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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔法の飴細工

 「拝借します」という言葉を小さく呟いて、それをするりとポケットの中に収める。別に、盗もうと思っている訳ではない。
「単に借りるだけー、借りるだけー」
 その元々の持ち主はファルス・ティレイラ自身の師匠であるのだし、見つかっても多少のお咎めはあってもそれ以上の厳罰はないだろう。そのような思いが、彼女の行動を一押ししたとも言える。ポケットの上から軽く触れて、数度叩いた。
 それは魔法薬屋の内、比較的安全な一画に置かれていた。一見して、ただの瓶。触れただけで、或いは開いただけで何かが発生するような深刻な薬品ならば、決してティレイラの力の及ばない、少し特殊な方法で保管されている一画に収められているはずだった。

 魔法の飴細工

 ラベルには、装飾文字でそう書かれている。中身は液体。察するに、触れた物質を飴細工に変えてしまうのだろう。すぐ傍に置かれていた説明書には、それこそ簡易に使い方が書かれている。

『魔法の飴細工使用説明書』
 1.瓶の中の液体を大きな器に入れます。
 2.飴細工にしたいものを、器の中に入れます。
 3.少し待つと、飴細工が完成します。

 説明書には文字だけでなく、イラストも一緒に表記されている。分かりやすい反面、これだけで上手くいくのか多少なりとも不安になってしまう。ティレイラは興味半分に、忍び足で瓶を自分の部屋へと持ち込んだ。
 用意したものは、サクランボと苺。そして、勝手に拝借した瓶と、倉庫の方から引っ張ってきた大きな器だった。心なしかきょろきょろとして周囲を見渡して、誰もいないことを確認する。
「……よし、大丈夫そうだね」
 静かな部屋に、ティレイラの声が一段と良く響く。実際にそれ程声は出していないのだろうが、背徳心からか思わず慌ててしまう。
「…………始めよう、かな」
 一段と声を落として、ティレイラは両手をぎゅっと握って手元に寄せる。師匠がこの部屋に来るという可能性も皆無ではないのだが、何気なく探ってみた限りでは今日一日予定があるらしい。それは同時に、万が一の想定時には最悪へと転がりそうなものではあるのだが、薬自体の危険度のランクからしても、それ程の危惧は必要ないだろう。
 まずは、瓶の中の液体を大きな器に移す。瓶の中では透明だったそれは、器に移されると乳白色へと変わった。残った分はまだ瓶の中で、透明の色をしながら揺れている。
 その中に、用意しておいた果物をゆっくりと置いた。
 果物は、器の中で次第に色を失っていく。否、色を失っているのではない。白くなっていく、という言葉の方が正しいかもしれない。
 ぽふっ。
 呆気ない音がして、液体から何かが吐き出される。飴細工だった。恐る恐るそれに触れてみると、先程液体の中に入れた果物と同じ形をしていることに気付く。簡易に言ってしまえば、果物がそのまま飴細工になってしまったということなのだろう。
 確かめるためにも窓際に置いてあった花瓶からむしった花を中に入れてみるか、やはり同様の現象が起きた。

 この液体は、物質を飴細工に変えてしまう。

 そう判断して、ティレイラは喜んだ。面白いものを手に入れたと、そう思うと共に、どんな物質でも適用されるのか、その点についても非常に興味を持った。最初に果物、次に花と成功した。ならば、次は何が良いだろう。
 そうしてくるりと後方を向こうとして、不覚にも意識のあまり及んでいなかった手が作業台にぶつかってしまう。瓶が大きく揺れ、瓶の中身が零れる寸前で、ティレイラが慌てて右手を伸ばして揺れを止めた。
「ふぅー……」
 安堵に息が漏れる。だがそうして気付くのは、左手が妙に冷たいという事実。ぴちゃり、と聞きなれてはいるが、今回ばかりは嫌な音が耳に入る。視線をそちらへやると、左手が白い液体の中へと浸かっていた。
 丁度その時、ドアが勢いよく開く音がして、思わずそちらへと動き辛くなっている顔を向ける。
「し、師匠……」
 驚いた顔を呆れた顔がぶつかる。

 ティレイラの意識は、そこで消失した。



 後に呆れ顔をしていた師匠の話を聞くと、触れた左手からティレイラが白い液体に飲まれ、そしてすぐに飴細工となったらしい。あの液体の効力は全ての存在に及ぶものの、「命を持つモノに対して使うには濃度が低い」というのが実際らしい。
 まだぎこちない指先を動かしながら、ティレイラは師匠の小言を耳が痛い思いで聞く。
 話の最後には「生きていたから良かったものの」に繋がるため、あまり反論も出来たものではない。

 元に戻ったばかりで未だにぼんやりとする思考の端に、変質したままでいる果物と花が、確かにティレイラの目に映った。





【END】