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<東京怪談ノベル(シングル)>


『A lost child story』

 
 どうしてでしょう?
 どうしてでしょう?
 どうしてでしょう?
 それは本当にどうしてでしょう?
 どうしてわたしは、お家に帰れないの――――?
 小さな女の子は真新しいぴかぴかの赤いランドセルを背負ったまま、空を見上げてわんわんと泣きました。



 ――――A lost child story open→



「うわーん、持ち主さんのいじめっ子なのぉー」
 いつも元気な藤井蘭。
 持ち主さんの事は大好きで大の仲良しなのに、何故か、今日は喧嘩をしてしまったよう…………。
「あ、こら、蘭」
 慌てて外に出ていった蘭を持ち主さんは追いかけたけど、子どもの足は意外と速く、そして子どもは大人の目線ではもはや見つけられない隙間を見つけてそこに飛び込んでいくのが得意だから、
 ………だから、持ち主さんはもはや蘭の姿を見つけられず、蘭の見ている前で、蘭の事をとても心配して、同時にほんのちょっとだけ、だからこそ怒っている雰囲気が感じられる小さなため息を、その薄く形のいい唇の隙間からそっと零しました。
 蘭はその姿を見て、えぐぅ、と大きくしゃくりをあげて、走って行きました。



 えぐぅ。
 えぐぅ。
 えぐぅ。
 持ち主さんのいじめっ子なのぉー。
 両手を握り締めて、それで大きな銀色の瞳から零れる涙を拭う蘭は、アパートとアパートのトタンの壁の間にある細い細い、近所のお友達のノラ猫さんに教えてもらった道をとぼとぼと歩いていました。
 いくら持ち主さんが華奢なお嬢さんでもさすがにこの道は通れるかどうかわかりません。
 子どもの特長を生かした逃げ道に逃げ込んで、だけどこれから何処に行きましょう?
 蘭は青い空を見上げました。
 その空はとても広い。
 広いのです。
 いつもならその空の青さ、広さが子ども心にとても嬉しくって、ワクワクして、どこにでも行ってしまえる様な気がして、それが蘭の冒険心をくすぐるのだけど、
 でも今の持ち主さんと喧嘩してしまった蘭にはそれは、その空の何処までも広がる広さは、何だかとても怖い物でした。
 お友達の家も、蘭の実家でもあるパパさんのフラワーショップも、ダメです。持ち主さんに連絡が行ってしまいます。
 だから結局、蘭は隣の区(精一杯の蘭の男の子心)の公園のゾウさんの滑り台の天辺で体育座りをしていました。
「ふに………」
 公園を取り囲むように敷地に植えられている桜の樹。
 その桜の樹のどれもが綺麗に花を咲かせています。
 桜の花が綺麗に咲いています。
 綺麗な綺麗な淡い、薄紅の花びら。
 幾片ものその淡い薄紅は吹く風に乗って、そして優しく優しく蘭を包み込みます。
 優しく優しく蘭を包み込んで、慰めてくれます。
 綺麗な綺麗な花の帳。
 淡い薄紅の花霞み。
 どうしたの、蘭?
 持ち主さんと喧嘩をしてしまったの?
 何で喧嘩をしてしまったの?
 だめよ、喧嘩なんかしてしまったら。
 仲直りしなくっちゃね。
 そんな桜の精さんたちの優しい声。
 蘭はだからぽつりと、漏らしました。
「ランドセルなのぉ」
 小学生が背負う鞄。
 小学校一年生の背負うぴかぴかのランドセル。
 蘭もそれが欲しかったの。
 ぴかぴかの黒いランドセルを背負って、降るように舞い落ちる淡い薄紅の花びらの中を歩きたかったの。
 持ち主さんと一緒に。
「でも持ち主さんがダメだって言ったのなのぉ………」
 そう。持ち主さんがだめだ、って。
 ―――だって蘭は小学生じゃないだろう?
 そうだけど………。
 でもじゃあ、小学生じゃなきゃ、ランドセルを背負っちゃだめなのなの?
 いいな、とすごく思ったの。
 綺麗な桜の並木道を、真新しいぴかぴかのランドセルを背負って、お母さんとお父さんと一緒に手を繋いで歩く他の子が。
 だから蘭も持ち主さんと一緒にぴかぴかのランドセルを背負って、桜の並木道を歩きたかっただけなの。
 それがわかってもらえなかったのが、悲しかった。
 嫌だった。
 だから、意地を張ってしまった。
 簡単な、本当にすごく簡単な幼い子ども心。
 そして、持ち主さんの困った顔が、とても胸に痛かった。
 ―――持ち主さんに嫌われちゃったらどうしよう、って……………、それがすごく怖かったの。



 持ち主さんに嫌われたら、いやぁ――――。



 桜の花びらは、ひらひらと、ひらひらと、ひらひらと、蘭を包み込む。
 優しく優しく、愛おしむように蘭を包み込んで、慰めてくれる。
 それはきっと、とても簡単な事で、持ち主さんと仲直りできるのよ。
 それはとても単純な、だけどずっと昔から大事にされてきた言葉で仲直りできるのよ。
「それは何なのなのー?」
 それはね、蘭。―――――よ。



 淡い薄紅の花びらに包まれる蘭はふと人の気配を感じました。
 公園の入り口の所に立てられたこの地域の地図。
 その地図の前で赤いランドセルを背負った、黄色い帽子を被った女の子が、一枚のメモを手に立っていました。
 地図とメモとを見比べて、それから顔を縁取る髪をさらりと揺らして、小首を傾げました。
 地図とメモとを見くべながら小首を傾げたという事は、
「迷子さんなの?」
 そう。きっと、そうです。
 蘭は両の手の甲で目元を濡らす涙を拭って、立ち上がって、ゾウさんの滑り台を滑りました。
 そして蘭は、その女の子の方へ走って行きました。
 淡い桜の花びらは、蘭を追いかけます。
 蘭を追いかけて、だけどふわりと、淡い桜の花びらは突然迷子になった様に…………



「こんにちはなのー」
 女の子の前にふわりと舞い出た蘭。
「迷子なの? 迷子なら僕がそこに連れて行ってあげるのなのー!」
 女の子の方はそんな蘭に忙しく可愛らしい睫を上下させた後に、ふぅい、と顔を横に背けてしまいました。
「違うわよ。わたしは迷子じゃないわ。残念ね」
 それから女の子はふぅい、と蘭に顔を背けたまま、白のスカートの裾を翻して、行ってしまいました。
「ふにぃ」
 蘭はぽつん、とそこに残されて、
 そして足下にあった小石を蹴りました。




「あっ、蘭?」
 草間武彦はぽつんと公園の入り口の前に立って、何やら独りで小石を蹴っている蘭を見つけて、小首を傾げました。
 少し蘭の様子がおかしいな、と思いました。
 そして草間の位置からでも、蘭の目が少し赤くなっているのがわかりました。
 そこはハードボイルドな探偵として数々の場数をこなしてきた草間武彦です。それだけのピースで蘭の今の状況の絵を、見抜きました。
 そして自分の洞察眼を誇るでもなく、苦笑混じりに肩を竦めました。
「喧嘩でもしたか。ったく」
 草間はスーツの上着のポケットから携帯を取り出して、素早くメールを打ちました。そしてすぐにそのメールへの返事が返ってきました。
 そこに書かれていた文面に草間はまた苦笑混じりに肩を竦めて、それからもう一通メールを打って送ると、携帯電話をポケットにしまって、蘭に、近づいていきました。



「よう、蘭」
「あ、草間さんなのー」
「おう」
 軽く右手をあげて、草間武彦は蘭の傍らに立って、さらさらの緑の髪をくしゃっと撫でました。
「どうしたのなの、草間さん?」
「仕事。失踪した猫探し。蘭は?」
「ふにぃ」
 ―――家出中、とは言えません……………
「お散歩中なの」
 と、蘭。
 でも草間のサングラスの奥にある目からは銀色の目を逸らしてしまっています。目を合わせたまま嘘を言うなんて、蘭にはできません。
 そしてそこではたと気付きました。
 さっきはあの女の子に迷子じゃない、と言われたけど、でもあの女の子は蘭から顔を逸らしていました。その逸らしていた理由が、今の蘭の様に嘘を言うのが心苦しいから、だから顔を逸らしていたのだとしたら、
 ――――そしたら、
「大変なのー」
 蘭は草間にぺこりと頭を下げて、女の子を追いかけました。



 そう。あの女の子は蘭に嘘を言っていたはずなのです。
 嘘を言っていたという事は、やっぱり迷子なのです。
 迷子の女の子をほかっておく事なんて、優しい男の子の蘭にはできないのです。
 ―――いいえ、それは、
「しちゃいけない事なのー」
 持ち主さんにも困っている人には親切にしなくっちゃだめだ、って言われているんです。だから、
 蘭は女の子を追いかけました。
 そしてすぐにメモと電信柱の住所とを見比べている女の子に追いつきました。
「やっぱり迷子なのなの?」
 にこにこと優しく微笑みながら蘭は横からその女の子の顔を見ます。
 女の子はふぃ、とやっぱり横を向きます。
「だから違う。わたしは迷子じゃないわ。残念ね」
「じゃあ、どうして僕の顔を見ないのなの?」
「…………」
 にっこりと蘭は微笑んで、
 女の子はうぅー、とアヒル口。
 それから蘭の顔を見て、
 目と目を合わせて、
「わたしは、まいごじゃ、ない………わ」
 でもやっぱり、たっぷりと溜め込んで、わ、と言う時には女の子の目は逸らされました。
 ますます蘭はにっこりと微笑んで、
 女の子はアヒル口。
 そしてそのままふたりで睨めっこの様に顔をあわせあって、
「あー、もう!」
 と、女の子はその場で地団太を踏んだ後に万歳をしました。
「降参。降参です。あー、もう、だから子どもは嫌いなのよ。難しい事は何一つわからない癖にその難しい事を時にすごくシンプルに解いてしまう事を言うんだから。卑怯よね。大人はそんなに簡単じゃないのに」
 ぶつぶつとぐちぐちと女の子はランドセルを背負って、その癖、何だか持ち主さんと同じ歳ぐらいのお姉さんのような事を言っています。
 本当に変なの。
 ぴかぴかのランドセルを背負っているのに。
 小学校一年生、って名札に書かれているのに。
「ふに?」
「女の子は外見と中身の年齢が合わないものなのよ。女の子の心は、繊細が故に高度だからね。いつまでも単純で子どもなままの男の子と違って」
「ふに?」
「ふぅー、子どもには難しいよね」
「ふにぃ」
 とりあえず、
「見せてなの」
 蘭は女の子に両手を差し出します。
 女の子は肩を竦めて、メモを蘭に渡しました。
 そこに書かれている住所は確かにこの辺の住所で、そして蘭には聞き覚えのある住所でした。
 たぶん、案内できるはずです。
「こっちなのー。ついて来てなの」
 蘭は女の子に手を差し出します。
 その蘭の手と蘭の顔を女の子は不機嫌そうな目で眺めます。
「どうして、そんな、わたしを連れて行ってくれようとするの?」
「ふに? 困っている人を助けるのは当たり前なのぉー!」
 えへんと胸を張ってそう答える蘭。気分はもうすっかりとナイトです。
 そしてその蘭に初めて女の子は、くすり、と微笑みました。
 本当にくすり、と。
 これまでアヒル口だったり、不貞腐れた表情だったりしか見せなかった女の子が、この時初めて純粋に微笑んだのです。
 そしてその女の子の微笑みが蘭の小さな胸をきゅっと締め付けたのです。
 きゅっと、きゅっと、蘭の小さな胸を締め付けたのです。
 だって、初めて微笑みを見せてくれたのに、その微笑みがまるで泣き出しそうに見えてしまったから。
 微笑みなのに、とても悲しそうに見えたから。
 だから蘭の胸が、きゅっと痛んだの。
 どうしてだろう?
 どうしてだろう?
 どうしてだろう?
 どうしてこの人は、こんなにも悲しそうに微笑むんだろう?
 だから蘭は女の子の手を握り締めました。
 ぎゅっと女の子の自分とそうは違わない小さな手を握り締めて歩き出しました。
 きっと女の子をちゃんと目的地に連れて行ってあげる事ができたら、そしたら女の子はその時はちゃんと微笑みらしい微笑みを見せてくれるはずだから。
 だからそれを願って、蘭はメモに書いてあった住所を目指しました。
 だけど、どうしてでしょう?
 どうしてでしょう?
 どうしてでしょう?
 蘭はその住所に行き着く事ができないのです。
 女の子を連れて行ってあげる事ができないのです。
 そして女の子は何度も何度も何度も同じ場所を行ったり来たり、ぐるぐると同じ場所を回っているばかりの蘭の事をしかし笑う事も、怒る事もしないのです。
 ただ、蘭が女の子を振り返る度に、女の子は蘭に優しく顔を横に振るばかりだったのです。
 それが嫌でした。
 それがどうしても嫌でした。
 だから蘭は、一生懸命一生懸命歩きました。
 女の子をそこに連れて行こうとしました。
 でも――――
「蘭? おまえ、さっきから何をしているんだ?」
 そしてその蘭に再度、草間武彦が声をかけてきたのです。
 実はずっと草間は蘭を陰から見守っていたのです。
 でも………。
 蘭は女の子を草間に紹介しました。
 そしてどうしてもメモに書かれている住所に辿り着けない事を話しました。
「お願いなの、草間さん。僕、お掃除もお手伝いもするから、良い子にするから、だからこの娘をそのメモに書かれた場所に連れて行って欲しいのなの」
 蘭は草間武彦に訴えました。
 だけど、
「蘭。悪いがな、俺にはおまえが言うその女の子は見えないよ。ずっと俺はおまえを見ていたけど、おまえはずっと独りで、同じ場所をぐるぐると、回っていただけだった………」




 +++


 HPゴースネットOFFの掲示板に書かれていた都市伝説のひとつに、こういう話がある。
 十六年前、ひとりの女の子が小学校の入学式の帰りに交通事故に遭って、帰らぬ人となった。
 そしてその女の子の魂は自縛霊となってこの街に留まり、自分のテリトリーである街をさ迷い歩いているという。
 家に帰るために。
 帰れなかった家に帰るために。
 しかし家に帰ろうという想いの途中で死んでしまった女の子の魂は、それ故に想いが途中となってしまっていて、だから永遠に自分の家には帰れない呪縛を負ってしまった。
 女の子は家に帰ろうとしているが、しかし家には帰れずにいる。
 そして、その女の子は、実は入学式の帰りに母親と喧嘩をしていて、
 それで独りで帰ってしまっている最中に交通事故に遭っていて、
 だから、母親と喧嘩をしてしまった子どもは、時折その女の子の幽霊と精神のチャンネルが合うと、あってしまう可能性がある。
 そしてこの女の子の幽霊が怖ろしいのは、その女の子とあってしまった子どもは、その子どももその女の子と一緒に居る限り、家に帰れなくなってしまう事である。
 目的地に行き着く事ができなくなってしまう事である。
 だから、もしもその女の子の幽霊にあってしまったら、その女の子の幽霊と一緒に居てはいけない。
 一緒に居たら、どこにも行き着く事が、家に帰る事ができなくなってしまう、と、そう掲示板には実しやかに囁かれる都市伝説が書き込まれていた。



 +++


「その女の子がわたしなの、蘭くん。ごめんね。だまってて、ごめんね」
 女の子は顔を両手で覆って泣き始めました。
 草間武彦が語った都市伝説の女の子はその娘でした。
 十六年前、その子はもう立派な小学校一年生だからひとりで帰れると母親と喧嘩をしてしまい、
 そして独りで帰っている時に、彼女は交通事故に遭ってしまったのです。
 信号は確かに青で、歩行者が歩いて良くって、車は止まっているはずだったのに、
 なのに青信号で歩いていた女の子は、赤信号で止まるはずだったのに、猛スピードで走ってきた車にひかれてしまったのです。
 どうしてでしょう?
 どうしてでしょう?
 どうしてでしょう?
 信号は確かに青だったのに、
 どうしてわたしは、家に帰れないのでしょう?
 以後女の子は、帰る途中で死んでしまった女の子は、街をさ迷い歩いているのです。
 家に帰りたくて…………。
「蘭。方法は簡単なんだ。おまえがただその女の子から離れれば、良い。それだけなんだよ」
 草間武彦の声はとても優しかったのです。
 その優しい声に従えば、蘭は大好きな持ち主さんの所に帰れます。
 でも、じゃあ、
 ―――この女の子は?
 蘭はぎゅっと自分の服を両手で鷲掴みました。
 そして小さな肩を上下に揺らし始めました。
 しゃくりをあげ初めて、
 ただただ声を小さく押し殺して泣き始めたのです。
 その場でふぅええええん、と泣きながら地団太を踏み始めました。
 だって、女の子がすごく、かわいそうだったから………。
 蘭は持ち主さんと喧嘩をしました。
 大好きな大好きな持ち主さんと喧嘩をしました。
 でもだからって持ち主さんの事を嫌いにはなれません。
 持ち主さんに嫌われたらすごく哀しいんです。
 だって、小さな子どもにとってお母さんが世界で、神様な様に、蘭にとっては持ち主さんはとても大切な居場所で、確かに優しい一番大好きな神様なんですから。
 本当はすごく持ち主さんの所に今すぐに帰って仲直りをしたいんです。
 本当に本当に持ち主さんが大好きだから。
 そして、だからこそ、蘭にはわかるんです。
 ―――それはこの家に帰りたくって、もう十六年もさ迷っている幽霊の女の子だって、同じなんだ、って。
 だから、
「ふぅええええええん」
 蘭は泣きながら草間武彦をぽかぽかと叩きました。
 ひどい意地悪な事を言う草間を叩きました。
 草間が自分を心配してくれているんだってわかっているけど、それでも蘭は草間を叩きました。
 泣きながら彼をぽかぽかと小さな手で叩きました。
 ずっと、ずっと、女の子の手を握っていたその小さな手で叩きました。
「この女の子は迷子じゃない、って、僕に言ったのなの。僕に迷子じゃない、ってずっと言っててくれたのなの」
 そう。自分と関わりあうと、家に帰れなくなるから、だから出会った時から女の子は蘭を助けてくれようとしてくれていた。
 女の子と蘭が一緒に居たのは、
 蘭が永遠の迷子になりかけたのは、
 女の子の悪意のせいじゃない。
 どうしてそれをわかってくれないのなの?
 わかって、
 わかって、
 わかって、
 草間さん―――
「わかってなの、草間さぁーん」
 ふぅえええええん。
 泣きながら草間をぽかぽかと叩く蘭の横で、女の子は自分の顔を両手で覆って、ずっと泣き続けました。
 家に帰れない事が悲しくって。
 そして、蘭が自分の為に泣いてくれるのが、嬉しくって。
 それだけでもう充分でした。
 女の子は蘭の手を握り締めました。
 そして泣きながら蘭に微笑みました。
 ありがとう、
 ありがとう、
 ありがとう、って―――。
 でも………
 蘭はきゅっと下唇を噛み締めながら、鼻水を啜って、しゃくりを懸命に堪えて、それで自分のポケットから飴玉3つ、イチゴ味とメロン味、それからレモン味の飴玉を草間武彦に差し出しました。
 だって、持ち主さんが言ってたもん。草間武彦は義理人情に厚い、ハードボイルドな霊界探偵だ、って。
 正義の味方なんだ、って。
 だから、
「草間さん、助けてなのぉ」
 小さな手が差し出した3つの飴玉。それが蘭に出せる依頼料。
 それを、とても温かくって、大きな手が取ってくれました。
 そしてその手は蘭のさらさらの緑色の髪を優しく撫でてくれたのです。
 その手の温もりに、蘭は微笑みました。



 そして、その蘭の感情に応える様に、ひとつの奇跡が起きたのです。
 それは、ミニ霊枝でした。
 ミニ霊枝が自動的に蘭の右手の手首に、女の子の右手の手首に、草間の右手の手首に巻きつき、そして先端がまるで着いて来い、と言う様に平等に三人の頬をなぞった後に、道を進み始めたのです。
 蘭は銀色の目を大きく見開きました。
 そして答えを求めて草間の顔を見ました。
 草間は、ひょいっと肩を竦めました。
「簡単な事さ。子どもだって親を思うけど、親だって、同じくらいに子を思っているものだ。親は子どものためだったら、何だってやれるんだよ」
 そう。ミニ霊枝には、持ち主さんのパパさんの想いが篭っているのだから、だからそれは或いは必然の奇跡。
 子が親を想う想いに、ミニ霊枝に込められたパパさんの親の想いが反応して、そしてその感情の力でミニ霊枝の力が飛躍的に高まった――――


 奇跡とは、神の力で起こるのではない。
 奇跡はいつだって人の想いの力で起こるのです―――。


 蘭と女の子、草間はミニ霊枝に導かれるままに進みました。
 そしてついに女の子は十六年ぶりに家に帰れたのです。
 ミニ霊枝が選んだ道は十六年前には無かった道でした。この十六年の内に新しく作られた道でした。
 そう。女の子の時間は十六年前で止まっているのです。
 だから、その止まった時間が追いつけない、新しい時間を用いれば、辿り着けたのです。
 



 夕暮れ時。
 優しい夕暮れ時。
 橙が空から零れる時間。
 子どもはいつの時代だって、家に帰る時間。
 女の子の家の前にはひとりのどこか陰のある中年の女性がいました。どことなくその女性は女の子に似ていました。
 そう、きっと、お母さんなのです。
 でも女の子は、ようやくお母さんに会えたのに、蘭の後ろに隠れてしまいました。
 蘭が女の子を見ると、女の子はふるふると顔を横に振りました。
「だって、お母さんにわたし、何て言えばいいのかわからないもん」
 女の子は泣き出しました。
 だから蘭は、優しく微笑みながら、言いました。
「ごめんなさい、って言えば、良いのなの」
 ―――それは桜の精が教えてくれた、大好きな人との仲直りの言葉。




 女の子は、お母さんの前に歩いて行って、そして、



「お母さん、ごめんなさい」
 泣きながら女の子は、目の前に居るお母さんに言いました――――



 その瞬間、風が吹きました。
 強い強い風が吹きました。
 その風はとても温かくって、そして優しい香りがして、
 その風が吹いた瞬間、確かに、お母さん、ごめんなさい、って、そう泣き笑いながら言った女の子の姿が見えて、
 女性は、泣きながら女の子を確かに抱きしめたのです。
 そして女の子は、お母さんの腕の中で、「ただいま、お母さん。今、帰りました」、そう嬉しそうに言って、黄金の光に包まれながらお母さんの温もりに溶け込むようにして、天国へと、逝きました。





【ending】


 蘭は泣いてしまいました。
 ようやく家に帰れて、お母さんと仲直りできた女の子の為に泣きました。
 そして草間におんぶされながら、持ち主さんの所に帰りました。
 持ち主さんは、家の前の道で蘭をずっと待っててくれました。
 だから蘭は、草間におろしてもらうと、持ち主さんまで全力で走って、そして泣きながら持ち主さんに抱きつきました。
「ごめんなさいなの。ごめんなさいなの、持ち主さん。ごめんなさいなの」
 大丈夫だよ。と蘭を抱きしめる温もりに込められた優しさに蘭は自分の胸にあった哀しみが溶けていくのを感じました。
 そして蘭は、持ち主さんの胸から顔を離して、涙に濡れた顔に満面の笑みを浮かべて、言いました。
「ただいまなの、持ち主さん」



 →closed