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<東京怪談ノベル(シングル)>


不断桜

 縁があれば機会がある。
 今まで向き合う勇気はなかったが、これは自分の背を押すための『機会』の一つなのかも知れない。
「………」
 無言。沈黙。
 完全に向き合うにはまだ辛いが、それでもこのままにして置くわけには…。
「ニャア…」
 不意に足下で猫の鳴き声がした。よもぎ猫とよばれる縞模様の成猫が、日本家屋の玄関で佇んでいる黒 冥月(へい・みんゆぇ)の顔を見て、のんきに目を閉じる。
 風と共に庭にある大きな蜜柑の木が揺れ、ざわざわと音を立てた。夕暮れの日差しが地面に長い影を落とす。
 猫は冥月の顔をもう一度見上げると「お入りなさい」というように、薄く開け慣れた玄関の奥に向かって大きく鳴いた。
「あっ…」
 どうしようか。
 本当はそんな事を思っていたのだが、鳴き声が廊下に響き渡ると、居間の方からこの家の家主である太蘭(たいらん)が、出てきて猫を抱き上げた。
「虎徹(こてつ)…お前が招いてどうする」
 招いて。
 どうやら太蘭は、冥月が玄関先でしばらく立っていたことに気付いていたようだ。猫を抱く赤い瞳が少し細まり、立ったままの冥月を見る。
「冥月殿、今日は何用か?」
 今なら引き返すことが出来る。
 だが、それでは前に進むことが出来ない。
 冥月は顔を上げると、自分の影に入れていた刀を三本差しだした。それらは全て柄や鞘、拵までが血塗れになったまま乾ききっている。血も拭わず白鞘に入れてないままだったので、おそらく中の刀にも錆が浮いているだろう。
 三本の刀のうち、一本は七尺…二メートルを超えるほどの大太刀だ。他の二本は普通の長さだが、どちらにも鞘に螺鈿で桜の意匠がされている一対の物。
 本来、日本刀を大事にしている者がすることではない。使わないときは白鞘に入れ刀を休め、何かを斬ったらその都度丁字油や打ち粉で手入れをする…血塗れで置いたままなど、いくら保存の条件が良くても刀を駄目にしてしまうだろう。
「これを研いで貰いたい」
 静かに言葉を吐いた冥月に、太蘭は顔をスッと奥の方へ向けた。
 こんな状態の刀を見せたら、刀剣鍛冶師の太蘭は気を悪くするのではないだろうか…そう思っていたのだが、何故か刀を見るその目はほんの少しの驚きと共に、何故か嬉しそうにも見える。
「まずは刃を見せて貰おう。話はそれからだ」
「すまない。無理を言う」
 冥月が通されたのは、いつもの茶の間ではなく一番奥にある太蘭の自室だった。鞘袋に納められた刀が隅に何本か置いてあり、文机の上には押型が束になっている。
 そこに太蘭は座布団を出し冥月に勧めると、和箪笥の中からてきぱきと刀を置くための白布と、手入れ用の拭い紙などを取り出した。
「本当なら、茶の一つぐらい出すのが礼儀だが、先に刀を見せて貰っても良いか?長く置いてあったようなので気になってな」
 冥月は刀を布の上にそっと置く。
「いや、急に来て無理を言っているので気を使わないでくれ」
 朽ちた拵などを見た太蘭は、まず大太刀を手に取った。刀の名手であった佐々木小次郎は『物干し竿』と呼ばれるほど長い刀を使っていたと言うが、この刀もそれに劣らないほどだ。
「拝見いたします」
 その長く重い刀を太蘭は易々と捧げ持つと、そう呟いた後で二つ折りにした懐紙を口にくわえた。それが凛とした緊張感を感じさせる。
「………」
 刃を上にした刀身にはやはり血がこびりついていて、刀身が曇っているだけではなくあちこちに錆が浮いていた。拵が朽ちているので慎重に目釘を押し、はばきを外し刀身だけにする。
 ここで油を拭いたりするのが刀の鑑賞なのだが、流石に錆が浮いた状態でそれは難しいと思ったのか、太蘭は冥月の方を見て、くい…と棚の上に目をやった。
『そこの刀掛けを取ってくれ』
 口は閉じたままなのに、何故かその声がはっきり聞こえたような気がした。言われたとおりに冥月がそれを取ると、そこに刀身を掛けてから太蘭は溜息を漏らしながら懐紙を外す。
「……思っていたよりも、ずいぶん長く置いていたようだな」
「それは、亡き友人の物で…今まで形見に向かい合う勇気がなかったんだ」
 友人…そう言うと冥月はそっと目を伏せ、刀身を見た。まだ彼が生きていた頃に見せてもらった刀身は刃文の直刃(すぐは)を遠くからでも確認出来るほどだったが、今は血や錆で見る影もない。
 もっと、早く誰かに手入れしてもらうべきだった。
 だが亡き友人の死と向かい合うには、時間が必要だった。それに大事にしていた刀だったので、よほどの腕がある研師か刀鍛冶でなければ預けることは出来なかった。それぐらい…冥月には思い出深い、大切な物なのだ。
 三本全ての刀身を品定めし、刀掛けに置いた太蘭がふと眉を顰める。
「冥月殿、これはどこで手に入れた?」
「すまない。私は刀を見せて貰ったことはあるが、それをどこで手に入れたかは教えてくれなかったんだ。日本だとは聞いているんだが…」
 それを聞くと、太蘭はじっと刀身を見て一言こう言った。
「これは、全部俺が昔打った刀だ」
「そうなのか?」
「ああ…相当昔の話だが。懐かしい」
 これは奇妙な縁だ。
 彼が使っていた刀は太蘭が打ったもので、それを冥月が太蘭に研ぎを頼んでいる…そう思うと、何故か彼に話してもらった刀の話が甦ってくる。
「無銘だが最上大業物に匹敵する刀達だと、友人はとても大切にしてた…太蘭翁が打った刀なら納得だ」
 刀には斬れ味によって「業物」「大業物」などと呼ばれる物がある。最上大業物と呼ばれる刀工は、江戸前期からそこに入る者がいない程で愛刀家垂涎の的だ。銘が入ってないもので、それほどの刀というのはかなり珍しい。
 だが太蘭は、それにはあまり興味がなさそうに、七尺の大太刀の方を手に取り刃などを見ている。
「研いだ後があるということは、これを実戦で使っていたのか?」
「あ、ああ…」
 冥月が頷くと、太蘭は一言「ほう」と感心し、また刀身を刀掛けに置く。
「その刀は、ほとんど遊びで作ったようなものだ。七尺もある刀など、実戦に置いてはほぼ使い物にならん…これを使いこなす奴がいたとは驚きだ」
 確かに二メートルを越す大太刀など、普通に考えれば使いこなすどころか抜くことすら困難だ。太蘭も刀身を見るために抜いて見せたが、普通であれば二人がかりで抜くほどの物だろう。
 それを…彼は易々と振るっていたのだ。
「少し習ったが私はまともに抜く事さえ出来なかった…だが友人は使い熟してた。私の眼では抜刀も納刀も追い切れなかった程だ」
「居合いか。それほどの腕であれば、一度是非見てみたかったものだ」
 本当に、今ここに彼がいたらあの抜刀を太蘭に見せてやりたい。七尺の刀を長さを感じさせずに振るい、狭い場所でも器用に二本の刀を使い、どんな修羅場もくぐり抜けていた。
 以前太蘭に頼まれ、作ったばかりの刀を使わせて貰ったことがあるが、多分自分よりも彼の方が刀を上手く使えただろう。
「さて、刀だが全てを直さねばならんから時間がかかるぞ。研ぐだけならばいいが、拵や鞘、それに刀を休めるための白鞘も必要だ。鞘をそのままにしたいのなら、別の物を作るが…」
「………」
 そうだった。
 研ぐことに関して異存はなかったが、血に濡れた鞘や朽ちた拵えをどうするか。白鞘は絶対に必要なので作ってもらう気でいたが、鞘は…。
「いや、全て血を拭って修復してくれ。きっと友人もそれを願っているだろう」
 このまま血塗れで残しておいても、きっと彼は喜ばない。それに気に入っていたのは刀の斬れ味だけではなく、漆で漆黒に塗られた鞘や、そこに螺鈿で装飾された桜や鐔など、全てを一つの『刀』として大事にしていた。新しく作ってしまえば、それは別の物になってしまう。
「そうか。鞘の方は漆を塗り直したりするので時間がかかるが、刀身の方は鍛冶場で見るとしよう。蛍光灯の下よりも、鍛冶場で見た方がよく分かる」

「………」
 神棚に酒と塩を供えた後で、太蘭は鍛冶場に火を入れふいごを踏み始めた。
 刀を打つ場所に自分が入っても良いのかと冥月は思ったが、太蘭は特に何も言わず刀身をじっと見ているだけだ。
 ふいごを踏むたびに炎が上がり、それが冥月の顔を照らす。
 錆が浮いているはずの刀身でさえ、炎に照らされ所々赤く輝いている。
 その時だった。一対になっている刀を見た太蘭が、持っていた刀身を見てゆるゆると首を横に振った。
「残念だがこの刀は死んでいるな」
「………!」
 死んでいる。その言葉に体を打たれたように立ちつくす冥月に、太蘭は刀を懐紙で拭った後そっと指で指し示す。
 はばき下の方に小さな皹(ひび)が入っている。おそらく最期に使ったときに入ってしまったのだろう…普段の彼であれば、そんな無茶な使い方はしない。それが余計に、亡き彼の最期を強く思い出させる。
「どうしても直せないのか?」
 普段の自分なら絶対言わない言葉を、冥月は思わず口にしていた。炎の前に座っている太蘭が着ている作務衣の方を掴み、縋るようにもう一度同じ言葉を繰り返す。
「どうしても…」
「刀も人と同じで、一度折れれば死ぬ。なまじ打直すより供養すべきだろう」
 炎が一気に吹き上がる。
 太蘭が持っていた刀は、冥月が止める間もなく、まるで桜の花のように散っていった。炎の花びらが鍛冶場を赤々と照らしながら舞い上がる。
「その刀に銘はつけていなかったが、俺は秋から春まで咲き続ける桜にちなみ『不断桜(ふだんざくら)』と名を付けていた。刀身は散ってしまったが、全てが散った訳じゃない」
 そう言うと太蘭は懐から刀の鐔を取り出した。そこにも桜が彫られていて、もう一つの鐔と合わせると、桜の林が繋がるようになっている。
「刀に魅せられるのは、刀身だけではないところだ…折れてしまったとしても鐔や鞘、そして魂が残り続ける」
 不断桜…。
 舞い上がる花びらを見ながら、冥月はそっと自分の肩を抱いた。
 彼は死んでしまった。『不断桜』の片方も同じように。
 だが、それで終わりじゃない。死んだ者は帰ってこないかも知れないが、その代わりに生き続けるものがある。
 一緒にいた時間、思い出、それは冥月自身が命を落とすまで、ずっと共に生き続ける…。
「そうだな。私が全て持っていたら、友人が使う刀がなくなってしまう…だが、鐔や柄巻は残しておいてもいいか?」
 刀身を手に持ちながら、太蘭が黙って頷いた。

 後日、太蘭から連絡を受けた冥月が家に行くと、また玄関先で虎徹が丸くなっていた。虎徹はあの時と同じように冥月に向かって顔を上げたが、今度は冥月の方が先に玄関の呼び鈴を押す。
「今日は私が先だな」
「ニャア」
 あの時は、まだ完全に向かい合う勇気がなかったが、今は大丈夫だ。付いていた血が拭われ、あの時の面影が全てなくなっても、今ならちゃんと立ち向かえる。
「これで全てだ。確認してくれ」
 中に招かれまた仕事場に通された冥月の前に、白鞘に納められた刀二本と、綺麗に修復された鞘や鐔、柄などが差し出された。白鞘から抜かれた刀身にも、もう曇り一つない。
「研ぎ上がったばかりだから二、三ヶ月は注意して、十日に一辺ぐらい手入れをしておいてくれ。分からないことがあれば、いつでも相談に乗ろう」
「感謝する…」
 鞘袋に入れられた刀を抱え、冥月は深々と礼をした。
 辛くない、そう言ってしまえば嘘になる。
 思い出せばまだ胸が苦しくなるほどだが、それでもこうやって形見を直したことは、冥月にとって確実な一歩だ。歩き出すのにほんの少し時間はかかってしまったが、それでもまだ前に進み出せる。
 礼金が入った袋を渡すと、冥月は鞘袋を持ったまま玄関に向かった。影に入れてしまえばいいのかも知れないが、もう少しだけ、このしっかりとした重さを味わっていたい。
「………」
 廊下の途中で何かを思い出したように、冥月は立ち止まった。送り出そうとしていた太蘭も、それと全く同じタイミングで足を止める。
「冥月殿、どうした?」
 長い刀に頬を寄せるように冥月は振り返る。
「次に依頼あれば直接言え、只で神でも悪魔でも斬ろう」
 太蘭が刀を打っている理由を冥月は知っている。その目的…『神殺しの刀』を打つ為には刀を使う者が必要だ。その刀を使うような依頼はおそらくとても危険なものだろうが、それを無料で受けても良いほど、自分が持っているのは大事な刀で…。
 太蘭は目を細め、冥月と刀を見ている。
「それは刀が出来た時にでも考えよう」
「その時はいつでも呼んでくれ」
 きっとその時は、前よりもきっと上手く刀を使える。
 なぜだか分からないがそんなことを思いながら、冥月は玄関でもう一度深々と頭を下げた。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
友人の形見である刀の研ぎ直しのため、太蘭の家に出向くという所から、話を作らせていただきました。三本とも太蘭が作った刀ということでしたが、今は気が向かないとあまり刀を打たない太蘭も、昔は手遊びに七尺の刀を作ってみたりしたのかなと思います。
せっかくなので対の刀に名を付けて、それをタイトルにしました。斬る物に『不断』というのも洒落なのでしょう。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。