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桜の木の下で
桜の木の下で
オープニング
桜が舞う。
ひらひら、ひらひらと。
一人の男がその桜の木下に居た。
男は泣いていた。
静かに、静かに涙をこぼしていた。
誰に見られようともかまうことなく泣いていた。
美しい黒髪を持つ、着物姿の男。
その美しい男の噂は水の波紋のように静かに広がっていった。
その噂がアトラス編集部の碇編集長の耳に入るにはさほど時間は要さなかった。
***
「さんしたくん、ちょっと頼まれてくれないかしら」
碇編集長の言葉に、三下は嫌な予感が頭の中を掠め、過ぎ去っていくことなく自分の頭の中にとどまったことに気がついた。どんなに嫌な予感が頭の中を掠めようとも、碇編集長の言葉を無視することはできない。無視したら最後、明日からは地獄の生活が待っているだろう。
ため息を吐き出しつつ、碇編集長の下へと歩いていった。
「なんですか?」
「これ、調べてきてくれないかしら」
碇編集長が三下に差し出したのは一つの書類。そこには桜の木の下で涙を零す男の噂が集約されていた。
「『なんでも屋』に収集してもらった情報よ……蝶鼓さん」
碇編集長は三下に話を振りつつ、一人の女性に声をかけた。三下は初めて、己のそばに見慣れない女性がいることに気がついた。彼女は、薄紫に近い絹のような髪を持ち、薄い緑色の瞳を持っている。蝶鼓と呼ばれたその女性は、旅館の女将のようなきれいなお辞儀をして、三下に微笑みかけた。
「はじめまして、『なんでも屋』事務員をしています、蝶鼓と申す者です。今回は取材に同行させていただくことになりました、よろしくお願いいたします、三下様」
「あ、えっと、はい。よろしくお願いします」
三下はあまり様付けされることになれていないためと、彼女がとても美しい女性だということに萎縮して、硬い動作でお辞儀をした。
そこに、碇編集長の声が割り込んでくる。
「じゃあ、さんしたくん、蝶鼓さんと一緒にこの男のことを取材してきてもらって良いかしら」
三下はそこではっとわれに返った。いくら美しい女性が同行するといっても、これはいつものような怪奇現象の取材だ。特に男は幽霊のようだというくだりが彼の頭痛を誘う。だが、仕事を行わないわけにはいかない。
「わかりました〜」
情けない声とともに、三下は同行する蝶鼓を眺めた。
***
「このあたりですね、三下様」
「そうですね」
蝶鼓の言葉に、三下はあたりを見渡した。そこは桜の名所と呼ばれるにふさわしい場所だった。幽霊騒動で花見客はいないものの、美しい桜が満開に咲いている。
二人は男の幽霊を探すために、歩き出した。
ひらひらと舞う、薄紅色の桜。
風が吹くたびに春の嵐が押し寄せる。
二人は歩き、そして、見つけた。
彼が、いたのだ。
ひときわ大きく、ひときわ美しい桜の下で、着物姿の男が涙を零していた。彼の体は半透明だったのですぐに彼がもうこの世のものではないということがうかがえた。
三下はいつもならば恐怖で萎縮してしまうはずなのに、男から目が離せず萎縮もしない自分に気がついた。
あまりに男が美しすぎたからだ。
邪悪な感じはまったくしない。
ただただ、そこに流れる空気は清浄で自分のほうがこの清浄な空気を汚す闖入者に思えてしまった。
言葉をつむげずにいる三下に変わり、男と同様に美しい蝶鼓が彼に声をかけた。
「こんにちは」
その言葉がそこに適切だったのかはわからない。ただ、蝶鼓の美しい声ならば、どんな言葉であってもそこに見合った物に変化するだろう。
男の視線が、二人を捕らえる。
「なぜ、こんなところで泣いていらっしゃるんですか」
蝶鼓がさらに男に問いかける。
男は不思議そうに二人を見た後、口を開いた。
「私のことを、怖いと思わないのですか」
「あなたからは邪悪な感じは受けません。ですから、あなたを怖いとも思いません。ただ、こんなところで泣いているあなたの力になりたいと感じました。私たちに、泣いている理由を教えていただけませんか」
蝶鼓がそういうと、男は頷いた。
「私の話を聞いてくださるんですね」
「はい」
「私の罪を、聞いてください」
男はそういって、贖罪するかのように話し始めた。
「私は、新撰組十番隊士でした。私にはお春と吉三という名の幼馴染がいました。私はお春が好きでしたし、吉三も私と同じくお春を好いていました。私たちが新撰組に入隊するとき、私はお春に気持ちを伝えられましたが、吉三とのことと、世のために入隊する新撰組という人きり集団に属するということで、私は彼女の思いを受け入れることができなかったのです」
男はいったん言葉を切り、涙を着物の袖でぬぐった。
「お春が、結核になったのを知ったのは吉三が脱走した時でした。病気のことを知った吉三が金策を行い、お春のために脱走を行い、それが新撰組の禁令違反だったので、吉三は切腹を命じられてしまいました」
そのときのことを思い出したのか、男は顔を覆うようにして激しく泣き出した。
「お春もその後にすぐ後を追うようにして」
二人は崩れ落ちた男を眺め、言葉をかけることのできない自分たちに気がついた。
三下も拳を握り締め、どうしてよいのかわからないようだった。
彼に初めて声をかけたのは、蝶鼓だった。
「触れても、良いですか」
蝶鼓の言葉に、男は泣きながら頷いた。
「失礼します」
蝶鼓は一応断ってから、男に触れた。しばらくそのまま男に触れており、次の瞬間目を開いたとき、彼女の表情には笑顔が広がっていた。
「三人で聴いた曲、再現させていただきます」
蝶鼓はそういって、雅楽を演奏し始めた。
その場に、静かな湖面のような曲が流れ始めた。
澄み切っており、美しく流れる曲に三下も瞼を閉じて聞き入った。男は、泣くのをやめ、顔を上げると彼女を見た。
すると、
その場に満ち溢れた音楽に誘われるように、二つの影が空から降り立った。それは男と女で、彼はそれを見ると驚愕に目を見開いた。
「お春、吉三」
「どこに居るのかわからなくて、だいぶ探しちゃった」
「行こう、我々の行くべきところへ」
二人は彼に優しく手を差し伸べる。男はその二人の手を両手でしっかりと握り締めた。
曲が終わったとき、その場に居るのは三下と蝶鼓だけだった。
「よ、よかったですー」
三下は男の話と先ほど目の前で繰り広げられた光景に対して、涙を流していた。鼻をかみ、それを見ていた蝶鼓は三下に微笑を向けた。
「帰りましょうか」
ここに一つ、美しい物語が完結した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【6915/雪夜星・蝶鼓/女性/27歳/神官 風雅楽士】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして。
摩宮 理久です。
今回初の発注でしたが、いかがでしたか。
少々遅れてしまいすみません。次もよろしくお願いいたします。
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