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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


Pigeon blood





 本当ならば持ち主に自由と情熱を与えるはずのルビー。
 その中でも「鳩の血」と呼ばれる、濃いめの赤で、内側から発せられるダークレッドから明るいローズへ続くモザイクの濃淡が美しく、わずかに紫がかった鮮明な赤色のルビーはとても貴重とされ、10カラットサイズともなればダイヤモンドさえも凌ぐ価値を見せる。
 それが、今この目の前にあることに、ほくそ笑む人がいる。
「曰くつきの宝石ねぇ」
 微笑を浮かべた顔をゆっくりと傾け、頬杖を付く碧摩蓮。
「ありがちな話しすぎて何の感動もないね」
 硝子ケースの中で静かに鎮座する幻の20カラットもあるピジョンブラッドのペンダント。
「えぇ、その方がこちらも助かります」
 依頼主――芳・マーベイガーは、蓮が下手に興味を持ち手元に起きたいと考えやしないかと危惧していたのだが、そんな心配は何処吹く風の蓮の言葉に、安堵したように言葉を漏らす。
「明日、聖塔記念博物館の方々に、こちらで受け取るよう手配してあります」
 それでは、宜しくお願いします。と、マーベイガーは椅子を立ち上がる。当の蓮は、机の上のピジョンブラッドを視界に入れたまま、
「どうして、家に来たんだい?」
 博物館への寄贈が決まっているのなら――そもそも、今まで保管してきたのならば――今更災いが降りかかる心配もする必要はないような気がする。
 マーベイガーはそんな蓮の質問に、嘆息するように息を漏らすと、
「呪いがプラスされているとはいえ、ルビーとしての価値が下がってしまったわけではないのですよ」
 まして、このピジョンブラッドは、ダイヤモンドなど軽く凌ぐ価値を持つ、幻のルビー。
「貴女の人脈があれば、このルビーを守っていただけると思ったのですが、私の思い違いでしたか?」
 試すようなマーベイガーの言葉に、蓮はピクリと柳眉を吊り上げる。
 そして、ゆっくりと1回瞬きをしてマーベイガーに顔を上げた。
「気に入らない言い方だね」
 そんな蓮の言葉にもマーベイガーはただ肩をすくめて微笑むばかり。
 蓮は深く長くため息を付きながら椅子から立ち上がると、ふっと笑みを浮かべる。
「まぁいいさ。引き受けてやるよ」
 マーベイガーはそんな蓮の言葉に、ただにっこりと微笑を浮かべた。





◇◆◇◆◇





 丸いアンティークデスクの真ん中に、まるで花を活けた花瓶代わりに置かれた大粒のルビーのペンダント。
 そんなルビーを囲んで、蓮と共に優雅にお茶を楽しんでいるのはセレスティ・カーニンガムだ。
 ルビーを肴に紅茶と言うのは、何だか空気が違って見えるのは気のせいか。
「こんにちは」
 言葉と共に開けられた扉に、セレスティと蓮は視線を向ける。
「あら、セレスティさんも一緒だったのね」
 セレスティはにっこりと微笑むと、戸口に立っていたシュライン・エマに軽く頭を下げた。
「近くまで来たから、顔出していこうかと思って」
 ふと時計を見やれば、時間的に仕事帰りといった時間帯だろうか。
 しかし、用事も無いのにセレスティがレンに居るはずも無く、何かあったのかしらとシュラインが思いを働かせた瞬間、
「丁度いいところに来た」
 その言葉と共に、にぃっこりと微笑んだ蓮の顔が真正面に近づき、思わずシュラインは後ずさる。閉めたばかりの戸が邪魔をして逃げ出すことは出来なかったが、元からシュラインに逃げる気など無い。
「どうかしたの?」
 シュラインは瞳をぱちくりさせ、少々躊躇いがちに尋ねれば、蓮はふっと息を吐き出し、
「ちょっと厄介ごとに首突っ込んじまったみたいでね」
「そんなの何時ものことじゃない」
「そりゃそうだ」
 曰く付きの代物ばかりを扱うアンティークショップを営んでいるのだから、厄介ごとがないことのほうが珍しいと言えてしまうかもしれない。
「ま、今ここに来たのもきっと巡り合わせさ」
 と、蓮はシュラインをセレスティが座っているテーブルまで促し、ケースに入った鳩の血を指差した。
「凄い…。こんなルビー初めて見たわ……」
 思わず感嘆の息が漏れる。
 幻の20カラットのルビー。それが今目の前にあるのだから。
「そうそうお目にかかれるものじゃないことは確かだね」
「私も噂だけは微かに耳にしていましたが、実際に目にしたのは初めてです」
 蓮の言葉を補足するように発せられたセレスティの言葉に、シュラインの瞳がなお更驚きに彩られる。
「セレスティさんも見たのが初めてって事は、凄く珍しいものなんじゃない?」
 如何してそんなものがここに? いや、レンに持ち込まれるくらいなのだから、勿論曰く付きで、実は呪われてますといわれてもなんら不思議じゃない。
「……え? 本当なの?」
 ぽかんとするシュラインとは裏腹に、蓮はセレスティと顔を見合わせ、「まぁ聞いとくれ」とため息交じりに肩を竦める。そして、先ほど受けたばかりの依頼内容をシュラインに伝えた。
 不思議な経緯でレンが保管することになった、身に着けると死の呪いが降りかかるというピジョンブラッドのルビーのペンダント。
「明日、館員の方が取りにくるまで保管しておけばいいのね」
 でも、それならば如何して今まで保管してきたのに、博物館寄贈が決まってから、レンに預けるなどしたのかが、やはりシュラインにも気にかかった。
 一度話しを聞いていたが、シュラインに伝えるため再度話された内容を、自分の考えと照らし合わせるように耳に留め、セレスティは口を開く。
「博物館の方は明日、レンの方に無事に引き取りに来る事ができるのでしょうか」
「確かに、寄贈反対者が身内にいたら、館員の方々の邪魔をするかもしれないわよね」
「それもありますが」
 銀行のお金のやり取りだけでも、一度に何人もの警備員が付き添って行われるもの。
 一財産と言ってしまうには高すぎるルビーを守るためにはそれなりの人員と経費が必要になってくる。
「わざわざ取りに来させると言うのは、防犯上気になるところです」
「あたしは渡してくれって言われただけだしね」
 博物館に無事届ける役目は依頼範囲外だ。と、蓮は告げる。
 シュラインはむっと唇を尖らして、じぃっとルビーを覗き込む。
「まさか、イミテーションって事はないわよね……」
 レンに『鳩の血』があると噂を流して、眼を逸らしている隙に、今頃本物は博物館に寄与された後……なんて。
「でも、それなら蓮さん気がついちゃうか」
 ふっと肩から力を抜くように息を吐いて、シュラインはルビーから視線を外す。
 確かに専門の目利きに劣らない目が肥えた2人がいて、今更偽物でしたという事はないだろうと、自分で結論付ける。
 一人納得しているシュラインを優しい微笑で見つめ、セレスティはふと机の上のルビーに視線を戻すと、そっとその手を伸ばした。
「セ、セレスティさん!?」
 素っ頓狂なシュラインの声が上がる。
「大丈夫ですよ。身に着けたとき初めて呪われるのですから」
 そうでしたよね? と、蓮を見れば、蓮はゆっくりと頷く。
 今やルビーはセレスティの手の中だ。
 そのやり取りに、思い出したようにシュラインはほっと息をつき、
「あ…そうよね、身に着けると、呪われるのよね。死ぬ呪いだからってちょっと過敏になりすぎかしら」
 直に触った程度では一応何ら影響はないはずだ。そうでなければ今までの持ち主であるマーベイガーも死んでいなければおかしい。
 セレスティは、少しだけ触ったものにも呪いが降りかかる類ではないかと考えていた。だから、もしかしたら職員をルビーの呪いから守ってほしいのではないか、と。
 手の中に収めたルビーに視線を落としていたセレスティは、はっと思い出したように顔を上げ、疑問の言葉を零す。
「依頼人の方は立ち会われないのでしょうか」
「そういえば、博物館の連中がいつ来るのかも聞いていないねぇ。どうしてだい?」
 ちょっと頭に血が上っていたのかもしれない。そんな重要なことを聞き逃すなんて。
「引き取り手に商品を確認して渡されないのでしょうかと思いまして」
 大きな取引や、重要な取引であればあるほど、会社でも重役と呼ばれる立場の人間が必ず立ち会う。
 こんかい取り扱うルビーの取引はお金にすれば数億など下らない取引のはず。それを持ち主が立ち会わないのはおかしい。何せ下手をすれば――いや、下手なことが起これば、会社が1つ潰れるほどの損害を被る事になるのだから。
「時間を指定しないことで、反対派に悟られないようにするため…とか」
 ルビーを博物館に寄贈したくない親族や、ルビーをあわよくば手に入れたいと思っている誰かに一々呼び方を作っていては面倒くさい。
 そのため、今は一まとめにして反対派と呼ぶことにして、シュラインは続ける。
「それでも徹夜を要求する依頼に、依頼者さんが居ないのって不公平よね」
 受け渡しまで一緒に居てくれれば良いのに。
 何か思うところあったのか、しばし難しい表情を浮かべていたセレスティだったが、ルビーを硝子ケースに戻すと、シュラインと蓮に向けて顔を上げる。
「では私はそろそろ戻ります」
 少しでも早く情報を入手するため。
「ああ、頼んだよ」
 セレスティは、きょとんとした表情で軽く首を傾げるシュラインに軽く頭を下げ、アンティークショップ・レンを後にした。
 残されたシュラインはと言えば……
「セレスティさん、一緒に居てくれないの?」
 まだ少し呆然としたままセレスティが出て行った入り口を指差して、シュラインはゆっくりと蓮の顔を見る。
「ああ、セレスティの人脈を使ってルビーを調べてもらおうと思ってね」
 だからシュラインが来た時には、セレスティがレンに居たのだろう。
 確かにこんないろいろとおかしな依頼、ルビーを調べたくもなるというもの。
 硝子ケースに戻ったルビーに顔を近づけ、シュラインは再度はぁっとため息1つ。
「それにしても綺麗だわ」
 呪いがあるなんて嘘みたいに。
 確かにその依頼主であるマーベイガーが言っていたという『呪いがプラスされていてもルビーとしての価値は下がらない』という言葉が分かる気がする。
 だって、呪い呪いと言いながら、宝石から負の――そういった力はないのだけれど、悪寒を感じるような――気配を感じない。
 シュラインはルビーを視界に入れたまま、顔を近づけるために折っていた腰を起こし、考えるように腕を組む。
 蓮の話を思い返してみても、マーベイガーはルビー自体を嫌がっている感じを受けなかった。
 嫌がっていないのに、ルビーを手放す決意をしたとなれば、きっと何か他に理由があるのだ。
(聖塔……)
 シュラインは、小さく博物館の名前を唇に乗せる。
 この宝石に何か神に関する逸話でもあるのだろうか。
 死もある意味神の御許へ行くことにはなるけれど、呪いの死で神の御許へ行く事は可能か―――?
(ちょっと、無理矢理すぎね)
 幾ら聖なる塔が神を連想させるからといって、すなわち死と結び付けるには少々苦しい。
 いや、もしかしたら逆か?
 聖なる塔へ、神の御許へ、呪いの宝石を封印する。
 分からないことが多すぎる。いや、知りたいことが多すぎるのかもしれない。
 本当は知る必要など全くないのに。
 レンに持ち込まれた依頼、そしてシュラインが蓮に捕まった理由は、聖塔記念博物館の館員が取りに来るまで『鳩の血』を守ること。
「蓮さん、ダミーを作って、本物を人形に着けて、服着せちゃうってどうかしら」
 ルビーを手渡せればいいのだから、硝子ケースにちゃんと入っている必要はないだろうし、もしルビーを手に入れようとする者が現れても、まさか人形が装備しているとは思うまい。
「保管の仕方はさして指定されてないしねぇ」
 シュラインの提案に蓮は面白そうに瞳を細める。
 人形ならば今レンにあるもので事足りるだろうし、ダミーも蓮の電話一本で簡単に用意することが出来るだろう。
 手ごろな人形を手に店の奥から戻ってきた蓮は、しきりに宝石に話しかけているシュラインを見て、数度瞬きをして腕を組む。
「何してるんだい?」
「呪いって云うくらいだから、九十九神の類の可能性もあるかと思って」
 もし、宝石に九十九神でも憑いていたら、逆にどれだけ楽な依頼だろうと思う。なぜならば、蓮に預けたマーベイガーの真意も全て宝石から聞くことが出来ただろうから。
 しかし一向に返事のない宝石に、シュラインははぁっと息を吐いて椅子に困ったように座り込む。
 ルビーを目にして最初に予想したことの殆どが空振りに終わってしまった。
「ただいま戻りました」
 音を極力出さないよう扉を開き、セレスティがレンの中へと戻ってくる。
「何か分かりましたか?」
 一応こちらは何もなかったとシュラインは告げ、セレスティの車椅子を押して足早に店内へと戻ると、妖しい音や人が居ないか一応確認をしてから、扉を閉め、鍵をかけた。
 セレスティはシュラインに小さく礼の言葉を述べ、机にノートパソコンを広げる。
「このピジョンブラッドは、ある宝石商の一族を発端に流通していきました」
 ぴんと来たらしいシュラインに、セレスティはにっこりと笑いかける。
「まさか……」
「その、まさかです」
 マーベイガー一族。
 元はイギリスに端を発す、宝石によって財を得たなり上がり。
 依頼人である芳・マーベイガーの名前で分かるように、先代が日本人と結婚し、そのまま一族ごと来日。
 事件の多くはアメリカで起こり、イギリスからアメリカへ渡った成金貴族の一族だったと予想される。
 そして、約200年前は独立革命直後の時期と重なる部分がある。マーベイガー一族も革命の影響で財産を失い、幻と呼ばれるピジョンブラッドを手放す決意をしたのだろう。
 だが、偶然と呼ぶには些か苦しい状況で、ピジョンブラッドは売った先の成金の娘の命を奪った。
「まさか、それが呪われていたなんて…ね」
 マーベイガーにも誤算だったに違いない。取引相手の成金に金を返せと詰め寄られた事だってあっただろう。
 そして、その宝石を救世主のように買い取った宝石商。
 面白いことに、今の値段で言うならば、マーベイガーから成金への売値約10億。そして、成金から宝石商への売値約2億(娘を失ったという心づけを加え3億ほどになったもよう)。
 5分の1まで暴落してしまったような破格の値段になってしまっても、ルビーを手元に置きたくないという成金の真理は分からなくもない。
「ぼろ儲けじゃない」
「この宝石商もマーベイガー一族ならばそうなりますね」
 しかし、残念なことに、この宝石商とマーベイガー一族との接点は見つかっていない。
「やっと自分たちの一族に戻ってきたピジョンブラッドを博物館に寄贈するって、どんな思いかしら」
 やっぱり一族内に反対者が出てもおかしくないとシュラインは思う。
「問題はマーベイガー一族がどうやってこのピジョンブラッドを取り返したか、と言うところでしょう」
 一族と宝石商の接点は何も見受けさせないほど徹底したマーベイガー一族だが、表向き事業の成功となっているが、面白いことに、ピジョンブラッドが流通するたびに少しずつその資産が増えていっているのである。
「普通に買い取って取り戻した。ということよね?」
 資産が増え、一族がまた過去のように裕福になったのなら、ピジョンブラッドを買い戻すことも可能だろう。
「確かにそうなりますね」
 そして、その方法は―――“善意”の宝石商と同じ。
 呪いなんて目に見えないものは、実際その身に受けてみなければ、信じる人間など殆ど居ないと言っても良い。
 きっと現在分かる一番新しい犠牲者も、呪いなんてあるはずがないとピジョンブラッドを手に入れ、そして身に着けたに違いない。
「仕舞っておけばいいのにねぇ」
 話しに水をさすように、蓮はキセルを吹かせながら、半分やる気がなくなった声音で告げる。
「でも身に着けたい気持ちも分かる気がするわ」
 新しい服を買ったり、新しい髪形にしたら、誰かに見せたいし気がついてもらいたい。ほぅっとシュラインはため息を着き、気がついて欲しい人ほど気がついてくれなかったりもするけど、と、今は関係ないことを思ったりした。
 セレスティはノートパソコンから顔を上げ、ゆっくりと車椅子の背にもたれかかる。そして、感慨深げに告げた。
「女性の犠牲者が多いのも、ピジョンブラッドがペンダントの状態であることが多いせいかもしれませんね」
 宝石はアクセサリーとしての形で売られていることが多いが、実際金属の部分は宝石を支えているだけで、幾らでも形を変えられる。
 博物館に寄贈されることで、『呪い』という不名誉な称号で見られることになっても、この先誰かを殺す可能性が秘められたままよりは何倍も良い。
 そうして、セレスティやシュライン、そして蓮は、聖塔記念博物館の館員が訪れるまで、短いようで長い夜を過ごした。





◇◆◇◆◇





 帽子を目深に被った男性が、アンティークショップ・レンの扉を開けて、蓮と、そしてシュラインの姿を見るなり深々と頭を下げた。
「私、聖塔記念博物館の森と申します」
 男性は出迎えるように立ち上がったシュラインに名刺を差し出し、ルビーが置かれたテーブルに頬杖を着いたまま微笑んでいる蓮へと歩み寄ると、軽く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「徹夜させられた程度で何も起こらなかったよ。なぁ、二人とも」
「えぇ。私の予想も的外れだったみたいだし」
「そうですね、
 九十九神が憑くなり、変化しているなりしていれば、それなりに楽しいミッドナイトになったかもしれない。
 シュラインは人形とダミーを入れた硝子ケースを取り出し、
「一応、何かあった時のためにと思って」
「重ね重ねありがとうございます」
 森は人形と、いざというときのダミーを受け取り、シュラインに深々と頭を下げた。
「警護の方が手薄なようでしたら、こちらで手配できますが?」
 カラット値段で単純に計算した場合約3億ほどになるピジョンブラッドだが、20カラットという大きさと、アンティーク価値を含めた場合、今や値段は計り知れないほどに膨れ上がっているだろう。
 それを一介の博物館が所有し、輸送するのだから、途中で何者かの妨害や強盗に出会ってしまう可能性も否めない。
「お心遣いありがとうございます。リンスター財閥にはいつもお世話になっておりますが、今回はこちらも万全の体制で訪れましたので」
 大丈夫だと告げる森に、セレスティは軽く頷いて微笑む。
 流石に幻と云われたルビーを扱うだけに、それなりの覚悟や用意はしてきていたのだろう。
「それでは、マーベイガー氏に『確かに受け取りました』とお伝えください」
 そう伝えた森は深々と頭を下げ、人形を手にレンから出て行く。
 3人は、扉が閉まるまで、その背が見えなくなるまで、森を見送り、完全に見えなくなったところで、ほっとしたように息を吐き、知らずに笑いあう。
 夜の間中喋りながらも緊張していた時間が嘘のようだ。
 シュラインは両手を天上に振り上げて、ぐっと背筋を伸ばす。
「何もなくて良かったわ」
 良かったと言うものの、逆に何もなさ過ぎて、少しだけ拍子抜けしてしまったような気がする。
「無事受け渡しも済みましたし」
 セレスティは机に広げていたノートパソコンを閉じ、膝の上に置く。
「無事終了、ね」
 話に花を咲かせつつも、シュラインはこの夜の間中ずっと何か異変があれば直ぐに知らせられるようにと、外の音にずっと注意を払っていた。
 セレスティや蓮よりも内面的には疲労が溜まっているに違いない。
 そうして、シュラインは一仕事終わったことにぐっと背伸びをして、軽く訪れた眠気から口元に手を当てた。
「ここに、ピジョンブラッドがあると聞いたんですが!」
 息を切らして走りこんできた男性の叫びに、当てた手のしたで小さなあくびを漏らしていたシュラインは、ぐっと変に息を飲み込む。
「どちら様だい?」
「聖塔記念博物館の森です!」
「え?」
 聖塔記念博物館には、森という館員が何人も居るのだろうか? と、シュラインとセレスティは顔を見合わせる。
「ピジョンブラッドでしたら、先ほど博物館の方が取りにこられましたが?」
 セレスティは軽く首をかしげ、のんびりと――だが冷静な――口調で告げる。
「…くそ! 遅かったか」
 その言葉を聞き、森は周りに人が居ることも忘れ、唇をかみ締め悪態をつく。そして、はっと自分に向いている視線を感じて申し訳ないと縮こまった。
「あの、ごめんなさい。話しが見えてこないのだけれど」
 説明してもらってもいいかしら。と、シュラインは尋ねる。
 森は一晩であれどルビーと関わってしまった3人に、自分たちが調べ上げたピジョンブラッドについて話し始めた。
 まず、聖塔記念博物館は、確かにマーベイガーにピジョンブラッドを買い取りたいとお願いしていたこと。
 そしてそれを断られたこと。考えられる理由としては、個人ではなく博物館に売ってしまっては、どんな方法を使っても――窃盗でもしない限り――自分の手にピジョンブラッドが返ってこないため。
 それをマーベイガーは何とか避けたかったと考えられる。
「依頼人を疑いたくは無かったけど…」
 シュラインは森の話を聞き、落胆するように瞳を伏せる。
「要するに、完全にマーベイガー氏に騙されたのね。私たち……」
 森の話を聞き、一同が沈黙してしまったレンで、どこか人を喰った様な顔つきの男性が店内に入ってきた。
「やれやれ、主役の登場かい」
 蓮は肩を竦めるように笑って、そう初代ピジョンブラッドを所持していた一族の末裔――芳・マーベイガーに背を向けると、やる気もなさげに前髪をかきあげて、後は任せたと言わんばかりに店の奥へと去っていく。
「こんにちは」
 シュラインは突然のマーベイガー本人の登場にぐっと息を呑み、セレスティはどこか誤魔化すようにきょとんとした瞳でマーベイガーを見上げた。
「受け取りの方は終わりましたか?」
 マーベイガーはそんな一同を見やり、微かにその口元に笑みを浮かべて問う。
「よくもそんな事を…!」
「森さん……!!」
 今にもマーベイガーに掴みかかりそうになっていた森をシュラインが押さえる。
「ごめんなさい、マーベイガーさん」
 頭を下げたシュラインに森は身なりを整えると、マーベイガーに鋭い視線を向けたまま名刺を取り出した。
「初めましてマーベイガーさん。聖塔記念博物館の森と申します」
 その名刺は、最初『森』と名乗った男がシュラインたちに手渡したものと同じ……。
 どちらが、本物の『森』なのか。
 一瞬だけ、マーベイガーの瞳が鋭くなった気がした。
(……?)
 その変化にセレスティが小さく首を傾げる。
 けれど、それも一瞬の出来事。マーベイガーの瞳はもう何時もの色に戻っている。
「あぁ無事、受け取っていただけましたか? ピジョンブラッドは」
 今自分たちの目の前に居る森の激昂を見るに、やはり彼が本物の森と考えていいだろう。
「それが……」
 今までずっとピジョンブラッドと一緒に居り、そして『森』に手渡したシュラインが、手短に今までの出来事をマーベイガーに説明する。
「何ですって!?」
 マーベイガーは驚きに瞳を見開き、ぐっと奥歯を噛むとゆっくりと1回瞬きをする。
 そして、その瞬きの間に気を落ち着けたのか、その顔から表情と温度を失くして告げた。
「確実に受け渡していただけると信じて依頼を行ったのに、とんだ期待はずれだったようですね」
 店の奥に姿を消した蓮はもう顔を出さない。
 マーベイガーはアンティークショップ・レンの扉に手をかけた。
 彼の姿が店の外へと消えていく。それは、まるで錯覚のようにゆっくりと、レンと下界が切り離されていっているように感じた。
 シュラインも、セレスティも、そして森も……誰も、その背を追いかけられない。
 追いかけても、此処にピジョンブラッドがあるわけでも、その行方も、もう、分からなかったから。
「また、振り出しか……」
 森は小さく呟き、
「巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」
 と、二人に深々と頭を下げる。そして、悔しそうな表情を浮かべ、足早にレンを去っていった。
 あまりにも嵐のように去る彼の姿に、取り残されたシュラインとセレスティは、しばし呆然とその姿を見送る。
「流石に徹夜はきついわね」
 シュラインがそろそろ帰って一眠りするわ。と、多少のやるせなさを感じながら、ハンドバックを持ち上げる。
「彼は、嘘をついていると思いますか?」
 ふと、セレスティが口を開く。
 彼とはすなわち芳・マーベイガー。
「分からないわ。分からないけど…」
 何か知っていそうな気はする。
 でも、これ以上自分たちに調べられることは何もない。
 森は、またこれからもピジョンブラッドの行方を探すだろう。
 マーベイガーは、ピジョンブラッドを探すだろうか?
 そして、ピジョンブラッドを持っていったもう一人の『森』は――――


















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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


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■         ライター通信          ■
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 Pigeon bloodにご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 今回ギリギリの納品となってしまい、かなりお待たせして申し訳ありませんでした。
 まず結果と致しましてルビーの所在は現時点で分からなくなってしまいました。申し訳ありません。
 理由としましては、作中でも言わせてしまいましたが(申し訳ありません)依頼者を信じすぎている点にあります。
 今回のような腹の中で何考えてるか分からないとか、嘘が顔に出ないタイプの人間を余り書いたことがなかったので、惑わせてしまったかな?と思っております。
 シュライン様のプレイングを拝見して、九十九神説もいいかもしれないな。と思ったのですが、今回はストレートに人間心理のほうを目指したシナリオとなりました。呪いや噂はその発端があり、それによって稼ぐ人間もいるということです。
 それではまた、シュライン様に出会えることを祈って……