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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


気感


 太陽は昇り、沈む。その次には月が出て、やっぱり沈む。その繰り返しが頭上で為され、時間の経過を伝える。
「なんだかんだいって、もう一年なんだよね」
 冴木・紫(さえき ゆかり)は、そう言って大きく伸びをする。既に、それらの営みは何度も何度も目撃している。一年というと、単純計算でいうところの365回。よくもまあ、飽きずに繰り返すものだと関心すら覚える。
 今、オカルトを中心としたフリーライターである彼女が生息しているのは、草間興信所や月刊アトラス編集部といった「オカルトの宝庫」のある東京……ではなく、自らの実家だ。
「そりゃね、確かに生活するにはいいんだけど」
 何しろ、毎食ちゃんとご飯が食べられる。朝からバターのたっぷり塗られたトーストとサラダ、コーヒーが出てくる。ヨーグルトやフルーツといった、デザートまである。「これが一番安くておいしいんだよね」とかなんとか言いながら、パンの耳を食べる必要は何処にもない。ビン底に残った僅かなジャムも、必死になって取らなくてもいい。
 昼食と夕食も、栄養バランスや量を考えられた完璧なメニューだ。当然のごとくデザートまできっちりついている。「今日は自分へのご褒美として、思い切ってミカンの缶詰開けちゃおう!」なんていう、つつましい贅沢は必要ではない。何かご褒美的なものを食べたいとリクエストしたならば、分厚く切られた甘いメロンが出てくる可能性だってある。
 それも、網目のメロン。
 食べ放題だとか、人様からもらっただとか、そういう数少ない機会でしか食べられないメロンが。
「人にご飯をおごってもらう必要もないし」
 何かしらネタを見つけるたびに「なら、ご飯おごりね!」というのが口癖にもなりかけていた。むしろ既に、口癖になっていたかもしれない。
「夕方のタイムセールを赤ペンでチェックしなくてもいい」
 宣伝をくまなくチェックし、タイムセールや特売品があれば必死になって買いに行っていた。1円10円が、運命の分かれ道だったから。
「時々、無駄遣いだってしてたけどね。でも、無駄というよりもあれは必要なものだったし。後で経費として請求しちゃったりしたし」
 紫はそう言いながら、ちらりと鞄からちらりとはみ出している黄色い顔を見た。黄色いボディに、山吹色のくちばし。目はきらきらと星が輝き、ちょっとした前髪がついているチャーミングな顔。因みに押すと、ぴゅーと鳴る。
 お風呂のアヒルちゃんだ。
 以前受けた依頼で購入したものだが、今でもお風呂の友として大事にしている。もちろん、必要経費として請求したが。
 どの思い出もたかだか一年くらい前の話なのだが、ずいぶん昔のように感じられた。
 紫は「でも」といい、ぐっと拳を握り締める。
「もう限界。もう無理。はい、却下!」
 力強く言い放つと、紫は鞄の中に荷物をつめ始めた。何度も「やっぱりね、無理」と呟く。
 突然本家に呼び出しがかかり、仕方なく戻った。だが、用事はとっくの昔に終わった。ならば、もういいはずだ。
「何処に行くの?」
 鞄に詰め込む中でかけられた言葉に、紫はぎくりと体を震わせる。ゆっくりと振り返ると、そこには紫を呼び出した張本人である、冴木・煉華(さえき れんか)がいた。
「ね、ネーサン」
「まるで家出するみたい」
「まあ、その通りだし」
 紫の言葉に、煉華はため息をつく。
「いい加減、承諾すれば?」
「承諾って?」
「だから、うちに伝わるもんを受け取るっての」
 煉華の言葉に、紫は「うーん」といって、ひらひらと手を振る。
「いらないいらない。ああいうのって、上から順番にとってけばいいし」
「上から順番?」
「そうそう。そしたら、ニーサンネーサン、はい終わり!」
 紫はそう言い、指折り数える。冴木家に伝わる力は二つだから、兄と姉がとっていけば紫の手元には残らない。
「そう言って、前も逃げたよね」
「え、そうだっけ?」
「うん、そう」
 とぼけようとする紫に、煉華はあっさりと結論を下す。かれこれ、同じような問答が一年以上続いているのだ。
 煉華は、冴木の力を紫に継承させたかった。二つあるうちの一つは、既に紫の兄へと継承されている。残り一つは、今は煉華が継承しているものの、煉華自信は紫こそが継承するべきだと思えてならない。
 冴木の力は、炎。
 本来ならば、その炎を継承しなければ使えないはずの炎術を、紫は使ってみせるのだ。わずか指先に火を灯すだけとはいえ、何も継承していない段階でそれを可能にしているのである。
(もしも、紫が炎を継いだら)
 煉華は考える。
(今の私を容易く凌ぐ力を使うようになる)
 炎を継承すべきは、自分ではないのだと煉華には思えてならない。今、僅かな炎を灯すならば、炎を継承したならばどれだけ強大な力となるか。
 煉華はじっと紫を見る。紫は煉華の視線に気にすることも無く、鞄に荷物をつめ終えたらしく、チャックを「ジジジ」と音をさせながら閉める。
「じゃ、そういう事で」
 よいしょ、と掛け声をかけながら紫は鞄を持って立ち上がる。
「どうしても?」
「うん、どうしても」
 紫がまっすぐと煉華を見つめた。眼にはゆるぎない決心が込められている。
「……送ろうか」
「え?」
 突如発せられた煉華の言葉に、紫は怪訝そうに尋ね返す。
「だから、車で送るよ。大きな鞄で、徒歩はきついでしょ?」
 煉華に言われ、紫は自らが持つ鞄を見る。確かに、ずっしりと重みがある。
「それじゃあ、送ってもらう」
 紫はそう言い、まっすぐに玄関へと向かう。
 煉華が当主になってから、本家は都内へと移動していた。都心から少しだけ外れた閑静な場所に建てられている為、徒歩で都心に向かうのは意外としんどい。ここは、素直に甘えるが吉と思ったのだろう。
「表札くらい出さないの?」
 車を出しに向かう煉華の背中に、紫は問いかける。目線の先には、表札も何も無い門柱がある。
「そういうのは、必要な人だけ分かればいいんだから」
 車に乗り込みながら、煉華が答える。紫は「ふーん」と言いながら、邸宅を振り返る。
 煉華の趣味で、近代的なデザインとなっている邸宅を。
 ぼんやりと眺めてみると、車庫から車が出てきた。紫は後部座席に鞄を押し込み、自らは助手席へと乗り込んだ。
「忘れ物はない?」
「うん、多分」
「ま、あったら取りに来ればいい」
「そりゃそうだけど」
 紫はそう言い、苦笑する。煉華はハンドルを握り、口を開く。
「本当に、継がないの?」
「まだ言ってくるんだ」
 未練がましく言う煉華に、紫は思わず吹き出す。
「だって、そうだろう。私よりも、紫のほうがよっぽど」
「じゃあ、逆に聞くけど。もし私が継いだら、ネーサンどーすんのよ?」
 紫派煉華の言葉を遮り、逆に問った。煉華は少しだけ考え、きっぱりと口にする。
「ギャンブラーやる」
「じゃ、やっぱいらない」
 紫はくすくすと笑いながら答える。煉華は至って真面目に答えたのだが、あっさり紫に却下されてしまった。
「ギャンブラー、いいと思うんだけど」
「よくないって。ネーサン絶対向いてないし」
「そんなことは無い。勝負は勝つまでやっている」
「その時点で、負けてる方が多そうなんだけど」
「いや、好きなものこそ上手なれ、という。私はギャンブルが好きだからな」
「残念ながら、下手の横好きっていう言葉もあるんだけど」
 煉華の言葉をことごとく却下し、紫はくつくつと笑った。煉華は「何を」と言ってにっと笑う。
「ギャンブラーは私にあっていると思う」
「あー間違い間違い」
「意外とあっているかもしれない。だから、紫が継げば」
「残念だけど、私、絶対継がないからねー。ネーサンはギャンブラーにはなれない」
 けらけらと笑いながら紫はそう言った。そんな紫を見、煉華は苦笑する。
(一年、かけたんだけど)
 本家に紫を呼び戻し、一年かけて説得をした。紫には炎の力を継承するに相応しいのだと、何度も何度も。
(でも、紫は頷かなかった)
 あれだけしつこく言っていれば、一度くらい頷くかとも思っていた。しかし、紫は頑として首を縦に振らなかった。
 ただの一度も。
(私には、何があるとは分からないけど……紫にはあるんだろう)
 紫が炎を継ぐ事を拒否する、そしてまた帰りたいと切望するだけのものが、紫が住んでいた街にあるのだろう。
 失いがたい、何かが。
 だからこそ紫は帰りたがる。継承を断り、街へと。
 現に、街へと帰る紫の表情は、きわめて明るい。始終笑顔で、煉華と楽しそうに話している。
(一体、何があるんだろうな)
 明るい表情の紫を横目で見、煉華は考える。
 車は順調に街に向かっており、もう少しすれば着いてしまうだろう。紫にとって、失いがたい何かがある街へ。
「あー、久しぶり」
 紫はそう言い、車の窓から外を見つめる。懐かしそうに眼を細め、嬉しそうに口元を綻ばせている。
 煉華は小さな声で「仕方ないか」と呟いた。
 煉華には分からなくとも、紫にはあるのだから仕方ない。街にある、大切な何かが。
 しばらく進み、紫は「ここでいい」と言ってきた。煉華は辺りを見回し、車を止めても大丈夫そうなところに止めた。
 紫は足取りも軽く助手席から飛び出し、後部座席に置いていた鞄を取り出した。
「送ってくれて、有難う。ネーサン」
「どういたしまして」
 煉華が言うと、紫はにっこりと笑って手を振る。
「それじゃ、またねー!」
 その笑顔に一瞬圧倒され、だがすぐに煉華は顔を緩めた。手をひらひらと振り、紫に「またね」と言い返す。
 永遠の別れでもなんでもない、また近い内に会う為の挨拶だ。
 煉華はしばらく紫が街へと溶け込む様を見つめた後、停車する時に押したハザードボタンを再び押した。
「またね、紫」
 再び煉華はそう言うと、アクセルを踏んだ。紫の住んでいる街から、自分が今住んでいる本家へと戻る為に。


<どこか嬉しい気持ちを感じ・了>