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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


大海の荒くれ者

 扉を開けた瞬間室内から漂ってきた不可解な匂いに、アンティークショップ・レンの妖艶なる女主人は思わず眉間へと深い皺を刻んでいた。
 知らぬ匂いではない。ただそれは骨董品を扱う店で嗅げる類のものではなく―――むろんそれは普通の品を扱う普通の店であればの話であるからして、いわくつきの品ばかり扱う蓮の店ならばままありえることといえただろう。それでも彼女が渋い顔をせざるをえなかったのは、まるで嵐に見舞われでもしたかのように店内が水浸しであったためだ。
「やれやれ、こりゃ掃除が大変だ」
 むせ返るほどに濃厚な潮の香りの中、蓮は深々とため息をついた。窓ガラスへと指を這わせ、わずかにネバくつその感触に更に憂鬱になる。店内を満たした水は海水だ。匂いの源もまた然り。そしてその元凶である品は、蓮の恨みがましい視線の先で古びた額と共に静かに壁を彩っている。それは大海原を渡る帆船が描かれた窓ほどもある大きな絵画であった。
 本来無機質である絵が夜になると動き出す。絵の具の塊でしかないはずのものに生命が宿り時が流れ始める。その手の品なら蓮も何度か扱っているが、ここまで傍若無人な品もそうはない。夜ごと新たな冒険を求めて大海を駆け巡る船乗りたちは、時に海賊とやり合っては辛うじて勝利を掴み、時に宝島で金銀財宝を手にしては祝いの美酒に酔いしれた。そのたびに店の方では硝煙の匂いやアルコール臭で悩まされることとなるのだが、どうやら今回は事のレベルが違うらしい。
 いま絵の中の帆船はかつてない窮地に陥っていた。海の男なら誰もが知っている、そしてその名を口にするたびに恐れおののく深海の怪物に襲われているのだ。
 小島ほどもある身の丈、大木のような触手。そして触手の先端にある牙のような吸盤。
 こちらでは店内を海水まみれにし、そして絵の中では今にも船を深海へと引きずり込まんとしている巨大な烏賊の化け物、クラーケンに。
「今度の相手はまたずいぶんと強敵のようだね、船長」
 銛を片手に巨大な烏賊の化け物へと果敢に挑む長身の男へと声をかけ、次いで蓮は本日二度目のため息をついていた。



 ぶよぶよと肥大したクラーケンの頭部も、洞窟のようなうつろな目も気色悪いが、ぬめりをおびた長大な触手がなによりもいやらしく不気味に感じられた。それぞれがまるで別の生き物のように蠢き、あるものが船体へと絡みつけば、あるものは帆を引き裂き、そしてあるものは人間を絡めとり深海へと引きずり込む。母なる海へと還った者の行き先は子供でもわかるであろう。人が食料を得るために狩をするのと同じように、この巨大な怪物もまた腹を満たすために船を襲っているのだ。
 巨大な、ただとてつもなく巨大であるということを最大の武器としている化け物を前に、はたして脆弱な人間がどれだけ足掻けるであろうか。絶望の真っ只中に立たされた状況の中、それでも海の男たちは銛を片手に深海の怪物へとむかってゆく―――――――。
「おいおい! 勘弁してくれよ〜」
 件の絵を前に伊葉勇輔は珍しくも弱気になっていた。
 蓮の呼び出しであるからして、尋常ならざる事態が起こったのであろうとある程度は予想していた。予想はしていたが、よりにもよって伝説の怪物クラーケンの討伐だと聞かされた瞬間、IO2最高戦力を誇る彼もさすがに鼻白んでしまう。
「そういわないでさ、頼むよ。今は海水だけだからまだマシだけど、あの船が沈んだら今度はクラーケンがこっちに来ちまうかもしれない。そうなったら東京はどうなっちまうんだい? 東京を守るのがあんたの仕事だろう」
「そりゃまぁそうだが………」
 東京を守るのが自分の責務。それはわかっている。しかしながら伊葉とて人間だ。相手がちょっとしたビルよりも大きい化け物と聞かされて恐怖を感じぬはずもなく、またなによりもこれから向かう絵の中の舞台が海であるということが彼に二の足を踏ませていた。
 なぜなら伊葉は泳げない。ようするに、カナヅチなのである。いざ絵の中へと飛び込んで万が一にも海へ落ちたならば―――――。
 想像して嫌な気分になった伊葉の耳に、突然第三者の声が飛び込んできていた。
「お待たせいたしましたわね、蓮さん。このアレーヌ・ルシフェルと百獣・レオンが来たからにはもう安心ですわよ。あら? こちらの男性はどなたかしら」
 ずいぶんと年若い声に振り返ればそこには、まるで中世ヨーロッパの貴族が着るような船長服に身を包んだ少女の姿があった。更にいえば傍らには鬣も立派なライオンが、まるで少女の従者のように付き従っている。
 あっけにとられる伊葉をよそに、蓮がごく自然に一人と一匹を迎え入れた。
「待っていたよアレーヌ。時間通りだね」
「ガォァ」
「はいはい、レオンもね。この男は伊葉勇輔。今回の件はあんたたちに任せたからね。しっかり頼むよ」
「伊葉勇輔……どこかで見た顔だと思ったらあなた都知事じゃありませこと!? 知事がわざわざあたくしの引き立て役としてきてくださるなんて、今宵の舞台は素敵なものなりそうですわね」
「………お前、よくその格好でここまでこれたな。しかもライオンなんか連れて、ここに来る途中警察に追い回されたりしてないだろうな」
「あら、レオンはサーカス団の動物看板スターですのよ。まあ空中ブランコの花形スターであるあたくしと比べたらその人気はいまいちでしょうけど。でもだからといって、そんじょそこらの躾の行き届いていないライオンと比べてもらっては困りますわ」
 さも心外だといわんばかりのアレーヌに同意を示しているのか、伊葉の顔を見つめながらレオンが『ガゥウ』と鳴く。
「いや躾がどうこういう問題じゃなくてだな………」
 説明を続けようとして、伊葉はけっきょく止めた。こんなことをしている間にも時はどんどん過ぎてゆくのだ。二人の間に蓮がわってはいる。
「おしゃべりはそのぐらいにしておくれ。絵の中世界と現実世界が繋がっているのは夜の間だけだ。朝日が昇ったら帰れなくなっちまうからね」
「わかったわかった」
 蓮の頼み、そして東京に害をなすかもしれない存在は捨て置けないという思いが、伊葉の決意を固めさせていた。事実あまり時間はない。東京はまもなく夜を迎えようとしてる。が、それでも蓮を相手に虚勢を張るぐらいの時間はありそうだ。
「帰ったらメシに付き合えよ」
 ほのかな潮の香りが店内を満たし絵が徐々に生命を宿しつつあるのに、伊葉は蓮の返事を待たずして、アレーヌたちと共に怪物の待つ大海原へと身を躍らせていた。



 いきなり海の真上とかは勘弁してくれ。そんな思いが通じたのかどうかは不明だが、上下が逆転したかのような嫌な感覚に襲われた直後、伊葉はマストの先端部に程近いヤードの上に立っていた。傍らにはアレーヌ、レオンもいる。そして背後には時空の歪みのようなものが見てとれた。
「どうやらこれが"あちら側"と"こちら側"を繋ぐ道らしいな。うおっ!?」
 クラーケンがさっそく活動を再開したものか突然の激しい揺れに空中へと放り出され、伊葉は反射的に「白虎」の力を発動させていた。
 風をまとい大気を切り裂き、メインマストよりも更に高い地点まで一気に飛ぶ。遥か眼下では最後の飽食を味わおうと、クラーケンがすべての触手を駆使し船を沈めようとしていた。そんな中においても、アレーヌたちはうまくロープを使って甲板へと降り立ったようだ。だが船が失われたら最後、アレーヌたちはもちろん船員たちも助かる術はあるまい。
「させるか!」
 伊葉は両手を頭上へとかかげ、掌に風の力を集中させた。より練り上げられ渦状となった風は、その手から放たれた瞬間破邪の風撃となる。
「いけぇぇえええ!」

 ヒュンッ―――――――グワッ!
 ズガガガガガガガッ!

 流星のごとき速度で放たれた風の刃は、クラーケンの頭部で破裂し、水死体のようにぶよぶよした皮膚を縦横無尽に切り裂いていた。
 人の血とは異なる体液を撒き散らし、巨体がぐらりと後方へ傾く。あわせて、船体に取り付いていた触手が緩むのを、甲板のアレーヌは見逃さなかった。
「逃がしませんわよ!」
 甲板の片隅に置かれていたロープを手に取り、レオンには太い碇綱をくわえさせ共に走り出す。触手のすぐそばまで駆け寄り、身をひねり、飛ぶようにしてロープを綱を絡めてはまた別の触手へと向かう。異変に気付き襲い掛かってくる触手にはレイピアを、そしてレオンの爪をおみまいした。大きなダメージは与えられないが、牽制には十分だ。そしてまた触手が一本、ロープの餌食になる。
 やがて触手同士がロープでつながれ身動き取れなくなると、アレーヌは船員たちに向かって叫んだ。
「なにをしていらっしゃるの! このロープも長くはもたなくてよ!」
 どこからともなく現れた助っ人にあっけにとられていた海の男たちも、アレーヌの言葉の意味は即座に理解したらしい。船長の号令が飛び大砲へと弾が込められる中、天空の伊葉が稲妻を超える速度で降ってくる。「白虎の神威」を発動させた彼の肉体は、金剛石よりもなお硬いのだ。
 狙う先はクラーケンの肉体の中でも最も弱点となりうる場所。
 つまりは、目。

 ずちゅっ!

 想像を超える衝撃に、怪物の動きが止まる。

「いまだ! 総攻撃をかけろ!」
 クラーケンの眼球に肩まで拳を食い込ませ、伊葉が怒鳴った。その後をアリーナが担う。
「目を狙うのよ! 撃ちなさい!」

 ――――――――――!!

 一拍遅れて鳴り響いた24ポンド砲の咆哮は、まるでクラーケンの断末魔のようであった。粉塵を上げ大気を轟かせありったけの砲弾がクラーケンの目へと打ち込まれる中、間一髪のところで難を逃れた伊葉がアレーヌの元へと降り立つ。ロープにがんじがらめにされた触手は、びくびくと大きく麻痺を繰り返すばかりだ。
「やったかしら?」
「さあな。だが手ごたえはあった」
 クラーケンの体液でぐっしょりと濡れた手を、伊葉は嫌そうに見つめた。その瞬間アレーヌが小さな叫び声をあげる。クラーケンの巨体が海に沈み始めているのだ。
 砲弾の音が途切れる。
 もはや触手を振るうことも身をくねらせることもなく、ただ静かにゆっくりと海へ還る怪物の姿を、みな固唾を呑んで見守っていた。触手が消え、穴だらけの頭部が消え、そして海面に渦が残される。更にはそれさえも確認ができなくなったころ、甲板からはようやく歓声が上がっていた。
 つられたかのように、レオンが鬣を振り乱し勝利の雄たけびを上げる。
「やりましたわね! あたくしたちの勝利ですのよ!」
「これで次は白鯨だのあやかしだのリヴァイアサンだの出ても、俺ぁ知らんぞ」
 年頃の少女らしく喜びを全身で表すアレーヌとは対照的に、伊葉は疲れたようにそうぼやいていた。
 とにかくこれで依頼は完遂したのだ。船員たちに質問ぜめにあう前に、元の世界へと戻るのが得策であろう。
「長居は無用だ、帰るぞ。朝になったらかなわん」
「そうですわね。それにしてもちょっと惜しいような気もしますわ。触手の一本も残しておけば、烏賊のお寿司がおなか一杯食べられたでしょうに」
「………寿司、好きなのか?」
「ええ。伊葉さんおごってくださる?」
「俺の実家でよけりゃ考えておいてやる」
 船員たちが伊葉たちの姿がないことに気付いたのは、彼らが去ってからしばらく後のことであった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【6589/伊葉・勇輔/男/36歳/東京都知事・IO2最高戦力通称≪白トラ≫】
【6813/アレーヌ・ルシフェル/女/17歳/サーカスの団員兼空中ブランコの花形スター】
【6940/百獣・レオン/男/8歳/猛獣使いのパートナー】


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターのカプランです。
このたびは「大海の荒くれ者」にご参加いただきまして、ありがとうございました。皆様の個性的なキャラクターのおかげで大変楽しく書くことができました。
またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。