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<東京怪談ノベル(シングル)>


九十九神

 今日はどうにも運が無いらしい。
 人気の無い寂れた公園を歩いていたジュネリア・アンティキティは、気配を感じ辺りを見渡した。そして電灯の影に目を止めた。
 本来ならば主を映す影は、異形の姿を形作っていた。
 そんな異形を目にしても、ジュネリアの心は微塵も揺るがない。
 揺れる筈が無い。何故ならば、ジュネリアもまた。
「同族か」
 影に向け放つ。彼女に応えるように影はゆっくりとその形を変化させていく。平面的な影から立体的な姿となった異形は、龍のような頭を持っていた。
 僅かに香る血の匂い、ジュネリアは眉を寄せた。
「また、人を殺したのか」
「そういう貴様はなぜ人間を殺さない。九十九神は全てを超越した生物だ。人間のような下等人種に何の価値があろうか」
「人間は素晴らしいものだ。だから私は殺さない。護るのだ」
「人間は自らの欲望の為に、多くの生命を殺す。俺が殺す以上にな。そんな生物が素晴らしいと言えるのか」
 静かに、だが確実に殺気が上り詰めていく。
「美しい部分、汚い部分、陰陽を同時に持ち合わせる人間という存在が素晴らしいのだ」
「反吐が出るな。下等なモノはいらないのだよ。奴らは殺されるための家畜に過ぎない。それを貴様は!」 
 同族の両手から鋭い爪が伸びた。
「私は何があろうと、護ると決めたのだ」
「そう決めたのだ。私と貴様、相容れないのならば」
 しとしとと、降り始めた雨が二人を濡らす。しかし雫は二人に触れるなり、煙となってしまう。
 二人が発する闘気によって、蒸発してしまうのだ。
「フフフ、やはりそうなるか」
 同族が爪を鳴らす。心底可笑しそうに。
 風が止まった。雨はいつしか豪雨となっていたが、二人の周囲だけは止んでいた。あまりの殺気に、天候すらも二人への介入を恐れたのだ。
「第三級神風情がっ!」
 ありったけの侮蔑を込め、同族はジュネリアに飛び掛った。
 それでも、ジュネリアは動かない。静かに、ただ一言を発する。
「 変 身 」
 光り輝くジュネリア。その一言に、同族は動きを止めると巨大な光の塊となったジュネリアを凝視した。

 光が弾けた。
 ザ、と一歩を踏み出すジュネリア。その姿は人間のものではなかった。龍のような頭を持ち、全身は岩のような装甲に覆われていた。
 九十九神形態、本来の姿となったジュネリアの姿に、同族はにやりと笑ってみせる。
 九十九神。全てのモノには魂が宿るという日本古来の伝承の一つである。唐傘などが有名だが、今日では存在しないものとして考えられてきた。
 しかしそれは実在した。民間に伝わる妖怪談とは違った形で。
「行くぞ」
 ジュネリアの呟き。両者は同時に動いた。
 彼女ら九十九神は、所持者の強い想いによって世に産み出た存在。その体は、魂と力を得た武具が、自らの力を行使する為に得た魂の器。それは鋼にも勝る強度と風の如き速さを兼ね備えた、圧倒的な存在。
 故に、古の人々は彼らを神と崇めた。
「やるじゃないか! 三級風情が!」
 次々と攻撃を繰り出す同族はかぎ爪の九十九神。両手のツメが最大の武器だ。対するジュネリアは。
「フン…」
 連撃を弾き、振り下ろし、煌かせるは、武器と呼ぶには美しすぎる芸術品。即ち、刃の如き美しさを持つ拳である。
 刀の九十九神。それが、ジュネリア・アンティキティという九十九神である。
 二神の戦いは公園という狭いフィールドでは収まらなかった。激しい攻防は、昼下がりの街へと飛び出していく。
 子供たちの掛け声で騒がしい住宅地で幾度も音無き激突を繰り返しながら、更に戦場を拡大していく。
 九十九神同士の戦いは、正に人知を超えたものである。彼らの戦いは超高速で繰り広げられ、その戦いは普通の人間の目で捕らえることは不可能。
 ビルの谷間で激突する二神。激突によって生じた衝撃の余波で周囲のビルの窓ガラスが一斉に吹き飛んだ。
 鍔競り合う両者。僅かにジュネリアが勝った。気合と共に同族を弾き飛ばす。
 ビルに激突するかと思われた所で、同族は爪を振るった。大気が歪み、追撃をかけようとしたジュネリアの肩を激痛が走る。
「衝撃波か!」
 その正体を理解したときには、相手は体制を整え懐に飛び込んできていた。咆哮と同時に同時に繰り出される両の爪。舌打ちし、左からの一撃を右手で、右からの一撃を左手で防ぐ。
「甘いなぁ!」
 防いだ瞬間、爪が収縮し元の姿に戻った手がジュネリアの両肘を捕んだ。
「三級!」
 がら空きになったボディに膝が叩き込まれる。
 一瞬意識を失いかけるジュネリアだが、渾身の力で両手を押さえつける束縛を解き、勢いを乗せたまま相手の顔面に頭を叩き付けた。束縛が緩み、両者は再び離れた。
 路地裏に降り立ったジュネリアは、ビルの上から自分を見下す同族を睨み付けた。速度は同等。パワーも同じ。リーチは向こうが上。
 相手はこの状況を楽しんでいるのか、カチカチと爪を躍らせている。
 ならば。決断を下すと、ジュネリアは行動を開始した。
「ハァァ!」
 拳を大地に叩きつけ、その反動を利用して一気に跳躍する。
 その今までとは違う速度に、同族は目を見張り、慌てて突っ込んでくる。
 気合一閃。
 交差する二神。先程とは逆の位置に降り立つ。
 一瞬の静寂の後、どさりと両者の間に落ちるモノが一つ。
 巨大な爪を生やした右腕だ。
「お、おおおおお!」
 激痛に右肩を抑える同族。
 一方のジュネリアは、戦闘の余波で破壊されてしまった市街を見渡した。一瞬で起きた出来事に、大勢の人間は恐慌状態に陥っている。
 続けて、下方で悶えている筈の同族に目を落とす。しかしそこに、敵の姿は無かった。
「余裕を見せている暇なんてあるのかい!?」
 背後に殺気。どす、と鈍い音が耳の中に届き、胸から白銀の爪が飛び出した。
「お前の守りたいモノがお前を愛してくれるかどうか、教えてやるよ!」
 爪を突き刺したまま、同族は駆け出した。その先には、道路が広がり、更にビルがあった。同族は迷う事無く一直線に突き進む。ジュネリアを盾にして何台かの車に激突し、ビルを貫き、塀を砕き、民家を砕き、更に突き進む。進行上にあるもの全てが、ジュネリアへダメージを与える凶器となった。
 死への爆走が止まったのは、戦いが始まった公園に辿り付いた時だ。背中から爪を引き抜かれると、ジュネリアは力なく両膝を突いた。
 そんな彼女の前に立つと、同族は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「これで終わりだ」
 左手を掲げ、爪を伸ばす。逆光に輝く狂気。
「死ねぇぇぇぇ!」
 空気を押しつぶす音と共に、ジュネリアの頭目掛けて拳を振り下ろす。
 次の瞬間に響いた音は、ジュネリアの頭が砕ける音ではなく、彼女の悲鳴でもなく、同族の絶叫だった。
 彼の左腕は細切れになっていた。
 激痛に身悶える同族の顔面を、全身を鋭利な刃物に変化させたジュネリアの左掌がありえない強さで掴む。
 そして、叫ぶ。一撃必殺の奥義を。
『  逞鍛剛破  』

 風が運んでゆく。
 闘争の空気を。極限まで刻まれた、同族の亡骸を。彼方へと運んでいく。
 雨は止んでいた。
 ジュネリアは人間形態に戻ると、何事も無かったかのように、雨上がりの穏やかな公園を歩き出した。