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<東京怪談ノベル(シングル)>


休みの日には、猫と一緒に

 ぺち…。
 ぺちぺち…。
「うーん…」
 何か柔らかいものが頬をつつく感触に眠い目をこすっていると、目の前に猫の黒い肉球が見えた。枕元にある時計を見ると、まだ朝の六時前だ。
「んにぃー」
 一瞬自分の身に何が起こったのか分からず布団の中でぼーっとしていると、ふわっと漂ってくる味噌の香り…。
「はっ、今日も出遅れました」
 デュナス・ベルファーがとある縁で太蘭(たいらん)の家の離れに居候することになったのは、年が開けて程ない頃だった。その辺りに関しては色々とあったのだが、今語るべき事ではないだろう。
 服を着替えて、子猫…村雨(むらさめ)を抱き上げながら母屋の方に向かうと、居間の炬燵にいた猫たちがデュナスの顔を見てニャーニャーと声を上げる。
「…おはよう。今日は休みじゃなかったのか?」
「おはようございます。少し早起きして、お手伝いをしようと思いまして…」
 本当は、太蘭よりも早起きして朝食の準備をする気だったのだが、出遅れた以上それは言えない。村雨はデュナスの手からするりと飛び降り、足下にまとわりついてまた鳴く。
「じゃあ猫に餌をやったあと、冷蔵庫から鮭の切り身を出してくれないか?」
「はい」
 太蘭の家は猫屋敷だ。
 十二匹の猫がいるのだが、デュナスはどうも猫たちに『ちょろい奴だ』と思われているような気がしてならない。現に自分が来るまで猫たちは炬燵や居間で太蘭を待っていたのに、自分の顔を見た途端に餌をねだった。これはいつも要求に負けて、つい餌をやってしまう自分も悪い。
 キャットフードの入った密閉容器を開け、大きな木のさじですくって猫用の食器に入れると、それを待っていたように猫の鼻がデュナスの手をつつく。どうやら相当我慢していたようだ。
「美味しいですかー?」
 ……返事はない。
 つれない猫たちに溜息をつきつつ冷蔵庫を開けようとすると、太蘭がそんなデュナスに笑いかけた。
「猫たちはデュナスを気に入っているようだな」
「そうでしょうか」
 多分嫌われてはいないだろう。猫じゃらしで遊んでいても噛みつかれるようなこともないし、たまに猫の方から遊んで欲しそうな目つきをされることもある。廊下で繋がっている離れも、プライバシーが気になるなら普段は閉めきっていてもいいと太蘭に言われているのだが、何となく猫たちがいつでも来られるよう少しだけ戸を開けてある。
「嫌な奴の部屋には行かないだろう。さて、魚を焼いたら朝餉にするか…っと、村雨。魚は塩気があるから駄目だ」
「んにーぃ」
 餌を食べている猫たちから一匹離れた村雨が、じっとデュナスを見上げた。
「うっ…ダメです。あげません」
 この目つき。
 村雨は尻尾が二本ある猫又だ。だが、この家にいる以上は普通の猫として扱えと言われているので、塩気のある魚などをやることは禁じられている。だが、この好奇心いっぱいの子猫は人が食べている物に興味があるらしい。
「デュナス」
 きっぱりとした呼び声に、デュナスの背筋が伸びる。
「大丈夫です」
 猫の視線も痛いが、このミステリアスな家主の視線はもっと痛い。
「何だか毎日精神を鍛えられているような気がします」
 四つの瞳に見つめられながら、デュナスは冷蔵庫から出したばかりの鮭を手渡した。

「さて…と」
 朝食を終え部屋に戻ったデュナスは、デジカメとメモ帳を取り出してぐっと両手を握りしめた。いつもの休みなら部屋を掃除したり、ちょっと買い物に行ったりという感じなのだが、今日はやることがある。
 元々日本文化が好きで、大学でも日本文化を専攻していたほどの親日家なのだが、太蘭の家はそんな「古き良き日本文化」の宝庫だ。それらに関して大学の恩師にメールをしたら『是非写真などを送って欲しい』と言われ、今日の休日はそれに使おうと前から思っていたのだ。
「じゃあ、今日はよろしくお願いします」
「別に俺はいつもと変わらんが、それでいいのか?」
「ええ。いつも通りで…」
 そう言いながらデュナスは炬燵を別の部屋にやり、居間の掃除をしている太蘭を横目に台所に置いてある食器の写真をを並べ始めた。
 日本は食事を家族皆で取ったりと「家族」としての繋がりが深いのに、何故か箸や茶碗などは「個別」だ。デュナスがここに厄介になるときも、太蘭はどこからともなく青い染め付けの蓋つき茶碗と、黒塗りの椀を持ってきた。これはフランス人であるデュナスからすると。かなり興味深い。
「食器が別なのって、私達からすると不思議なんです」
「そうか。俺はあまり考えたことはないが」
 文化というのはそんなものだろう。自分もあまりフランス文化について深く考えたことはない。今思えば笑い話の一つだが、子供の頃『どうしてフランスに来る旅行者は、フランス語を覚えてこないのだろう』と思っていたことがある。自分の国の言葉に妙な自信があるのもフランス文化の一つだ。
 自分の食器や箸を撮った後は、掃除の手伝いだ。太蘭の家には掃除機がないので、掃除はほうきやぞうきんを使う。それもデュナスからすると、ものすごく楽しい。
「私は何をしましょう」
「そうだな…今日はぬか袋で廊下や柱を拭いてくれ」
 さらしの袋に入れられたぬか袋を渡され、きょとんとするデュナスに太蘭が説明をしてくれる。米ぬかの入った袋で木を拭くと、艶が出て長持ちするという。他にもそれで体をこすったりしてもいいらしい。
「お米は捨てるところがないんですね…」
 いつも食べているぬか漬けだけではなく、こんなに使い道があるのか。感心しながら廊下の方へ行こうとしたときだった。太蘭がなにやら考えながらこんな事を言う。
「刀を作るために『沸かす』時にも藁灰を使うな…デュナス、見てみたいか?」
 『沸かす』とは、日本刀を作る時に玉鋼や卸し鉄を一つの鋼にする事などを言うらしい。普段日本刀は気が向いたときにしか打たないと聞いていたので、その様子が見られると言うことに思わず目を輝かせる。
「見たいです。あ…でも、神聖な場所に私が入っていいものでしょうか」
「そこまで妙なこだわりはない」
 実は刀身彫刻などの様子も見てみたかったのだが、そこまで踏み込むのもどうかと思い、今まで言いあぐねていたのだ。見たいと思って見られるものでもないので、その申し出はとてもありがたい。
「あの…出来れば彫刻された刀身も見せて頂きたいのですが…」
 申し訳なさそうにそう切り出すと、太蘭がふっと笑う。
「分かった。刀だけじゃなくて押型とかも出そう。しまい込んでいてもどうしようもないから、人に見てもらった方がいい」
「ありがとうございます」
 そう言って頭を深く下げたときだった。ぴょんと何か軽いものがデュナスの背中に乗った。頭を起こそうとすると、それはきゅっと肩に爪を立てる。
「痛っ!ちょっ!降りてください」
「んにぃ」
 この特徴的な鳴き声は村雨だ。気に入られているのか、それともからかわれているのか…どうにもならずに頭を下げたままでいると、太蘭が近づくのを見てぴょんと飛び降りる。
「村雨は私が好きなんですか?」
 たたっ…。
 居間から逃げ出し、柱の隅からデュナスの顔をじっと見る黒猫をどうしてもきつく叱れない。二本の尻尾が悪戯っぽくパタパタと揺れているのを見て、思わず笑ってしまう。
「村雨」
 太蘭が一言名を呼ぶと、村雨は走って他の猫たちがいる部屋に行ってしまった。

 作務衣を着て頭に日本手ぬぐいを巻いた太蘭が、タタラ場で最初にしたのは神棚に御神酒や塩などを供えることだった。
「まずこうしてタタラや火の神にお供えをして、祈るところからだ」
 見よう見まねでやっていると、太蘭は何故かデュナスの頭の上をじっと見た。その姿は猫が時折何もいない場所を見ているようで、落ち着かない。
「な、何かおかしかったですか?」
「いや…何でもない」
 ものすごく気になる。
 思わず自分の頭に手をやるが、無論何かがいるわけでもない。
「それはそれとして、『沸かし』に入るか」
 それはそれとして。
 やはり何かいるのか、見えるのか。そう思うと急に頭が重くなるような気がしたが、太蘭が玉鋼を積み始めるのを見たら忘れてしまった。
「写真は撮っても…」
「好きなだけ」
 それだけ言うと、太蘭はテコ台に鋼を積み上げ始める。
 タタラ場の中は何だか不思議な雰囲気だった。凛とした緊張感が漂い、そこだけ外の世界から切り離されたような気さえする。
 自分が住んでいる場所のすぐ側にこんな世界がある。それは夢でも何でもない現実だ。
「………」
 写真を撮りながら、デュナスはその様子をじっと見る。
 本来刀の元になる時鉄(じがね)の鍛錬は数人で行うものだ。いや…日本刀自体、刀匠や研師、鞘師など何人もの手を経て作る物なのだが、太蘭はそれをほとんど自分でやってしまうという。
「……どうして他の人の手を入れないんですか?」
 その説明にデュナスが聞き返すと、急に眉間にしわをよせ太蘭は考え始めた。もしかしたら、聞いてはいけないことを聞いてしまったか…沈黙を妙に長く感じていると、視線がふいと自分に向いた。
「よく分からん。あまり考えたことがないから、聞かれると困る」
 職人気質なのか、ただ単に面倒くさがりなのか。取りあえず聞かなかったことにしておこう。
「すいません、変なことを聞いて」
「いや、いい。それより始めるか」
 後から教えてくれたのだが、今日の『沸かし』は日本文化に興味があるデュナスに見学させてくれるために軽くやって見せたもので、本当に日本刀を打つときは何日も籠もりきりになることもあるらしい。それに礼を言うと、太蘭は目を細めた。
「その時はデュナスに猫の世話を頼む気でいるから、気にするな」
 果たしてその時が来たら、猫たちは自分の言うことを聞いてくれるのだろうか…。

 その後風呂に入り、ちょっとした買い物に出た後で夕飯、その後で刀を見せて貰う…というのが今日の主なスケジュールだった。
「それ、美味しいですか?」
 夕飯の食卓で太蘭は自分の皿に鮒寿司を盛っていたのだが、デュナスはそれにも興味があった。匂いは少しあるが、自分の故郷で食べていたチーズよりはまだ食べやすそうな気がする。
「食ってみるか?」
 差し出された鮒寿司の輪切りを、デュナスはぱくっと口にする。独特の風味があってなかなか美味しい…と思うのだが、日本人でもこれは苦手な人が多いらしい。
「美味しいです。フランスのチーズにはもっとすごい香りのがありますから、それよりは全然」
「それはどれぐらいのものなんだ?」
 ……それはあまり食卓向きの話ではない。話題を変えようとデュナスは自分が学んだ恩師の話をし始める。
「あ…そういえば、私の恩師は『文化は食から』と言う人だったので、鮒寿司の話も喜ばれるかも知れません。これは向こうで食べたことがなかったんです。他には色々食べたことがあるんですけど…『ザザムシの佃煮』とか」
 それを聞いた太蘭がふと箸を置いた。
「それを食うのは日本の一部の地域で、珍味だ」
「えっ?普通に皆さん食べるものじゃないんですか?」
 無言で頷かれ、デュナスは箸を置いて頭を抱える。
「騙された!『普通に食べる』とか言ってたのに!」
「それを言うと、鮒寿司も珍味の類だが…デュナスが好きじゃない味だったんだな」
 こくこくと頷き、気持ちを落ち着けるためにみそ汁を一口。今日の具は豆腐と大根だ。
 味噌は好きだが納豆のネバネバした食感はちょっと苦手だという話や、鮒寿司の写真を撮ったりしながら時間は過ぎていく。
 そんな二人の横では、猫たちが丸くなって寝転がっていた。

「…『追伸。ザザムシの佃煮は普通に食べないらしいです』…っと」
 今日撮った写真などをパソコンに落とし、メールを書く。多分メールの返事には『鮒寿司を送ってくれ』と書かれるだろうから、冷凍で送る方法を考えなくては…そんな事を思っていると、デスクしたで白黒の猫が鳴く声がした。
「ニャー」
 これは国広(くにひろ)だ。自分に問いかけるようなその泣き声に、デュナスがにっこり微笑んでみせると、とことこと歩いて敷いてある布団を見てもう一度鳴く。
「もしかして『早く寝ろ』って言ってるんですか?」
 布団の側では国広が生んだ四匹の子猫と村雨が丸くなっていた。きっと国広から見るとデュナスは「子猫」と同じなのだろう。一度縁側に座っていたら、腰の抜けたスズメを渡されたことがある…多分「これで狩りの練習をしなさい」とでも言いたかったのだろう。その時のスズメはちゃんと空に返したが。
「ちょっと待ってくださいね。今寝ますから」
 今日も充実した一日だった。 
 メールを発送しながら満足げに一息ついた後、夕食後に太蘭から言われたことを思いだしデスクに肘をつく。
「暇なときにでも部屋に神棚を作ってやるって言ってましたが、何なんでしょう」
 それはタタラ場で、頭の上を見られた事にでも繋がっているのだろうか。何も言われないのがまた怖い。だがそんな思いも国広の鳴き声にかき消される。
「はいはい、明日も早いからそろそろ寝ましょうか」
 まあいいか。それよりも今は一生懸命鳴いている国広の方が気にかかる。
 枕元にあるライトをつけてから部屋の電気を消し、デュナスは布団の上に正座して今日一日の無事を、十字を切って祈った。
「今日一日に感謝します」
 布団に潜ってから猫が入れる隙間を開けると、国広や村雨が潜り込んでくる。そのふわっとした感触を確かめながらそっと目を閉じる。
 明日からまた出勤だ。
 でも、きっと明日もいい一日になるだろう。そして、次の休日も。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
休日の話で、色々と日本文化に触れて…というプレイングを見て、おはようからおやすみまでという感じにさせていただきました。実際に『沸かし』をするときは籠もりきりなので、今回はちょっと軽くやってます。
実際あんな家に住むと、毎日驚きの連続なのかなと思います。
何となく、デュナスさんは猫にいじられてそうなので、そんな描写も入れてみました。
リテイク、ご意見がありましたら遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。