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CallingV sideU―Helleborus niger―
「…………」
浅葱漣は、黙ったままだった。
遠逆家。日無子を凌ぐ能力者が多数いるだろう。そんなところに自分が乗り込んでも、殺されて終わりかもしれない。
「気にしないで、漣。さっきのナシね」
やっと泣き止み、困ったように笑おうとする日無子に、漣は悲痛な表情をする。
感情の抑制がきかなくなると、日無子はこうして事後に訂正することが多い。漣の呪いが解けた時もそうだった。幼い子供のように泣いていた日無子。彼女の支えは自分だけなのだ。
独りにしたくない、とその時に思った。なら『答え』は出ている。
「一人じゃない」
漣の呟きに彼女は怪訝そうにする。
「一人で帰らなくていい。俺も一緒に行くから」
日無子が顔を強張らせる。そして握っていた漣の手を振り払った。
「……ダメ……! あんなとこ行ったら、漣、おかしくなっちゃうよ。あたしと違って、漣は遠逆の人間じゃないもん!」
「俺は行くって決めた」
「ダメだって! 外部からの人間は『一度でもあそこに入ったら外に出してもらえない』んだよ?
漣、お願いだから考え直して!」
「…………」
考え直す気がないのを見て、日無子は真っ青になる。
「お願いだから……! 殺されなくても、もっと酷いことされるかもしれないよ?」
「拷問でもされるのか?」
「そうかもしれないし……。もしかしたら種付けに利用されるかもしれない……」
「た、種付けって……」
ちょっぴり頬を赤く染めてしまう漣。
「退魔士って大変な仕事で、いつ死んでもおかしくないし……能力が低い人も、子供を作るのは義務みたいなものだから……」
「外から来たヤツは、退魔士としてそこで働けないのか?」
「……無理だよ。遠逆家の血筋じゃないと、外に出してもらえないの。もしあたしと結婚して、漣がお婿さんだとするよね? それだと、漣は遠逆家で暮らすことになるよ? あたしがいない時はどうにもできないけど、あたしが仕事から帰ってきたら子作りに励むのが漣の仕事になるね」
「……極端な家だな……」
「信じられないと思うけど、ホントだよ」
心配そうにこちらを見てくる。なにがなんでも諦めさせようとしているようだ。ただ、嘘を言っていないのは明らかだ。わざと嘘をつく時のような徹底さが感じられない。それだけ動揺しているのだろう。
「……何を言っても俺は行くからな」
日無子が落胆したように眉をさげた。漣は日無子の手を掴む。
「以前言ったろ? 『俺の為に生きてくれ』って。なら俺は『日無子の為に生きてる』のさ。おまえがいなけりゃ、俺の人生終わったも同然じゃないか」
苦笑する漣を見つめ、日無子は眉間に皺を寄せる。それから目を逸らし、またこちらをちらりと見遣った。
「あたしがいないと……漣、生きていけないの?」
「俺はおまえのいない人生なんて、考えたくないな。
そ、それに、だな……」
言い難そうに漣は視線を伏せる。顔が熱くなった。
顔をあげる。彼女の手を強く握り締めた。手には汗をかいている。
「お、俺だっていつかは……日無子と……その、なんだ……こ、子供欲しいと思ってるんだからな!」
「っ」
ぎょっとして日無子が硬直する。彼女は瞬きし、それから顔を真っ赤にした。
「…………ほんと?」
弱々しい掠れた声に心臓が締め上げられるような感覚が襲う。下っ腹がぎりりっと絞るような痛みを訴えた。反則だ。そんな顔と声をするな。可愛いから!
「だから……一緒に行こう、日無子。おまえを一人にしないから、俺は」
「…………わかった。ありがと、漣。すっごく心強いよ。あぁ、笑えないのって、けっこう辛いね」
顔が痛いや、と日無子は洩らした。
*
日無子の発作は、帰ることを報告した途端止まった。彼女は漣の家に戻って傷が癒えるのを待った。
二週間後、漣は彼女と共にアパートを出る。荷物は最小限だ。
降りる駅が近づくにつれ、日無子の顔色は悪くなり、がたがたと震え出した。隣の席に座る漣の袖をずっと握っていた。
<次は京都……京都です>
アナウンスが流れて漣は棚にあげていた荷物を降ろす。
新幹線が停車し、二人は京都駅で降りた。
「次はどうするんだ?」
「こっち」
日無子について歩く漣は彼女の背中を見つめる。京都生まれだったのか……。
バスを下車し、今度は歩きだ。
「かなり歩くよ」
日無子の言う通り、かなり歩いた。いや、すごく、だ。
(……どんどん山奥に入って行くけど大丈夫なのか……?)
明らかに人が立ち入らない様子の山に、踏み込んでいく日無子に驚く。彼女は獣道を迷いなく進んでいく。
「漣、大丈夫? あ、手、繋ぐ?」
日無子が手を差し出してくる。その手を漣はすぐに掴んだ。途端、日無子がカッと顔を赤らめた。
「や、やだな。そんな真剣な顔で見ないでよ。びっくりするじゃん」
そわそわする日無子は歩き出した。
(……怖いなら怖いって言えばいいのに)
内心の動揺を悟られて驚いたのだろう、日無子は。ナメてもらっては困る。こちらは彼女を落とすのにそれこそ命も懸けたのだ。それに同棲して、体も繋げた。わからないほうがおかしい。
さらに歩き、日無子が足を止めた。
「……じゃ、入るよ漣」
結界術を熟知する漣は彼女の先の『空間』を凝視していた。結界だ。巨大な結界が張られている。
日無子に連れられて結界の中に足を踏み入れると、そこは門の内側だった。平安時代の寝殿造りのような建物。敷地はかなり広いだろう。
一階建ての屋敷は古き日本の家、という感じにもとれる。だが異様さに漣は硬直していた。
人の気配を、感じられない。だが、なんという濃い存在感。吐きそうにな……る。それになんだ、この重厚な霧は。遠くが『見通せない』ようになっているではないか。
「あたしの部屋は奥の棟」
漣は日無子に引っ張られて庭を進む。
日無子の部屋は長い廊下の途中にある部屋だった。庭に面しているのでそこから入る。行儀が悪いがこの際そんなことは気にしないようにする。
「漣、中に入って」
障子を開けて中に入る日無子。部屋はそれほど広くない。物も少ない。全身を映す鏡には布がかけてある。
荷物を降ろして漣は部屋の中を見回す。部屋への入口は廊下に面した障子だけらしい。
と、着替え出した日無子にぎょっとして頬を赤らめた。
「すぐに長のとこ行こう。漣のこともあるし……あたし、」
どうなるんだろう、という言葉を日無子は呑み込んだ。
「……漣に危害は加えさせないから」
下着姿になった日無子は真っ直ぐに漣を見て言う。強い、決意の言葉だった。
嬉しいと感じるが、漣は困ったように半眼になる。
「……いいから早く服を着ろ」
*
広い。という印象しかない。広い畳の部屋。遠い位置にいる人物は老人だ。太った男だ。
(あいつか……)
漣の深いところで憎悪が滲んだ。あいつのせいで日無子が苦しんでいる。殺してやりたい。
漣の右手前に座る日無子は退魔士服姿だ。久々に見る格好に、漣は「やっぱり似合うな」と場違いなことを思った。
「遠逆日無子、ただいま戻りましてございます」
「……そっちの男は浅葱漣だな? 監視から報告は受けておったが……ふむ、見栄えのいい男ではある」
愉しそうに低く笑う老人は、日無子を見遣る。
「任に失敗するとはな」
「……失敗?」
怪訝そうにする日無子に老人は頷く。
「まだ生きておる。おまえは殺すのに失敗したのだ」
「心臓を貫き、首を刎ねて四肢を切断しました。そんな状態で生きている人間などおりません」
「だが生きている」
日無子が拳を握りしめた。悔しいのだろう。
(あの発作は任務が失敗したという知らせでもあったわけか……)
発作の時の酷い有り様を思い出すだけでも漣には辛い。
「日無子、おまえは後日、儀式のために『調整』する。今日はもうさがれ」
「長……」
「さがれ。二度も言わせるな」
「っ!」
ビクンッと肉体を震わせ、日無子が息を吐いてその場に倒れる。強い衝撃が彼女を襲ったのだ。
「日無子!」
漣が日無子を助け起こす。目を見開いて痙攣する彼女の様子に漣は殺意が湧いた。
背後の襖が開き、彼女は黒い着物姿の女性二人に連れられて出て行った。止めようとした漣の手から無理やり引き剥がして。
一人残された漣は深呼吸し、居住まいを正した。
「浅葱漣、ここに来たということは、日無子と添い遂げるつもりなのかの?」
「……そのつもりです。彼女をどうするつもりか、俺には聞く権利があると思います」
「ほぉ、なかなか気丈じゃ。褒美に教えてやろう。日無子はな、遠逆家の『核』になるのじゃ」
「核……?」
「力の源……。まぁ言うてみれば『能力を持った子供を産む』のが役目じゃの」
その発言に漣の瞳が怒りと殺意で瞬間的に染まる。抑えろ。ここで暴れても殺されるだけだ。
「なかなか良い判断だ。日無子の目に狂いはないわけか。
本来なら数人の男たちと契らせ、子を作り続けてもらうつもりだったが……気が変わった。
浅葱漣、このままおぬしを生かしておいても良い。日無子と暮らせるようにしてやろう。夫婦になってもいい。してもらうことは一つだけ。それさえ守れば害は加えんぞ?」
「……なんですか」
他の男に彼女を触らせるものか。それにここで断れば自分の命もない。
「簡単じゃ。日無子と子を作ればいい」
拍子抜けした。それだけ? そういう顔をする漣に、老人は続けて言う。
「それだけじゃ。ただずっと、子供を作り続ければいい。多ければ多いほどいい。精根尽き果てるまで、だ。よい条件じゃろう?」
「…………」
青ざめる漣。つまりは、こういうことか?
自分は日無子限定の種付け男なわけだ。彼女を他の男たちに触れさせない代わりに、自分がその役目を担う。
逆らえるわけもない。日無子の命を握っているのはこの老人なのだから。
「……断れば俺は殺されるのでは?」
「殺しはせん。一応は。
うちは死亡率が高くての。子孫は多いほうが良い。おぬしには種の役目をしてもらっても良いが……。どうかの、色んな女を経験できるぞ? そちらがいいか?」
見くびられているというよりは、元から歯牙にもかけていない。漣の返答などあまり意味はないのだろう。
「日無子以外の女性には興味はありません」
はっきり言い放つと、老人は笑った。それは笑い声というよりも、咳のようだ。
漣が承諾したのを、老人はわかったようだった。
*
漣は日無子の部屋で暮らすように言われた。食事は部屋に運ばれる。湯浴みと用を足しに外に出る以外は、出歩くのはほとんど禁じられていた。
実家の不便さを思い出すが、ここまで不自由ではなかった。
外部から入ってきた者はだいたいこういう生活なのだろう。遠逆の血を引く者はもっと自由に行動できるはずだ。
日無子の部屋までの道のり、前を歩く黒い袴姿の男を観察する。物静かで目立たない印象を受けた。
部屋の前まで行くと、男が振り向いた。手に持つ着物を漣に渡す。
「こちらに着替えてください。夕餉をお運びします」
「……あなたは?」
誰なんですかと訊こうとするが、やめた。彼はおそらく、遠逆の退魔士を妻に持つ男だろう。もしくは『妻だった』、かもしれない。遠逆の退魔士は死亡率が高いそうだから。
漣は障子を開けて部屋に戻った。強く障子を閉めると、部屋の中央に横たわる日無子の傍に膝をついた。
「……傍に居ることしかできないが……」
囁き、意識のない日無子の前髪を軽く払った。自分と彼女に待ち受ける……おぞましい未来を、振り払うように。
*
それから三日ほど経った日……。
遠逆家の正門前に立っていた彼女は門を見上げる。
前当主――遠逆月乃だった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【5658/浅葱・漣(あさぎ・れん)/男/17/高校生・守護術師】
NPC
【遠逆・日無子(とおさか・ひなこ)/女/17/退魔士】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、浅葱様。ライターのともやいずみです。
遠逆家に来てしまいました。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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