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白き鼓動
○序
一年のうちで、一度だけ開かれる扉がある。
その扉を開き、くぐると強い思いを抱く相手が目の前にいる。相手が何処にいようとも関係ない。扉を開くとすぐに相手は存在している。
相手を目の前にし、口から出るのは心に抱く言葉だけだ。嘘も虚偽も許されない。つむがれるのを許されるのは、真に思う言葉だけ。
扉は、本人が望むも望まないも関係なく現れる。
心に強い思いを抱いた人のすぐ目の前に、雪の如く真っ白な扉が現れるのだ。
その扉が現れるのは、白き思いを伝える日……ホワイトディだけである。
○扉
がたん、と音をさせて出現したのは、白い扉であった。
「これは、何?」
榊・紗耶(さかき さや)は、そう呟いてからゆっくりと扉に近づいた。ぽかんと開けた何も無い空間の中、ぽつんと佇む白の扉はいかにも滑稽であった。
(ここは、夢の中なのに)
現ではなく、夢の世界。長らくこの世界の住人となってしまった紗耶だが、今までにこのような扉が登場したことは無い。
だからこそ、警戒もする。
「プレート」
ふと、扉についているプレートに気付く。そこには『この扉の向こうには、あなたが強く思う相手が居ます。その相手に、あなたは真実しか喋れません』とある。
「強く思う、相手」
紗耶は呟き、ぎゅっと手を握り締める。
(今、思い浮かぶのは)
ふっと浮かんでくるのは、とある人の顔。眠り続ける紗耶にとって、与えられている世界は限られているというのに。
すなわち、この夢の中と病院。
そんな小さな世界の中、自然と浮かんでくるのは一人の男性。ただ、その人だけ。
ゆっくりと、扉が開こうとしていた。扉を通れば、強く思う相手に会うことが出来る。そうして、心からの言葉しか口には出来ぬようになる。
「真実を、伝えたい訳じゃない」
紗耶は扉を見つめ、言い放つ。誘おうとする扉を、戒めるように。
「開いて、会いに行かせなくていい。でも、そう。ただ……」
そっと扉に触れる。つるっとしたプレートの触感が、指先に伝わる。
「ただ、扉に向かって言うだけなら、今は……いい」
紗耶の心で、ぐるぐると回り続ける感情、思い、気持ち。それらは紗耶が扉に向かっていると、自然と流れが緩やかになる気がした。
まるで、ゆっくりとまとまっていっているかのように。
「このまとまりの無い心を整理するのに、少しでも役立つのなら」
扉が。
白い扉の存在が。
たとえ本来の目的を遂行することが出来ないとしても。
(ありがたい)
それは、心の奥底から湧き出てくるような、安堵だった。
○心
紗耶は、扉を見つめながらゆっくりと言葉をつむぐ。
「何故、気になるのかは……」
それは、最初に湧き出てくる疑問だった。
気になるのは間違いない。だからこそ、こうして気持ちを整理しようと思ったのだ。ただ、心が纏まらないだけ。
何故気になるのだろうと、今一度自らに問いかける。
(兄さんに似てもいないし、両親にも似ている所は無い)
まだ家族に似ているのならば、多少の納得も出来よう。身近におり、大事に思っている人たちに似ているのならば、それを理由とすることも出来る。
だが、紗耶が気になっている人は、兄にも両親にも似てはいなかった。
(だけど、気になる)
似ていないのに、何故だか気になる。それこそが真実。
「贈り物を貰ったり……返したりもした」
嬉しい気持ちを貰ったから、嬉しい気持ちを返したくなった。そうしたら、やっぱり嬉しそうな顔をしてくれた。
「能の舞台に、誘ってもらったこともある」
静かで美しい空間で、時間を共に過ごした。その時の気持ちを、どう現したらいいのだろう。
『まるで……』
ふっと言葉が浮かぶ。彼は、現しがたい気持ちを花に託したのだ。至極自然に、綺麗な気持ちを、可愛らしい花に。
(魔法のようだった)
どう言っていいのか分からなかったのに、彼は自然に答えを出した。花言葉という素敵な手段で。
「あの時、私は考えずに頷いていた」
誘われた瞬間、何故か考えないうちに頷いてしまっていた。頷いて、一緒に行ってしまった。
「どうして、気になるんだろう……」
紗耶の世界は、ほんの小さなものだった。病院と、夢の世界。そうして「兄」で完結している筈だった。
(気になる)
それは真実。小さな世界しかなかったのに、完結するはずだったのに。
気付けば、自分がいる世界は思いも寄らない広がりを見せている。
(近くに、行きたい)
気になるから、こうして問答を続けても。
「……行けない」
近くに行きたいのに、どうしても行けない。
小さな、危うい世界。病院、夢、兄……そして、彼。
「どうすればいい……どうしたらいい」
答えはない。まとめようとした気持ちは、相変わらずまとまりを見せない。整理しようと口に出したというのに、まるで整理できずに居る。
(解らない)
ぐるぐると感情だけが駆け巡り続けている。こうして、扉を前にして自分の気持ちを口に出しているというのに。
「解らなくても、いい」
ぽつり、と言葉が出てくる。
「傍に居られれば、いい」
紗耶はそう言いながら、俯く。ぐ、と唇をかみ締める。
(そんな言葉で、誤魔化し続けている)
解らない事だらけの中で、解っている事実。誤魔化していると自覚をしているというのに、まだこのままの状態で動いていない。
「怖い、から」
今の世界が壊れるのが、何よりも怖い。小さな世界、危うい世界。病院と夢、そうして兄で完結していた世界。
今まで何度も口にして、それでも変わらなかったはずの世界に訪れた変革。
(「好きだ」なんて)
どうして口に出来ようか。
(この世界が壊れるかもしれないのが分かっていて)
紗耶は、ぎゅっと拳を握り締めた。そうして、ゆっくりと顔を上げる。
「私は、怖い」
何故気になるのか、それは解らない。
近くに行きたいのに、行けない。
どうすればいいのかも、どうしたらいいのかも分からない。
疑問を口にしても、結局答えは出てこなかった。ただ一つ、誤魔化す言葉ばかりを口にして、今の世界を保とうとしてしまう理由以外は。
――それは、怖いから。
紗耶は、そっと白い扉に触れる。指をゆるりと滑らすと、どことなくひんやりとした触感だった。
「まるで、私の心だ」
未だに閉じたままの、白い扉。
鍵がかかっているわけではない。ドアノブを握り締め、開くだけでいいというのに。ただそれだけの事が、紗耶はできない。
「頑なに閉ざしてるように見える」
扉は待っているのだ。時を、ただ待っている。
――手を伸ばし、開かれるのを……!
紗耶は手を引っ込め、そっと胸に抱いた。扉の感触を今一度、確かめるかのように。紗耶は手を抱いたまま、じっと白い扉を見つめた。
「私は、それでも」
抱きしめた手を、ゆっくりと握り締めた。閉ざされたままの扉は、開く意思がなければ開かれることは無い。
それでも、と紗耶は呟いた。
(怖い、から)
白い扉は開くことなく、ゆるゆると消え始めた。そうして、あっという間に跡形も無く消えうせてしまったのだった。
<静かな世界に戻り・了>
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 1711 / 榊・紗耶 / 女 / 16 / 夢見 】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。このたびはホワイトディノベル「白き鼓動」にご参加いただきまして、有難うございます。いかがでしたでしょうか。ホワイトディといいつつ、本当にホワイトディなのか? と聞きたくなるようなオープニングにもかかわらず、参加していただけて嬉しいです。
榊・紗耶様、紗耶様では始めてのご発注有難うございます。静かな雰囲気を意識し、イメージを崩さぬように気をつけつつ書かせて頂きました。水面にぽつんぽつんと水滴が落ちるような感じで。
少しでも気に入ってくださると嬉しいです。発注、有難うございました。ホワイトディに間に合わず、すいませんでした。
ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それでは、またお会いできるその時迄。
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