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瑞々しき彩り
大きな箱、其の中には様々な色の硝子球。箱の中で煌くそれらに、ティレイラは目を輝かせ、魅入ってしまっている。其の大きな箱を差し出す主は、シリューナ。豊かな黒髪を揺らして首を傾いだ、首元に掛かる白と黒のコントラストが美しい。魔法薬屋の一室にて、夕飯前の一仕事を言い渡しているのだろう。しかし、仕事を言い渡されている当の本人、ティレイラはじっと煌く硝子球に夢中だ。シリューナは眉を少し顰め、ティレイラの顔を覗き込む。さらりと、水のように黒髪が肩から零れ落ちた。
「…聞いているか?ティレ」
「ぅあ、はい!」
…一瞬流れる沈黙の後、シリューナは嘘を吐けと一言。ティレイラは小首を傾いで、その言葉を霧散させようと試みている。仕切りなおすように、シリューナはこほんと一つ咳をした。今度はティレイラもぴしりと、背筋を伸ばし聞く体勢に入る。
「この球を色毎に分けるのだ、良いか?」
ティレイラはうんうんと頷き、説明に聞き入る。確かに、箱の中の硝子球は色とりどりに鏤められ、透明度も高いお陰でどれが本当の色だか判り難い。ティレイラは先程の説明を口の中でもごもご、何度も言い返しながら、差し出されたままだった箱をシリューナから受け取った。赤い目を瞬かせながら、興味深そうに硝子球を眺める。本当に綺麗な色、何の効果があるのだろうか。煌く無数の粒は果物の瑞々しさすら感じさせる。…ティレイラのそんな様子に、シリューナは少し笑った。
「この仕分けが全て終わったなら、試してごらん。水にこの球の一粒を入れ、飲んで見なさい」
「良いんですか?!」
「御褒美、だものね」
ふわりと笑うシリューナに、ティレイラは頬を赤くさせて嬉しげに笑う。それでやる気も倍増したのか、はしゃぎながら作業台へと歩んでいった。そんな後姿を見守った後に、夕飯の支度をする為に部屋を後にした。残されたティレイラはどのような効能があるのだろうかと、今から楽しみでたまらない、と言った風な表情で色を見分けながら、色別に硝子瓶の中へと入れていく。同じ色かと思えば、暗がりで見れば実は違うと、中々曲者が多い、それでもティレイラはめげずに仕分け作業に没頭した。本当に色数が多く、品物の数も多い故に硝子瓶はどんどんと増えて行く。作業台の上は既に色取り取りの硝子球の入った硝子瓶で埋め尽くされようとしていた。日がそろそろ暮れ、赤い陽が窓から射す頃…ティレイラは大きく伸びをした。目の前には無数の硝子瓶、中には夕日に煌く硝子球、入っていた箱には一粒たりとも残されては居ない。
「おわったぁーー!!」
思わず大きな声でティレイラは嬉しさを噛み締めてしまったが、すぐに我に帰り硝子球たちを見つめる。其の眼はとても真摯、硝子球の本質を見極めようとでもしているのか、じっと見つめているが見つめるだけでは、無論判りはしないだろう。そうして、ティレイラはシリューナに言われた通りの遣り方を試してみようと、席を立つ。暫くして、水差しとコップを一対持って帰ってきた。水は水差しに此れでもかと満タンに、カップには既に水が汲まれ用意は万端。
「何色にしよう…色で違うのかな」
一つ、指で摘み上げたのは赤とピンクが織り交ざった硝子球。匂いを嗅ごうとも、何かは判らない。ちゃぽん、ティレイラはそっと硝子球をコップの中へと入れ、じっと其の変化を見守る。次第に、じわりと透明な水の中に赤を挿し始めた。赤色はまず下へと落ち水の中で跳ね、分散し、其れを繰り返し段々と水の中へと馴染んでいく。既に硝子球はコップの中に姿は見られず、溶け合ってしまったらしい。既に水は赤色、夕日の朱が挿し更に美味しそう。心なしか、甘い匂い…。
いや、本当に漂ってくる…甘い果実の匂い。
「この匂い…苺?」
くん、ティレイラは鼻先を並々注がれた水面に摺り寄せるようにして近づける。確かに、色に匂いは苺そのもの。コップを手に取り、ティレイラは恐る恐る、と言った風に口へと水が変化した其の液体を流し込んだ。…暫く口内に漂わせ味を見る、不思議そうな顔も、段々と、変化を見せる、驚きの表情へ。
「美味しいッ」
最初はただの水だったのに、ティレイラは驚きと嬉しさの入り混じった声で叫びを上げた。何と言っても、この硝子球が溶けた水、とても甘く美味しい。しかも色々な色があると来れば、其の色にちなんだ果実の味が楽しめるのだろう。それはすぐに、ティレイラの頭の中を駆け巡る。あっという間に、コップ一杯の水を飲み干し、次の水を注ぎいれた。
「よし、次は何色にしようかなあ」
両手を合わせ、上機嫌で色分けした瓶を覗き込む。本当に綺麗な硝子球だ、それに、色の種類も沢山、迷っている内に日が暮れてしまいそう。首を傾いで悩む事数分、一粒の硝子球を手に取った。色は紫、ブルーベリー?葡萄?期待を膨らませながら、ティレイラはちゃぽんとコップの中へと硝子球を落とした。先程のように、じわりと解けた硝子球、すぐに色は水全体へと浸透していく。
「何の味かな…あ、ブルーベリー?」
程よい酸味、口に残る後味はブルーベリーそのもの。ティレイラのはしゃぎようもまた上がる、さあ次はどうしよう?幸せな悩みを抱えたティレイラの目は輝き、硝子瓶を覗く。きらきらと輝く赤い眼に、彩り鮮やかな硝子球が映っている。
「う…うぅ…」
暫くの後、水差しの水は全てなくなっていた。いや、正確に言えば、1度、新しく水を汲みに行ったので、水差し二杯分の水を飲んだという事になる。さぞ満足した事だろうと思えたティレイラの表情は、何故だか優れない。むしろ、具合がとても悪そうに見えた。短く苦しげな息を何度も吐き、短く呻きながら作業台に項垂れる。
「ティレ、終わった…?」
「…」
夕飯の支度を終えたシリューナ、膨大な量と言えども戻ってくるのが遅い。半分ほどは、シリューナにも予想は付いた、…長い着き合いがこう言う時、物を言う物だ。作業室の扉を開き、覗いたなら…シリューナの声に返す事も出来ない様子のティレイラがうつ伏せで、青い顔をシリューナの方向に向けていた。
「…飲み過ぎだ」
「うう…」
一言も聞かずとも、水が入っていただろう水差し、コップを見れば、ティレイラの苦しさの原因はシリューナにとって手に取るようにわかる事。呻くティレイラの流れる黒髪を撫で、何時もの赤さを失った頬をシリューナは撫でた。
「一体幾つ飲んだのか…まあ、暫くすれば治まろう」
「暫くって、い…ウッ」
少し喋っただけでも、ティレイラの顔の青さはどんどんと深まる。もう喋るな、シリューナは一言添えてティレイラの背を優しく撫でてやった。たまには、こう言うのも良いだろう、シリューナは少し口端を上げて微笑めば、ティレイラを優しく、包み込むようにして抱きかかえ、寝室へと連れて行った。
そっと、寝台へと寝かしてやり、シリューナはティレイラの顔を覗き込む。まだまだ気分は優れないようで、うんうん、唸っているままだ。シリューナは困ったような笑みを浮かべるが、椅子を引き寄せ寝台の傍でティレイラの様子を見守る。
「…ごめ、なさい…お姉さま…」
「何を謝る事がある」
手をかけさせた事、ティレイラは恥じるように毛布を顔まで上げ、シリューナに許しを乞うた。シリューナの緩やかな黒髪が左右に揺れる、もう既に日は暮れ、月光をシリューナの艶やかな髪は反射した。ティレイラは相変わらず、顔を隠すように毛布にもぐりこんでいる。
「早く元気におなり、ティレが元気がないと、私まで調子が狂うだろう?」
細い指が、ティレイラの頭を軽く撫でた。もぞ、ティレイラが動く、毛布から顔半分がようやっと見える位置まで身体を上げた。赤い目はどことなく潤み、感激を孕んだ視線はシリューナへと向けられている物。
「お姉さま…っ、有難う御座います…!」
「何処に、礼を言う箇所があったのかね?」
恐らくは、シリューナの優しさにだろう、ティレイラはぎゅっと揺れる赤の目を瞑って礼を述べた。長い睫に水分が飛ぶ、シリューナは笑いながらティレイラの瞼を優しく指の腹でなでてやり、赤くなった頬まで指を這わせ撫でやった。
「泣くな、嬉し泣きだろうと何だろうと、ティレの涙を見ると苛めたくなる」
「…はひ」
頬にシリューナの指の感触を感じるティレイラは、一つ頷き赤い鼻のまま何とか落涙は避けようと必死。それでも零れた一粒は、シリューナの手によって受け止められた。
「ほら、ゆっくりお休み」
シリューナは目を細めて笑う。赤い目でティレイラは其れを見つめ、安心したかのように次第に瞼を落としていった。シリューナは、ティレイラが寝台から跳ね上がるほど元気になるまで、優しく傍で見守っている。ふと、赤の目が窓際へと向かい、其の外にあるのはきつく弧を描いた月の姿。今宵も変わらず、剣の様な鋭さを兼ね備えた、後光射す姿は美しい。其れを眺めるシリューナの横顔もまた同じく、剣のように鋭く美しいが、ティレイラへと視線を移せば、和らげな微笑を浮かべてしまう。ティレイラのあどけない寝姿は、数十分ほど後、腹の虫が騒ぎを起こすまで続いた。
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