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<東京怪談・PCゲームノベル>


その日の黒猫亭



1.
 大学生である律花は、自然と合コンに誘われて参加する機会が多い。
 今日もそれに誘われて参加してみたのだが、参加者は話の合わない者ばかりでさほど楽しいものではなかった。
 そんな状態では二次会に行く気になるわけもなく、律花は次の店へと移動しようとしていた彼らとはそこで別れた。
 別れたあと、さてどうしようかと律花は考えた。
 あれ以上連中と一緒にいる気分にはならなかったが、しかしまだ飲み足りない気分もあるのでこのまま家へ帰ることも躊躇われた。
 何処か良い店でもあればと、律花は夜の街をしばらく歩くことにした。
 まだそれほど夜は更けていないというのにすっかりできあがっている人などを避けながら、律花は繁華街を進んでいく。
 無駄に煩いだけの店や、そういった場所に集まるような類の人々の顔を見るのは先程の合コン終わりでは遠慮したかったため、適当なところで妥協してというわけにもいかなかったので、なかなか手頃な店が見当たらない。
 と、ややあってからひとつの店が律花の目に入った。
 いや、正確にはその店の空気だろうか。
 繁華街特有の喧騒など己には無関係とでも主張しているほど、その店の周囲の空気は静かでこの街中にあるにはそぐわない。
 しかし、店が周囲と浮いているのかといえばそれは違い、溶け込んでいることは決してないのに、周囲の人々はその店がまるで存在していないように素通りしていっている。
 ちらとでもそちらに視線を向ける者もいなかった。
 ゆっくりと律花はその店に近づいた。店に対してと同様に、その様子に気付く者も、まして止める者はいない。
 いったいいつから此処にあるのだろう。古びた外装からは建築年数を計るのは難しそうだ。
 やはり年代を感じる看板には『黒猫亭』という、やはり少々古めかしい名があった。
 店内からは騒がしい気配はない。むしろ、中に人がいるのかどうかも外からは窺うことができない。
 面白そうだ。
 知ることに対しては人並み以上に貪欲な律花の一夜の好奇心を刺激するには、この店の雰囲気は十分だ。
 ゆっくりと扉に手を伸ばし、中に入る。
 軋んだ音と共に視界に飛び込んできた店内は、薄暗くはあったが外から見ていたよりは明かりがあった。
 入った途端、切り取られたように街の喧騒が聞こえなくなった。
 外見から考えるよりは、中は少々広い。
 静まり返った店内は、狭くはあるが小さなテーブルがいくつかとカウンターがあり、人影はテーブル席とカウンターにひとつずつ。
 と、まるで時代遅れの店内を眺めていた律花の目が、カウンターを見た途端そこに一瞬だが釘付けになった。
 ほんの一瞬。だが、相手にはそれだけで十分だったようだ。
「おや、珍しい。お客さんだ」
 カウンターに腰掛けていた黒尽くめの男が律花のほうを向き、持っていたグラスを挨拶代わりにこちらに掲げた。
 だが、そんな動作や男の服装よりも、口元に浮かんでいる何処か人を馬鹿にしたような笑みに律花は覚えがあった。
「またお会いするなんて思っていませんでした……黒川さん、でしたよね?」
 名を呼ばれた黒川という名の男は言葉で返事をする代わりに、にやりと笑みを返した。


2.
 律花は、黒川と面識がある。
 とある事件で出会ったのだが、そのときの黒川の印象は正直あまり良いものではない。
 それはいまと同じような黒川の態度に由来しているものではなく、律花が追っていた敵の手先ではないかと思われるような行動を黒川が取っていたことに敵対意識が沸いたのが原因だった。
 実際は、黒川は律花の探していた敵とはさして関係はなかったことが判明してはいたが、黒川とはそれきりになっており、再会する機会があるとも思っていなかったので、いまこうしてここで出会うことになったのは予想外だった。
 もっとも、ただの偶然なのか誰かに(もしかするといま目の前で悠然と酒を飲んでいる男自身か)呼び寄せられたのか確認することは難しい。
 だが、この出会いに警戒する必要がないことに律花がすぐに理解できたのは、店に漂う空気がそんな剣呑さなどとはまったくそぐわないものだったからだろう。
 そんなことを考えていたことに気付いてか、黒川は笑みを浮かべたまま律花のほうを見ながら口を開いた。
「先日は失礼した。そういえば、あのとき名前を聞きそびれていたね」
 失礼したと言いながらもその口元には相変わらず何処か人を馬鹿にしたような笑みが浮かんだままだったが、律花はそのことは気にしなかった。
「あのときは聞かれませんでしたし、言うような時間もありませんでしたから」
「では、改めてお名前を聞かせていただけるかな?」
 芝居がかった口調でそう尋ねてきた黒川に、律花はきちんと名を告げた。
 黒川はそれを聞いて「良い名だね」と言いはしたが、本心かどうかなどわかるわけもない。
「僕の名は知っているから省こう。で、一応向こうに座っている男は──」
 言いながら、ちらと黒川が視線を向けた先にはテーブル席に座って、律花と黒川のやり取りにも気付いていないのか本を読んでいる男の姿があった。
「灰原という。ここの数少ない常連のひとりだ」
 その言葉に、律花は礼儀として「よろしく」と声をかけてみたが、灰原は返事をしないどころか目を本から離そうともしなかった。
「いまは無駄だよ。本を読んでいるときの彼には礼儀を求めるだけ無意味だからね」
 くつくつと笑いながら黒川はそれだけ言うと律花に向き直り座ることを目で勧めてきたので、それに倣うことにした。
「さて、何を飲むかい?」
 黒川の言葉に、カウンターに腰掛けた律花はようやく本来店にいるべき存在がないことに気付いた。
「このお店のマスターさんは何処に?」
 こういう店では必ずいるはずの主の姿が店内の何処にも見当たらず、奥に引っ込んでいるというような気配もなかった。
「留守だよ。帰ってくる予定というものは僕も知らないが、まぁ気が向けば戻ってくるんじゃないかな」
 律花の問いにあっさりとそう答えた黒川に、律花は更に問うた。
「じゃあ、お酒は黒川さんが?」
「僕が作っても構わないが、頼めばちゃんと出てくるさ。ここは飲むための店なんだからね」
 揶揄するような黒川の返答に、律花は何かを試されている気分になった。
 まるで先日、彼と出会ったときのようだと感じたとき、自然とやや攻撃的な部分が首をもたげるのを止められなかった。
「それでは、ジントニックをいただけます?」
 そう言った自分の口調が挑発的なものになっていたことに律花は気付いたが、黒川はそれに対して不快な顔にはならなかったものの、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「おや、もしかしてこの前の件を根に持たれているのかな?」
「さぁ、それはどうでしょう」
 やはりやや挑発的な言葉にも、黒川はまた肩を竦めてから口を開いた。
「では、ひとつキミのこの店に対する評価を承るとするか」
 そう言いはしたが、黒川はそこから動こうともせず、何か合図を何処かに送るわけでもなかった。
 その様子に律花が黒川を見ると、黒川はにやりと笑いながら目を向けてきた。
「注文したのはキミだろう? 飲まないのかい?」
 黒川の言葉に、律花は視線を下に動かした。
 いつの間にか、そこには液体の入ったグラスがひとつ置かれている。
 誰かが近付いてきた気配も、それが置かれた動きも感じなかった。
 だが、そのことに律花は殊更驚きは覚えなかった。
 飲むための店に来て、注文したのだからそれが出てくるのは当たり前。
 いま起こったことは非常に奇妙なはずのことなのに、素直にそう考えることができた。
 もしかすると、店の空気に飲まれているのかもしれないとも思ったが、警戒する必要はないのだと思え、グラスを手に取るとゆっくりと中身に口をつけた。
 その様子を観察するように眺めていた黒川に、律花はようやく自然な笑みを返した。
「大学の指導教官の教授が教えてくれました。こういうオーソドックスなカクテルを美味しく作れるバーテンダーは良い腕をしている、と」
「それは、最高の賛辞だね」
 律花の言葉に、黒川は満足そうにそう返した。
「マスターが聞いたらさぞかし喜ぶだろう」
 素直に礼とも受け取れる言葉を紡いだ黒川に対して、律花の顔には友好的な笑みが自然と浮かんでいた。


3.
 黒川の態度にというよりも店の雰囲気と酒のおかげもあって、律花のいまだ少々くすぶっていた黒川に対しての棘は手に持っているグラスに浮かんでいる氷のようにゆっくり溶けていた。
 そうなると、持ち前の知ることへの欲求がどうしても強まってくる。
 いまいる場所は、律花の『それ』を刺激するもので満ちていた。
 酒はかなり飲める律花はそちらもいろいろと注文し、味を確かめながら黒川に問いかけた。
「黒川さんは、よくこのお店に?」
「愉快そうなことがない限りはほとんど此処にいるよ。残念ながら昼は酒がないが、暇を潰すには最適でね」
「このお店は、いつからあるんです?」
「必要とされるようになったときからだよ」
「それは、誰にとって必要となったという意味でしょう?」
「勿論、ここを必要とする人にとってじゃないのかい?」
 律花の店に対する質問への黒川の回答は、正しいのかもしれないが抽象的なものしか返ってこず、しかし不思議と苛立ちはしなかった。
 おそらくは明確な解答を求めるほうが無理なのだろう。
「ここのお酒の選択はマスターさんなんでしょうか。それとも私がこれを飲みたいと望んでいるからでしょうか」
「注文しないものは出さないよ。マスターは僕と違って性格が良いのでね」
 くつくつと笑いながら黒川も何杯目かわからない酒を飲んでいる。
「その代わり、頼めば大抵のものは出してくれる。もっとも、マスターがいないときは普通の酒しか流石に出ないがね」
「黒川さんが飲んでいるものは?」
「アモンチリャドー」
 試すような口調で言われたその単語に、律花は少し考えてからにっこりと笑った。
「このお店のマスターさんは怪奇小説が好きなんですね」
 その答えに、黒川はグラスを置いてパチパチと拍手をした。
「その通り」
 店に付けられた名前とその酒の名前、どちらも古典と呼ばれる怪奇小説の作品にかけられていることはわかるものにはすぐわかる。
「黒川さんは、飲む以外には何をこのお店ではされているんです?」
「僕自身は何もしないさ。何もしなくても、ここにいれば退屈しない。いまのキミと同じように、そちらから楽しめそうなものを持ってきてくれるからね」
「主にはなんでしょう」
「夢かな」
 あまりこの男には似合わないような単語に律花が少し考えると、黒川はくつくつと笑って補足した。
「無論、眠ったときに見るほうだよ。特に悪夢と呼ばれるものはなかなか見ごたえがあって楽しいものなのさ」
「見ごたえ?」
「人が眠ったときに見る夢を拝見するのが酒以外では唯一の趣味でね。悪趣味とよく言われるが、おもしろいものでやめる気にならない」
 そう言って、また黒川は笑った。
「その人の許可はもらってですか?」
「答えはもうわかってるんじゃないかな?」
 からかうようにそう尋ね返され、律花は返答せずに酒を飲んだ。
「夢を見て、何かを分析したりもするんでしょうか」
「知ることに重きを置くキミらしい考えだね。生憎僕は夢判断だとかいったものには一切興味がなくてね。ただ愉快なものが見たいだけさ。それが何に由縁しているのかというのは二の次以下だ」
 余程奇妙で興味深いものならば原因は探ることもあると付け加えたが、それも結局は黒川の好奇心を満たすための行動に過ぎないのだろうと律花には理解できた。
「じゃあ、私の夢にも興味はありますか?」
「誰の夢にも興味はあるよ。この店に訪れるような人は特にね」
「私の夢にお越しになるときは、許可を取ってからにしてくださいね?」
 にっこり笑いながらわざと釘をさすような口調で律花が言うと、黒川は悪巧みが先にばれてしまったというジェスチャーをしてみせた。
「キミとはなかなか楽しくやっていけそうな気がするよ」
「褒め言葉ですね」
「勿論」
 そう言って、黒川はグラスをカウンタに置いた。
「さて、そろそろ今夜はお開きかな」
 その言葉に時計を見れば、かなり夜も遅くなっていた。
「また来てくれたらいつでも歓迎するよ」
 言いながら黒川も店を出る準備をしている。
 何処かへ出かけるのかと聞いたところ、野暮用でねという返答だけでそれ以上のことは言わなかった。
「じゃあ、僕は先に失礼する。なんなら送っていこうか?」
「ご心配なく。お酒は飲んでいますけれど、ひとりで平気ですから」
「キミならそれもそうだね。じゃあ、お先に。あぁ、よければあちらの男にも声をかけてやっておいてくれ」
 では、と最後にわざとらしい礼をしてから黒川は店から出て行った。


4.
 店に残された律花は、頼まれたこともあって灰原のほうへ近付いた。
 本当にいままでこの店にいたのだろうかと思うほど存在感がなかったのだが、見ればいまだに積まれた本を読み続けている。
「今日は長居してしまってすみません」
 そう声をかけると、ようやく灰原はちらりとこちらを向いたが、すぐに目は本に戻った。
 だが、今度は先程とは違い口を開く。
「ボクはただの店の馴染みですからそういうことは言わなくても大丈夫ですよ。長居して困るようなお客はこの店には滅多に来ませんから」
 素っ気ない口調でそう言われ、邪魔にならないように立ち去るべきかと思ったとき、ようやく律花の目が灰原の本に止まった。
「……この本って、確か出版禁止になったものじゃありませんでしたっけ?」
 途端、灰原の態度ががらりと変わり、席から立ち上がった。
「知ってるんですか!?」
 あまりの変化に不意を突かれて少したじろぎそうになったが、律花は頷いて答える。
「良い評判はあまり知りませんが、極僅かに出されたものも入手はとても困難だということくらいなら」
「それだけでも十分です。この作家自体、存在も消されているようなものですから。まさか知っている人に出会えるとは思ってませんでした」
 先程までの反応の悪さも、愛想がないのではなく自分の興味の範囲のこと以外ではまったく動かない男だからなのだということが律花には理解できた。
 どうやらそんな人物しかこの店の常連にはいないらしい。
 けれど、灰原には黒川のような特別な何かがあるような気配はない。
 人としてはおそらく極普通の人間なのだろうが、そんな人間がこの店の常連になっているという時点でやはりかなり変わった男なのだろう。
「では、申し訳ないのですがそろそろ私は先に失礼します」
 もう少し話をしたい気もしたが、いまの灰原の話に付き合ってはおそらく夜が明けても解放されそうにない雰囲気があった。
 灰原も無理矢理引き止めるようなことはせず、しかし残念そうな顔はして席に座って帰り支度を始めていた。
「良かったら、また是非来てください」
 それでも、律花にそう声をかけてきたのだから、どうやら気に入られたらしい。
 灰原に丁寧に挨拶をしてから、律花はようやく店を後にした。


 店を出た途端、入る前に見ていた騒がしい繁華街がそこにはあった。
 まるで、先程までいた場所と時間が夢だったのではないかというくらい、扉一枚でしか隔てられていなかったはずの店内と街は違っていた。
 と、律花はいま出てきた扉を振り返った。
 店の姿は見当たらない。
 律花には今日はもう用が済んだため何処かへ移ったのだろう。
 そういえば、営業時間を聞いていなかったと思ったが、すぐに黒川の言葉を思い出した。
 必要とするものがいるからできた店。
 なら、律花が訪れようと思えば、あの店はいつでも現れ歓迎してくれるのだろう。
『店』に嫌われなければそのはずだが、あの店は滅多なことではそんなことはしなさそうだ。
 またお邪魔します、と人に言うように律花はすでにない店に声をかけてからその場を立ち去った。
 帰路に着きながら、律花はもうひとつ思い出した。
 黒川の酒以外の趣味のことだった。
 夢を覗き見ることを趣味として、興味が沸いた相手の夢へなら、間違いなく勝手にやってくるのだろう。
「許可をもらってからにしてくださいね?」
 ここにはいないが、念の為改めて釘を刺すようにそう言ったとき、何処からか笑い声が聞こえた気がした。
 それは、悪巧みを先に見抜かれてしまったものが漏らすような声だった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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6157 / 秋月・律花 / 28歳 / 女性 / 大学生
NPC / 黒川夢人
NPC / 灰原純

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■         ライター通信                    ■
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秋月・律花様

この度は、ご依頼ありがとうございました。
「ほろびのうた」の後日談も含まれた内容で、前回のものがお気に召していただけたのかと非常に嬉しく思っております。
基本は黒川との会話、最後に軽くですが灰原とも会話はさせてみましたが、このような流れでよろしかったでしょうか。
好奇心旺盛かつ多方面の知識を持っている点をということでしたので、いろいろと尋ねていただきはしたりもしたのですが、お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝