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午点
とあるホテルの一室に一組の男女がいた。
女性の方はユリ。だが、男性の方は小僧ではなかった。
男性はずっと窓の外を睨みつけるように見ており、ユリも暇を持て余しているようにベッドに腰掛け、脚をぶらぶらさせていた。
「……なかなか動かないね」
「……そうですね」
苦笑して言う男性に、ユリはやはり退屈そうに返した。
かれこれ四時間。男性の視線の先にいるであろうターゲットに、何の動きも無い。
交代して見張りをしているのだが、ユリたちの前に見張りをしていた人たちも、『何も動かない』と言っていた。
もしかしたら実はもうただの屍になっているかもしれないな、とユリは思った。
そんな事を考えていると、部屋のドアがノックされる。
「交代だ。出よう」
「……はい」
男性が窓から離れるのを見て、ユリはしかし、男性にはついていかず、代わりに窓の外を見た。
男性がドアを開け、来客を迎える。
「おぅ、しっかり見張ってるか?」
「サボってないだろうな?」
「いやだなぁ、先輩がた。サボってなんかいませんよ」
後輩らしい、ユリと共にいた男性は苦笑して答える。
だが、先輩はお見通しだ。
「だったら、何で嬢ちゃんが窓を見ていて、お前が俺らを迎えたんだよ?」
「え?」
「お前が窓から離れたときにターゲットが動いたらどうするつもりだったんだ?」
「……あ」
とぼけた声を出した後輩は先輩に一つ、ゲンコツを喰らった。
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「気付いていたなら教えてくれても良かったじゃないか」
「……すみません」
ホテルのロビーで、ブーたれる後輩にユリは何の感情も抱かないような声で謝った。
後輩、とは言えユリの先輩に当たるのだ。彼の落ち度を逆に指摘するような事はすまい。
だが後輩は仏頂面のユリを見て、何か彼女の気を害してしまったのかと思った後輩は慌てて取り繕う。
「ああ、いや、あれは僕が悪かったよ。うん、君の所為じゃない」
「……」
鬱陶しい。ユリは心底思った。
誰に対してもヘコヘコと低身に対応しようとするこの男は、どうやらユリは好きになれそうになかった。
「……お、怒ってる?」
「……いえ、別に」
機嫌を取りたいなら、こちらの機嫌を伺ってこないで欲しい。死ぬほど、ムカつく。
それに気づいたのか、後輩はまた苦笑する。
「じゃ、じゃあ、また四時間後に」
「……ええ、また」
またこの男と会うのか、と思うとユリの視線も下がってくる。
仕事だから、仕方が無いが。
後輩が大分離れ、ホテルの入り口辺りに行ったところで、ユリは大きなため息をつく。
「どうした、疲れたか?」
「……え?」
ユリが驚いて身を退く。振り返るとそこに黒・冥月がいた。
「仕事だったんだろ? ハードなスケジュールでも組んでたのか?」
「……いえ、そういうわけでは……」
沈んだ表情のユリを見て冥月は勘繰る。
「……あの男に何かされたか?」
「……さ、されてません! 指一本触れられてません!」
触れられでもしたら、その部位を瞬速で除菌してしまいそうなぐらいだ。
そんな様子に驚いた冥月は、何か小さな地雷だったか、とその件には触れない事にした。
調子を変えて問う。
「休憩できるんだろ? ちょっとお茶でもしないか?」
「……え? あ、はい」
四時間も暇な上に、さっきまでの鬱々した気持ちを切り替えたいので、ユリは笑顔で冥月の誘いに乗った。
「へぇ、あんな顔も出来るんだな」
ユリの大声に気付いた後輩が振り返っていたのに、ユリは気付かなかった。
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冥月に連れられてしばらく外を歩くと、着いた場所は中華料理屋。
入り口から最早、異国の雰囲気を漂わせているこの店は、どうにもお高そうだった。
「……こ、ここでお茶ですか?」
「ああ、何か問題でも?」
「……ぶ、ブルジョワジー。貧富の差ってすごいです」
「良いから、入るぞ」
渋い顔をするユリの手を引いて、冥月はドアを開いた。
「いらっしゃいませ」
店員が出迎える。その店員も冥月の顔を見て一層の笑顔に変わった。どうやら彼女の行きつけのようだ。
「席は空いてるか? 飲茶でも、と思ったんだが」
「ええ、もちろんでございます、こちらへどうぞ」
店員に案内されて、奥のテーブルへと辿り着いた。
店内を歩く最中も、ユリは不躾ながらも内装を興味深げに眺める。
なんと言うか、中国的に煌びやかだ。
何となく赤っぽい天井と床、白い壁。いや、壁には偶にすごい絵が描かれてあったりして一概に白とは言い難いが。
幾つかある棚には中国製の陶器が置かれており、ユリを遠ざけているようにも思える。
不用意に近付いて、もしその陶器が割れてしまったりしたら、もうどうしたら良いやら……。
天井にある照明もやたらと豪奢だ。それ一つだけで店全体を照らせてもおかしく無さそうだが、それがまだ幾つか天井からぶら下がっている。
なんと言うか、どこぞの興信所連中がいれば、一つくらい持って帰りそうなぐらいだ。
「どうした、ユリ?」
「……あ、いえ、ホントブルジョワジーってすごいな、と思いまして」
興信所を馬鹿にできるほど良い生活をしていないユリも、一つぐらい持って帰っても、と思ってしまうぐらいだった。
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席についてややしばし。
はじめに出された中国茶をチビチビ飲んでいたら、やっと皿が持って来られた。
「お待たせしましたー」
チャイナドレスのウェイトレスが手際よく皿を置き、全部並べ終わると恭しく頭を下げて去って行った。
「さぁ、遠慮せずに食べろよ。特にこの包子と春巻がオススメだ」
出されたものは包子と春巻、小龍包に餃子などといった鹹点心だった。
ユリの発想では点心といえば、何となくお菓子っぽい杏仁豆腐辺りが先に思い浮かんだのだが、どうやら違ったらしい。
「……では、この包子から」
ユリは饅頭を手にとって口に運ぶ。
齧り付くとすぐに中身の餡が出てきた。
……肉まん? にしては肉がプルプルしすぎなような……?
「……これはなんですか?」
「ふふ、食べた事無いだろ?」
「……ええ、新食感ですね」
「それは熊の掌だ。コラーゲンも豊富で肌が艶々になる上に胸も大きくなるぞ」
悪戯っぽく笑う冥月。だがユリは不安げに見返した。
「……え、熊の掌って……そんなに簡単に入手できるものでも、食べられるものでもないですよね?」
「まぁ、そうだな。だが、この店は熊の掌で有名だ」
「……え? ……え??」
「まぁ、気にせず食え。ここは私のおごりだからな」
ユリは疑問に思いながらも『お肌艶々、胸も大きく』の甘美な響きに負けて、もう一口、包子を食んだ。
ユリが次々と点心を食べてる横で、冥月が突然話しかける。
「なぁ、ユリ」
「……ふぁい、ふぁんふぇふふぁ?」
「……まぁ、返答は良い。黙って聞いておけ」
余程お肌と胸に問題を抱えているのか、単に美味しいのか、真相は定かでないが手の止まらないユリを放っておいて、冥月は独り言のように話し始める。
「以前、お前は言ったよな。小僧をサポートして戦いたい、と」
食べる手を止めないながらも、ユリが頷く。
「サポートするのは構わんが、やはり戦う術は無いと困るんじゃないか?」
ユリが冥月に目を向ける。やっと食い気が聞く気に負けたか。
「私の言う『隣に立って戦う』と言うのはお互いを助け合い、支えあって戦う事だ。援護する側も援護だけでは支えあえない」
「……と、言うと?」
「前衛も守るものが多くては困る、という事だ。全力で戦う際、後衛に気を使っていては目の前の敵に倒されてしまう事もありえる」
「……つまり、私も何か戦う術を身につけろと」
「戦う、とまでは行かなくても、最低限、前衛に気を使われないように、自分の身は自分で守れる程度の力は持っておけ、という事だ」
なるほど、と唸るユリはまた点心に手を伸ばす。
「身を守る、と言っても防御だけが守る術ではない。逃げる事もまた身を守るための手段だ」
「……そこで先日教えてもらった『気配を消す』術が役に立つんですね」
「そうだ。……だが、何と言うか、お前はそれに向かないみたいだがな」
「……あれから、少し勉強しました。……と言っても使いこなせるまでにはまだまだですが」
自分の未熟を知っているらしいユリは、残念そうに目を伏せて小龍包を一口で食べる。
「とりあえず、前衛に必要以上の心配をさせない。出来る事なら微塵も心配させない事が、それ即ち『共に戦う』という事だ」
「……肝に銘じておきます」
「それに関してなんだが、ユリ、お前はどの程度、能力を扱えるんだ?」
「……どういうことです?」
「その結界じみた能力の範囲を変容する事は出来るのか? 例えば、小僧みたいに腕だけに纏わせるとか」
ユリは少し思案して答える。
「……腕に纏わせるのは無理ですが、腕から放射状にフィールドを展開する事は可能ですね。その場合でも範囲は限られますが」
「他にはどんな形が?」
「……試した事はありませんが、半径百メートルの中ならそれなりに好きな形に変えられるんじゃないでしょうか」
ただ、その結界のどこかがユリに触れていなければならないらしい。
まぁ魔力吸収にしろ、生気吸収にしろ、どちらも『吸収』には変わりないのだ。終点であるユリの体が結界に触れていなければ『吸収』は出来ないようになっているらしい。
「なるほど、ならばそれを使って、自分に向かってくるヤツの生気を吸収するぐらいは出来そうだな」
「……あまり、生気を吸収するほうの能力は使いたくないのですが……止むを得ない場合は仕方がありませんが」
ユリは目を伏せて餃子をほおばる。
「相手が死なない程度には加減できるんだな?」
「……ええ、気絶程度に抑えることは出来ます」
「なら、それは使える術だ。危なくなったら使うと良い」
そういった冥月は、あまり食事中の話題ではあるまい、と話題を切って、無くなる直前の包子に手を伸ばした。
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「あー、話は変わるが」
粗方点心を食べ終わり、またチビチビと中国茶を飲むユリが冥月に目を向けた。
「……なんですか?」
「今度はお前の嫉妬の事だがな。最近、酷くないか?」
小僧に対するユリの気持ちはわからないでもないが、やはり最近は度が過ぎていると思う。
だが、そんな心配をする冥月をユリは睨んで返した。
「……それは冥月さんがあの人に色々ちょっかい出すからじゃないですか」
「うっ、まぁ、それはまぁ……」
確かに、ユリの嫉妬の原因は冥月である事が多いようにも思える。
「……まずは冥月さんがあの人をからかうのを控えてから言って欲しいです」
「それはまぁ、追々な」
やめる気はサラサラ無いが、ここはユリの感情を逆撫でする事もあるまい。
何となく受け流す。
「……でも、私もちょっとやりすぎかな、とは思ってます」
「そうか。だったら少し控えたらどうだ。傍目から見たら随分とヤな女だぞ」
恋仲ならば可愛い女の子だろうが、付き合う前ならただのウザイ女だ。
ユリと小僧は今の所、恋仲ではない。
「下手をすると、小僧も引くぞ」
「……そ、そうでしょうか」
冥月に言われて早めに改善しなくては、と心に決めるユリだった。
「まぁ、やらなかったらやらなかったで、小僧の灸にもならんから程ほどにな」
「……はい、そうします」
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店を出た頃。ユリの携帯電話がなる。
「……電話ですね」
「どうぞ、出ると良い」
冥月の了承を得て、ユリは通話ボタンを押す。
「……ええ、はい。……ああ、そうですか。はい、では」
やたらと簡素で短い通話だった。すぐに電話を切ったユリはため息をつく。
「どうした? 何か嫌な事でも?」
「……半分当たりです。事件が解決しました。見張っていたターゲットが捕まったのですが、その連絡を私にするのをあの男が忘れてたみたいで」
嫌な顔をするユリ。あの男、と言うのは一緒にホテルを出てきた後輩の事だろうか。
「……まったく、しっかりして欲しいです。一応、私の先輩に当たるんですが、それなりに実力はあるくせに何処か抜けてるんですよね……」
「なるほど、ユリの第二の旦那か。世話が焼けるな」
「……呪い殺しますよ」
本当に呪殺されそうなので、適当に笑って誤魔化した。
「……これでこれからの予定が丸つぶれです。その上気分も害しました」
上目遣いに睨みつけるユリの視線を受けて、冥月は苦笑する。
「あー、ならもう少し付き合おう。何か気分転換でもしようじゃないか」
「……ええ、ではお言葉に甘えて」
口だけで笑ったユリを見た冥月はやはり、苦笑して彼女をエスコートするのだった。
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