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<東京怪談・PCゲームノベル>


花逍遥〜冬に咲く花〜



■ 朝嗜酒 ■

 コンビニから出ると、猛烈な寒さが身に染みてきた。
 三月になったというのに刺すような冷たい風が頬を吹き抜けていく。この様子では冬は当分終わりそうもなかった。
 都会での夜遊びが好きな守崎北斗にしては珍しく、朝の日差しが輝く中、樹木の多い閑散とした僻地にいる。朝も早い時分、兄に吹き飛ばされるかの如く雑用を押し付けられ、それを済ませた帰り道だ。
 通りは静かだった。腹は減るし、寒いし、なんだか場違いなところに来てしまったような気がしているところへ、場違いな明るいコンビニを発見し、即座に入って北斗は肉まんを2個購入したのだった。もちろん、北斗が二つ食べるのである。
 都会の真ん中にいるような、騒音に満ちた場所のほうが好きだ。人もまばらな自然の多い場所にはあまり慣れていないため、少し落ち着かない。
「夜になったら絶対繁華街に繰り出してやる」
 北斗は呟き、肉まんを一口食べた。白い煙の出るほかほかの肉まんは、北斗の体を温めてくれる。食べ歩きしている間にも、夜のネオンが恋しくてうずうずしてくる。兄に殴られ蹴られることは充分承知だが、本能には逆らえない。
 首に巻いていたマフラーを立て、駅はどこかとうろうろしていると、不意に北斗の背後から声がした。
「おや、おいしそうな匂いがしますねぇ。肉まんですか」
 振り返ると、和服を着た紫色の瞳の青年が立っていた。妙にこの場に馴染んでいる。見た目は若いのだが、どうも漂う雰囲気がオッサンくさい。
 北斗は肉まんをくわえたままいぶかしんだ。普通の大人なら、今頃はスーツをバシッと着こなして通勤ラッシュに苦労している時間帯だ。それなのにこの青年は朝からふらふらと何をしているのだろう。 
 まさか目当ては肉まんか? 
 やらねえぞ、と青年に眼力を飛ばし、北斗が慌てて2個の肉まんを一気に口に詰め込むと、青年はその様子を見て愉快そうに笑った。
「誰も君の肉まんを取ったりしませんよ。良い香りがしたのでつい声をかけてしまっただけです」
 のんびりとした口調だった。
 あまりに必死に食べたため、肉まんが喉に詰まった。どんどんと胸を叩いて一呼吸置くと、北斗は青年へ問いかける。
「おっさん誰?」
「おっさんとは酷いですねぇ。せめてお兄さんとでも言ってくださいな」
「じゃあ、兄ちゃん。朝からこんなところでなにしてんの?」
「家に来客がいるので、酒の肴を買いに出た帰りです」
 青年はコンビニのビニール袋を北斗に見せてくる。どうやら北斗と同じコンビニに居たらしい。
「朝から酒かよ……羨ましいぜ」
「羨ましいとはまた……君が未成年に見えるのは僕の気のせいですか?」
「まあそれはそうなんけど……」
 へへ、と笑い北斗は頭を掻いた。青年は北斗の遊び人の雰囲気を感じ取ったのか、それとも北斗の本職を嗅ぎ取ったのか、口元に笑みを湛えて、
「曲者ですねぇ」
 とだけ呟いた。
 最初こそ不信感を抱いたものの、なぜかこの青年に北斗はさらりと打ち解けられた。二言三言会話を交わしていると、寒風が吹き抜けて行き、北斗は思わず寒さに手をこすり合わせる。
「寒いですねぇ……」
 青年はポツリと言った。青年自身はあまり寒くなさそうな表情だ。暫くの沈黙のあと、青年は思いついたように両手を叩き、満面の笑みを浮かべた。
「立ち話もなんですし、宜しければ君も遊びに来ますか? 暖かいお茶でもご馳走しますよ。今来るととても珍しい人物に会えますし」
 北斗は目を輝かせた。「珍しい人物」よりも「お茶」という言葉に反応し、青年の持っているビニール袋を指差した。
「そのツマミとか! 菓子とか! ついでに飯も食えるか?」
 タダ飯にありつけるほどありがたいことはない。
 青年が笑みを崩さずに「ご飯はおにぎりくらいなら直ぐに作れますが」と言うと、北斗は「よっしゃ!」とガッツポーズを決め込み、青年の両手を掴んで自己紹介をした。
 青年も冷静に名乗りをあげる。
 綜月漣。職業は幽霊画家。
 この辺りでは、少し風変わりなことで有名らしかった。


*


 漣の家へと続く道を歩く。さっさと暖をとりたいのと、早くタダ飯にありつきたい気持ちで北斗はつい歩みを速めてしまうのだが、漣は先ほどから北斗の数歩あとをのんびりのほほんと歩いている。決して北斗の前を行こうとはしない。
 漣のあまりの呑気さに苛立ち、「おっさんの家、どこだよ!?」と思わず叫びたくなったが、食い物にありつくために北斗は必死で堪えていた。
「北斗君、こちらです」
「あ”?」
 苛立ちがつい言葉に出る。数歩戻って漣の指す方向を見ると、鬱蒼と生い茂った竹林が続いていた。空気はぴんと張りつめ、浄化されている。真っ直ぐに続いた細長い石畳の先に、母屋がある。和風の造りで北斗が想像していた以上に大きい。
「ここがあんたの家?」
 尋ねると、家の玄関がガラリと開き、小さな女の子が漣に走り寄って来た。少女は漣に抱きつき、北斗をじっと見つめてくる。四、五歳だろうか。
「だぁれ?」
 たどたどしい言葉で少女は北斗に聞いてくる。
「ん? 北斗だ。守崎北斗。さっきその辺でこいつに声をかけられた」
 北斗は漣を顎で指しながら少女に言う。
「じゃあ、れんのおきゃくさんだ!」
 人見知りせず、少女は北斗に満面の笑顔を見せる。北斗は屈みこみ少女の頭を軽く撫でながら、漣を見上げた。
「あんたの子供か?」
「いえ、よく間違えられるのですがねぇ。この子は雪(せつ)ちゃんと言いまして、実年齢452歳の座敷童です」
「……は?」
 家に住み着いてしまって離れないのですよと、至極当然のように告げながら笑みを浮かべる漣に、北斗は思わず茫然とする。座敷童が出迎えてくれる家などこれまであっただろうか。幽霊画家という人種は、やはりどこか変わっているかもしれない。
「こっちこっち!」
 雪は笑顔で北斗の袖をひっぱってくる。見た目はなんら変わりのない普通の子供だ。いや、そう思い込んだほうがいいのかもしれない。
 雪に半ば強引に引きずられるように、北斗は家の中へ入り込んだ。

 玄関を上がり、和室の広い部屋に通されたとたん、思わず「あ、間違えました」と襖を閉めそうになった。客間のテーブルにはただ一人、真っ白な浄衣を身に纏った男が盃を手にし、優雅に庭を眺めながら鎮座している。北斗は一瞬、平安時代にでもタイムトリップしたのかと眩暈を起こした。
「こっち! すわってすわって!」
 雪が北斗を招く。その声に気付いたのか、男はゆっくりと北斗に視線を向ける。
「……来客か。最近ここへ来ると必ず人間に出会うな」
 珍しいものでも見るように、男は言う。そして漣も変わったものだ、と男は呟きながら微かに笑った。
「あんたは人間じゃ……ねえのか?」
 語尾が微かに濁る。北斗の言葉は、男の耳には入っていないようだ。両腕を組み、北斗は目の前の男を見ながら軽く首をかしげた。
 幽霊画家に、座敷童……古い和風の家にいると、場の雰囲気に飲まれて段々なにがいてもおかしくない家に思えてくる。
 じゃあこの目の前の男は? 
 北斗は考える。服装がとてつもなく変わっている……というかむしろ変だ。
 神社の神主かとも思ったが、それにしては和装が大仰過ぎる。見るからに現代人ではない気がする。逆に平安時代からタイムトリップしてきた男か。しかしそれにしては、妙にこの時代に、この季節に馴染みすぎている。そうなるとひとつ思い当たるのはあやかしや幽霊といったものだ。
「あんた、もしかして幽霊? 魑魅魍魎? あやかし?」
 疑問を次々に口にしてみる。しかしそれにしては雰囲気が透明すぎるのだ。兄に執り憑く霊を祓うことが度々あるから尚更、北斗は違和感を覚える。
 男は不思議そうな顔をして、眉間に皺を寄せた。
「そういった類のものではないが……そう見えるか?」
「いや、なんとなく」 
 北斗は静かに座り胡坐をかく。男は北斗の言ったことが気になるのか、真剣に悩んでいるようだった。
「あー、いいよいいよ、深く考えなくて」
 北斗が手をひらひらさせて否定すると、男の表情が明るくなった。
「そうか……?」
 男は笑みを湛え、盃を静かに揺らす。北斗は男の手元に目をやると、すかさず聞いた。
「何? 酒呑んでんの?」
「ああ……お前も呑むか?」
「呑む呑む♪」
 ゆったりとした態度で男は北斗に盃を渡してくる。北斗がそれを受け取り、ぐいっと喉に流し込んだ時、襖が開いた。
「ああ、駄目ですよ冬王様」
 盆にお茶と茶菓子とツマミを乗せた漣が、言葉とは裏腹にのんびりとした所作で入ってくる。
「なにが駄目なのだ?」
「北斗君は高校生ですから、世間一般ではまだ酒を飲んではいけない年齢なのですよ」
「そういうものなのか? もう飲んでしまったようだが……」
「……仕方がありませんねぇ」
 漣は笑いながら、北斗の前にツマミと茶菓子を置いた。仕方がないといいながらツマミを置いているあたり、漣は既に北斗が酒を呑むことを黙認している。
「細かいことは気にすんな。あと三年もすれば俺も立派な成人だ♪」
 言いながら、北斗は遠慮せずに茶菓子を食べ、ツマミに手をつける。
「見ていて気持ちの良い食べっぷりですねぇ。これでは冬王様の分まですぐになくなってしまいそうですよ」
「構わぬ。私はあまりこういったものを口にしない」
 ん? と北斗は目の前の男を見る。
「ツクバネサマって、こいつのことか?」
 北斗は男を指差した。漣の言っていた来客――つまり「珍しい人物」とは、この男のことを言っていたのだろうか。ツクバネ、という名前も変わっているが、なぜ「様」という敬称をつけるのだろう。不思議に思っていると、漣が思い切り悪戯っぽい笑顔を向けて北斗の問いにうなずいた。
「ええ。実は冬王様は冬の神様でしてねぇ。他にもそれぞれ季節の神がおられるのですが、その長をなさっている方なのですよ」
「……はぁ?」
 またも北斗は素っ頓狂な声をあげた。なにがいてもおかしくはないと思ったが、まさか「神」に関しては想定の範囲外だった。道理で神聖な雰囲気を醸し出し、堂々とした振る舞いをしている訳だ。神と魑魅魍魎では天地の差がある。
 幽霊画家に座敷童に神と来た。しかも自分は忍者である。なんとも不思議な組み合わせだ。
「神って、マジかよ」
「ええ。マジですねぇ」
 漣は当たり前のように言う。北斗は黙り込み、まじまじと冬王を見つめた。
「……じゃあさ、あんたが冬の神っていうんなら、さっさと暖かい季節にしてくれよ。俺、寒くて耐えられねえよ」
 ツマミを頬張りながら、半信半疑に北斗は言う。
「私が治めるのは冬だけだ。朧……春の神が来るのを待つといい。あれが来れば少しは寒さも和らぐだろう。今年は少し姿を見せるのが遅いようだが……」
 冬王はゆっくりと酒を呑む。さまになっているその姿を見て、ホンモノだ、と北斗は直感的に悟った。目の前の男は恐らく、長い季節(とき)を渡り歩いている神の一人なのだろう。 
 漣が軽く、北斗に説明をした。春夏秋冬それぞれに神がいて、それぞれがひとつの季節を支配する。そして今はこの冬王という男が、冬を支配しているのだという。驚きと同時に、北斗の中に好奇心が沸き起こる。
 季節はただ普遍的に巡るものだと思っていた。四季に神がいることなど、北斗は今まで考えてもみなかった。
「冬の神に春の神か……へへっ、面白いじゃん」
 口元をほころばせると、北斗は慣れた手つきで冬王に手酌をする。
「面白い……?」
 冬王が盃を差し出しながら聞いてくる。
「人間が神に会うことなんて滅多にあることじゃないし。寒いだの暑いだの文句垂れてる時期に神がいるのかと思うと、ちょっと季節の見方も変わる」
「そういうものか?……確かに人間から見ると、我々の存在は面白いのかもしれぬが」
 冬王も北斗に手酌をする。酒を呑み交わしていると、漣が口を挟んできた。
「北斗君、いっそのこと冬王様に雪景色でも見せて頂いたらどうですか? 雪見酒も出来ますし、いい記念になりますよ」
「いや、寒いからいいっす」
 間髪をいれずに北斗が断ると、漣は苦笑を零しながらのんびりと客間から去って行った。


*


 静かな時間に、北斗は完全にくつろいでいた。客間から見渡せる中庭には色とりどりの花が見事に咲き誇り、きっちり手入れがなされている。花の名前は北斗にはよくわからないが、冬にもこれだけ咲く花があるのかと少し感心する。
 冬王は寡黙で交わす言葉は少なかったが、神というもののなせる業なのか、むしろ流れる沈黙が、北斗に絶大な安心感を与えてくれた。
 ほろ酔い加減に鼻歌をうたいながら、ツマミを一人で食べつくす。いつの間にか冬王の膝に座っていた雪が北斗を見つめて無邪気に笑った。
「ごはんおいしい?」
「茶菓子とツマミじゃ飯とはいわねぇよ。まだ腹減ってるしな」
 ここへ来る前に肉まんをふたつ食べたことなどすっかり忘れ、物足りなさそうに北斗は腹を押さえる。
 雪がなにか閃いたように冬王の膝から飛び降り、漣の消えた方向へ走っていく。20分ほどして雪は漣と一緒に戻ってきた。
 漣の持っている大きな盆に、握り飯が20個ほど並んでいる。味噌汁付きだ。
 腹の虫が鳴る。立ち上がり、それに飛びつこうとしたとき、漣がひょいと盆をかわした。
 北斗は漣を睨みつける。
「なんだよ、食っちゃいけねぇのかよ……」
「いえいえ。北斗君のたべっぷりでは、すぐになくなってしまうと思いまして。そろそろお昼ですし、雪ちゃんの分も残しておいて頂かないと」
「子供なんだから、そんなに食えねぇだろ。2個残しときゃ十分なんじゃねぇのか?」
 その言葉に、漣は首を横に振った。
「雪ちゃんも北斗君に負けず劣らず底なし胃袋ですからねぇ。子供だからと言って侮ってはいけませんよ」
「雪もごはんたべるよ! ぜんぶたべちゃダメ!!」
「……いっそ食べ比べでもしてみますか? テレビで見て、一度胃袋を競う大会というのもを見てみたかったのですよ。ご飯ならいくらでも炊きますし、お味噌汁もありますから」
 食えるだけ食わせてもらえるのなら、幸いだ。しかし、この見た目4、5歳の少女と17歳食べ盛りの欠食男児とでは、結果が目に見えてはいないか。
「この子と競うっていってもな」
 北斗の言いたいことを汲み取ったのか、漣は「おや」と笑った。
「お忘れですか?」
 ああ、と北斗は掌を額に当てた。ほろ酔い加減に忘れかけていた。可愛らしくて紛らわしいが、雪は普通の子供ではないのだ。座敷童との食べ比べとは、どんなものになるのだろうか。
 いっちょやってみるかと、北斗は腕まくりをし、闘志を燃やし始める。すると、隣からふっと笑い声が聞こえてきた。北斗が視線をやると、冬王はが穏やかな微笑を浮かべていた。
「腹を競うのか……。人間とは面白いことをする」
 冬王の言葉に、言い出したのは漣の方だ! と北斗はいつもの癖で突っ込みを入れたくなった。



■ 胃袋自慢 ■ 

「せーの!」
 漣が充分に準備をしてくれたあと、おにぎりを目の前に雪がいきなり掛け声を出し始めた。
「え? もう始めるのか?」
 問いも虚しく、雪はぱくぱくとおにぎりを食べ始める。北斗は慌てておにぎりを掴んだ。
 盆の上に20個に並んでいたお握りは北斗と雪の腹にあっという間におさまる。味噌汁を口にすると、丁度良いタイミングで漣が大量のお握りを運んできてくれる。
「北斗君と雪ちゃん、同じ数を盆に並べて分けておきますが、ちゃんと数を数えておいてくださいねぇ。早食い大会ではありませんので、ゆっくり食べて頂いて構いませんよ」
「勝者にはなんか出るのか?」
 北斗がおにぎりを口に詰めたまま言う。
「なにも出ませんねぇ」
 がくっ、とうな垂れそうになるところへ、雪は着々と数を減らしていく。北斗も負けはしないぞと急いで雪の後を追う。おにぎりは決して贅沢な食べ物とはいえないが、それでも美味い。漣が気を利かせているのか、昆布や鮭や梅干やツナマヨまで、バリエーションに富んだ中身を出してきてくれるので飽きることはなかった。塩加減も丁度いい。
 時折「塩分ばかりでは体によくありませんし。口休めに甘いものでも食べますか?」と、漣が羊羹や練り菓子を持ってくる。それは数のうちにはカウントされない。
 握り飯に、味噌汁に、お菓子。幸せだ。
 白米を噛みしめながら不意に目をやると、両手で必死に握り飯を食べている雪の姿が目に入った。可愛いが、普通の子供では絶対食べきれないだろう数を平然と食べている雪に、やはり座敷童なのだと実感する。それでも悪い子ではなさそうだ。妹が出来たような気持ちになって、北斗は雪に声をかけた。
「雪も俺と同じでよく食べるなあ」
「うん! 雪ごはんたべるのだいすき!」
 褒められたと思ったのか、頬にご飯粒をつけて雪は嬉しそうに笑った。


*


 いつの間にか、空には月が出ていた。
 繰り広げられる底なし胃袋大会は、実に8時間に及んだ。それでもまだまだいけるぜ、と北斗が思った時、漣が何も持たずに部屋の中へ入ってきた。
「申し訳ありませんねぇ。お米がなくなってしまいました。まさかこんなに長時間続くとは思ってませんでしたからねぇ」
「ちぇっ残念」
 北斗は舌打ちをした。
「あたし、258個!」
 雪が自分の食べた数を主張する。雪の盆の上は既に空になっていた。漣は一人で北斗と雪の分、計515個ものおにぎりを作ったことになる。 
 仕方がないか、と北斗は思い直す。流石にそれだけの数を作れば米は底を尽きるだろう。北斗は257個目を食べ終え、味噌汁を飲んでいたところだった。盆には、ひとつだけ握り飯が残っている。
「じゃあラストか。雪と同じ数行くぜ! 引き分けだ」
 258個目を北斗は手にする。その時聞き覚えのある、穏やかな笑い声が聞こえてきた。おにぎりを食べるのに夢中で、すっかり忘れていた存在を思い出す。声の主に視線をやると、冬王は朝見たときと同じ、変わらぬ様子で北斗を見つめていた。
「なんかおかしいか?」
「いや……お前があまりに幸せそうに食べているものだから、つい。やはり人間というものは見ていて飽きないな」
 熱気の漂った室内に、北風が吹き抜けていく。心地がよかった。もしかしたら、この風は冬王の仕業かもしれないなどと考えてみる。北風を吹かせることなど、冬の神であれば簡単にできるだろう。
 持っていたおにぎりと冬王を見比べ、北斗は冬王にずいっと最後のおにぎりを差し出した。
「食うか? さっきツマミも全部食っちまったから、その侘びも兼ねて」
 冬王はその言葉に驚いたようだったが、直ぐに首を横へ振って返してきた。
「お前が食べれば良い」
「そういうなって! 今日の記念に258個目のおにぎりはあんたが食えよ」
「……そうか」
 冬王は受け取り、しばらく物珍しそうにおにぎりを見つめていた。
「もしかして、食ったことないのか? おにぎり」
「私は食事を取らずとも生きていける。最近は多少人の食するものに馴染んできたが」
 いくら神とはいえ、なにも食べずにいるというのは北斗にとっては信じ難い。
「食べるっつーことは大事だぞ。人間の生きる源だしな」
「そういうものか?」
 全く、わかってねえなと北斗は溜息をつき、漣に味噌汁を持ってくるように頼む。北斗はそれを、箸と一緒に冬王の前に置いた。
「神なら人間の食うものも知っとけって。真っ白な世界を覆う冬の神が、真っ白な米の味を知らないでどうすんだよ」
「駄洒落ですか?」
 漣がのほほんとした笑顔を浮かべる。
「ちっがーう。白米と味噌汁! これは日本人の原点だ」
「これはそんなに伝統的な食べ物なのか?」
 冬王は逐一関心しながら、丁寧に口をつけた。
「……質素だが、奥の深い味だな」
 美味いでも不味いでもなく、けれど的を射ているような奇妙な感想を冬王は述べる。
 ゆっくりと時間をかけて握り飯と味噌汁を食べ終えると、冬王は「礼だ」と、北斗の盃に酒を注いできた。
「時に北斗君。あれだけ食べて胃もたれしていませんか?」
「いんや、全然。まだ腹減ってるし」
 酒を呑み、けろりとした顔で言うと北斗は大きく伸びをして、壁時計を一瞥した。
「兄の頼まれごとで変な場所へ来ちまったと思ったけど、今日はなんかいろいろ、面白いもん見た。名残惜しいけど、もう帰らないとな」
 帰り支度をして、北斗は駅までの場所を漣に尋ねる。
「帰っちゃうの?」
 雪が寂しそうに北斗を見つめる。
「ああ。またここに来れば会えるだろ。来てもいいよな、漣?」
 漣は相変わらずの笑みで頷く。雪は安心したような表情で笑い、冬王の膝にちょこんと乗った。一期一会。雪を抱きかかえる冬王を見て、北斗の中に少しだけ寂莫の念が沸く。
「そっか、次来るときは冬王には会えないのか」
「明日来ればお会いできると思いますよ」
 漣の言葉に無理! と北斗は返す。北斗も北斗なりに忙しいのだ。
「冬になればまた会える。そう急くこともない」
「んじゃ、そうする」
 北斗はあっさりと答えた。一期一会ではない。冬は毎年巡ってくる。そう思って北斗は立ち上がった。
「……人間との出会いというのも、面白いものだ。今日の記念に何か土産でも持ち帰るか?」
 冬王が尋ねると、
「かに鍋セット!」
 と北斗は瞬時に叫んでいた。数秒後に、こいつにはわからないかもと考え直し、詳しくかに鍋セットの説明をした。冬王は理解したらしく、「わかった」と頷いた。
 部屋がしんと静まり返る。
 冬王は目を閉じ、空気に人差し指を当てる。そこにすっと一本の線を描く。
 すると、何もなかった空間に裂け目が生じた。冬王はゆっくりと両手を伸ばす。次の瞬間、北斗の言ったとおりものものが鍋ごとそこから出てきた。
「すげえ! 四次元ポケットみてえ!」
 若干興奮する北斗に、冬王は冷静に「これでよいのか?」と聞いてくる。
 二度頷き礼を言うと、漣が持ちやすいようにと大きなビニールの袋に入れて渡してくれた。

 漣と雪と冬王に玄関先まで見送られ、外に出る。空気は冷たく、辺りは静まり返っていた。朝まであれほど嫌だった静けさが、今は気持ちのいいものに変わっていた。
「じゃあな、ごちそうさん!」
 北斗は大きく手を振った。
 繁華街へ繰り出すのはやめておこう。今日あった出来事を胸に刻みつけ、今夜は冬の神から貰ったこのかに鍋を兄と一緒に食べよう、と北斗は思った。幽霊画家と座敷童と神の住む、ちょっと風変わりで穏やかな屋敷。兄にこの話をしたら信じてくれるだろうか。鍋をつつきながら兄と二人、今日の話題に花を咲かせたいと思った。
 北斗は夜空の下、駅まで続く道へと勢いよく走り出す。吹いてくる北風を全身に感じながら――



<了>




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】


【0568/守崎・北斗 (もりさき・ほくと)/男性/17歳/高校生(忍)】

*

【NPC/冬王(つくばね)/男性体/不詳/冬の四季神】
【NPC/綜月・漣(そうげつ・れん)/男性/25歳/幽霊画家・時間放浪者】
【NPC/雪(せつ)/女性/452歳/座敷童】


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■         ライター通信          ■
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守崎・北斗 様

 はじめまして、綾塚です。
 この度は『冬に咲く花』をご発注下さいまして有難うございました。
 まず、私事で納品が大変遅くなってしまい、深くお詫び申し上げます。そして完全お任せというのは初めてでしたので、きちんと北斗様らしさを出せているかドキドキしております。何かございましたら遠慮なくお申し出下さいませ。
 それでは、またご縁がございましたらどうぞ宜しくお願いいたします。