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<東京怪談ノベル(シングル)>


漆黒に金の響きあり

「もしもし?シュラインですけど…こんにちは」
 人に電話をかけるときは、いつも少しだけ緊張する。それは顔が見えないから…というのもあるが、電話に出たときの機嫌はどうだろうとか、時間は大丈夫かとか、そんな事を気にしてしまうからだ。
 シュライン・エマが少し緊張しながらかけた電話の向こうでは、猫の鳴き声と共に柔らかな空気が漂っているのが分かった。
「もしもし…シュライン殿か。先日はどうも」
 電話を掛けた相手は、刀剣鍛冶師の太蘭(たいらん)だ。知り合ったきっかけは些細なことだったが、それから骨董などに関して話をしたり、手作りの漬け物などを交換する仲である。
「太蘭さんは今日はお時間空いてるかしら?」
 今日電話をしたのも、太蘭に渡したい物などがあったからなのだが、急に行って忙しかったり仕事の邪魔をしてしまっては困る。急な申し出なので返事が返ってくるまでドキドキするが、太蘭はふっと笑ってこう言った。
「ああ、今のところ大抵暇なので、猫を構うぐらいしかやることがない」
「じゃあお邪魔しても…」
「庭の梅も見頃だから、是非」

 その後少しだけ話をして、シュラインは太蘭の家に出向くことにした。
 大きな蜜柑の木が目印なのでどうしてもそこに目が行くが、縁側から見る庭は季節の花や木などがちゃんと手入れされている。
 今は梅が見頃と言うだけあり、近くを歩くとほんのりと梅の香りが漂っていた。
「こんにちは、太蘭さん。急にごめんなさい」
「いや、こっちも毎日退屈だったので丁度良かった」
 いつものように猫たちに歓迎されながら玄関で礼をすると、太蘭は目を細めてシュラインを居間の方へと案内した。
「客間は少し寒いから、炬燵がある居間の方で…」
 今日はさほど肌寒くなく日差しも柔らかいのだが、日本家屋なのですきま風などがあると気を使ってくれたらしい。もう何度も太蘭の家には来ているので、居間で猫と暖まりながらこんな風に気軽に話が出来るのは、シュラインとしてはかなり嬉しかったりする。
 炬燵に座り、お茶と一緒に桜餅が出されたのを見て、シュラインも持ってきた物をそっと太蘭に差し出した。
「この前のバレンタインイベントに、太蘭さんがいらしていたなら持っていけば良かったわ。あ、でも飲めない人が飲んでみたくなったら困るから今で良かったかな」
 シュラインが微笑みながら出したのは、カカオが原料の発泡酒「カカオビール」と、ビターチョコをコーティングしたオレンジピールだった。カカオビールは松江の地ビールの一つで、カカオを六ヶ月熟成して作るので、年に一度しか販売しない。ベルギーにはチェリービールなどもあるが、こういうのも目先が変わっていいだろう…そう思って選んだのだが、それを受け取りながら太蘭が嬉しそうに笑う。
「珍しい物を…これはゆっくり味わうとしよう」
「そうしてくれると嬉しいわ。普通のビールは新鮮な方が良いんだけど、カカオビールは熟成させても美味しいっていうから、是非試して欲しくて。オレンジピールもお勧めだから、味わってね」
「ありがとう。お礼に今日は色々見ていってくれ…たまに外に出して人の手に触れないとダメになるからな」
 そう言って立ち上がり、まず台所の方にシュラインが渡した物を持っていくと、今度はスッと奥の方へ消えていく。
「ふふっ、楽しみだわ」
 シュラインに寄りかかってくつろいでいる白猫の一文字(いちもんじ)を撫でながら、太蘭が帰ってくるのを待つ。
 今日ここに来たのは、少し遅めのバレンタインプレゼントを渡すためだけではなく、太蘭が集めているという漆器や蒔絵を見せてもらうためだった。
 シュラインも、蒔絵の帯留めに施される蔦模様などの装飾に見とれることがよくある。錆絵や重箱などは、ウィンドーにかじりついて見ている事もあるぐらいだ。なので、近くで手にとって見られる機会があればと思っていたのだが、太蘭がいつでも見に来ていいと言ってくれたので、今日はその言葉に甘えることにしたのだ。
「盆や棗(なつめ・薄茶用の茶器)が多いな…あとは、硯箱や椀か」
 どんな物に施された蒔絵を持っているのか興味があったが、結構な数があるようだ。炬燵の上に並べられる物達に感心しながら、シュラインはそっと椀に手を伸ばす。
「全部ご自分で集められたのかしら」
「いや、この家に元からあった物もある。最初は刀の鞘の装飾に使えるかと思って参考にしていたんだが、そのうち蒔絵や漆器道楽になってしまってな。出来るだけ使いたいと思っているから、色々出したり仕舞ったりしている」
 シュラインが手に取った椀は蒔絵と言ってもあまり豪奢でない、普段使いに使えるような小さな物だった。大根とネズミが描かれていて、家族の幸せを願った可愛らしい意匠だ。
「蒔絵って素敵なんだけれど、誕生日でもなければ贈り物にするには相手に気を使わせ過ぎるほど高価な物が多くて…なかなか気軽に購入は無理だから、遠くで眺めるものって印象が強いんだけど、こんなお椀だと気軽で良いわね」
 やはり近くで見ると、遠くで見ているよりも印象が変わる。蒔絵というと、どうしても金や螺鈿を思い浮かべてしまうのだが、こんな素朴な物なら普段使いに出来そうだ。太蘭は山水が描かれた盆を出し、そっとシュラインの前に置く。
「黒と金は使い方によっては品がなくなってしまうんだが、そのバランスがきっちりすると目を惹かれる物になるから不思議だ」
 そう言うと太蘭は、蒔絵がどう作られるかを、盆を見本にシュラインにゆっくりと説明し始めた。
 まず漆が塗られた盆に、下絵を元に山全体に漆を塗りその周りに筒や真綿を使って金粉を置いた後、山にむかって筆で金粉を掃きかける。その金粉の密度により奥行きが出るのだという。基本的に『漆で模様を描き、金粉を蒔きつける』…それで蒔絵というらしい。
「金粉の密度が違うのね」
 大きさや色が違う金粉が織りなす絵柄。川の水面に使われているのは、不規則な平たい形の粉で、山は丸い均一な金粉で霞の柔らかさが現されている。同じ金粉のはずなのに、その使い方が違うだけで、平面である盆の中に奥行きが生まれるのは不思議だ。
「信長などの時代には、宣教師達が蒔絵師に色々な物を作らせて、大量に輸出されたらしい。漆器が『ジャパン』と呼ばれるのもその技術からだろうな…マリーアントワネットも蒔絵の小物入れを持っていたらしい」
 盆に見とれているシュラインに、次に太蘭は松が描かれた棗を指さした。それは『高蒔絵』を施されたもので、松の部分が立体的になっている。
「これも素敵ね。高蒔絵はどうやって作るのかしら」
「高蒔絵は炭の粉を蒔きつけることで厚みを出すんだ。乾燥させては塗りを繰り返すから、時間はかなりかかるが立体的にきりっとした技が素晴らしい」
「模様の所は手で触れても大丈夫?」
「ああ、ちゃんと使うものだから大丈夫だ。それに、日本の漆は接着力と耐久力が中国の物よりも優れているんだ」
 漆にも産地によって違いがあるらしい。そんな事に感心しながらそっと松を触ると、本当に薄いながらもつけられている立体感に感心する。きっと茶席でこれを見たら、また違った味わいがあるのだろう。
 色々な物を手に取りながら、シュラインはふと気になることがあった。
 これだけ色々な種類の漆器や蒔絵があるが、太蘭はどれが一番だと思っているのだろうか。硯箱や盆も美しいが、何となく太蘭の思い入れがあるのはまた別のような物の気がする。
「この中で、思い入れがあるものはどれかしら。良かったらそれを教えて欲しいんだけど…」
「そうだな。少しだけ待って頂けるとありがたいんだが」
「………?」
 スッと太蘭が炬燵の上にあった物を持ち、台所へ向かっていった。何を見せてくれるのだろうか…そう思うと期待もあるが、急にいなくなってしまうと機嫌を損ねてしまったかというような不安もある。そっと耳を澄ませると、太蘭は台所で何かを暖めているようだ。
「どうしたのかしら」
 近くにいる一文字に聞いても、ちらっとシュラインを見て大きなあくびをするだけだ。まあ猫たちがくつろいでいるから悪いことではないだろう…そう思いながら、しばらく手持ちぶさたに棗や硯箱を眺めていると、台所から太蘭が盆を持って現れる。
「今日の昼の残りだが、中に何も入っていないと様にならなくてな。どうぞ」
 盆の上に置かれた漆黒の蓋付き碗。
 箸置きと箸も漆器のようだが、それに蒔絵は施されていない。
 一体どういう事なのだろうか…そう思いながら、シュラインが蓋を取ったときだった。
「あら……」
 蓋の裏に施された桜の蒔絵。そして中に入っている筍の煮物に彩りの木の芽。確かにただ碗を開けただけでは、中の蒔絵が綺麗だとしか思わないかも知れないが、こうやって料理が入っていると印象ががらりと変わる。
 それにシュラインが見とれていると、太蘭がそっと目を細めた。
「蒔絵の漆黒と金の響きだけでも良いが、やはりこうして使った時が一番だな。この碗は春の料理に使うと目でも楽しめる」
 ただ美しいだけではなく、使ってこそ引き立つもの。
 両手を合わせてから筍を口にすると、ほんのりと春の香りが口いっぱいに広がった。そうして目を落とすと桜の蒔絵が見える。これはかなりの贅沢かも知れない。
「美味しいわ。春の料理って事は、季節によっていろいろあるのね」
「夏なら流水模様や蛍、秋なら桔梗や菊などがあるな。漆器はしまい込んでいると乾燥してダメになるから、季節事に出して使うぐらいが丁度いい。蒔絵はともかく、漆器であれば修理も出来る」
 それは知らなかった。太蘭曰く、漆器であれば傷が付いたまま使ってもそれが味になったりもするが、乾燥による割れや変色などは塗り直しをする事で何十年も使えるという話だった。最初は多少値段が高いと思うが、そうやってずっと使えるのであれば一つ買ってもいいかも知れない…木の暖かさを感じながらシュラインはそんな事を思う。
「やっぱり勉強になるわ。蒔絵を見るのに適した場所とかあったら教えてくれるかしら」
 一つ知ればまた別のことを知りたくなる。それはゴーストライターの性でもあるのだが、そんな好奇心にも太蘭は嬉しそうに話してくれる。やはり好きな物の話をするのが楽しいようだ。
「そうだな。明るいところで見るのも良いが、灯りを落とした場所で見ると漆の黒と蒔絵の金が引き立つな」
「酒器とか月明かりの下で見たら雰囲気出そうだわ。明るいところで見るのも良いけど、暗いところで少しの灯りだけ…ってのはいいわね。初心者が漆器とかを買うなら、どんな物から入ればいいかしら」
 漆器など一つぐらいはいい物を持っていたいが、帯留めや櫛、食器など色々な物があり初心者だと何を買っていいのか分からない。アドバイスを貰ってから自分の好きな物を買ってみるのもいいだろう。すると太蘭は曲げ物の重箱を差し出した。それにも蓋の部分に竹林が蒔絵で描かれている。
「シュライン殿は料理をよく作るようだから、こういう重箱を用途にとらわれずに使うのもいいかも知れないな。俺も片口を盛り鉢や花器に使うこともあるし、重箱なら和食だけじゃなくサラダを盛ったりしてもいいし、パンを入れておけば乾燥も防げる。もしくは毎日使うという点で、碗を一つ買ってしばらく使って、扱いになじんだところで色々なものを買うのもいいだろう」
 漆器は丈夫なので自分が使いたいように使ってもいいらしい。ただ、乾燥と熱には弱いので、コンロの側に置かないとか、柔らかい布巾で拭くということに気をつければいいようだ。それをメモし、シュラインは出されていたお茶を飲みにっこりと微笑む。
「普段使いでも良いのね。何だか一つ手に入れたくなってきたわ…でもZippoや煙草入れの蒔絵は吃驚したけれど」
「ライターは乾燥に弱い漆にとってどうなのかと思ったが。多分コレクター物の一つなんだろうな…あと、万年筆に施された蒔絵を見たことがあるが、あれには俺も食指が動かなかった」
 食指が動かなかった…という言葉に、シュラインは何となく笑ってしまった。確かに蒔絵の硯箱から筆を出したりする太蘭は想像出来るが、蒔絵の万年筆と太蘭が結びつかない。太蘭も同じようなことを思っていたのか、くすっと笑い自分の湯飲みを手に取る。
「何事も程々が一番だ。漆黒と金は使いすぎると品がなくなってしまうからな」
 黒と金のバランスが取れていて、使ったときに自分になじむもの。そんな物を自分も手に入れられるだろうか…そんな事を思っていると、太蘭が出していた漆器の一つをシュラインに差し出した。それは小さな二つの杯で、中に梅の木が描かれている。きっとここに日本酒を注げば梅の花が綺麗に浮かぶのだろう。
「太蘭さん、これは?」
「先ほどのカカオビールの礼に受け取ってくれ。二つ揃いなんだが、一緒に使う相手がいない俺よりも、相手がいる誰かが使った方が物も喜ぶ」
 ………。
 何だか少し頬が熱い。
 でも、これで一緒にお酒を飲んだらきっと楽しい時が過ごせるだろう。用途にとらわれないのなら、小さな和菓子を乗せて食べた後に浮かぶ梅を見ても…思わずはっと我に返り、シュラインは首を横に振った。
「ダメよ、こんな高価なものもらえないわ」
 それを聞いた太蘭の目が細くなる。
「そうか…では漆器は使わないといい味が出ないから、育つまで預かっておいてくれ。それならシュライン殿も嫌とは言えないだろう」
 すっかり太蘭のペースに乗せられてしまった。育つまで預かって欲しいと言われてしまっては断ることが出来ない。多分、育ったところで太蘭は「まだもう少し」と言うのだろうが。
「本当にこれじゃ断れないわ。大事に育てさせて頂きます」
「そうしてくれ。その方がそれも喜ぶ」
 ぺこりと礼をし、シュラインはそっと杯両手で包み込む。
 これを使って一緒に杯の中の梅見としゃれ込むのもいいかも知れない。梅の花を部屋に飾って、漆黒の中の梅が引き立つように灯りはろうそくなどで…。
「やはりシュライン殿が持っていた方が、杯も引き立つな」
 笑いながら言った太蘭の言葉に、シュラインは恥ずかしそうにそっと微笑んだ。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
太蘭にカカオビールを渡しに行きがてら、蒔絵について語り合うということで、つたないながらも蒔絵や漆器について話をさせて頂きました。日本の漆工技術、中でも蒔絵は日本独自の物で、それを見ているだけでもうっとりします。金粉の細かさや密度だけで奥行きを現したりするのはすごいですね。
さりげに何か渡してますが、アイテムとしてではなくフレーバーにお使い下さい。
リテイク、ご意見は遠慮なくどうぞ。
またよろしくお願いいたします。