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<東京怪談ノベル(シングル)>


紅梅花宴



 冬晴れの広がる早朝のことである。
 その日、藤宮永はとある駅の改札で綜月漣を待っていた。
 二月も半ばを過ぎたからだろう。既に身を切るような寒さはなく、家々の庭先に植えられた紅梅が咲き乱れて、甘やかな香りを周囲に放っている。永はその香りに春が近い事を感じつつも、駅舎に備え付けられた時計へ視線を向けると、溜息交じりに言葉を零した。
「……なにしとんねん漣さんは。遅過ぎや」
 待ち合わせをした場所は観光地として名を馳せているが、実際には木造の小さな駅舎があるばかりで、改札のすぐ目の前には昔ながらの街並みが広がっている。列車が来る度に多くの旅行客が永の横を通り過ぎて各々の目的地へと向かっていくのだが、漣が列車から降りてくる気配は一向に無い。約束の時刻はとうに過ぎ、幾つ列車を見送ったのかさえ、もう数える気にもなれなかった。
「約束しておいて一時間近う遅なる漣さんの気がしれんわ」
 漣ののんびりとした性格は今に始まった事ではない。だが座る場所もない改札で待たされるこちらの身にもなって欲しかった。これで漣がのほほん笑顔で改札を出て来ようものなら、自分は間違いなく漣をどつくだろう、などと思いながら、永はふと先日の出来事を思い起こした。


 年の瀬に起きた掛軸事件を肴に漣と酒でも飲もうかと、永が綜月邸へ足を運んだのは一月の終わり頃だった。
 出迎えた漣が妙に楽しそうな笑顔を見せた瞬間から嫌な予感はしていたのだが、通された客間へ足を踏み入れた瞬間、正面の床の間に掛けられた軸を見て永は我が目を疑った。
「何故、まだこれが……?」
 思わず疑問が口をついて出てしまう。
 客間に鎮座していたのは、なんと先日の掛軸だった。
 永のしたためた文字が添えられているから、それが元絵ではなく「喋る掛軸」の方だということは容易に察しがつく。安眠を妨害されたと不機嫌極まりなかった漣が、何故いまだに軸を依頼人に返していないのか永には理解できなかった。
 そんな永をよそに、漣は苦笑交じりにこう答えた。
「元絵は有難く受け取るが、喋る軸の方は後生だから貰ってくれと言われてしまいましてねぇ」
 依頼人自身、この軸が安眠妨害の種になる事は目に見えていたのだろう。依然喋ることを止めない軸を見た途端、受け取りを拒んだらしい。なんとも我侭な依頼人だが、漣がなんの躊躇いもなく「はいそうですか」とこの厄介品を受け取るとは到底思えなかった。
「また寝不足になっても、私はもう知りませんよ? 漣さん」
 永は半ば呆れたように漣へ言葉を放った。すると、漣は悪戯を仕掛ける前の子供のような笑顔を見せながら、永へとんでもないことを言い出した。
「ですが喋る軸などそう滅多な事では手に入りませんしねぇ。折角お手伝い頂いたことですし、お礼も兼ねて永君に差し上げようかと思いましてね」
 嘘か真か。漣の言葉に、永は冗談ではないとばかりに首を横に振って返す。
「いらんがな。まさかそれ言うために持ち帰ったんとちゃう……やろな」
 咄嗟のことで、普段決して外に出さない関西弁が思わず口をついて出てしまう。
 永は思わず自分の口元へ手を当てると、努めて冷静を装いながらも漣の様子を伺った。
「ははは。冗談ですから安心して下さい。実は貰い手がいましてねぇ、宜しければ今度そちらへご一緒しませんか」
「……別に、構いませんが」
「では後日連絡致しますよ……ところで永君」
 そこまで言うと、漣は至極楽しそうな笑顔を浮かべて永の方へと向き直り、
「ご出身は関西でしたか?」
 そんな問いを投げかけて来たのだった。


 あれは流石にうかつだったな、と永は思い出しながら苦笑する。後でいくらでも言い繕う事は出来たのだが、今更漣を相手に本性を隠したところで無意味なように思われて、それ以降関西弁を改める気は無くなっていた。
「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ……そんなところやな」
 まぁええか、と呟きながら永が軽く笑った時だった。
「狂うとはまた、面白い事を言いますねぇ」
 間の抜けた声で呼びかけられて、永はおもむろに声の主へ視線を向けた。案の定、漣がのほほんとした笑顔を浮かべながら、大きな荷物を抱えてその場に佇んでいる。永は一度時計を見た後で、溜息交じりに言葉を返した。
「いつまで待たせる気ぃや。日が暮れてまうで?」
「申し訳ありませんねぇ。こちらの方々が桐箱に仕舞われるのを嫌がって抵抗するものですから、時間を取られてしまったんですよ」
 漣が風呂敷に包まれた細長い荷物を軽く叩くと、途端に中から小さな声が聞こえてくる。件(くだん)の軸が中に入れられているのだろう。
 漣は「もう少しですから、静かにしていて下さいねぇ」と軸へ声をかけると、永を促すようにのんびりと歩き出した。
「こちらから大体20分ほどです。少し歩きますが宜しいですか?」
「ええですよ。梅も見頃やし天気もええし……ところで行き先はどちらです?」
「僕の知り合いのお宅なのですが、とにかく風変わりなものを集める事がお好きな方なのですよ。今回も軸の話をしたら是非譲り受けたいと申し出て下さいまして」
「それはまた。酔狂なお人がいてるんやな」
 類は友を呼ぶというのもあながち嘘ではないようだ。自分もその中の一人に入ってしまうのかという疑問は頭の端に放置して、永は感心したように両腕を組んだ。
「まぁ、平凡よりは非凡の方が人生楽しいでしょう。それにしても、僕は永君が関西弁を話すという事の方に驚きましたよ」
 先日までのすました永君は何だったのでしょうかねぇ、と漣が笑う。
 驚いたというわりに、自分を敬遠する事もなく何故関西弁を使うのかと口やかましく聞いてくることもしない漣に、永はどこか心地の良さを覚えた。
「さっきの……閑吟集の一節なんやけど。びくびくと、したり顔をしてつまらない一生を送るよりは、ただひたすらに『狂う』ように集中して生きろ……それが私の解釈なんですわ。せやから、漣さんの相手するんは『つまらん事』やあらへんし――ほんまの私でおったが、ようけ面白そうや思て♪」
「なるほど。お褒めの言葉として受け取っておきましょうかねぇ。永君の地金を見られるわけですし」
 東京弁の永君も腹黒さが見え隠れして中々面白いのですがと笑う漣に、永はすかさず「漣さんこそ腹黒やないですか」と言って返した。


*


 漣に案内されて辿り着いた場所は、小高い丘の上に建てられた古寺院だった。
「『お宅』言うから、個人宅や思とったんですけど……お寺ですか」
「ご自宅が敷地内にありますからねぇ。寺も家も似たようなものだとご本人が仰っていましたよ」
 観光スポットからは完全に外れているらしく、周囲に人の姿は見えない。木々が多いせいだろうか。本堂へと続く長い階段を上っていくと、次第に空気が澄んでくるのがわかった。陽光が樹木の合間から斜めに降り注ぎ、段上へ柔らかな陽だまりを作っている。上空を飛び交う小鳥の囀りが周囲に木霊するのを耳にしながら、永は寺を包み込んでいる独特な空気に触れて、思わず深呼吸をした。
「ええ場所やな。大きなお寺も確かにええねんけど人が多くてかなわん。ここは穴場ですわ」
「そうですねぇ。表門も確かに静かで良いのですが、この時期は庭園が一番綺麗ですよ」
「庭園ですか?」
 長い階段の末に漸く姿を現した木造の表門を潜り抜けながら、永が漣の言葉を反芻した時だった。
「……ああ。ようやっとおいでになられた」
 低く穏やかな声が響いて、永がおもむろにそちらの方へ視線をむけると、そこには墨染めの僧衣を身に纏った老僧が佇んでいた。言葉尻から察するに、随分と前から外に出て二人が来るのを待ち構えていたのだろう。住職は二人を見留めて満面の笑みを浮かべている。
 漣は「軸をご所望されている方ですよ」と永に声をかけた後、住職へと歩み寄った。
「お久しぶりですねぇ。元気にしておられましたか」
「なぁに、この通りピンピンしておりますよ。綜月さんから御軸を頂けると聞てからはもう、御勤めどころではありませんでしたからな」
 歯を見せながら豪快に笑っている住職を見て、永は思わず呆気に取られた。読経をサボる坊さんが居ていいのか、と思わず突っ込みを入れたくなってしまう。どこで知り合ったのかは解らないが、流石は漣の知り合だと永が二人を眺めていると、不意に住職と目が合った。
「そちらのお若い方はどちらさんですかな?」
「元の軸からご老体二人をこちらの軸に移し込んで下さった方ですよ。書家の藤宮先生です」
「ああそうでしたか。あなたさんがこちらの御軸を」
 感心したように住職が呟く。永は話題を振られると、思考回路を東京弁に切り替えて静かに頭を下げた。
「藤宮と申します。本日は綜月先生とご一緒させて頂きました。何でも庭園が非常に美しいとか――」
 挨拶をしている最中、ふと漣が顔を背けたのを永は目の端に捉えた。恐らく自分の口調の変化に笑いを堪えているのだろう。永はそんな漣を尻目に住職へと鉄壁スマイルを浮かべながら話を続ける。
「是非お庭を拝見したいものです。ねえ、綜月先生」
「……ええ、まぁ……そうですねぇ。宜しいですか? ご住職」
「そんなにかしこまらんで下さい。綜月さんと、そのお知り合いでしたらもう大歓迎ですわ」
 立ち話もなんですし、自慢の庭を眺めながら御軸の話でも致しましょう、と告げる住職の言葉に頷いて、永は漣と肩を並べて歩き出した。


*


「流石は永君ですねぇ。あの切り替えの速さは大したものですよ」
「……笑いなや」
「そう言われましてもねぇ」
 庭園の見える客間へ通されて、茶を用意するために住職がその場を離れた途端、漣が声を立てて笑い出した。先般の漣の様子から、確実に何かを言われると見越していた永は、それに対して逐一言い訳をする気にもなれず、障子の向こうに広がる庭へと顔を向ける。
 確かに漣が美しいと言うだけの事はある。日差しが常緑樹の葉を照らし、その輝きが眼前に広がる池の水面へ落ちて柔らかな光の曲線を描いていた。大きな池の周りを紅梅が囲み、合間には椿や水仙などの冬の植物が溢れんばかりに咲き誇っている。
 成り行きで軸を渡すためにこの寺院へ遣ってきたがこれは来て正解だった、と考えると、その機会を与えてくれた漣に礼を述べたくなるのだが。永は、笑いを抑えるために軽く咳払いをしている漣を眺めると、礼のかわりに魔的笑顔を見せながら言葉を放った。
「また何ぞあったら呼びや。ええ暇つぶしやったわ。次はほんまに高〜い報酬貰うけどな」
「さて。何の事でしょう? 僕は自分に都合の悪い事は一晩寝たら忘れてしまいますしねぇ……それに」
 漣が一旦間を置くと、永はゆっくりと腕を組んだ。
「なんや?」
「永君の裏の顔を知った今、僕の方に分があると思いませんか?」
 のほほんとした口調ながらもどこか勝ち誇ったような笑顔を見せる漣を、永は鼻で笑う。
「裏の顔ゆーたかて知っとるんは漣さんだけやし。一応外面は良いさかい、漣さんが何言いふらしたところで誰も信じへんよ」
「さぁ。それはどうでしょうねぇ」
 美しい庭を前に、互いの腹を探るような会話が繰り広げられて行く。
 と、その時。
「盛り上がってますな。私も混ぜて頂いて宜しいですかな?」
 言いながら住職が盆に三人分の茶と和菓子を用意して戻ってきた。永は住職へ鉄壁笑顔をみせると、さりげなく口調を切り替える。
「お構いなく。今綜月先生と、こちらの庭の美しさを語り合っていたところです」
 それを聞いた漣が再び軽く噴き出す。
「いやはや、人間はこうでなければ面白くない。こちらこそいい暇つぶしをさせて頂きましたよ藤宮先生」
「……そうですか? それは何よりです。後でこの件に関してじっくりと話し合った方がいいかもしれませんね、綜月先生」
 何事があったのだろうと不思議そうにしている住職をよそに、狐と狸の化かしあいの如く、永と漣は互いに煌びやかな笑顔で笑いあう。
 そんな光景を、庭先の紅梅がただ静かに見守っていた。



<了>