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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


誘いの歌



1.
 扉が開いた音に草間とシュラインが振り返った先にいた男の様子は、ひと目で何か厄介な(草間があまり歓迎していない)事情を抱えているとわかるものだった。
 しきりに頭を振り、何かを追い払おうとしているようで、かと思えば耳を塞いだりと落ち着きない動きをし続けており、そして草間たちに向けられた目は誰でも良いから救いを求めているものだった。
「助けてくれ」
 そこでようやく草間とシュラインの姿に気付いたように、男はそう口を開いた。
「助けてくれ」
 返事を待つ余裕もないらしく、もう一度男は言った。
「まず、話を聞かせてくれ」
 男を宥めるためにも、草間は冷静な声でそう尋ねた。
「何から助けて欲しいんだ?」
「歌声が、するんだ」
 その単語に草間とシュラインは顔を見合わせる。
「女の歌声が、ずっと、聞こえてくるんだ。聞いたことがないんだ、こんなものは、なのに、ずっと……」
 要領をまったく得ない男の言葉の羅列をしばらく聞いていた草間は、ちら、とシュラインを見た。
 任せた。
 そういうことなのだとわかって少し肩を竦めてからシュラインが話をリードしていくことにした。
 男の話によると、ある日突然自分の耳に歌声が聞こえてくるようになったというのだ。
 まったく聞いたことのない、歌詞も旋律も聞いたことがない、暗い歌が。
 耳を塞いでも歌は一向に止まず、外からというよりも男の内側に直接響いているようなその歌は、何処かへ男を誘おうとしているようだという。
 いったい何処へ自分を連れて行こうとしているのかはわからないが、聞こえてくる歌声はとても暗いもので、連れて行かれたときのことを想像すると恐怖しか覚えない。
 そんな歌が四六時中男の耳にへばりつき、遂にこうして草間へと助けを求めに来た、というのが男の話を要約したものになるだろう。
「その歌についてですけど、心当たりはないのかしら」
「あるわけがないだろ。何を言ってるかも、よくわからないのに」
 シュラインの声に、男は落ち窪んだ暗い目を向けてぼそりと答えた。
「じゃあ、それが聞こえてき始めた日時は?」
 その問いに、男はしばらく考え込んでから口を開いた。
「多分、1週間くらい前からだと思う。ずっと聞こえ続けていて、いつからかなんてもう覚えちゃいないんだ」
「じゃあ、歌は1日中ずっと聞こえ続けてるの?」
「だから、何度もそう言ってるだろ!」
 余程参っているのか、神経質にそう怒鳴った男に、シュラインは「落ち着いて」と静かな声で宥めた。
「歌詞の言葉は、わかる?」
「いっそわかったほうが何を言われてるか、何処へ連れて行こうとしてるかわかって楽だったろうさ。けど、こんな言葉聞いたこともない。外国の言葉にしたって俺には全然わからない」
「単語ひとつだけでも無理?」
「わからないんだよ、だから」
 意味がわからない、馴染みもない、けれどおそらくは音楽だろうと思えるリズムに乗っているだけの歌らしきものが延々と流れていては、確かにわかりやすい恨み節を聞かされるよりも苦痛かもしれない。
 ここまで男に理解ができていないということは、男にそれを聞かせるつもりではなく、たまたま波長が合ってしまったために『受信』してしまっている状態になっているのかもしれない。
「その歌が聞こえてくる前に、何か買い物をした?」
 シュラインの問いに、相変わらず耳を何度か叩いたりしていた男は顔を上げた。
「……買い物?」
「それまで行ったことがない場所や、会った人でも良いわ。多分、その頃にあなたは無意識に『ナニか』に引っかかったんじゃないかっていう可能性が高い気がするの」
 その言葉に、男は落ち着きなく動くのを止め、必死に音楽を無視しながら懸命に思い出そうする顔になった。
 しかし、やはり歌に思考を妨げられているのかなかなか考えがまとまらないらしい男に近付いたとき、シュラインは何かの匂いを嗅いだ。
「……あなた、香水をつけてる?」
「香水? いや、そんな女みたいなものをつける趣味はないけど」
 男の言葉にシュラインはくすりと笑った。
「最近は男性用だって沢山売ってるじゃない」
「まぁ、そうだけど……でも、俺はそういうのはつけないんだ」
 しかし一瞬だが、男の周りから何か匂いがしたのは確かだ。
 誰か近くにいた者の残り香が男に移ったということだろうか。
 そういうことはよくあることだ。たまたま隣に座っていた者の香水の匂いが移ってしまうということは。
 と、そのときにシュラインはひとつ思いついたことがあった。
 香りは、記憶とも密接に繋がっている。
 もしかすると、この香りを作った者、ないしつけていた者に関わりのある記憶が香りと共に男に移ってしまったのではないだろうか。
「さっきも聞いたけど、最近まったく面識のない人に会ったことはある?」
 シュラインの言葉に、男は首を振った。
「じゃあ……香水、いえ、お香かもしれないけれど、そういうものが並んでいるようなお店には行った?」
 今度の問いには男は訝しそうにシュラインを見てから、何か記憶に引っかかるものがあったのか「ちょっと待ってくれ」と誰も急かしていないのに先にすでに傍観に徹している草間も含めて言葉をかけてくるのを制してから、目を天井に向けて考え込んだ。
「店には、行ってない」
 けれど、と男は続けた。
「露店は見かけた。ほら、よく道端で広げてる連中がいるだろ? あの中に、香炉みたいなものがあった気がする……でも、本当にちょっと見て、すぐに離れたぜ? 手にも取らなかったし嗅ぎもしたつもりもない。香りっていう言葉で思い出せるのはそれだけだ」
「それ以外に、香りっていうキーワードで思い出せることはない?」
「ない。そもそも俺は香りってやつが苦手なんだ。体質でね」
 そう言ってから、男は自分の身体を軽く嗅いだ。
 シュラインに尋ねられて、そんな香りが自分からしているのか気になったのだろう。
「なぁ、本当に、そんな匂いがしてるのか?」
 わからなかったらしい男に、シュラインは微笑を浮かべたまま立ち上がった。
「意外とついてる人自身は気付かないことが多いのよ。たまたま近くにいただけの女の人の香水の匂いがスーツについたまま帰えってきて、それで誤解されて大騒ぎなんてこともよくあるのよ?」
 その言葉に、草間が小さく咳払いをした。
「それに、実際の香りかどうかもわからないし。さて、その露店のあった道端の場所、教えてもらえるかしら?」


2.
 男が教えてくれたのは、都内の繁華街で人通りも多く、露店も数多く並んでいる場所だった。
「多分、すぐわかると思う」
 店の特徴を聞いたところ男の返答はそんな奇妙なものだったが、特徴はと聞かれて答えられるようなものが記憶に留まっていないようだった。
 人も多く、いろいろなものがひしめき合っている中を掻き分けて、シュラインは並んでいる店のひとつひとつに目を通していく。
 と、その目にひとつの露店が止まった。
 すぐわかる、と男は言っていた。
 そして、それはあの店だろうとシュラインは確かにすぐにわかった。
 大勢の人が行き交っている繁華街の通りなのに、一箇所だけ、まるで無意識に皆が避けて通っているようなスペースがあった。
 そこに、汚れたござを敷いて座っている男がひとりいた。
 男はひと目見ただけでは国籍も年齢もよくわからない、汚れた服装も何処かの民族衣装のようにも思えたが、しかし何処の国のものかと聞かれてもシュラインにはわからなかった。
 男の前には、やはりなんだかよくわからない奇妙なものがいろいろと並んでいた。
 シュラインの知り合いにアンティークショップを営んでいる者がいるが、何処かそれに近いような感じもしたが、あちらよりはまだまとまりがあるようにも思える。
 その中には、香炉もいくつかあった。
 やはり、何処の国のものなのかよくわからない奇妙なデザインの香炉が男の前に数点並んでいる。
「変わった香炉ね。手作りかしら」
 シュラインの言葉に、男はゆっくりと顔を上げた。
 緑の目をしていたのだとそのときにシュラインは気付いた。
「私の国で作られたものです。といっても、その国はもうないのですが」
「最近、ひとりの男の人がこのお店を覗いたって言っているんだけれど、覚えている?」
 その言葉に対する反応は、シュラインが予想していたものとは違っていた。
 男は、少し驚いたような顔をして(ここまではシュラインも予想していた)そして、安堵の色を浮かべた。
「貴方は、その男性を知っているのですか」
「いま、私が勤めている事務所にいるわ」
 調べに出るとき、渋る草間に「武彦さん、お願いね」とだけ言って事務所に留まらせておいてあるのである。
 シュラインの言葉に、男は大きく息を吐いた。
「良かった」
「良かった?」
「困っていたんです。私が気付いたときには勝手に付いていってしまっていた」
「それは、香りのこと?」
「香りの元、と言ったほうが正しいのでしょうけれどね」
 男はそう言いながら、ひとつの香炉をシュラインに見せた。
「害はありません。嗅いでみてください」
 その言葉にシュラインはそっと香炉を手にとって、怪訝な顔になった。
 中に何も入っていないのだから当たり前ではあるのだが、それにしてもこの香炉からは、まったく何の香りも漂ってこなかった。
 新品というわけではないから、以前使っていた名残が敏感なものにならわかることもあるというのに。
「空っぽね、これ」
 シュラインの言葉に男は頷いた。
「中身は、貴方の元にいるという男性についています」
 私というより武彦さんになんだけれどという訂正はあえてせずに、シュラインは必要な話を聞きだすことにした。
「これは、何なの? 普通の香炉じゃなさそうだけど」
 外見は、何処の国のものともしれないデザインは除くとしても、陶器で作られたただの香炉に見えるが、何か曰くがあるのだろう。
 そう思い尋ねると、あっさりと男は答えた。
「作るときに、骨を混ぜてあるのです。人の骨を」
「骨?」
 眉を微かに寄せたシュラインに、男は小さく頷いた。
「その骨が覚えている人の記憶を、香りとして漂わせるのです。勿論、その思いも同時に」
 男の話によると、元々は家族や恋人──たまに趣味として他人が買うこともあったらしいが──が死んだ後も名残だけでも傍に置きたいと思ったときに作られていたものだったらしい。
 香炉によってもいろいろで、香りだけの場合もあればあまりに思いが強ければ姿も見えるものもある。
 勿論、草間のところに駆け込んできた男に降りかかった災難のように声や歌が聞こえるときも。
「あまり買う人はいなさそうだし、誰にでも買わせて良いものっていう気はしないわね」
「売り物として持っているわけではなかったんです。あの日はたまには日に当ててやろうと並べていたところにその人が覗きに来まして。困ったことに、何が合ったのか付いていってしまった」
「歌うことを生業としていた人なの?」
「歌うのが、ただ好きだっただけの女です」
 そう答えた男の顔には何処か悲しげな表情があった。
「依頼してきた男の人は、何処かに誘っていかれそうだとも言っていたけれど」
「そうでしょうね。だから、心配だったんです。関係のない人が巻き込まれてしまっては大変だと」
「……何処へ、誘う気だったのかしら」
 男は暗く、笑うだけだった。
「どうやったら、『彼女』を元の場所へ戻せるかしら」
 シュラインの問いに、すっと男は先程の香炉を差し出した。
「これを持って、名を呼んでやれば戻ってくるでしょう。巻き込んでしまって申し訳なかったとお伝えください」
「彼女の名前は?」
 男が口にしたのは、聞いたことも日本語、いや現存してる言葉には訳することが非常に難解な名だった。
「あなた、いつもここにいるのかしら」
「貴方がそれを望めば」
 香炉を受け取り、事務所に戻ろうとしたときに、シュラインはひとつだけ男に尋ねた。
「あの『彼女』は、あなたにとって特別だったのかしら?」
「私の恋人です。私が殺した、ね」
 それで男との会話は終わった。


3.
 事務所に戻り、露天の男に言われた通りにした途端、男は「あれ?」と怪訝な顔になった。
「……聞こえなくなった」
 そう言ってからも、また歌が聞こえるのではないかとしばらく男は不安そうになり、周囲を確かめたり耳を叩いたりということを何度か繰り返した後に、ようやく歌が本当に自分から去ったのだと確信してか安堵の表情を浮かべた。
「良かったじゃないか、そりゃ」
 草間の顔には多少疲労の色が見える。どうやら、ふたりきりになっていた間もずっと歌についての苦言を聞き続けていたのだろう。
「もう聞こえることはないと思うわ。関係のないことに巻き込んでしまってすまなかったと伝えてくれって言ってたわ」
「なんで俺に」
「波長が合ったって言うしかないわね。関係なくても、引力みたいなもので勝手に引き寄せちゃうことがあるのよ」
 男にとっては災難としか言いようがないが、解決できたのだから良しとしなければならない。
 と、シュラインは手に持っていた香炉に鼻を近づけてみた。
「おい」と慌てて草間は止めたが、ほんの微かになんとも表現のしづらい香りが漂ってきただけで、歌声のようなものはシュラインの耳には流れてこなかった。
 普通は、この香炉に縁のあるものにしか香りも歌も届かないのだろう。
「じゃあ、後は調査費等の請求だけだな」
 そう言って、必要なことを聞き終えると、男は事務所を後にした。
 来たときの追い込まれたような表情はまったくなくなり、晴れ晴れとした顔になっていたのは多分良いことなのだろう。
「……で、その香炉、返しに行くのか?」
「それは勿論。あの人には大切なものだもの。なんなら、武彦さんが返しに行ってくれる? 何かもらえるかもしれないわよ?」
 笑いながらシュラインがそう言うと、草間は「冗談じゃない」と手を振った。
 と、そこで草間が思い出したように口を開いた。
「その香炉は、恨み言を歌っていたっていうのは、合ってるんだよな」
「えぇ」
「じゃあ、誘っていたっていうのは」
 その先をあえて草間は言わなかったが、シュラインは「えぇ」と頷いた。
「なんだって、そんな香炉、ずっと持っているんだ? そいつは」
 草間のその問いに、シュラインは露店の男が見せた暗い目を思い出した。
「償いのつもりなのかもしれないわね。いつか自分がそちらに行くまでの間、ずっと彼女のことを思い続けて歌を聞き続けることが」
「生きている間、ずっとか?」
「えぇ」
「……ぞっとしないな」
 そう呟いたきり、草間は黙った。
 シュラインは、手に持っている香炉から、僅かに香りが強まったような気がし、そしてほんの一瞬だが、『それ』が聞こえたような気がした。
 言葉も旋律も聞いたことがない、暗い歌声だった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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0086 / シュライン・エマ / 26歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
NPC / 草間・武彦

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■         ライター通信                    ■
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シュライン・エマ様

2度目のご依頼、本当にありがとうございます。
『香水』という単語が含まれていましたので、『香水→香り』というものを使用して話を膨らませてみたのですが、お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝