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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて 弐




 夜の気配が濃密にたちこめている。
 すれ違った影が手にしていた提灯は、すれ違い様、啓斗に向けてべろりと赤い舌を出し、悪戯めいた両目をぎょろりと光らせていた。それを手にしている影の主は目鼻を持たないのっぺらぼうだ。着物や体躯から、それは男なのだろうと知れる。彼は提灯を叱りつけつつ、啓斗に向けて軽い会釈を見せていった。
 大路の向こうに消えていく後姿を見送って、啓斗は静かに息を吐き出した。
 周りの総ては夜の闇で覆われている。仰ぎ見る空には月や星のかけらも見当たらず、道を照らす街灯などただのひとつでさえも存在しない。
 この夜の場所は四つ辻という名の異界であり、現世とは少しばかり離れた場所にある。彼岸と現世とを結ぶ境にあたる場所であるらしいのだが、その真偽は定かではない。
 沈丁花の香が闇の中を漂い、啓斗の鼻先をくすぐる。それに招かれたように再び足を進め、前方に見える仄かな光源を見つめた。
 四つ辻には唯一光源を得ている場所がある。それは一軒のあばら家の形をもったものであり、今にも崩れて落ちそうな引き戸を苦難して開ければ、そこには確かに茶屋らしい空間が広がっているのだ。

 建て付けの悪い引き戸を開けて中を覗きこむと、茶屋の中には数人の妖怪がいて、どれも既に酒気を帯びて上機嫌で唄など口にしていた。
「啓斗クン、久し振りですね」
 店の奥から顔を覗かせたのは茶屋の店主である侘助だ。侘助は啓斗を見とめて穏やかな笑みを浮かべ、次いで軽く手招きして椅子のひとつを示してみせた。
「……お邪魔します」
 一応の挨拶を述べて店に踏み入り、示された椅子に腰を落とす。
 周りにいるのは蛇身をもった女であったり、その横に座していたろくろ首であったり、あるいはしょうけら、大座頭であったりしていた。いずれも機嫌よく酒に酔い、人間の客人である啓斗に対しても懐こい笑みを見せて歓迎してくれた。
「すっかり春めいてきましたねえ」
 侘助の言にうなずきを返し、差し伸べられた湯呑を受け取って一口すする。
「ここに来る途中、沈丁花の匂いがしました。……どこかに咲いているのでしょうか」
「沈丁花ですか。そうですねえ、あれは割と気軽に庭に置いておけたりするもんですし、どれかの家が庭に植えてるのかもしれないですねえ」
 返された応えにうなずいて、啓斗はふと夜風の冷たくないのを思い出した。
 四つ辻という場所はいつも夜の内にあるため、――あるいは現世とは逸した場所にある異界であるためなのかもしれないが、およそ四季の移ろいといったものとは無縁であるように思える。が、実際には確かに四季は存在してあるようだ。
「ここも春なんですね」
 呟くように告げた言葉を耳にして、侘助は小さく笑った。
「それで、今日はどうします。飯でもお出ししましょうか」
「今日の煮付けはいい具合に味がしみてるよ」
 蛇女が口を挟む。
 見れば、彼らの前にはいくつかの小鉢や皿が並べられ、その中には炊いた野菜や煮魚などがのっていた。
「……お言葉に甘えてもいいでしょうか」
 小鉢を目にして空腹を思い出した腹の訴えに片手を添えて、啓斗はぺこりと頭を下げる。侘助は「ちょっと待っててくださいね」と返し、店の奥へと姿を消した。

 妖怪達が唄う長唄を耳に流しながら、啓斗はポケットにしまっていた一枚の紙を手に取った。
 丁寧に折りたたんだそれを広げる。そこには子供の落書きじみた絵があった。
「へえ、誰かの家の絵かい?」
 後ろから覗き込んできたしょうけらに訊ねられ、啓斗は小さくうなずいた。
「……勝手に持ってきてしまったから、機会があれば返しておきたいんだけど……」
 しかし、いつかまた会える機会が巡って来るのかどうかは分からない。そう続けて呟き、深々と息を吐く。
 しょうけらは「ふぅん」と告げたきり、しばらくの間、次の言葉を成そうとはしなかった。
 そうしている間に侘助が膳を手にして現れ、それを啓斗の前に置いた。
「おや、それは」
 しょうけらが覗いている紙を目にとめて、侘助もまた興味深げに目をしばたかせる。
「人間じゃない者の匂いが残ってますね。誰かから貰ったもので?」
「いや、これは、」
 言いかけて、啓斗はふと侘助の顔を見上げた。
「――質問してもいいですか」
「ええ、何なりと。俺で答えられるものでしたら何でもお答えしますよ。……さ、食事もどうぞ」
「いただきます」
 膳には煮魚と小鉢、湯気をのぼらせる玄米飯と赤出汁の味噌汁とが並んでいる。
「この前のマヨイガの件なんですが」
 啓斗は小鉢の中の野菜に箸をつけながら口を開く。と、侘助は啓斗の横の椅子を引いて腰を据えた。
「ええ。あの時は二度もご足労願ってしまって。おかげさまで助かりました」
 安穏と笑う侘助をちらりと一瞥して、啓斗は軽くかぶりを振った。
「いや、俺が行きたかっただけだから……。それで、……くだんはあの後どうなったんだろうか」
 わずかな躊躇を浮かべつつ述べた啓斗の言に、侘助は「ええ」とうなずき、応えを告げた。
「彼は、化け猫の大将のところに厄介になっていますよ」
「四つ辻に出入りは」
「今んとこ、ないですねえ。まあ、もう少し落ち着いたら、ぼちぼちいらっしゃるんじゃあないですかね」
「……元気ですか」
「ええ、それはもう。向こうの大将のところにも妖怪共は多く出入ってますしね。楽しくやってるみたいですよ」
 啓斗の意図を受け取ったのか、侘助はわずかに頬を緩めて茶を口に運ぶ。
「ああ、それはもしかしたらくだんが描いたもんですか」
「……」
 訊ねられ、啓斗は無言でうなずく。
「くだんには何ら断りなく持って来てしまったもんだから、……もしかしたら探してるかなと思って」
「ああ、なるほど」
 頬を緩め、侘助は啓斗の手の中にある絵に目を落とす。
 緑に囲まれた一軒の家。少ない色を使って描かれた絵は、どこか温かな光が宿っているように見えた。
「くだんは、どうも元々は人間だったようですがね。まあ、記憶はあんまり無いみたいですが、それでもなんとなくは憶えてんのかもしれないですねえ」
「だから、もしもあんたがくだんに会えるようだったら、これをくだんに返してもらおうかと思って」
「なるほど、なるほど。……では確かにお預かりしますね。言伝なんかは?」
 啓斗は侘助の顔を見据え、一瞬だけ口を開き、しかしすぐに閉ざしてかぶりを振る。
「……いや、いい。……次に会えるのを待つよ」
 応えた啓斗に、侘助はやんわりと笑んでうなずいた。
「そのほうがいいかもしれませんね」

 妖怪達の長唄がとうとうと流れる。
 茶屋を訪れる彼らの顔は増えては減り、また増えてを繰り返して、その数は一向に減らない。
 侘助は客人共の相手をするために席をたち、それから啓斗はひとりで膳を食していた。――いや、妖怪達がかわるがわるに啓斗を訪ねて来るので、正確にいうならば決してひとりではなかっただろうが。
 
「ごちそうさま」
 言って席を立ち、次いでポケットの中を探る。
「おや、代金なんざ構やしないさ。どうせだぁれも代金立てちゃあいないんだからさ」
 ろくろ首がからからと笑った。
「? もしや、くだんに渡すもんでもおありですか?」
 客人共の隙間から顔を覗かせた侘助が安穏と口を開く。
 啓斗はわずかに睫毛を伏せて、それからポケットの中のものをテーブルへと置いた。
「これを……その絵と一緒に渡してほしい」
 置いたそれは雌雄を揃えた折鶴が一対、それに丁寧に折って作った紙風船がひとつ。そして数粒の朝顔の種だった。
 妖怪達が集まって折り紙細工を覗き込み、その折り目を揃えて丁寧に作り上げられた細工に感心を口にする。
「これは、きっとくだんも喜びますでしょう。確かにお預かりしました」
 言って笑う店主に、啓斗は深く会釈を残して引き戸に手をやった。
「……ああ、それと」
 それから、思い出したように顔を持ち上げて振り向き、啓斗は真っ直ぐに侘助を見据えて首をかしげる。
 侘助が笑みながらうなずく。
「飯、美味かったです。……今度良かったら焚き物のコツみたいなのとか教えてもらえますか」
「ああ、それはもういつでも。料理教室なんぞ開いてみるのもいいかもしれませんねえ」
 微笑む侘助に再度礼を述べ、啓斗は再び夜の中へと踏み出した。

 吹く風は、もう春のそれを呈している。





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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0554 / 守崎・啓斗 / 17歳 / 男性 / 高校生(忍)】


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          ライター通信          
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お世話様です。このたびはご発注くださいまして、まことにありがとうございます。

マヨヒガの後日談、的なノベル……というには、それに触れてはいませんので、まったりとした食事の風景がメインとなりました。
くだんを気に留めてくださり、ありがとうございます。
おかげさまで元気にやっていることと思いますので、またいつか機会がありましたら、構ってやってくださいませ。

啓斗様は、焚き物の作り方を覚えて、きっと夕飯などで作ってさしあげるのだろうと思います(笑)。
あれも、味の加減がなかなか難しいんですよねえ……。

それでは、またいつかご縁をいただけますようにと祈りつつ。