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<東京怪談ノベル(シングル)>


運命のあやとり

「よーし、今日のノルマ終わりーっ!」
 前屈させていた体を起こし、座っていたヨガマットの上で立花 香里亜(たちばな・かりあ)は大きく息を吐き手を上に伸ばした。去年の秋頃から、香里亜は朝のジョギングと仕事が終わってからの筋トレと柔軟体操が習慣になっている。
 だが、ただ漠然と鍛えるのは続かないので、香里亜は週に二度ほど『自分へのご褒美』を決めて、ちゃんとこなしたらそれを食べる事にしていた。
 それは話題のケーキだったり、コンビニスイーツだったりするのだが、最近のお気に入りはハーゲンダッツのアズキミルクである。冬なのにアイス…と言われそうだが、北海道生まれの香里亜にとって、暖かい部屋で食べるアイスはまた格別なのだ。
「クッキー&クリームやキャラメルも好きだけど、最近はアズキー♪」
 うきうきしながら冷凍庫を開けたときだった。
「あれ?」
 買っておいたと思っていたアイスがない。冷蔵の方にはバターや牛乳、朝食用のヨーグルトもあるので一緒に買ったはずなのだが…。
「この前食べちゃった?…もしかして、夜だから我慢しとけって事なのかな」
 だが、気持ち的には食べる気満々なので、ないと思うと余計に食べたくなってくる。夜と言ってもまだ時間的には早い方なので、今の時間ならコンビニに行ったりしてもいいだろう。
「ついでに雑誌でも買おうかな…マンガの続きも気になるし」
 デニムのパンツに履き替え、ファーがついた白っぽいコートを羽織る。そして少し小走りで人気のない路地を通ったときだった。
 ぽふっ。
 何か柔らかい物が頭に乗ったような気がして、香里亜は上を見上げた。確かクリスマスにもこんな事があったような気がする。
「良い所でお会いしたのですぅ」
「えっ、ファムちゃん?」
 ふわふわとした緑の髪に大きな瞳。首に着いているリボンと、背中には白い羽根。
 それは『地球人の運命を守る、大事な大事なお仕事』をしているファム・ファムだった。自分の事を覚えてもらっていたのが嬉しかったのか、ファムはふわっと香里亜の目線まで降りぺこりと頭を下げた。
「クリスマスの時はお世話になったのですぅ」
「いえいえ、大したことも出来ませんで…今日はどうかしたんですか?」
 また『運命』に関わる事なのだろうか。そう思いながら香里亜が首をかしげると、ファムはにこっと笑ってどこからともなく分厚い本を取り出した。
「実は、別次元の惑星と地球の運命圏がニアミスしまして、一部の人の運命に狂いが生じてしまったのですぅ。あなたには、それを元に戻すお手伝いをいくつかお願いしたいのですぅ」
「はあ…」
 何だか壮大な話で全体が見えてこない。
 ファム曰くその別次元の惑星のせいで『運命の狂い』が散らばってしまい、そのせいで正しい未来へと導かれなくなってしまう人がいる…という事らしい。さしずめ、二人あやとりの糸がもつれてしまったという感じの事なのだろうか。何だか話が長くなりそうなので、香里亜は持っていた財布をポケットに入れた。
「それは、難しい事なんですか?」
 ふるふる…とファムは首を横に振る。
「いえいえ、ものすごく簡単な事ばかりなので大丈夫ですよ。この前のように怖い事もありません。丁度いいところにあなたが出てきてくれて、助かりましたぁ」
 無邪気に微笑んでいるその姿を見ていると、何だか断れない。以前出会ったときは、別次元の邪霊などというものに会ってしまったが、今回はそんな恐ろしいものでもないようだ。
「じゃあ、いいですよ。私も別に予定とかないですし…」
「ありがとうございますぅ。では、早速お願いしますね。はい」
 そう言って香里亜に手渡されたのは、五寸釘と金槌だった。思わずすんなり受け取ってしまったが、右手に金槌、左手に五寸釘では何だか丑の刻参りのようだ。
「えーっと、これをどうしたらいいのでしょう?」
「その五寸釘をこここーんと地面に打ち付けた後で、空き缶を被せてください〜。まずはそこから始めましょー」
 何が何だか分からないが、取りあえず言われたとおりにしたらいいのだろうか。香里亜はしゃがみ込むと、アスファルトの真ん中にコンコンと釘を打ち始めた。こんな所に刺さるのか心配だったが、頑張れば案外何とかなるものだ。
「こんなものでしょうか」
「はいー。そしてこれを被せてくだされば、後は少し離れて様子を見ましょう」
 また金槌をどこかにしまったファムの後ろを、香里亜は振り返り振り返りついていった。言われたとおりに打ち付けて空き缶を被せてしまったが、これが元で事故などにならなければいいのだが…。
「振り返ると怪しい人ですよ?」
「そ、そうですね…」
 確かにきょろきょろしていると不審者だ。ファムの姿は誰にも見えていないという事は聞いていたので、何事もなかったように背筋を伸ばして歩く。しばらく歩き角を曲がった途端、後ろでくぐもった悲鳴が聞こえた。
「ぐっ…痛たたたたっ!」
 まさか自分が打ち付けた缶でケガをしたのだろうか。香里亜が振り返ろうとすると、それをファムが遮る。
「いいんですぅ。あそこでちゃんと足が折れないと、彼の運命が狂ってしまうのですぅ」
「……え?」
 それも彼の運命らしい。
 この場所で足を折り、救急車で病院に運ばれないと彼は結婚相手に会えないのだ…と、ファムはいう。
 病院での恋…というのも何となくロマンティックだ。看護婦さんなのか、それとも同じように入院する誰かなのだろうか…怪我をさせてしまった事は胸が痛むが、それが幸せに繋がるというのなら仕方ないだろう。
「どんな女の人なんでしょう?」
 香里亜の質問に、ファムはきょとんと目を丸くする。
「いえ、男性ですよ」
「へ?」
 いや、そういう事に囚われるのは良くない。
「し、幸せになると良いですね…」
 何故か頬が赤くなるのをごまかしながら白い息を吐くと、ファムはぴしっと道の先を指さした。
「では、次行きますよー。まだまだ元に戻さなければならない運命があるのですぅ」
 またファムの後ろを、香里亜はぽてぽてと着いて歩く。
 今日は雲がないので、東京でも星が少し見える。でも足下に雪がないので、夜はやっぱり暗い…雪が積もっていれば、雪明かりが反射して、きっとファムの影が自分には見えたかも知れないのに。
「どうかしましたぁ?」
「いえ、何でもないです。次はどうするんですか?」
 次にファムが指示したのは、公園の花壇の前にあるベンチに十分座る事だった。コートは腰まで隠れる長さだが、座るとやっぱりお尻がひんやりする。
「ちょっと寒いかも…」
「寒かったら運動してても良いですよ。ここに人が来ちゃうと困るので、しばらく場所をキープして欲しいのですぅ」
 ファムはそう言うが、それはそれで不審者だ。何となく時計を見たり、携帯電話でメールをチェックしたりしながら香里亜は時間を潰す。こうしていれば、夜の公園で待ち合わせをしているように見えるかも知れない。
 ベンチの裏を見ると、葉ボタンだけが元気に葉を伸ばしていた。冬の花壇は何だかちょっと物寂しい。
「うーん、何となくブランコの写真撮ったりして」
 十分と言われると普段は気にも留めないのに、意識しているせいで妙に長い気がする。そうしていると、公園を高校生のカップルが見えた。腕を組み、仲良さそうに話をして、ちらっと香里亜の方を見た後で通り過ぎていく。
「もしかして、今のカップルさんですか?」
「さぁ、どうでしょう?あともう少しですよー」
 両手をこすり、足先を動かし、白い息を吐いてじっと座る。
 言われたとおり待っているうちに気付いたのだが、先ほどから公園の周りを同じ車が何度も行き来しているのに気がついた。白のセダンタイプ…自動車に全然詳しくない香里亜に車種を特定する事は出来ないが、入り口に近づくたびにスピードを落としているので嫌でも印象に残る。
「今の車、さっきからずーっとぐるぐるしてますよね」
 じーっと見ていると、何だか運転手と目が合ったような気がした。
 そう思った途端、車は急発進して何処かに走り去っていく。
「あ、あれ?何か悪い事しちゃいましたか?…って、お尻が冷えました」
 香里亜がそう言いながら立ち上がると、ファムはにこっと笑って時計を指さした。
「はい、お疲れ様でしたぁ。丁度今ので十分ですから、これでおっけーなのですぅ」
「はい?」
 これで良いと言われても、何のことだかさっぱり訳が分からない。
 どうしていいか分からずに、その場にぼーっと立ちつくしたまま香里亜がファムを見上げていると、ファムはぴっと花壇の後ろを指さした。と言われても、何も変わらない葉ボタンしか植わっていない花壇なのだが。
「これでいいんですぅ。今あなたが座っていたベンチの裏に、実は一億円が埋まっていたのですぅ」
「いちおくえん?」
 自分がのんきに座っていた裏に、そんな大金が隠されていたとは。じーっとその埋まっているである場所を凝視していると、ファムがつんつんと頭を突く。
「ネコババはダメですよー」
「いえ…そんなにあっても何に使ったらいいか分かりませんから。にしても、今のが何に関係するんですか?」
 ファム曰く、香里亜があの場所に座っていなければ、先ほど何度も行きすぎいていた自動車に乗った男がその一億円を掘り返し、それを元に事業に成功してしまう…という事だった。そうされては困るという事で、香里亜に座っていて欲しかったのだという。
「でも、それって警察に連絡しなくていいんですか?一億円ですよ」
「一割欲しいんですかぁ?」
 くりっとファムが首をかしげる。
「欲しくないです。というか、花壇掘り返す時点で不審者です」
 きっと…人間の善悪と、ファム達の間の善悪は全く次元が違うのだ。日本が法治社会とか、通報は市民の勤めとか、それよりももっと大きな視点でファムは『運命』に関わっているのだろう。
「と、取りあえず花壇が荒らされなくて良かったです…って、さっきの人がどうなるか気になってきました」
 せめて捕まるとか、そういう事になって欲しいものである。糸のもつれを直すとはいえ、一億が埋まっているのを黙っていなければならないというのも、何だか後ろめたい。
「『運命』の前ではそれも小さな出来事なのですぅ。さあ、気を取り直して次行きましょー。それで終わりですから安心してくださいねー」
 それもその通りだ。気にしたところで自分にはどうしようも出来ない。
 ファムからの次の指示は、まず三駅移動する事だった。この時間の電車に香里亜が乗る事はほぼないので、何だか景色が新鮮だ。
 だが、到着して出されたファムからの指示に香里亜はその場で固まった。
「駅直結の本屋さんで『痴漢列車すぺしゃる♪』という、エッチなマンガを買ってくださいー」
「えっ…そっ、それは…」
 人をケガさせてしまったのも、運命の相手に出会うためなら仕方ない。
 一億が埋まっているのを黙っているのも、運命を守るためなら目を瞑ろう。
 だが、その本を買わねばならないのか…赤くなりながら本屋に入っていくと、先についーっと飛んでいったファムが、マンガコーナーの一冊を指さす。
「これですぅ」
「………」
 一冊だけ入っていたそのマンガを取り出すと、満員電車をモチーフに、乱れた服装のスタイルの良い女性の絵…表紙から悪い意味で飛ばしている。香里亜はそれをばっと本棚に戻し、またぎくしゃくと雑誌のコーナーに歩いていった。
 どうしよう。
 本当にどうしよう。
 別に読みたくもない健康雑誌の「バナナに豊胸効果!ブラのカップが上がった」などという記事を流し読みしていると、ファムは香里亜の横で首をかしげながら困った顔をした。
「あの…18歳ですよねぇ」
「ま、まあ18歳ですけど…」
「あ、お金の事なら心配しなくても大丈夫なのですぅ」
「いえ、そんな問題じゃ…」
 香里亜は思わず雑誌を握って深呼吸する。その横ではファムがあの本を香里亜が買わなければならない理由を話し始めた。
「明日、先ほど乗った電車の中である男性が痴漢冤罪で捕まるのですぅ。本来無罪の筈が、あの本を持っていたせいで有罪だと決めつけられてしまうんですぅ」
「………」
 ぎゅっ。香里亜はそれを聞き、健康雑誌を持ったままもう一度あの本があった場所に向かっていった。そこには少し気の弱そうなスーツの青年がいたが、香里亜がつかつかと歩いてくるのを見て、恥ずかしそうに普通のマンガコーナーに移動していく。
 恥ずかしい。
 でも、自分が買わなければ、誰かが無実の罪を着せられる。
 ややしばらく本棚の前に立ち、深呼吸をして本を取り、真っ直ぐレジへと向かう。
「カバーはおかけしますか?」
「お願いしますっ!」
 耳まで真っ赤になりながら、香里亜は健康雑誌とその本をレジへ差し出した。カバーをかける短い時間が、拷問のようだ。
「ありがとうございましたー」
 逃げるように本屋から走り去り、階段側にある柱の所まで来るとそのまま袋を両手で抱えてしゃがみ込んだ。もうあの本屋で買い物は出来ない。相手はいちいち客なんて覚えてないとか言われそうだが、印象に残った客というのは案外覚えられているものだ。
 しゃがみ込んでいる香里亜を覗き込むようにファムがにこっと笑う。
「ありがとうございますぅ。お礼に、お聞きしたい事があればお教えしますよー」
 聞きたい事…その言葉に顔を上げ、香里亜はこう呟いた。
「運命って、絶対なんでしょうか…?」
 もし、何もかもが決まっているというのなら…自分が生きている意味や、頑張っている事も予想の範疇なのだろうか。そう思うと何だか寂しい気がしたのだ。それがたとえ、もつれたあやとりの糸を直す事だとしても…。
 それを聞いたファムは、にこっと笑いながら首を横に振る。
「そんな事はありません。今回は小さな狂いが、やがて世界を揺らすほどの大きくなる前兆でしたので、その修正ですぅ。頑張れば、未来はいくらでも変えられますよー」
 蟻の穴から堤が崩れるという言葉があるように、小さな亀裂が大きな災害を引き起こす事もある。それを修正するのがファムの大事な役目だ。今回香里亜が直したのは、放っておけばバラバラになってしまったかも知れない運命のあやとり糸を補強しただけで…。
「じ、じゃあ、バナナ食べてたら少しは私も育ちますか?」
 がばっと立ち上がる香里亜に、ファムがそっと目を逸らす。本当の事は本に書いてあるが、それはちょっと言えない…変えられない運命も時にはある。
「そ、それは…やってみなければ分からないのですぅ。では、また何かあったらお願いしますねー」
「頑張ります…」
 小さく手を振ったファムがすっと天井へと消えた。自分も、そろそろ帰らなければ…手に持った本が少し重たい。
 そこで香里亜は大事な事を言い忘れていた事に気が付いた。
 この本は……どうしたらいいのだろう。
「ああーん、本も持っていってもらえば良かった…どうしよう、これ」
 捨ててしまった物を誰かが拾って、それが痴漢冤罪の原因になっても困る。かといって、他の誰かに渡すなど、その場で切腹するぐらい恥ずかしい。
「取りあえず、コンビニでアイス買って帰ろっと」
 最初はアイスを買うだけだったのに、何だか遠くまで来てしまった。
 鉄より重たい紙袋を手に持ち、香里亜は電車の発車音にエスカレーターを駆け上がった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2791/ファム・ファム/女性/952歳/神界次元管理省霊魂運命監察室管理員見習い

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
狂いが生じた運命の修正のために、香里亜を使って右往左往という話を書かせて頂きました。ファムちゃんの、善悪関係なく多層世界に関わる「運命」という設定が興味深く、それに普通の人間である香里亜が振り回されるというのが、書いてて面白かったです。
やはり一番ハードルが高かったのは「本を買う」でした。本がどうなったのかはご想像にお任せします。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。