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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


RainDrop
 知っている?
 君を包み込む世界は、決して悲しいものばかりじゃないという事。
 目を開けたら、そこには優しい世界が広がっている。
 だって、そうでしょう?
 その世界を守る為に、君の傍には…。



 かんかんかん、と何かがアスファルトの道路を転がっていく音が聞こえてくる。春一番の風のせいか、それとも気圧の変化のせいか今日の天気と風は機嫌が悪い。窓を叩く風の強さも、時折激しく辺りの闇を切り裂く雷も、まるで夜を厭うているようだった。
 かんかんかん、とまた空っぽの音が辺りに響く。
「うーん、終わった」
 机の上にペンを投げ出し、イスの上で大きく背伸びをして蘇芳 立夏はあくびを噛み殺した。壁に掛けられている時計を見れば、もう夜中の三時。あと2,3時間もしたら街も目を開く時間になっていた。今日は学校が終わってから、事務所に調査報告書作成のためにずっと篭っていたのに。と、立夏は疲れが倍になって襲ってきたような体を支えきれずに、机の上に突っ伏した。ずっと机に向かってペンを走らせていたせいか、肩が痛い。
 肩を自分で揉んでいると、一緒に報告書作成で残り一足先に仕事を終えた蘇芳 焔が戻ってきていた。仕事を終えた後、夜食を作ったり後片付けをしたりでずっと簡易台所にいたのだ。その指先がほんのりと朱に染まっている。
「立夏、終わったのか?」
「終わった。ちょっと疲れた」
「……みたい、だな。顔が疲れてる」
 苦笑を刻み、焔は何時の間に淹れていたのだろう。柔らかな匂いのする紅茶を立夏の前へ差し出した。
「カフェインは寝る前に飲むの良くないよ」
「精神を落ち着かせるハーブティーだ。疲れているんだろう?」
 そう言って、まるで壊れ物に触るかのように。優しく、穏やかにそぉっと焔は立夏の髪を梳くように撫でた。
 外は相変わらず風と雨と、そうして雷の音が大きいのに、ここだけ。
 まるで焔が立夏の周りを穏やかに変えているように、静かな空間が流れていた。
「これから、帰るの危ないよね」
 白い陶磁器のマグカップに口をつけながら、立夏は髪を撫でる焔の大きな掌の感触に安心しながらぽつりと呟いた。茶色の液体が、小さな水音を立てて跳ねる。柔らかな匂いと、ほんの少しの甘みが口の中に広がってホッとするのを感じた。
「そうだな。…暴風雨の警報が出ていた。今から帰るよりは、ここで休んだ方がいいだろう」
「ん。そうだね」
 ふあ、と。再び眠気が襲う。報告書---一般的に『事務処理』と言われる仕事は嫌いではない。嫌いであれば、こんな夜遅くまで仕事をしたりはしない。ただ、やはり夜遅くまでずっと文字と文章作成に、内容の整理とそれらを纏めた清書と何時間も通してやっていれば体と精神の疲れが文字通り圧し掛かってくる。そして、人間の本能として疲れを一番早くに解消する手を、立夏は取る事にした。
「寝る」
「その方がいいな」
 髪を撫でていた手が離れる。その少しだけ離れていった空気が、寂しい。
 誰よりも近くにいて、誰よりも繋がっている。それを感じるのは、焔がこうして立夏の体を労わってくれている時だ。まるで真綿に包まれているような、子が親に抱かれているような………それは、絶対的な安心感。
「焔の手、好きだわ」
 水面に波紋が広がるように、静かな静かな声。赤い髪が風に揺れて、青い空の色を落としたような瞳が小さく笑みを刻む。裏表のない、真っ直ぐに自分だけに向けられる純粋な信頼感に焔の胸がきつく締められる。
 過ごした年月も、形もなにもかも違うのに愛しくて。とても大事で、大切で。そして、こんな風に想いを真っ直ぐに向けられると切なさで胸が痛みに震える。
 泣きたいくらいに愛しい、切ないほどに大切で大事だ。
「お休み、立夏」
 うとうとと船をこぎ始めた立夏を抱え上げ、隣にある仮眠室のベッドへと運んだ。風の酷い音に怯えるように、カーテンが微かに揺り動いた。今夜から明朝にかけての暴風だ、と天気予報で言っていたのを思い出し焔は溜め息をついた。
 普段、立夏は緊張の糸の上を歩いている部分が多い。それは、彼女が背負ったものの大きさに比例しているし、何時何処で狙われても可笑しくない生い立ちがそうさせているのだが。
「お休み、焔」
 冷たさの残るベッドのシーツに眉を寄せながらも、余程疲れていたのだろう。立夏はベッドに入るなり、すぐさま寝息を立て始めた。その姿を見て、日ごろから忙しく動き回っている立夏の姿を思い返して焔は疲れているのだろうと再度確認した。探偵の助手の仕事も、本業である学業も。立夏は決して手を抜こうとしない。ある種の生真面目さから、明日出来る事も今の内にやってしまう事があるのだ。手を抜けとは、焔とて思わない。ただ、力加減をもう少しだけつけて欲しいとは思う。
「そこが、いい所だとは知っているのだがな」
 そろり、と焔は立夏の赤い髪の毛を撫でてやる。そうすると、何かに安心したのか立夏はふんわりと柔らかな笑みを浮かべた。
 子供のように、無邪気な笑顔。そういえば、しばらくこんな寝顔を見ていないな。と焔は頭を撫でながらそう思った。
 その時だ。
 どこかで大きな落雷があったのだろう。大きなまるで切り裂くような青白い光から少し遅れた後、地響きすら感じられる大きな音が部屋の中にまで届いてきた。焔はせめて寝ている時くらい立夏の邪魔をするな。と、忌々しくさせ感じる雷をどうする事も出来ないと知りながらも睨みつけた。
「………ん、っ」
 不意に立夏が苦しそうな声をあげて、焔は外を睨んでいた瞳を移動させる。
「立夏?」
 起きたのだろうか?そう思い声をかけたが、立夏は起きない。だが、額には多いつくすほどの汗。眉を寄せて低い声をあげている。
「立夏っ!!」



 からからから、と音が聞こえる。
 今日は雨も風も酷いわね。と、母の声がした。
 雷も酷いな。近くに落ちないといいが。と、父の声がした。
 ああ、可笑しいと立夏は酷く不安定な現実感のない家の外でそう思った。
 どうして外にいるのだろうか?確か、自分は焔と一緒に調査報告書を書いて、そのまま仮眠室のベッドで寝ていたはずだ。覚えている、確かに焔の優しい手がそこにあったから。
 音が、空っぽの音が追いかけてくる。
 闇、迫る雨。光の刃、叩く風。
 夜の闇に紛れて、雨が酷くなる。風に勢いを任せて、周りを踏みつけるように振り続ける。
 がん、がんと耳元で音がした。
 風でも、雨でも、雷でもない耳障りな大きな音。
 ここから逃げなくては違う逃げてはいけないここにいたくないここにいなければ。様々な声が大きな音となり立夏の耳を叩く。耳を塞ぎたいのに、まるで縫い付けられたように体は動かない。
 から、ん。と、音が止んだ。
 不意にその音が幕切れを知らせる出来の悪いブザーの役目を果たしたように、夜の闇ばかりで何も見えなかった立夏の前に。
『あ、あ、っ…』
 忘れもしない、あの光景が広がった。
『っ、うぁ、あ』
 闇の中でも、それと分かるほどに。
『ああああああああっ!!!』
 赤い、赤い。
 それは、終焉の泉に横たわる両親の姿。



「かっ、立夏っ!!!」
 肩に食い込む痛みと、大きな呼ぶ声に揺り起こされて立夏は目を覚ました。
「あ、ほ、むら」
 声が、喉が、張り付いて痛い。耳元でまだ、あの空っぽの音が響いている。
「…大丈夫だ、大丈夫。俺が傍にいる」
 優しい、手。
 赤い髪と瞳が、ゆらゆらと動いている。
「…ゆめ?」
 ほぉっと胸を撫でた。
 まだ、あの日の光景を忘れられずにいる。否、これからもずっと忘れる事はできないだろう。雨と風と雷は怖くはないが、それが悪夢を立夏に見せる引き金だとも知っている。優しい穏やかな愛しい日々は、あの時。突如、奪われ踏みにじられた。幼かった立夏と姉の心にどれほどのダメージを残しているのか。それは、一番近くに居る焔にすら計り知れない。
 唇をぎりっ、と噛み締めると焔は立夏を抱き寄せた。
 その暖かい胸と、規則正しく鳴り響く心臓の音に立夏の涙腺が緩んだ。一つ、瞳から零れ落ち頬を伝い顎から零れ抱き寄せる焔の胸へと滑り落ちていく。一つ、二つ、三つと落ちていた涙は次第に止まらなくなり、溢れ出して抑えきれなくなった。
「ふ、ぁあ、っああっ!!!」
 声を出し、みっともないくらいに泣き崩れる。声も涙も、まるで自分のものじゃないように後から後から溢れ出る。どうやって止まるのか分からなくて、ただ、それでも目の前に居る焔が全部を受け止めてくれるほど優しいのが嬉しくて。
「…立夏。この世の中に、止まぬ雨も鳴り止まぬ雷もない。…悲しみは、もうこれ以上起きない。お前の世界は、もう優しいものだけになっている。だから」
 壊れないでくれ。と、立夏を焔は優しく優しく抱き締めた。
「その為に、お前の世界を守る為に俺は存在しているんだ」
「く、ふっひぃっく」
 泣き続ける立夏を、焔はそう言いながら何時までも優しく抱き締め続けた。抱き締める事で、少しでも立夏の痛みが和らげば言いと。そう思いながら。
「立夏、俺はお前を守る為に存在している。これからも、ずっとだ。ずっとお前を護る」
 雨音がだんだんと遠ざかっていく。まるで、焔の言葉が忠実に現象となって現れるように。
「お休み、立夏。傍にいるから、安心しろ」
 涙で覆われた頬を丁寧に手で拭い、ベッドへと立夏を横たえる。まだ、少しだけ涙が零れる瞳を掌で覆い隠す。まるで、怖いものは何も無いと物語るように優しい掌の温かさ。
 眠りへ誘う暖かさに、立夏の瞼が落ちていく。
 今度、訪れた闇は誰よりも優しい暖かさに満ちていた。


 瞼を刺激する新しい、眩しい光に立夏は起こされた。
「…ったぁぁぁ」
 ベッドから起き上がり、瞼を開けた瞬間にとんでもない痛みが目の全体へと襲ってきた。昨日、散々泣いたせいなのだろう。頬も、喉も痛い。
「だろうな。あれだけ泣けば」
 くつくつと笑う声と一緒に、「手で擦るな」と冷たいタオルが立夏の目へと押し当てられる。
「焔……、ありがとう」
「何がだ?」
「色々と。みっともない所見せたしさ」
「…いい。言っただろう?俺はお前を護る、と」
 タオルをどけて、立夏は視界を広げた。
 窓の外は、透き通るほどの青い青い空。
「今日は晴れてるんだ」
「1日、快晴。傘の心配はいらない。と天気予報で言っていたな」
 そう言いながら、焔は窓へと近づいて透明の壁となっているそれを開け放った。
 生まれたての新鮮な空気が、悪戯に窓から入り込んで青い空に焔の赤い髪が吸い込まれるように舞い上がっていく。
 ああ、世界は綺麗で。
 本当に優しいのだ、と。立夏は思った。
「立夏、今日の予定は?」
「今日はね」
 雨は止む、雷はいつか遠ざかる、風は優しく吹いてくれる。
 笑顔を浮かべられる。そう、この身を慈しんでくれる相手が傍にいて護ってくれている。
 そうして、その相手を大事に思える自分がいる。

 それだけで、この世界はとても愛しい。