間が増える気がする。
増えて欲しい、と願う。
「あ」
「お、めずらしいな」
雲が掛かってやわらかさを増した月の光に照らされて、チラリチラリと雪が降りてくる。
つないだ手と手のぬくもりをしっかりと感じながら、優しい天からの演出を眺めて微笑み、しばし心地良い沈黙に身を委ねた。
「ただいま」
扉を開け、自然と口をついて出た『家族』への言葉に、迎えてくれたのは、こちらもやはり自然な『お帰りなさい』の声。
優しくあたたかい笑顔で迎えられる幸せ。
そして、待っていたとばかりに、伊織は羽澄の後見人にがっしりと首を掴まれ、有無を言わさず連れていかれた。
瞬間、ふわりと、ほのかな甘い香りが鼻先に届く。
これは、日本酒だ。
どうも宴は既に始まっているらしい。
どんな酒をどれだけ飲もうと酔うことのない伊織は、おそらく酒豪たちにとっては格好の相手になるだろう。
「これは『朝までコース』かしら……」
羽澄は恋人と後見人の後ろ姿を楽しげに見送った。
そんな彼女も、興味津々な別の輪の中にあっという間に引っ張りこまれる。そこで待っているのは予想どおりの質問攻めだ。
けれど、彼女たちの厳しい追求の中には、絶対的な優しさが込められている。
だから、笑う。
一緒になって、自分の想いを再確認しながら、くすぐったげに大切な人たちと笑いあう。
こうして。
暖かな光が宿る白い家の中、光月羽澄と葛城伊織の新たな年の第一日目は、家族の祝福を受けながら賑やかに過ぎていった。
END
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