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<東京怪談ノベル(シングル)>


ごはんを食べよう

 昼下がり、のんびりとした空気。
 今日の草間興信所はいつもの喧噪がない。それはデスクの上にどんと置かれている、曰くありげな不思議な雰囲気の茶碗のせいだった。
 多分飯茶碗なのだろう。少し大振りで碗より一回り小さい蓋がついている。青い染め付けは稲穂とウサギが描かれていて、何となく庶民っぽさを感じさせる。
「うーん……何かつまむものでも作ろうかしら」
 事務所で留守番をしていたシュライン・エマは、部屋を片づけた時に出たゴミの入った袋の口を縛りながら、何とはなしにこう呟いた。
 やっておかなければならない清掃も終わったし、経費の計算などの事務仕事もあらかた済ませてしまった。あとは電話や直接出向いてきた依頼人などの相談にのるだけで、今のところ、ここで特にやることはない。
 興信所では泊まりや、夜に交代する調査をすることもあるので、調理器具はあらかた揃っている。興信所にあるもので手軽に作れて、食べやすくて腐りにくいもの……シュラインは冷蔵庫を開け、中を見てしゃがみ込む。
「おあげがたくさんあるのね…だったら、いなり寿司にしようかしら」
 いったい誰が持ち込んだのか、何故か小さな油揚げがたくさん入っていた。もしかしたらここでお酒を飲んだりするためのつまみ代わりに…と入れてあったのかも知れないが、基本的に名前が書いてない食べ物は、誰が食べてもいいことになっている。
「先にお米をとがなきゃね。昆布もお酒もあるし、酢飯はこれでオッケー…と」
 シュラインは愛用の割烹着を上から着て、米をとぎ始めた。最近の炊飯器は「酢飯用」という炊飯機能があるので炊くのは楽だが、それでも浸水はしっかりさせておきたい。リズム良く米をといでいると、ふと入り口に誰かの気配を感じる。
「お客様かしら……」
 その割になかなか入ってくる気配がない。
 と言っても、相談事を迷っている風でもなく、誰かが出てくるのを待っているような雰囲気。
 誰だろう。そう思いながらシュラインが割烹着を脱ぎ、手を拭いて出て行くと……。
「いょーう。ごはん食べに来ちゃった」
「あら、ドクターじゃない。いらっしゃい」
 にぱっと笑いながらそこに立っていたのは、科学者の篁 雅隆(たかむら・まさたか)だった。今日もビロードで出来た紫のジャケットに、コーデュロイのベージュのパンツ、シルクハットに白のネクタイと、洒落た格好をしている。
 ただ妙なのは、そんな格好をしているのに、手にはスズメが描かれた茶碗と箸を持っているところだ。以前雅隆と料理の話をしたときに「僕も今度お茶碗持って、シュラインさんの所にご飯食べに行こうかな」と言っていたのだが、それを実行に来たらしい。
 もしかしたら、単に近くまで来ただけなのかも知れないが。
「いいところに来たわ。今、いなり寿司作ろうと思ってたの。ドクターはいなり寿司好きかしら」
 茶碗を持ったままの雅隆を事務所に招き入れながらそう聞くと、嬉しそうに一つ頷く。
「僕、おいなりさん大好きー。もしかして、丁度いいところに来た?」
 いつも思うが、雅隆の年齢はシュラインより上のはずなのに、無邪気さを感じさせる。中に入った雅隆は、人がいないのに気付いたように辺りをきょろきょろ見た。
「今日みんないないの?」
「そうなの。デスクの上に置いてあるお茶碗の調査に出てるから」
 スッと指を差した方向にある茶碗の隣に、雅隆は自分が持参してきた茶碗をちょんと置く。
「ウサギのお茶碗可愛いー。おいなりさんはこれから作るの?」
 にこっと笑って一つ頷き。
 雅隆は自分で料理をしたりするのだろうか?職業柄手先は器用そうだし、手際も良さそうだとシュラインは思っているのだが、性格的に自分で料理をするようには見えない。
「ドクターはお手伝いする?それとも見てる役?」
「今日は手伝おっかな。あ、お米はといであるんだー。じゃあ油揚げ開きやすいようにしなきゃね」
 見た目に反して雅隆は、結構料理の手順は分かっているようだ。台所に入ろうとする雅隆にシュラインは割烹着を着ながら棚の方を見る。
「そこに割烹着とエプロンと白衣があるから、お洋服汚さないように使ってちょうだい」
「あい。どれ着よっかな〜」
 さて、油抜き用に沸かしていた湯も沸いたようだ。油揚げが開きやすくなるように、一度まな板の上に乗せて麺棒で伸ばしていると、何故かフリフリのエプロンを付けた雅隆がボウルとザルを用意してくれる。
「白衣にしなかったの?」
 シュラインがそう聞くと、雅隆は何故かフリルをつまみ笑ってこんな事を言う。
「白衣は着あきてるから、若奥様エプロン。じゃ、僕お湯かける係ねー」
 本人は着あきていると言ったが、シュラインは雅隆が実際に白衣を着ているところを見たことがない。たまたま科学雑誌をめくったりするときに、白衣の写真が載っているのを見たことがあるのだが、その時はちゃんとしたスーツとネクタイだったので、よく似た別人だと言われたら信じてしまうかも知れない。
 だし汁を作りながら、二つに切った揚げをシュラインは手際よくザルに乗せていく。
「やっばり研究室だと白衣なのかしら?」
「うん。管理棟は白衣とか着てないと入れないの。白衣にもスーツみたいにダブルのボタンのがあるから、それ着てるけど、あんまり格好良くないんだよね」
 ざーっと熱湯をまわしかけると、水蒸気で辺りが白くなった。その湯気の中、雅隆は笑ってこんな事を言う。
「でね、格好良くないから家持って帰ってこっそり家で脇詰めたら、皆に怒らりた」
 くすっ。
 その光景が何となく想像できる。雅隆曰く、白衣の真っ直ぐなラインが気に入らないらしい。
「ドクター、それって自分で直したの?」
「そだよー。僕ねーミシンとか自分で使うよ。料理とか普段は忙しいから全然しないけど、服はこだわるの」
 自分で何でもやってしまうのか。
 だし汁の中に砂糖と醤油、酒とみりんを入れ、少し濃いめに味を付け、シュラインは何となく感心してしまった。普段料理はしないと言っているが、お湯が切れた後のザルをさっとよけたり、ボウルを洗ったりする仕草はやっぱり器用だ。
「なんかドクターって、苦手な事ってなさそうだわ」
 そう言ったときだった。
「そんなことないよ。僕ね、壊滅的に『才能がない』って言われてることが何個かあるの」
 すると雅隆は『壊滅的に才能がない』ことをシュラインに説明し始めた。
 まず壊滅的な音痴。そしてリズム感のなさ。
 楽譜を見てピアノを弾いたりは出来るらしいのだが、その音楽を自分で説明しようとすると音がどんどん外れていく。実際その場で「隅田川」を歌ってくれたのだが、それは原曲からはほど遠く、何だか異国の音楽というか、お経というか……正直微妙な歌だった。
「ピアノは弾けるの?」
 それは初耳だったので、先ほどの歌声に少し戸惑いつつシュラインが聞くと、雅隆はカップと計りを使って酢と砂糖を合わせながら、こくっと頷く。
「うん。ピアノは感情云々を抜きにすれば、楽譜通りに弾けばいいからー。でも、ピアノは出来るけど、パソコンは一本指打法なの。でも携帯電話の変換は、女子高生並みに早いよ」
「じゃあ、ドクターにメールしたいときは携帯の方がいいのね」
「うん。あ、後ね、日本語の字は読めないって言われる」
「えっ、そうなの?」
 揚げが煮ふくまり、米が炊けるまではまだ時間がある。シンクの下にある棚からすし桶を出したシュラインは、何気なく冷蔵庫に貼り付けてあるボードを見た。
「じゃ、自分の名前書くねー」
 普段は買うものや、牛乳が古くなりそうだったから使ったとか、そういうことを書くために使っているのだが、雅隆はペンを取るとそこに謎の文字を書き始める。
「………」
 ……確かに読めない。
 悪筆という言葉があるが、雅隆の場合それを越えて『暗号』の域になっている。だが、その下に筆記体で書いたローマ字は、ちゃんと読めるから不思議だ。
「そういえば、ずっと外国にいたって言ってたものね」
「んー、どうだろ。でも、死なないからだいじょぶ」
 このポジティブさがあれば、そんな事は大した問題ではないのかも知れない。歌が下手でも、字が暗号でも、雅隆の何かが変わるわけではない。
 煮汁が少なくなったら火を止めて、味が染みこむのを待つ。コンロの火を消し、シュラインは落とし蓋をちょっと上げ、話題を変えることにした。
 大丈夫とは言っているし、雅隆自身は全く気にしていないのだろうが、苦手な物の話をするよりは好きな物の話をする方が良いだろう。
「ドクターのおすすめのお菓子とか、お料理とかあるかしら?あったらちょっと聞いてみたいわ」
 にぱっ。無邪気に笑った雅隆は、何から話そうか一生懸命考えている。
「最近はねー、チーズケーキに凝ってるの。神戸の半熟チーズケーキとか、チーズグラタン美味しいよ。一個が小さいから、冷凍庫に入れて食べる前に解凍するの」
「それってどこで買えるの?」
「通販ー。最近は携帯でも出来るから、パソコンの前で呻かなくても良くなった」
 他にはバターでベーコンと薄く切ったジャガイモを炒め、水と牛乳を入れ、コンソメと塩こしょうで味を付ける「ミルクスープ」を、研究所の給湯室で作ったりしているらしい。たまに興信所でも、誰かが飲み忘れた牛乳が余っていたりすることがあるのだが、これなら簡単に作っておいておくのもいいかも知れない。
「タマネギとか入れても美味しそうね」
 さて、そろそろご飯が炊けそうだ。ここからはスピード勝負になるので、シュラインはしゃもじの用意をし、雅隆には鍋つかみとうちわを渡す。
「スープパスタにしたり、溶けるチーズ乗せたりしても美味しいよ。あ、おいなりさんのご飯にごま入る?」
 あまり考えていなかったが、白ごまを混ぜれば香ばしくて美味しいだろう。調味料があるところから白ごまを取り出し、そっとすし桶の隣に用意した。
「もしかしてドクター、ごま好きなのかしら」
「うん、ごま大好きー」
 雅隆がそう言うと共に、炊き上がりを知らせる電子音が鳴る。それに二人は顔を見合わせて頷くと、素早く行動を開始する。
「炊飯器おーぷん!すし桶にとうっ!」
 湯気が上がる炊きたてのご飯を、雅隆がすし桶に移す。シュラインはそれを少ししゃもじでほぐしてから、合わせ酢をふりかけ、切るように混ぜていく。
「ドクター、扇いで扇いで」
 蒸気と共に酢が上がるので少しむせそうになるが、ここでゆっくりしていると艶のいい酢飯が作れない。上がる湯気を雅隆が一生懸命扇ぎ、シュラインが混ぜながら今度はごまをふりかける。
「うわー、何か楽しーい。おいしそー」
「ふふっ、ご飯が冷めたら味見しましょ。本当、美味しそうに出来たわ」
 酢飯がいい温度になる頃には、煮含めた揚げも丁度いい頃合いだろう。料理を作るのは一人でも楽しいが、こうして一緒に話しをしながら作るのはもっと楽しい。
 だんだんと、美味しそうな匂いが辺りに立ちこめてくる。
 その美味しそうな匂いと扇ぐ音の中、シュラインは何か異質な物音を聞いた。
「………?」
 カチン…。
 カチカチ……。
「何か音するー。あ、お茶碗が呼んでるー」
 その音を立てていたのは、デスクの上にあった蓋付きの茶碗だった。いったい何を訴えているのだろうか…蓋を鳴らす茶碗に、雅隆はひょいひょいと近づいていく。
「お茶碗にはご飯盛らないとねー。シュラインさん、冷蔵庫の中にある物使っていーい?」
 そう言うとその茶碗を持った雅隆は、いきなりそれに酢飯を盛った。そしていなり寿司の揚げを一枚取ると、まな板を出してトントンと細く切り始める。
「名前が書いてない物はいいけれど、ドクター、大丈夫なの?」
 酢飯を盛られると、茶碗は音を鳴らすのを止めた。シュラインはいなり寿司を詰めながら、その様子を見ていた。
「全然おっけー。せっかくご飯炊いたんだから、お茶碗もご飯盛ってーって言ってるんだよ。何かそんな気がするの」
 冷蔵庫の中にあった物で薄焼き卵を作って細切りにした物を乗せ、その上に切った揚げと紅ショウガ、桜でんぶで茶碗の中に即席のちらし寿司が作られた。隅っこにはキュウリの漬け物が彩りに添えられている。
「じゃーん!これで一緒にご飯だね。さて、僕もおいなりさん詰めよっと」
 そうされるのを待っていたように……シュラインには、何だか茶碗が喜んでいるように見えた。
 これは骨董品なのかも知れない。だが元々は、こうしてご飯を盛って食べるために作られたものだ。茶碗自体の曰くはよく分からないが、ただ望んでいるのはそれだけで……。
「何か、お茶碗が喜んでるみたい」
「それはねー、きっとシュラインさんが『みんなに美味しいご飯作ろう』って思いながら作ったから。そしてそこに、僕が妙なアレンジを!」
「ドクターってば……」
 にこっ。
 お互い顔を見合わせて笑顔を交わし、仲良くいなり寿司を詰める。
 その間台所に置いてあった茶碗に描かれたウサギが、二人を嬉しそうに見つめていた。

「いただきまーす」
「はい、召し上がれ」
 出来上がったいなり寿司を持参した茶碗に入れ、雅隆が両手を合わせる。デスクの上にはご飯が盛られた茶碗に蓋をした物が置いてある。まだ皆帰ってくるまで時間があるようだが、いなり寿司で足りない誰かが食べるだろう。
 テーブルの上にはかき玉のお吸い物と、緑茶。そして二人で作ったいなり寿司。シュラインもそれを一口食べ、嬉しそうに目を細める。
「美味しい。今日のいなり寿司は百点満点だわ」
「うん、美味しいー。やっぱりお茶碗持ってきて良かった。一人でご飯でも美味しい物は美味しいけど、誰かと一緒だともっと美味しいもんね」
 その通りだ。
 美味しい物を誰かと一緒に食べれば、それは何倍にもなる。きっと興信所に皆が帰ってきて、賑やかに食べればそれもまた味わいの一部で。
「やっぱ日本食だね〜。シュラインさん、日本料理だと何が得意?」
「え…里芋の煮っ転がしは自信あるかしら。ドクターは里芋好き?」
「大好きー。じゃあ今度作る時呼んで〜。またお茶碗持って遊びに来るから」
 目を合わせ、お互い微笑んでお吸い物を一口。
 そして同時に一息。
「ふーう、お吸い物も美味しーい」
「本当、自画自賛しちゃおうかしら」
 今度雅隆がお茶碗を持ってきたときは、何を作ろうか。それとも作ってからメールで「お茶碗持っていらっしゃい」と言おうか。
 その時のことを考えながらデスクを見ると、茶碗に描かれた稲穂の中を、一羽のウサギが小さく跳ねた。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
茶碗を持って遊びに来た雅隆と、いなり寿司を作りながらお喋り…ということで、プレイングに書いてあった茶碗も使って、一緒にご飯を作って食べようという話を書かせていただきました。
誰かと一緒に料理をしたり、ご飯を食べるのはいいですね。賑やかに、楽しげな様子が目に浮かびます。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。