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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


不思議の国の二人


 町中に甘い香りが漂い、ピンクや赤といった可愛らしい色が溢れる時期。目に付くのはハートマークの飾りが多い。女の子達は何処と無くはしゃいでいて、男の子達は何処と無く落ち着きが無い。
 季節は、聖バレンタインデイである。
 そんな中、水鏡・雪彼(みかみ せつか)もバレンタインを楽しみにする一人だった。といっても、雪彼が楽しみにしているのはバレンタインデイそのものではない。バレンタインに付随して発生する甘いお菓子、チョコレートだ。
 雪彼の周りの大人たちは、毎年チョコレートをたくさんもらう。そのお裾分けをもらうのが、雪彼の楽しみとなっているのだ。バレンタイン仕様のチョコレートは、どれも見た目が可愛らしくて美味しい。眺めるだけでも楽しくさせる。
 しかし、今年は違う。今までと違い、チョコレートのお裾分けだけではない。
「あら、雪彼。どうしたの?」
 ぱたぱたと台所にやってきた雪彼に、母親は問いかける。
「雪彼、今年はチョコを作りたい!」
「チョコを作りたいだなんて、素敵な彼氏ができたのかしら?」
「蘭ちゃんは大事なお友達だから、あげたいの」
 雪彼はにこっと笑う。母親はそこで「ああ」と納得する。蘭ちゃんとはつまり、藤井・蘭(ふじい らん)の事だ。
「それじゃあ、頑張って作らないとね」
「うん!」
 母親が言うと、雪彼はにっこりと笑って頷いた。
「でも、大丈夫なの? チョコレートを作るなんて」
 雪彼と母親のやり取りを見ていた叔母が、ふと口にする。雪彼と母親は声を合わせて「大丈夫」という。
 こうして、気楽な母親と心配そうな叔母が見守る中、チョコレートは完成するのであった。


 バレンタイン当日、雪彼は作ったチョコレートを綺麗にラッピングし、元気良く「いってきます」と言って家を出た。蘭と公園で待ち合わせをしているのだ。
「早く渡したいな」
 雪彼はそういうと、ぎゅっとチョコレートの入った包みを抱きしめる。
 その時だった。
「きゃっ」
 ばたっ。
 雪彼の小さな悲鳴と共に、何かがごろんと道端に転がった。ぼよん、とした柔らかな触感に、雪彼は恐る恐る起き上がる。
 そこには、くまのぬいぐるみがいた。ぶつかってしまった事をわびているかのように、雪彼に何度も頭を下げている。
「雪彼は大丈夫よ」
 にこっと笑う雪彼に、くまは今一度頭を下げた。そして、地面に散らばっている荷物たちをかき集め、ふわふわの手に持っている袋に片っ端から詰め込んでいく。全てをつめ終わると、ぱたぱたとどこかに走っていってしまった。
「くまちゃん、急いでいるのかな?」
 雪彼はそう言い、ふと気付く。
 無い。
 先程まで、確かに抱きしめていたチョコレートの袋が、見当たらない。
 雪彼ははっとし、くまのぬいぐるみが走っていった方向を見る。ぱたぱたと走っていくその姿は、なんとも愛らしいのだが。
「きっと、雪彼のチョコもあの袋に入れちゃったんだ」
 そういえば、地面に転がったものを片っ端からつめていっていた。雪彼は「追いかけなきゃ」と呟き、立ち上がって走り出した。なんとしても、取り戻さなくてはならない。
「あ、雪彼ちゃん。こんにちはなのー」
「蘭ちゃん」
 気付けば、蘭と待ち合わせていた公園の前に来ていた。ぱたぱたと走る雪彼に、蘭は「どうしたのー?」と尋ねる。
「さっきね、くまちゃんとぶつかったんだけど」
「ああ、そういえばさっき走っていってたのー」
 蘭はそう言いつつ、一緒に走り出す。
「そのくまちゃん、雪彼のものも一緒に持って行っちゃったの」
「それは大変なのー!」
「だから、追いかけてるの」
 雪彼はそう言い、ちょっとだけうつむく。本当は、隣で走っている蘭に一番に渡したかったのだ。それなのに、何故かくまのぬいぐるみが持ってしまっている。
 しょんぼりしてしまった雪彼の手を、蘭はぎゅっと握り締める。雪彼が顔を上げると、蘭はにっこりと笑う。
「大丈夫なの!」
「蘭ちゃん……」
「僕も一緒に追いかけるから、大丈夫なの!」
 頼もしい言葉に、雪彼は「うん!」と頷く。手をつないで走っていれば、苦しくない気がしてきたから不思議だ。蘭の「大丈夫」という言葉が、足に力を与えてくれる。
「雪彼ちゃん、あのくまさん?」
 目の前で走るくまのぬいぐるみを発見し、蘭が尋ねる。
「うん、あのくまちゃん!」
 雪彼はそう言い、くまのぬいぐるみが担いでいる大きな袋に目をやる。あの中に、雪彼が蘭に渡そうとしているチョコレートの包みが入っているのだ。
 ぱたぱたぱたぱた、とくまのぬいぐるみは走っている。公園を出て、住宅街を抜け、橋を渡り……そうして気付けば、花畑にたどり着いた。
 そこまできて、ようやく前を走っていたくまのぬいぐるみが足を止めた。くるっと振り返り、雪彼と蘭を見て不思議そうに小首をかしげた。
「ようやく追いついたのー」
 蘭はそう言い、くまのぬいぐるみの頭をなでる。ふわふわした触感が気持ちいい。
「あのね、くまちゃん。さっき、雪彼とぶつかったでしょ?」
 雪彼が言うと、くまのぬいぐるみはこっくりと頷いた。そして「その節はすいません」といわんばかりに頭を下げる。
「ううん、別に怒っているわけじゃないの。そうじゃなくて、その袋の中に雪彼のものも入ってるの」
 え、と驚いた表情をした後、くまのぬいぐるみは袋を開いた。頭を袋の中につっこんでごそごそした後、ぴたっと動きを止めた。
 そうして、恐る恐る何かを取り出した。それは正に、雪彼が蘭に手渡そうとしていたチョコレートの包みだ。
「そう、それ!」
 雪彼が嬉しそうに笑うと、くまのぬいぐるみは申し訳なさそうに何度も頭を下げた。手当たり次第に地面のものを入れていったために、雪彼のも一緒に入れてしまったらしいのだと、もごもごとジェスチャーで説明をしながら。
 一通りジェスチャーをした後、改めて頭を下げた。本当に申し訳ない、と。
「こうして雪彼のものが帰ってきたらいいの」
 雪彼が言うが、くまのぬいぐるみはぺこぺこと頭を下げるばかりだ。ぶつかった上に、荷物まで持っていってしまった事が申し訳なくてたまらないのだろう。
「困ったな。別に、いいのに」
 雪彼が言うと、蘭が「なら」と言って笑う。
「くまさん、お詫びに雪彼ちゃんに何かすればいいのー」
「何か?」
 ふにょ、と雪彼と同じようにくまのぬいぐるみが小首をかしげる。
「たとえば、ぎゅっと抱っこさせてもらうとか」
 蘭の提案に、雪彼は顔を輝かせる。
「蘭ちゃん、それ素敵!」
 くまのぬいぐるみの方も満更ではないらしく、こっくりと頷いた。自分でよければ、といわんばかりに。
「それじゃあ、抱っこさせてね」
 雪彼が言うと、くまのぬいぐるみは頷いて両手を広げた。雪彼はくまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
 ふわふわの毛並みに、ふんわりした体。顔をくすぐる毛がくすぐったいけど気持ちよく、ふわりと花の香りがした。
「雪彼ちゃん、良かったのー」
 蘭がそういうと、くまのぬいぐるみは蘭の所に向かう。
「僕も、いいの?」
 確かめるように言うと、くまのぬいぐるみがこっくりと頷いた。
「そうよね。蘭ちゃんもくまちゃんを追いかけるのを手伝ってくれたんだから」
 雪彼の言葉に、蘭は「それじゃあ」と言って抱きしめる。やっぱり、ふわふわとした触感が心地よい。
 二人にひとしきり抱きしめられた後、くまのぬいぐるみは再び大きな袋を担いでどこかに行ってしまった。
 花畑に残された二人は、顔を見合わせる。くまのぬいぐるみを追いかけるために夢中で走ってきたが、今自分達がいる場所に見覚えが全く無い。
「蘭ちゃん、ここはどこなのかな?」
「分からないのー」
 そこは、単なる花畑ではない。見渡す限り、色とりどりの花が咲いている花畑には、空からふわりふわりと花びらが降り注いでいた。ゆっくりと、美しく舞い降りる白と薄ピンクの花びら。なんとも幻想的だ。
「いつの間にか、異界に来ちゃったみたいなのー」
 蘭がそう結論付ける。このような景色は、何処にもありえない。ありえるとするならば、それは現実世界ではなく異界という場所でしかないのだ。
「必死になって、走っちゃったからかな?」
「多分そうなの。でも……良かったの」
 蘭はそう言い、空を見上げる。ひらひらと舞い降りる花びらは、雪にも似ている。普段ならば絶対見ることの出来ぬ世界が、ここには広がっている。
「本当に、良かった」
 雪彼も頷く。走ってきてしまったけれど、それで本当に良かったと思える。
「それで、雪彼ちゃん。それは何なの?」
 くまのぬいぐるみから取り戻した包みを見、蘭が尋ねる。雪彼は「あ」と言ってから、蘭に差し出す。
「僕に?」
 きょとんとする蘭に、雪彼はこっくりと頷く。
「あのね、蘭ちゃんはいつも雪彼に楽しいをくれるでしょ? だから、そのお礼なの」
 雪彼はにっこりと笑いながらそう言うと「蘭ちゃん、どーぞ」と言って手渡す。蘭は「ありがとうなのー!」と言って、嬉しそうに受け取った。
「でもね、雪彼ちゃんも僕に楽しいをくれるのー」
「雪彼が?」
「うん。だって、ほら」
 蘭はそう言い、周りを見回す。さわさわと緩やかな風に揺れる花々が、美しく咲き誇っている。空からは、ふわりと舞い降りる淡い花びらたち。
「今、こうして僕がここにいるのは、雪彼ちゃんのお陰なの」
「蘭ちゃん」
 蘭の言葉に、雪彼はにっこりと笑う。
「くまちゃんも、抱っこできたしね」
「そうなの! 僕、すっごく嬉しいの」
「雪彼も嬉しい!」
 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑いあう。蘭の手には、しっかりと雪彼のチョコレートが握り締められている。
「ほら、蘭ちゃん。ねっころがったら、凄く綺麗!」
 雪彼はそう言い、その場に寝転ぶ。空から舞い降りる花びらが、自分に向かってきているような感覚だ。
 蘭もそれに倣い、ごろんと横になった。
「綺麗なの! 雪彼ちゃん、ありがとうなのー」
「蘭ちゃんも、ありがとー」
 二人は寝転がったまま、ひらひらと空から舞い降りる花びらを見つめた。
 ふわり、と包み込む花の香りと、降り注がれた花びらが頬を掠めて心地よかった。まるであの、くまのぬいぐるみを抱きしめた時のように。


<不思議の国を堪能し・了>