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麗しきは蒼の魔法
店内は静寂に満ち、飾り棚に置かれた商品たちもしんと黙って置かれているある日の事。其の静寂を破るのは、珍しくもシリューナの溜息。何冊もの本を積み上げ、見ているがどうにも納得の行くような内容が得られないらしい。ついには額に手を当ててしまった。
「無いな…、仕方が無い、ティレ…ティレ」
店の奥へと、シリューナは声をかける。名を二回呼んだ時点で、駆けて来る人影は黒髪に一筋、紫の髪を持つ少女ティレイラ。シリューナの姿が見えれば笑顔で手を振るが、足元への注意がおざなりになった途端だ。
ガシャンッ
大きな音を立てて転んでしまう。鼻先を擦りながらも、こけた事にだろうか、照れ笑いをするティレイラにシリューナの不安は大きく膨れ上がるが、致し方ない。この子しか居ないのだからと、自分を納得させた。
少々こめかみを押さえながら、シリューナはティレイラへと告げる。
「ティレ、少し調べ物をしてくる。其の間の、店番を頼む」
当のティレイラは、そんなシリューナの不安を微塵も感じず、頼まれた事には素直に頷く。赤い目を瞬かせながらも、何だか自信ありそうな笑みを浮かべ、どんと拳を作って胸を叩いた。一筋、色の違う髪が揺れ、ティレイラの程よく赤い頬に掛かる。
「お任せくださいっ…っと、わああ」
勢いよく言った事は良いとしても、その後、胸を張りすぎて後ろの棚に頭をぶつけ、尚且つ、足元に置かれていた箱に躓き、身体を傾かせた事態には、流石のシリューナも溜息を禁じえない。不安は残るが、これはこれでもう仕方が無い…。早い所、作業を終えるしかシリューナの手の内に残されていなかった。
「…あまり、間の抜けたヘマを起こさないようにな」
「ぎゃっ!」
何とか、体を傾かせるのみで終わり、不自然な態勢で踏ん張っているティレイラに、シリューナは励ますため、ティレイラの肩へと手を置いたのだが、その一打が決定打となりティレイラの身体は横に傾きそのまま潰れてしまった。唸るティレイラの頭を、すまんと一撫でして後、シリューナは店内の奥へと足を向けて行く。
「じゃあ、頼むぞ」
「はいっ、頑張りまーす!」
ぺたんと座り込んだままだったが、ティレイラは元気に腕を振り上げシリューナへと返した。微笑ましい返事に、ティレイラはくすりと笑い、ひらひらと手を振りながら姿を店の奥へと消した。
さて、残されたティレイラは、気合を入れるように腕を振る。滑らかな黒髪がその度に揺れ、ティレイラの肩を黒に濡らす。そして、持ち出してくるのは掃除道具、順当な物。鼻歌を歌いながら、慣れているのか軽々と掃除をしていく。箒を軽い動きで回し、埃を払い、塵を取る。結構墨のほうは汚れていたのか、塵取り一杯になってしまった。
「ふう、次は拭き掃除…っと」
雑巾を持ち出し、忙しなくティレイラは机の上や戸棚のガラス戸を拭いていく。相変わらず、鼻歌は歌いながら。ふと、拭いていたガラス戸の中、商品が乱雑に置かれていた。指輪に腕輪、綺麗な装飾品ばかりの棚だ。いろいろな物が混雑していて、中々判り難い。ふむ、ティレイラはシリューナの真似をするように、顎に手を添え考えるように瞼を伏せた。薄く開いた瞼から覗く赤の眸は、ちらと棚の中の商品を盗み見るように視線を向けていた。
「整理、しておいた方がいいよね!」
間近に見事な装飾品を見たい、と言う願望もあってか、其の結論は直ぐ、ティレイラの唇から漏れた。漏れた、と言うよりは、飛び出た、と言った方が正しいかもしれない。そうして、興味を称えた眸を爛々と輝かせ、そっとガラス戸を開けた。硝子越しよりも一層と輝いて見える装飾品たち、まるで私を身に付けてと言わんばかりに、無言のアピールをティレイラへと示す。
「綺麗……っと、ダメダメ、先に整理しなくちゃ」
誘惑を頭を左右に振る事で何とか振り切り、ティレイラは作業を開始した。先に手の届きやすい位置を整理する、結構ごっそりと入っていたので、何かとてこずりはしたものの、下から数えて三番目の棚までは綺麗に整理整頓し終える事が出来た。しかし、此処で問題なのは最後の一番上の棚、下から数えて四段目。ティレイラが背伸びをして、やっと覗けるほどの高さだ。
「…ううん、どうしよう」
きょろと、赤い双眸を瞬かせながら、とある方向へと視線を向けた。其処にあるのは、掃除用具に埋もれ、古びた脚立。其れを見止めたティレイラは、再びううんと唸り声を上げる。掃除用具を退かせ、脚立を運び出し、此処へと据え置きまたあそこへ戻し掃除用具を元の位置へと戻る………なんて、考えただけでも気の遠くなる作業。ティレイラでなくとも、遠慮したい。
「……大丈夫、っかな!」
無理やりに、完結させたティレイラの言葉。
最後の勢いづけた調子が、更に無理やりと言う雰囲気を高めた。背伸びをすれば、届かない高さではないし、其の判断は誰でも行き着くもので、ティレイラとしても大丈夫、と言う自分への信頼を強く信じている。そして、頭が思い描くとおりに、ティレイラはつま先に力を入れ、踵を浮かせる。腕を伸ばし、棚の中を探った。思った以上に、質量のある箱をティレイラの細い指先に感じる。取り合えず、それを出して整理をしよう、ティレイラは指に力を入れ、指先だけで箱を何とか引き寄せ持ってくる。箱は木箱だ、半分ほど棚からはみ出させる事が出来た。さ、持ち直して整理を…ティレイラが、手を翻した時だった。
「ッキャア!!」
思わず短い悲鳴を口走ってしまう、が、ティレイラには尻餅をついた腰を擦る余裕などは無い。木箱が落ちてくるのが眼に映ったからだ、木箱が此方を直撃する恐れは、棚から少しはなれた所に腰を落とした為に無さそうだったが、それ以前に木箱以外にも落ちてくる物がある。
木箱に入った数々の、装飾品たちである。
ティレイラは腕を広げて、落ちてくる腕輪やネックレス、指輪も何とかキャッチする。指輪はいくつかが紐で束ねられている為に助かった。木箱はガツン!と大きな音を立てて床へと落下した、どうやら相当丈夫らしい。全く壊れる事はなく、ティレイラの足元へと転がった。…そして、ティレイラは、首まで受け止めるのに使ったのか、ネックレスが幾つか掛かっている。両手にも指輪に腕輪、首で取り損ねたネックレスを握り締め、次の落下物は無いかと紅い目は棚の上を必死に見守っている…そんな最中、首元が蒼の鈍い光を帯び始めた、発光源はティレイラの首に掛かっているネックレスの一つ…鮮やかなサファイアと思しき宝石が幾つもあしらわれた物。
「ん?…アレ、…え、ええ…っお姉さ…!!」
鈍い光が発せられだした途端だ、ティレイラは戸惑ったような声を上げる。腕を掲げ、不自然に足を伸ばした状態で固まり、微動だにしては居ないが顔だけとても戸惑ったような、不安な表情を含んでいた。思わずシリューナを呼ぼうとするが、遂に喉まで固まってしまったのか、最後まで呼ぶ事が出来ず途絶える。不自然なまま残った息は喉に気持ちが悪く、ティレイラは眉根を寄せたかったが既に、眉間まで固まってしまって出来はしなかった。
そうこうしている内に、指先の色が段々と変わる、常識の範囲内としては、血の気が引いて紫色に……なんて軽い物ではない。段々と透き通る蒼に、まるで空を映した海面をそっくり身体に移したような、ティレイラの指先は蒼の宝石へと変貌して行ったのである。ティレイラの意識も並行して、視界が蒼に埋もれ意識も深海のように深い其処へと沈んでいく…そして、その変貌は数分を立たずして、ティレイラの髪の一糸までも残さず宝石化した所で終えた。
「ああ、着いた着いた。」
ティレイラの惨事は知る由もなく現れた人影、裾が翻り深いスリットから覗く足は程よく脂肪のついた綺麗な物。赤髪を風に揺らしながらシリューナの店へと尋ねてきたのは、アンティークショップオーナー碧摩 蓮、その人だった。
足を歩ませシリューナの店へと踏み込んだ、がらんと、品物だけは豊富に主張をしているが人気が無い。おや?蓮は、思わずそう声を上げる。先日訪れた時は、元気なお嬢さんやら、店主が居たのにと、首を傾ぐ。まあ、歩いていればその内、店の奥から顔を出すだろう。蓮は店の戸に掛けられた看板の【OPEN】を、強く信頼している。
かつん、こつんと、ヒールを鳴らしながら歩む、棚の中には相変わらず怪しげながらも美しい薬が並ぶ。ふと、蓮の足が止まった。目の前には開け放たれたままのガラス戸、其れと対面するように置かれた美しい蒼の宝石彫刻は眼を引いた。蓮はそろりと、足を運び彫像を撫でる。素晴らしい調度品だ、髪の部分は水のように流れ、肌も滑らかまるで本物のよう…蒼色を除けば。
「おうい、店主さん、いるンだろう?出てきなよお」
ちょいと、蓮の細い指先が彫像を突く。動き出しそうなほどの其れに、突かずには居られなかったのだろう。其れと同時に、口から飛び出す呼びかけの言葉。それは店の奥まできちんと、空気に運ばれ其の振動はシリューナの元へと届いた。
「…?ティレイラ、では手に負えなかったのかね?」
書斎にて、古書を漁っていたシリューナは不可解そうに眉間に皺を寄せ、ゆったりとした足取りで進む。店に続く扉を開け、動く影が見えた。そちらの方へと、棚の間を縫い足を歩ませれば段々と、人影は二つ在るように見えたが、もう一つは微塵も動きはしない。
「申し訳ない…、留守番をしていた子が居たはずなのだ…が?」
客人、蓮へと謝罪の声をかけようとするが、彼女が未だ撫でている彫像が眼に入った。…あれに見覚えはあるも、シリューナが見覚えがある姿は元気に飛び跳ねている物。思わず立ち止まって首を傾いだ、そしてまた確認する為に、足を進ませ近づいていく。その間、蓮は面白そうに彫像を観察、時には髪や頬を撫でたりと、指の動きはゆったりとしているが落ち着きが無い。
「この彫像は中々良いねえ、商品なのかい?」
蓮から出された質問に、シリューナは口元に手を当て気付かれない程度の溜息を吐いた。全く…我が弟子と来たら。呆れ半分の視線を蒼の宝石へと向けるが、やはり何時もながら、泣いてしまう寸前の彼女の顔は可愛らしい。小さく笑みを零して、シリューナは口元の手を提げた。
「いや、残念ながら…。フフ、しかし、宝石を飾り立てるのには良い」
「確かに、硝子ケース入りのオブジェなら、眼を引くことこの上ないね」
丁度宝石を鏤めた、豪奢な装飾品を山ほど両手に握っているし、胸に下がったネックレスの数々、特に淡く光を放つ蒼の宝石を持ったネックレスは、彫像にとても良く似合う。
「でも、この飾り方はチョット無粋かねえ。まるで、高い所から落ちてきたのを、取ったみたいでサ」
「……まあ、それもこの彫像の人となりかも知れない。中々良い味を出しているとは思うがね?」
確かに、爪先立ったまま、大きく手を広げた体勢は、蓮の言うとおりの仕草。まさに其の行動をした時にコレは作られてしまったのだから、仕方が無いとも言える。それを既に推察しただろうシリューナは、思わず小さな笑い声を上げてしまった。
「折角だから、このまま暫く飾っておこうか…店頭に」
「おや、あたしこの店に通い詰めちゃうかもよ」
高らかな笑い声が店内に響く、ほとんどは蓮の物だがシリューナも笑みを絶やしては居ない。話題の中心は深海の蒼を讃えた宝石像。蓮も持ってきた品物の事も忘れ、シリューナとの立ち話に興じる。二人の間に挟まれ、不自然な体型のまま固まってしまったティレイラは、一体何時になったら戻れるのか…。
蓮とシリューナとの会話は、楽しそうにこの彫像を基にしたディスプレイ案が、次々と弾き出されては水の泡の様に消え去って行く。既に夕暮れ時の紅い時刻も過ぎ、外は紺碧の闇に包まれようとしている…。
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