コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


千円分の謝罪

「・・・ふふ」
桂はただ、微笑んだだけだった。しかしその笑顔が、三下忠雄にとっては怒鳴られるよりもずっと、恐ろしかった。
 三下は、一日一度はへまをやる。いくら気をつけていても、決して願ってはいないのに、失敗をしてしまう。今日は桂のマグカップを割ってしまった。
 桂は自分の物に対してかなり愛着を持っている。ボールペンでもカッターでも、自分専用を使う。他人へ貸すことに抵抗はないけれど、返ってこないともう落ち着かない。運悪くなくしてしまったりするとかなり落ち込んでいる。
 そんな桂のマグカップ、三下はしきりに謝るのだが
「別のカップがありますから」
と軽く流され、実際翌日から桂は違うマグカップでコーヒーを飲むようになった。無表情の桂が怒っているのかどうか、三下にはわからなかった。
「どうすればいいんでしょう、碇さん・・・」
こんなとき頼れるのは月刊アトラスの敏腕編集長以外にない。碇麗香は無視しようと思ったが、三下があまりにしつこいので、とうとう折れて茶色い封筒を取り出した。
「ここに千円入ってるから、桂くんにプレゼントを買ってきなさい。桂くんがプレゼントを喜んだなら編集部の経費で落としてあげる。でも、喜ばなかったら・・・」
「い、行ってきます!」

 初瀬日和と羽角悠宇がアトラス編集部を訪ねたとき、三下は予想以上に落ち込んでいた。首にかける縄を探しているような目つき、珍しく眉間に縦皺まで寄っている。これはまず買い物より元気づけるほうが先だろう。
 しかし三下を励ますことは、想像以上に難しい仕業なのである。
「悪気がなくたって人のものを壊すなんてよるあることだ、な、日和?」
「そうですよ、三下さん。うちの犬だって本当にやんちゃで、何度言い聞かせても新聞をぐしゃぐしゃにしてしまうんです」
すると三下がぽつり、と言った。
「僕も犬と同じです・・・」
「い、いやそうじゃなくて・・・そうだ、俺もこの間兄貴のマグカップ割っちまってさあ。未だに兄貴とはなんとなく気まずくて、もう二度とするもんかって思ったよ」
はあ、と三下はうな垂れる。
「僕は二度目です」
「二度目?」
「二度目なのよ」
面倒見切れない、と碇女史が肩をすくめた。
「三下、ついさっきプレゼントを買ってきたところなのよ。謝るつもりで桂くんのところへ行ったまではよかったんだけど肝心なところでいつものドジが出て、桂くんの机は大破」
二個目のマグカップを壊し、コーヒーを飛び散らせて書きかけの原稿まで台無しにしてしまったのだそうだ。なるほど、桂が普段自分の使っている席から応接用机に避難している理由がわかった。
「完全に桂くん、怒ってるわよ」
かんっぜんに、の部分に力がこもった碇女史の太鼓判。無理もないことと、二人は続けるべき言葉が見つからない。さすがに二度同じことをやられては、おまけに二度目は一度目よりたちが悪い、仏の顔も三度まで、へそも曲がってしまうだろう。
「・・・・・・」
気まずさに日和の唇が言葉を失う。同様に悠宇も黙り込んでしまいそうになったが、ここで二人とも口ごもってしまっては三下が本当に首でも括りかねない。
「それでも、謝ればわかってくれるって!三下さん、気持ち切り替えるためにも外へ行こう!」
「そ、そうですよ」
ぎこちない、やや芝居がかった口調ではあったが二人は三下の腕を両方から引っ張って、なんとかアトラス編集部から引っ張り出す。さてなにをプレゼントするべきかと、悩みは頭の隅を漂っているのだが。

「はあ・・・・・・」
ただでさえ陰気な顔をしている三下のため息を聞いているとこちらまで辛気臭くなってくる。普段はまだ、失敗しても騒いでいる分ましなのだが。
「三下さん、元気出してください。ほら、桂さんへのプレゼントを選びましょうよ」
「手帳とかいいんじゃないのか?編集者にスケジュール管理は必須だろ」
しかし三下は首を横に振った。さっきは文房具屋でプレゼントを選んで大失敗したのだそうだ。しばらくは万年筆もメッセージカードも見たくない、とそんなことを呟いていた。
「それじゃあどうするかなあ」
悠宇はペンケースでもいいと思っていたのだが、文房具が嫌だというのなら無理には薦められなかった。だが、職業柄のプレゼントが駄目なら桂をよく知らない悠宇にはなにをプレゼントするべきかが思い当たらない。
 プレゼントは、自分自身苦手な悠宇だった。人の側に立って考えることが苦手なので、なにが嬉しいかよくわからない。家族はみんな、誕生日が近くなるとこれ見よがしに欲しいものを言って歩くのでわかりやすいのだが、家族以外となると勝手が違う。
 たとえば道を歩いていて、誰かに似合いそうなマフラーを見る。買おうか、と思うのだがなんとなく同じようなものを持っていた気もするし、似合うと思うのは自分だけではないかと迷ったりもする。さらには買ってしまってもいつどんな口実で渡せばいいのかわからず、結局通り過ぎてしまう。
 多分それは、悠宇が作り笑いのできない性格だからだろう。嬉しくないプレゼントで、笑うことができない。自分のプレゼントが相手に喜んでもらえる自信がないので、笑ってもらえないことを恐れためらってしまうのだ。相手が、プレゼントをもらうことだけでも充分に嬉しがることを、悠宇はいまだにわかっていない。
 桂は、三下と違ってあまり現場を歩き回らない。大抵編集部にこもって手を動かしている、そういう役割だった。時々は外にも行くのだろうけれど、街を歩いていて三下に出くわすことはあっても桂と行き交ったためしはない。
「三下さん、マグカップを見に行きませんか?自分でプレゼントしたものなら、今度は割らないようにって気をつけやすくなると思いますよ」
日和の提案に三下は無反応である。どうやらマグカップという言葉を聞くだけで体が硬直するようになってしまったようだ。もう割ってはいけない、という強迫観念が身動きを制限していた。
「面倒くさいなあ」
背中の中心へ活を入れるように、掌底で強く押してやると三下は再起動スイッチが入ったようでよろよろと歩き出す。しかしやっぱり頼りない。
「落ち込むんなら、人に心配させずに落ち込めよなあ」
無茶を言う悠宇であった。もしも三下がそのように器用な性格であれば、マグカップを立て続けに割ってしまうようなドジも踏んだりはしないだろう。

 二人が三下を連れて行ったのはアトラス編集部から少し歩いた駅前のビル。一階から六階まで、服だの靴だの本だの眼鏡だのとにかくさまざまなテナントが整理され分類されて詰め込まれていた。
 文房具屋は五階にあって、食器屋のある三階へはエスカレーターを使って降りる。エスカレーターに乗ることですら、三下はへたくそだ。マグカップがそんなに怖いのだろうか、マグカップが怖くてはもう永遠にコーヒーは飲めない。
「三下さんがコーヒー嫌いならいいけどさあ」
そんなことありませんと首を振る三下。
「桂くんの入れるコーヒーは、本当に美味しいんですよ」
ぽつりと呟いた言葉は、まだ三下という犬が健気に桂へ懐こうとしているようであった。ここが三下の数少ないいいところである。どんなに人から怒られても、三下は他人を嫌いになることがない。
 桂のコーヒーを、悠宇も日和も飲んだことがない。ということはつまり滅多に入れたりはしない、大分に貴重な飲み物なのだろう。どんな失敗をしたときでも桂のコーヒーを飲めば立ち直れるのだと、三下は笑う。
「それならなおさら、桂さんへのプレゼントはマグカップにしましょう」
今の三下にこそ、桂の入れるコーヒーは必要だった。そのためには桂自身に、ぜひとも新しいマグカップを買わなければ。
 三階の食器屋は入ってすぐのところに新作の丸い絵皿が並べて飾られており、可愛いもの好きの日和の目を奪った。皿に描かれている犬の絵が、特に愛犬にそっくりだったからだ。ただし悠宇は心中でのみ反論していた、
「もっと間抜けな顔してないか?」
犬が焼きもちを焼くのかは知れないが、あの犬にはいい目に遭わされたためしがない。
 マグカップは、入り口から真正面の棚を広く使って並べられていた。色も形も豊富で、いかに人がものを飲んで暮らしているのかが知れた。

「これ、碇さんっぽいな」
黒に金糸の縁どりが入った花のつぼみのようなカップを取り上げる悠宇。確かによく似合いそうだったが底が小さくすぼんでいる形は不安定で、仕事向きではなかった。もっとどっしりとした、円柱のような形がいい。
「あそこに面白そうなのがあるんですよ」
この間見に来たとき、目をつけておいたカップがあった。
「このカップです。なにが面白いかわかりますか?」
日和が指さしたカップは一見したところ、なんの変哲もない白い無地。首を捻る悠宇の隣から三下が手を伸ばし、カップを取り上げ中を覗き込んだりひっくり返して底を確かめてみたり。やはり、工夫はない。
「すいません日和さん、僕にはわかり・・・」
わかりませんとさじを投げようとした三下だったが、マグカップをわしづかみにしている自分の手を見ていきなり驚き、さじの代わりにそれを投げた。
「おっと」
反射神経のいい悠宇が、床へ落ちて割れる前にキャッチする。
「なんだこれ?変な模様がついてるぞ」
白かったはずのマグカップにうっすらと、ピンク色の模様がまだらに浮かんでいる。悠宇が掴んでいるその辺りにも、じわりと滲み出してきた。温度で色の変わるマグカップだった。色のほかにもドットや星型、模様が出るものもある。
「三段階で色が変わるのもあるんですって。熱いお茶を注いだら全体の色が変わって、人の体温でもう一度変わって」
触るたびに、柄の変化が現れるのだった。
 びっくり箱を楽しむ子供のように、最初は目を剥いたものの種が分かれば夢中になって三下はマグカップを三つも買った。多分編集部の人間も驚かせようという魂胆なのだが、一度見れば慣れるのだからそんなに沢山はいらなかった。
 レジでマグカップ代を払っている三下を見ていた日和が、気づいた。三下は碇女史から渡された封筒から金を出さなかった。ただ忘れているだけなのかもしれないけれど、使わないならそれでよい気がした。

「ただいま帰りました」
濃い緑の紙袋を胸に抱いて、重いだろうけれど抱いていた、三下は編集部へ戻った。日和と悠宇は手ぶらだったが、悠宇は実は小さな絵皿を鞄の中へ隠していた。珍しくあいつが欲しそうだったから、と言い訳しながらこっそり買ったものだ。そのことを日和は知らない。
「お帰りなさい」
返事をしたのは桂だった。ちょうど扉の前に立っていたのが桂だったのだ、碇女史は奥にある自分の机でパソコンを睨んでいた。
「た・・・ただいま」
さっき言ったことを繰り返す三下。メガネの中が泳いでいる。
 無表情のまま桂は三下をじっと、三分ほども見つめていた。そして、やっと口を開いたかと思うと、
「コーヒーでも、入れましょうか」
雪が溶けるように、ふっと微笑んだのだった。
 桂の怒りが治まっていたことに感動して、三下がまたマグカップ入りの紙袋を落としそうになった。今度もまた、先回りして受け止めたのは悠宇だった。
「僕もそうするべきでしたね」
と、桂が肩をすくめたのには笑った。せっかくコーヒーを飲むのなら今買ってきたマグカップを使おうと、日和は悠宇から紙袋を受け取る。
「みなさんもいかがですか」
編集部の中に向かって呼びかけると、眉間に皺を刻んでいた碇女史が顔を上げた。ちょうど飲みたい気分だったのよ、とその皺は言っている。振り返って、三下の顔も確かめてみた。
 三下の眉間には、もうなにもなかった。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

3524/ 初瀬日和/女性/16歳/高校生
3525/ 羽角悠宇/男性/16歳/高校生

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

明神公平と申します。
普段三下くんは理不尽な不運に見舞われる役振りなのですが、
今回は自業自得だなあという気持ちで書かせていただきました。
悠宇さまは絵皿を買われているとき、頭の中ですごく
自分に対して言い訳していただろうなあという気がします。
そして個人的には、
「一緒にお兄さんのマグカップも買ったらいいのに」
と思っていました。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。