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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦え!戦乙女たち

 黒 冥月(へい・みんゆぇ)と、立花 香里亜(たちばな・かりあ)の稽古は、まず影内にある道場で正座をして礼をするところから始まる。冥月としては、別に礼から始まり礼に終わるような武術をさせているつもりではないのだが、何度言っても香里亜がやめないので、今では何となく習慣になってしまった。
「老師、今日もお願いします」
「分かった。いつものから行くぞ」
 元々この稽古は、香里亜が「自分の身は自分で守りたい」というところから始まった。最初は普通の女の子である香里亜がついてこられるのか心配もしていたが、冥月が課したジョギングや柔軟など、言われたとおりちゃんとこなしているらしい。
「大分体は柔らかくなってきたな」
 筋力と柔軟性では、香里亜は柔軟性の方が勝っている。そのぶん握力などはあまりないので、素早さと体の柔らかさを生かして伸ばす方向で進めているのだが、最近は動きも安定してくるようになってきた。
 それを褒めると香里亜はにこっと笑いながら立ち上がる。
「そう言ってもらえると、頑張ってる甲斐があります。いつもの訓練は一人じゃ出来ないので、基礎だけはやっておこうかなって」
 いつもの訓練。
 それは一メートルの円の中に冥月が立ち、掌以外の何処かを触る…という反復訓練だ。割に攻撃的な訓練内容だが、こういうものは体が覚えないと咄嗟に動けるものではない。頭で理屈が分かっていたとしても、高度な体操の技などが出来ないのと同じで、こればかりは積み重ねていかないとどうする事も出来ない。
 それに『攻撃は最大の防御』という言葉もある。
 守っているだけでなく、隙があれば相手に一撃を入れ、その隙に逃げる…という点でも、攻撃に関して覚えておいて損をする事はない。
「じゃあいつものからだな…前に言った所を意識しながらやれ」
「『具体的にどう捌くか』ですね。分かりました」
 いつも通りだが、それが一番の近道だ。
 スピードと体の動かし方、柔らかさについては相当身に付いてきた。キレが良くなってきたのでフェイントだけでなく、冥月が足をかけようとするのをかわしたりすることも出来るようになっている。
「なかなか出来るようになってきたな」
 無論手加減をしているのだが、コツコツやっている事が身に付いているのだろう。だが香里亜は、Tシャツの首元をパタパタ仰ぐと大きく息をつく。
「でも老師に全然触れられないので、まだまだです」
 ゆっくりとその場で足踏みし、また冥月をじっと見る。時々わざと隙を作ってみせているのだが、最近はそれにあまり引っかからなくなってきた。
「たあっ!」
 走り込んできた香里亜をさっとかわし背中をぽんと押すと、そのまま前転して上手く受け身を取った。それが身に付いているだけでも、防御は変わってくるはずだ。
「今のは勢い良かったと思ったのに…」
 それでもすぐ立ち上がるのは悪くない。
 そんな香里亜に冥月は、腰に手を当てこう言った。
「香里亜、勝つために最も重要な要素は何か判るか」
「勝つため…ですか?」
 そう言われても香里亜にとってはあまりピンと来ない。きょとんとしているその表情を見て、冥月は少しだけ笑って説明をし始めた。
 人によって色々意見はあるだろうが、冥月は勝つために必要なのは『予測』だと思っている。
 敵の戦法や状況等、様々な要因から敵の攻撃を先読みする事。例えば相手の構えや視線を見ながら頭を狙っているのか、それとも足下なのかを考えそれよりも早く体を動かす事だ。
「予測…ですか。何だか難しいです」
 冥月ほど修羅場をくぐり抜けていれば、その予測は簡単に出来るが、まだ修行をし始めて半年も経っていない香里亜にそれをいきなり考えろというのは無理だろう。考える暇がなければ…結局体で覚えるしかない。
「頭で考えるよりは肌で感じろ、要は勘だが達人同士の勝敗はほぼそれで決まる…来い」
 予測の要素の中には、敵と自分の戦法や武器、得意技、状況、戦闘時間、そこに至るまでの戦闘内容に相手との実力差、残存体力、天候など、それこそ口では教えきれないほどあるのだが、それを見極める為にも結局経験を積むしかない。
 わざと冥月が隙を作っているのもその一環だ。そうやって攻撃を誘導するのも予測の一つであり、立派な戦術になる。
 勝つ事…は香里亜に必要な事ではないのかも知れない。
 別に格闘家にするわけではないのだから、もう少し緩くやってもいいのかも知れない。
 足下を狙った蹴りを避け、続けて入れられる手刀をさっとかわし、腕を逆手に取る。
「痛たたたたた」
「鍛えるには経験積むしかない。修行の一つ一つを大切にしろ。あと、蹴りは体のバランスが難しいから、狙うなら臑か膝、股間だけにしておけ。足を取られて転んだら致命的になる」
 軽く捻っていた手を放すと、何かを確かめるように香里亜はぐるぐると肩を回した。
「うーん、やっぱり蹴りは難しいんですね」
 股関節が柔らかいのでねんざの危険性はないだろうが、小柄な香里亜が足を取られれば相手の体格差によってはそれで終わりだ。武器を持たせず徒手格闘ばかりやらせているのも同じ理由で、武器を落とされて相手に拾われてしまえば致命的だからだ。
 何度か香里亜が攻めてきたのをもう一度やらせ、しっかりと教え込んでいく。
「前に教えた構えを使って、前腕でこう避けるんだ。とにかくその構えから攻撃も防御も始めろ」
 出す足と同じ側の腕を前に構える。
 それが身に付けば前腕を使ったりするのも楽になるだろう。しばらくその姿勢からのパンチや手刀、掌底の効果的なやり方を教え、攻守交代することにした。
「また全身捕まらないようにですか?」
 前回の稽古では『香里亜の体を掴もうとする冥月の攻撃を、全て払うか避けるかする』だった。だが、今回は『予測』の訓練なので、それをいきなりやれと言うのは酷だ。構えに気を取られれば何処かに隙が出来る…では、訓練にならない。
「そうだな…急に全身守れと言われても困るか。よし体の一ヶ所を指定しろ、私はそこしか狙わない」
「一カ所ですか?」
 これなら充分前もって予測出来るし、それに集中する事で体に身に付いていく。香里亜が守るのは一カ所で、それをどう避けるかは自由だ。
 どこにしようか考えている香里亜に、冥月はアドバイスをする。
「守りやすい所をよく考えろ。背中は私の死角になるが守りにくい、腹は守りやすいが私も攻撃しやすい…どこにする?」
「うーん……あ!」
 ややしばらく考えていた香里亜が、何か思いついたように顔を上げた。冥月はそれを見てふっと少し笑ってみせる。
「脇や足裏は止めておけよ。手加減が難しいからな」
「いいアイディアだと思ったんですけど…」
「それは私が昔師匠と同じ訓練をしたときに言ったんだが、コテンパンにされた。それに触ろうとするなら一度バランスを崩さなければならないから、訓練にならないぞ」
 そこまで来ると予測どころではなく、本格的な戦闘訓練になってしまうし、そもそも敵が足の裏を狙ってくる事は、ほとんどと言っていいほどない。そこが急所だというならともかく、実戦に伴った訓練をしなければ。
「じゃあ、頭でお願いします」
 そう言った香里亜に冥月は少しだけ目を丸くした。
 普通なら「肩」とか「胸」を選びそうなものだが、いきなり頭とは…。
「どうしてそこにした?」
「えっ…冥…じゃなかった、老師が前に急所は『あご』『喉』『目』って言ってたので、全部入るかなって思ったんですけど、無茶でしょうか…」
 いや、それでいい。
 冥月がさっと構えてみせると、香里亜も同じように構えを取る。頭に来たらこうかわそう…そう考えているのが分かる。
「行くぞ」
 初めはゆっくりと頭に触るように手を伸ばす。それを香里亜が左前腕を使ってかわしたり、足を使って逃げたりし始めた。冥月の場合は一メートルの円の中だが、香里亜にその制限はない。
「はうー、だんだん首が疲れてきました…」
 一カ所を狙った攻防だが、そのぶん意識が集中するので思った以上に疲労は溜まる。最初は手加減していたので避けられていたが、スピードが上がってくるとそれを目で追い、考えて体を動かす事についていけなくなる。
「ほら、だんだんついてこられなくなってきたか?」
「いやーっ、つむじ、つむじ突かないでください」
「喋っていると疲れるぞ」
「うー……」
 ここまではある程度順調にやって来たが『触るのに有効な攻撃を予測し防ぐ』のはまだ無理なようだ。それでも容赦なく触る冥月に、香里亜はまだ食らいつく。
「ううーっ」
 そろそろ終わりにするか。
 足がもつれた香里亜の頭を、冥月は両手でぎゅっとつかんだ。
「捕まえた。今日はこれぐらいにしておくか」

「今日はちょっとダメダメ〜。でも、次は頑張る〜♪」
 いつものように温泉で汗を流した後、冥月より先にあがった香里亜は首にタオルを巻いてジムの方に出てきていた。髪の長さがあるので、冥月はドライヤーに時間がかかるらしい。
 一カ所だけの防御だったが、案外それが難しい。鏡の前で構えの練習もした方がいいだろうか…そんな事を思いながら持参してきたスポーツドリンクを飲み、着替えなどが入ったバッグの所に行こうとしたときだった。
「あれ?」
 入った事のないドアが薄く開いていた。冥月の影内にある亜空間には、色々な物や部屋がある事は知っているが、そこは香里亜も見た事がない場所だ。
「冥月さんの私室かな…」
 覗いてしまってもいいものだろうか。そうは思いつつも好奇心はある。
 そのドアをそーっと覗くと、中には立派なひな人形が飾られていた。そういえば、もうすぐひな祭りだ。
「うわー…」
 それは七段飾りの立派な物だ。女びなに男びなに三人官女…五人囃子だけではなく、右大臣や左大臣、仕丁(じちょう)までしっかり揃っている。
 人形の衣装も素晴らしい出来だが、持っている小物やその下に並べられている雛道具に施されている蒔絵なども丁寧で美しい。香里亜も実家にいた頃はひな人形を飾ったりしていたが、ここまで立派な物を見たのは初めてかも知れない。
 思わずじーっと見つめていると、後ろからポンと背中を叩かれる。
「きゃっ!」
 びくっとして振り返ると、そこには冥月が立っていた。悪戯を見つかった子供のように上目遣いになる香里亜に、つい苦笑してしまう。
「ごめんなさい…ドアが開いてたので覗いちゃいました」
「いや、別に隠していた訳でもないからな。白酒でも一緒に飲むか?」
 中はベージュの壁になっている小さな部屋だった。そこに二人で座り、冥月はどこからともなく白酒と杯を出す。
「冥月さん、雛道具を手にとって見せてもらっていいですか?」
「ああ、それはちょっとすごいぞ」
 そう言ったとおり、雛道具は小さいながらもしっかりと蒔絵が施されていて、針箱を開けると小さな裁縫道具が納められている。鏡台はちゃんとした鏡で、小さな引き出しの中にはやっぱり化粧道具などが納められていた。
「すごい…和道具のドールハウスみたいです」
 そっと引き出しを戻して正座し、冥月から杯を受け取りそっと口に入れる。白酒はほんのりと甘く、ゆっくりと体に染み渡る。
「美味しい。それにこんな素敵なおひな様が見られて嬉しいです」
「そうか?」
「はい。こんな立派なおひな様を見たのは初めてです。七段飾りでも、小物まで小さいのってすごいですね…中国でもひな祭りってあるんですか?」
 そう聞かれ、冥月はゆるゆると首を横に振る。
「いや、これは幼い頃兄弟子が買ってくれてな…」
 ひな祭りを祝う習慣があるわけではないが、これは冥月にとって思い出の品だ。とても大切で、飾るときにはいつもたくさんの思い出と一緒で……。
「………」
 目を細め人形を見つめていると、杯を飲み干した香里亜がにこっと笑った。
「もしかして…彼氏さんですか?」
「………!」
 見事に当てられてしまった。
 いつもなら表情を崩さない冥月が、思わず動きを止め赤面する。
 この世にいないが、今でも一番大事な人。胸の写真入りロケットに重みを感じながら俯くと、香里亜がふうっと溜息をつく。
「羨ましいです。私もそんな彼氏さん欲しいなー」
「なっ……」
「スタイル良くて、強くて、彼氏さんも素敵…って、もう無敵ですよ。御利益あるかも知れないから、拝んじゃおっと」
「こら。もう白酒はお預けだ」
 白酒の入った器を後ろに隠しながら、冥月は久しぶりの感情に戸惑いと小さな痛みを感じていた。からかわれて拗ねたり、赤くなったりする素直な気持ち…今まではそれを話したりする事も出来なかったが、やっと向き合えるようになった。
 胸が痛むのは、その彼がいないという事にもちゃんと向き合えているからで…。
「私も頑張って強くなりますね。なので白酒もう少し下さい」
「仕方ないな…」
 この様子を見たら、彼は笑ってくれるだろうか。
 冥月は香里亜とひな壇を見上げながら白酒を飲み干し、顔を見合わせて笑った。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
いつもの香里亜との稽古を中心に、ラストで冥月さんの思い出のひな人形と一緒にちょっとした宴を…という感じになってます。人形だけでなく、小物の中身までしっかり作っているひな人形というのは実在してまして、それは大変な物らしいです。
少し嬉しく、そして切ない思い出ですが、それでもいつもと違う冥月さんが出ていたらいいなと思っています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。