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たいむかぷせる。
タイムカプセル。
通常では、未来の自分のために残す、『過去の自分』のこと。
10年後、はたまた20年後の未来の自分がどうなっているか、わくわくしながら色々と詰め込んでいく。
けれどもここに。
一つのつづらがある。
小さなつづら。大きなつづら。
3月14日だけ現れる、謎の露店商の老人は言う。
「わしの代わりに、ホワイトデーでの思い出を作ってくれんか。なに、簡単なこと。
どちらのつづらもあんたを過去の世界に連れて行く。
そこであんたの今の恋人に会うのもいいだろう。
初恋の相手に会うのもいいだろう。
ほのかに想いを寄せている相手でもいい。
これは夢だと思えばええ。ほんの一瞬で終わる、まぼろし。
若かりし頃のあのどきどきした気持ちを、ほんの少し分けてくれるだけでええんじゃ」
***
「な、なんかよくわかんないけど……どっちか選べばいいの?」
怪訝そうにしつつ、十種巴は男に尋ねた。
道に無造作に広げられている露店。店主であろう老人は麦わら帽子をかぶっている。3月になぜ?
巴は少し戸惑い、それからつづらを見比べた。大きいほうがなんとなくお得な気がした。
「じゃ、こっち」
巴は指を差した。
老人は薄く笑った。
「じゃあ開いておくれ」
へ? と巴は思う。
(開いて変質者とか出てきたら、ぶっ飛ばしてやるけど)
そう思いつつ、巴はつづらの蓋を開けた。
*
巴は5歳の頃、一度海外に行ったことがある。だが10年後、巴は当時の記憶をすっかり忘れていた。生まれて初めての外国を堪能することも、思い出として残すこともなかった。なぜ海外に行ったのか……その理由は確か。
(お父さんとお母さんが、学会やグループ研究に出席するため……だっけ?)
幼い巴の視線は低く、何もかもが大きく見えた。
(……あれ? 私、こんなに小さかったっけ……? ん? いま、私、何歳?)
ぼんやりと記憶が薄れる。大きなつづら。怪しげな露店。
(私……そうだ。あそびにいかなくちゃ……)
きょうも、あのひとにあわないと。
5歳の巴は暇をみては、滞在しているホテルのロビーに来ていた。ロビーでとある少年を見つけるのが目的だ。
エレベーターを降りて、ロビーを見回す。朝の9時半。必ず彼はここに居る。そして簡単な朝食をとるのだ。
ロビーを横切って歩いていく彼の姿を見つけて巴は走り出す。たくさんの大人が行き交う中、転びそうになりながら追いついた。
「おにいちゃん!」
呼ぶと、彼は振り向いた。
長めの前髪。黒い髪は艶やかで、巴は憧れる。うなじのところで一つに括っている微妙な長さの髪が揺れた。
「ひかるおにいちゃん」
もう一度呼ぶと、彼は困ったように眉をさげる。名前は、ひかる、しかわからない。漢字もわからないその名前を巴は必死に覚えた。
アイロンをかけてある白いシャツに、スーツ。上着は着ずに、腕に抱えている。どこかの新聞社の、駆け出しの若者、または下っ端なイメージがある。だが誰もが振り返るような美貌の持ち主であった。
何をしている人なのか、巴は知らない。だが同じ日本人だし、このホテルでは一番話し易かった。
「ひかるおにいちゃん、遊ぼう!」
「あ、いや……これから朝ご飯食べたら出掛けなくちゃならねぇんだ」
「ええーっ」
ぷぅっ、と頬を膨らませると彼はますます困った顔をした。
「朝ご飯の間だけは付き合うけど」
「うーん。わかった」
実はわかってはいないのだが、巴はませて、そう応えた。彼が安堵したような表情をしたので、この答え方は正解だったのだと幼心に理解する。
イスに腰掛けて、巴は足をぶらぶらと揺らした。目の前に座る少年はコーヒーを飲んでいる。ああ……。
(かっこい〜)
巴からのハートマーク光線に彼は全く気づいていない。
彼はスケジュール帳を眺めつつ嘆息した。どうしてだろう。彼が笑っているところを見たことがない。いつも溜息をついているか、少し辛そうに顔を伏せているかだ。
(なやましげな顔もステキ……)
母親の言葉を真似てみる。なんだかその表現はしっくりした。
テーブルの上のオレンジジュースに手を伸ばし、ストローに口をつける。美味しい。
巴が彼と出会ったのは偶然だった。ロビーでどうしたらいいか考えあぐねていた時、助けてくれたのが彼だったのだ。日本語が通じることもあり、巴は彼にすぐ懐いたのである。
「ねえ、おにいちゃんっ」
勢いよく身を乗り出しながら巴は口を開いた。彼がこちらを見てくる。色違いの瞳が、きれい。
「わたし、大きくなったら、おにいちゃんのお嫁さんになる!」
「…………」
少年が唖然とした。そして、困ったように微笑む。
「嬉しいけど……きっとオレのこと、忘れると思うぜ?」
「わすれないもんっ」
巴は唇を尖らせた。イスから降りて彼に近づく。くいっ、と衣服を引っ張った。
「お嫁さんになれないの?」
「そうじゃなくて……気持ちは嬉しいんだけどよ。ちょっとその……オレ、すごい年上だし。お嬢ちゃんにはもっと似合う、もっとかっこいい彼氏ができるぜ」
「やだあ! おにいちゃんがいいっ!」
「そ、そんなこと言われてもなぁ……」
後頭部を掻く彼は「うぅーん」と唸った。
「……えっと、じゃあ……。でも、なんでオレなの?」
「おにいちゃん、わたしの、リソーなの!」
「ムズカシー言葉知ってんだな……」
顔を引きつらせる彼は頬に一筋汗を流す。
「理想ねぇ……。そんないいもんじゃねぇっつーか……結婚ねぇ……」
頬杖をつく彼は大仰に溜息をついた。なぜそんな顔をするんだろう? 私がお嫁さんになるって言ってるのに。
「もしかしておにいちゃん、コイビトいるのっ?」
「えっ!?」
少年は一瞬で頬を赤らめ、「まさか!」と即答した。
「いねぇよ! いや、子供相手になんで俺こんなこと言ってんだか……」
「じゃあね、じゃあね! わたし、おにいちゃんに似合うステキな女の子になるから! ぜったい!」
「あ、ありがと……」
はははと乾いた笑いを洩らす少年に、巴はムッとした。こっちは本気の本気だ。
「ほんとだもんっ!」
「でも……お嬢ちゃんがおっきくなる頃、オレは立派なオジさんだぜ?」
「うそー!」
「…………ほんと」
柔らかく微笑する彼に、巴は見惚れてしまった。
「お嬢ちゃんが10ほど年をとれば、オレも同じように年をとるのが……フツーだろ」
「ええーっ! やだぁ!」
「……ンなこと言われても……」
「おにいちゃんはこのままなの!」
少年が一瞬、息を詰めたように声を詰まらせる。
少し辛そうな顔をする少年に巴は動きを止めた。子供心に、彼を傷つけることを言ったのだとわかった。
「おにいちゃんごめんね」
袖を引っ張って上目遣いに言うと、彼がハッと我に返って巴の頭を乱暴に撫でた。髪が乱れる。
「なかないでね?」
「泣いてねぇんだが……。ま、ありがとな」
「で、わたしをお嫁さんにする話は?」
「……すげぇ……最近の子供って油断ならねえ」
唖然としたように彼は洩らし、頬杖をつく。
「……なんでオレなんかがいいんだよ? もっとかっこいーヤツたくさんいるだろ? えーっと、ニホンのタレントって今はどんなのが人気だっけ……?」
「やだぁ! ひかるおにいちゃんがいいの!」
腕を引っ張られて彼は「あぅ」とうめいた。子供相手ではキツく言うわけにもいかないのだろう。
彼は腕時計を気にしていた。そろそろ行かなければならないのだろう。
「だけどなぁ、オレ、戸籍ねぇんだよ。タビビトだからな」
「たびびとぉ?」
「そ。色んな国から国に旅してるヤツのこと。今はここでちょっと人の手伝いをしてるんだけどな」
「おてつだい? おにいちゃんが?」
「旅をするには金が要るからな」
よしよしと巴の頭を撫でる少年。
「そうだなぁ、本当に……オレに結婚なんてできるなら、知り合いに頼んで戸籍くらいなんとかしてもらえるとは思うけどな……」
「わかんなぁい」
「そ、そうだな。難しい話だな。うーん、どうしよう」
子供をはぐらかすとか、嘘の約束をするという考えは彼にはないようだ。
「ちょ、ちょーっと約束はできねぇなあ。ごめんな?」
「…………っ」
巴が涙を浮かべ、頬をぷくーっと膨らませた。見ようによっては微笑ましい光景だ。
「じゃ、ちがうヤクソク!」
「なんだ? できる約束なら、してやるぜ?」
「わたし以上にすてきな人が現れない限り、ケッコンしない! ヤクソク!」
ぶっ、と彼は吹き出してゲラゲラと笑い出した。お腹が痛いのか、上半身を屈めている。
「ぶくくっ……! それなら約束できるっ!」
元気よく笑う彼を巴は不思議そうに見つめた。何がそんなにおかしいのだろう?
「すてきな人が現れても、オレ、結婚する気ねぇもんなぁ。あはっ、おっかし。ハラいてぇ」
「? どうして? おにいちゃん、すてきな人、見たことないの?」
首を傾げる巴の前でごほっ、と咳き込んで彼は後頭部を掻く。
「いや……ある。星の数ほどとはいかねぇけど。美人もいれば、気立てのいい子もいたけど……。ま、縁がねーんだ。そんだけ」
コーヒーを飲み干して彼は立ち上がる。巴と喋る時間はもうないのだろう。
「じゃあな」
「…………」
むっ、として眉根を寄せた巴は彼を凝視し、それから言った。
「ね、おにいちゃん……かがんで」
「は?」
言われた通りに巴と視線の高さを合わせる。巴はどこか難しい顔で続けた。
「ちょっと目を閉じて?」
「うん? わかった」
少年はあっさりと目を閉じた。無防備なその仕種に巴はにたりと笑う。
顔を近づける。睫毛が長いのがよくわかった。整った顔は、どんな女の子にも負けないだろう。
巴はちゅ、と音をさせた。彼の頬に、素早くキスを送る。
「…………」
無言でいた少年は片眉を吊り上げ、瞼を閉じたまま汗を一筋流した。そっと瞼をあげて目の前の巴を見る。
「ほんと……油断も隙もあったもんじゃないな」
「えへへぇ。ヤクソクね!」
「へぇへぇ」
巴が彼に会ったのはこの日が最後だった。3月14日。世間ではホワイトデーという日だった。しかし幼い巴にはわからない。
それに巴は忘れた。なにせ彼と話したのはたった三日ほど。記憶の片隅に追い遣られてしまっても仕方がない。
……実ところ、本来ならば巴はこの日、彼には会っていない。会わずに、彼と別れたのだ。
*
は、として巴は目の前の老人を見た。
(今の……えっと、あれ?)
自分は何かをした。したはずだ。
「お嬢ちゃん、遣り残したことをしてきたようだな」
「は? えーっと、うん?」
頭の上に疑問符を浮かべる巴は、先ほどの経験をすっかり忘れていた。思い出すこともない。あるはずのないことを、してきただけなのだから。
老人は麦わら帽子の下から笑みを見せてくる。
「いいもん貰ったよ。ありがとうな、お嬢ちゃん」
「へ? あ、いや、それほどでも」
なんだかよくわからないが、巴は頬を掻いた。
その露店を後にし、それからしばらく歩いて巴はニヤつく自分の頬を抓る。何が嬉しいのかわからないが、さっきからニヤニヤしてしまうのだ。
ふと空を見上げると、綺麗な淡い青色が広がっていた。それが心地よくて、すっきりしていて。
「なんだか知らないけど、すっごくいい気分っ!」
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【6494/十種・巴(とぐさ・ともえ)/女/15/高校生・治癒術の術師】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご参加ありがとうございます、十種様。ライターのともやいずみです。
幼い十種様と陽狩のやり取り、いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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