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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

「冥月さん。はい、どうぞ♪」
 とある日の午後。
 黒 冥月(へい・みんゆぇ)が、いつものように蒼月亭のカウンターでコーヒーを飲んでいると、従業員の立花香里亜がいきなり二つの包装を手渡してきた。一つはシンプルな袋に大きなリボン、もう一つは小さな箱に入って可愛らしいピンクの包装紙とリボンでラッピングされたものだ。
「これは、何だ?」
 持っていたカップを一度置き袋の方を開けてみると、中には黒一色で編まれたセーターと、黒は黒だがふわふわのモヘアに、キラキラとしたビーズや糸が編み込まれたマフラーが入っていた。マフラーは縄編みや模様編みを駆使した可愛らしい作りだが、冥月の好みからはかなり遠い。
 そのマフラーを手に取りあっけに取られていると、香里亜はくすっと笑いながらトレーで顔を半分隠しながらこんな事を言う。
「感謝の気持ちもありますけど、渡しておいた方が良いかな…って」
 盆でも正月でも、まして誕生日でもないのにどういう事だろうか。
 訝しげに首をかしげつつ冥月が受け取ると、カウンターの中にいるナイトホークと少し離れた場所でコーヒーを飲んでいる草間 武彦(くさま・たけひこ)が、何だか妙な笑顔を浮かべている。それはそれで何だか気味が悪い。
「全部手作りですよ」
「ああ、ありがとう…」
 冥月がそう言った刹那…。
 バン!という音と共に、入り口のドアベルがけたたましく鳴った。ドアを大きく開けたせいで、店の中に冷たい風が一気に流れ込んでくる。
 そのあまりの勢いに思わず顔を向けると、そこにいたのは冥月が以前助けた事がある伊藤 若菜(いとう・わかな)という女子高生だった。
「いらっしゃいませ、蒼月亭にようこそ…」
 流石のナイトホークも煙草をくわえたまま、目を丸くした。開けっ放しのドアを、武彦がそーっと閉める。
「ごきげんよう、皆様」
 外が寒かったのか、若菜は鼻の頭と頬を赤くしながら、冥月の側につかつかと歩いてきて、手に持っていたバッグから包みを取り出し両手で差し出した。
「黒薔薇様、これが私の愛の証です!」
「……は?」
 若菜が差し出したのは何か柔らかそうな物が入った包みと、金色の紙袋…ゴディバのチョコレートだ。愛の証はどうでもいいが、食べ物は粗末に出来ない。
「ああ…」
 今日は何だか妙な日だ。差し出された袋を思わず冥月が受け取ると、近くにいた香里亜がばっとそこに視線を向ける。
「冥月さん、受け取るんですか?」
「は?」
 大げさに驚かれた事に驚き、冥月はナイトホークの方を見た。クリスマスでもハロウィンでもないのに、どうして二人から同じように何かを渡されるのか、本当に分からない。
「……冥月、これこれ」
 コンコン…と音を立て、ナイトホークが指し示したのは二月のカレンダーだった。
 今日は二月十四日。そこには『聖バレンタインデー』と書かれている。
 そういえば、そんな行事もあったような気がする。蒼月亭で開かれるチョコレートパーティーの事は覚えていたが、自分には全く関係ない行事だと思っていたのでそんな事を失念していた。
「もしかして、お前本当に分かってなかったのか?」
「……ああ」
「男なら気にしとくところだろ」
 普段の冥月であれば、そんな武彦の言葉に裏拳の一発も叩き込むところなのだが、自分の目の前で香里亜と若菜が睨み合っている方が、今は悩みどころだ。カウンターの上に置かれたピンクの箱を見て、若菜がふふんと得意げな表情をする。
「その小さな箱、もしかしてチョコレート?」
「そうですよ」
「小さくてよく分からなかったわ。そんなの食べさせて、黒薔薇様に何かあったらどうするのよ」
「……手作り出来ないからって、ひがまないで下さい。このお店のお菓子は私が任されてるんですから」
 香里亜も負けていない。
 何というか…こういうときはどうしたらいいのだろう。座っている冥月を間に、こんな緊迫感のある状態になるとは思っていなかった。しかも何か助け船を出してくれれば良さそうなものなのに、ナイトホークと武彦は煙草を吸いながらひそひそと話をしている。
「バレンタインは、もっと嬉しいもののはずなのに…」
「仕方ない、マスター。俺らがそれを言ったら負けだ」
 だったらこのど真ん中に立ってみろと言いたい。
「………」
 誰かこの状況を何とかしてくれないものか。戦えるものであれば軽く去なして終われるが、好意だという事はよく分かっているので、無下に冷たくする事も出来ない。
 多分さほど時間は経っていないのだろうが、永遠かと思えるほどの沈黙が続いたときだった。
 カラン…。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 客が来た。これで二人とも睨み合いをやめてくれるだろう。少しほっとして、風が入った方を見ると、そこには長い黒髪にタイトスカートの女性が立っていて、冥月の姿を見てにこっと微笑んでいる。
「お久しぶりです、冥月師。つまらないものですが、受け取ってくださいませ」
 ……全然助けになっていない。
 彼女は篁(たかむら)コーポレーションの『Nightingale』という組織に所属している葵(あおい)という名の少女だ。冥月と一緒に仕事をした事があり、その時から師と仰がれている。
「受け取って…はいいが、どうして今日なんだ?」
 何も今日でなくてもいいのに、何故バレンタインを選んで持ってくるのか。
 香里亜と若菜の痛い視線に耐えつつ、葵に差し出されたチョコの包みを思わず受け取りながらそう聞くと、こんな答えが返ってきた。
「雅輝(まさき)様が『今日はバレンタインだから、あげるときっと喜ぶ』とおっしゃいましたので」
 葵が言った雅輝とは、篁コーポレーションの社長であり、『Nightingale』の長だ。葵と一緒に仕事をする事を頼んだのも雅輝だが、まさかこんな戯れ言を吹き込むとは思ってもいなかった…いつか殺そう。
「………」
「…………」
 完全な三竦みになってしまった。
 香里亜と若菜だけでも困りものなのに、そこにプライドの高い葵が加わってしまったのでは、もう冥月にはどうしようもない。
 じりじりとした緊張感に、ジャズの旋律が重なる。
 いつもなら「まず座ってコーヒーでも飲みなよ」と言うナイトホークでさえ気まずそうにボトルを拭き、茶化す事で空気を変えてくれる武彦も黙って煙草を吸っている。
 そのバランスを崩したのは、若菜からだった。
 若菜は冥月の腕を取り、そこに抱きつきながら香里亜と葵に向かってこう言う。
「私は黒薔薇様を愛してます!」
 こんな堂々と愛を語られたのは初めてだが、その「黒薔薇様」という呼び名はやめて欲しい。あまりの出来事に冥月は軽く目眩を覚える。すると掴んでいた若菜の手を、葵がぴしゃりと叩いた。
「尊敬する師に対して汚らわしい!その手を離しなさい」
 今度は葵と若菜の睨み合いだ。そこに香里亜がぎゅっと両手で握り拳をつくり、ぴょんぴょんと小さく跳ねる。
「わっ…私だって私だって、冥月さんの恋人で弟子なんですーっ」
「なっ……」
 普段の香里亜ならこの状況を見て、そっと冥月を助けてくれたのだろうが、どうやら二人が睨み合った事で蚊帳の外にやられたと思ってしまったらしい。ずっこけそうになるのを気力でカバーし、顔を上げるとナイトホークが香里亜に一生懸命手を振っている。
『そこで煽ってどうする!』
 それは声にはなっていないが、精一杯のツッコミなのだろう。
「………」
 またさっきの睨み合いに戻ってしまった。
 これはいつまで続くのか。もしかしたらどこかのおとぎ話のように、ずっと睨み合ったまま続くのではないだろうか。何とかしてくれ…そう思って冥月が溜息をつくと、葵がその様子に気付いたように目を伏せた。
「私は邪な気持ちではありません。冥月師にはご恩があるので、その気持ちをお伝えしたかっただけなんです」
 その恩は気位が高く自信過剰な葵に経験を積ませたいと、雅輝から受けた仕事での事だったのだが、葵はそれを本当に感謝しているらしい。聞いているだけで背中が痒くなるような賛辞で冥月の活躍を褒め称えている。
「あの時の冥月師は、戦いの女神そのものでしたわ。私などお近づきになるのも畏れ多いぐらいで…」
 そこまで偉い者ではないし、そもそも元はと言えばそれすらも雅輝の策略の一つだ。本当はそれを教えてやりたいのだが、依頼者の秘密は守らなければならないのが辛い。
 それを聞いた若菜は、胸の前で指を組み目をキラキラさせる。
「流石黒薔薇様ですわ。私が不良に絡まれていたときも、颯爽と現れ助けてくれて…もう、あの時の黒薔薇様をあなた達に見せられないのが残念で!」
 それは大げさだろう。
 あの時も、たまたま気まぐれで助けただけなのだが、それが若菜には「白馬に乗った騎士」に見えたらしい。きっと若菜の目を通したフィルターには、黒い薔薇の花びらも散っていたのだろう。
「………」
 その乙女の妄想たっぷりの褒め言葉は、痒いを通り越してじんましんが出そうだ。悪口を目の前で聞かされる方が、感情を発散させられるぶん、まだ疲れないのではないだろうか。
 二人がそう言っているのを、香里亜もうんうんと頷きながら聞いている。
「冥月さんって一見素っ気ないんですけど、後からちゃんと優しい言葉をかけてくれるのが嬉しいんですよね」
「そうですわ!」
「そうなのよ!」
 何だか妙な雰囲気になってきた。今までは血の雨が降りそうな睨み合いだったのが、お互い張り合いつつも、だんだん和気藹々とした空気が漂ってくる。
 そのど真ん中にある話題は『冥月への褒め言葉』だ。
「冥月師と仕事が出来て、私幸せでしたわ…」
 そんな事言わないでくれ、痒い。
「あら、私なんて黒薔薇様に、クリスマスマーケットでスープをご馳走になったんだから…素敵なお姉様よね」
 あれは流れ的にそうなっただけで…あと、お姉様になった覚えはない。
「ふふふっ…皆さん甘いです。私、一緒にお風呂入っちゃいましたし」
 香里亜も煽るな。
「………」
 褒められるのがこんなに身もだえて、ぐったりする事だとは思わなかった。
 褒め殺し…という言葉があるが、確かに大勢に囲まれて褒め称えられた方が精神的拷問として効果がありそうな気がする。
「美人な上に素敵で」
「お強くて」
「憧れですよねー」
 盛り上がる三人を横目に、冥月はそーっと移動した。スタイルが良いとか、流れる黒髪が綺麗だとか、優しいとか、そういうのは出来れば自分の聞こえないところでやって欲しい。
 いつもなら「モテモテで羨ましいなぁ」という武彦が、冥月を見てぼそっとこう言った。
「……お疲れ」
 どうやら本気で同情されてるらしい。カウンターの中のナイトホークも、何だか可愛そうなものを見るような目で首を横に振っている。
「すまん、帰る…」
「ああ、コーヒー代はチャラでいいから」
 いくら精神的に強くなる訓練をしていても、これはちょっと、無理だ。
 ドアを開けずに冥月はスッと影の中に消えていく。無論、貰ったチョコレートなども一緒に。
 しばらくわいわいと冥月について話していた香里亜が、何かに気付いたように冥月が座っていた椅子に顔を向ける。
「で、冥月さん誰のチョコレートを貰うんですか…って、あれ?」
「黒薔薇様?」
「冥月師?」
 そこには、半分残ったコーヒーカップがぽつんと置かれているだけだった。

「さて、どうしたものか」
 三つのチョコレートと、マフラーが二本。そしてセーター。
 セーターは冥月の注文通りにシンプルだが、モヘアにビーズのマフラーはちょっと外にしていけない。若菜が作った方のマフラーは、白にピンクでハートが編み込まれている。
「これを外にしていくぐらいなら、何も着ないほうがマシだ…」
 取りあえず気持ちだけは受け取っておこう。もらってしまった物を捨てられないのが冥月の性格だ。
 チョコレートは香里亜が作った手作りの生チョコに、若菜がくれたゴディバのバレンタインギフト、そして葵が持ってきたしっとりとしたチョコケーキ。それを目の前に全部並べ冥月は一口ずつ口に入れる。
「まあ、バレンタインだからな」
 とはいえ、これを全部食べきるのには時間がかかりそうだ。
 ほろ苦く甘いチョコレートを口で溶かしながら、冥月は愛の重さと厄介さをひしひしと感じていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
バレンタイン狂想曲…という感じのプレイングから話を書かせて頂きました。三人の女の子から、熱烈にチョコをもらって頭を抱えている様子が目に浮かびます。若菜は既に草間氏とナイトホークは目に入っていないようで…。結局全部食べるところが優しさで、そのあたりがモテる原因なのかなという感じです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。