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<ホワイトデー・恋人達の物語2007>


白き鼓動


○序

 一年のうちで、一度だけ開かれる扉がある。
 その扉を開き、くぐると強い思いを抱く相手が目の前にいる。相手が何処にいようとも関係ない。扉を開くとすぐに相手は存在している。
 相手を目の前にし、口から出るのは心に抱く言葉だけだ。嘘も虚偽も許されない。つむがれるのを許されるのは、真に思う言葉だけ。
 扉は、本人が望むも望まないも関係なく現れる。
 心に強い思いを抱いた人のすぐ目の前に、雪の如く真っ白な扉が現れるのだ。
 その扉が現れるのは、白き思いを伝える日……ホワイトディだけである。


○扉

 シュライン・エマ(しゅらいん えま)は、草間興信所内でごちゃごちゃになりかけていた調査報告書をファイルにまとめ、ふう、と息を吐き出した。
「最近、ちょっと調査が立て込んでいたものね」
 シュラインは呟き、整理し終えたファイルをぱらぱらとめくる。シュラインらしい、誰が見ても解る綺麗なまとめ方をしてある。
 ふと時計を見ると、作業を開始してから2時間程経っていた。
「そろそろ一休憩しましょうか」
 そう言いながら、ポケットからお守りを取り出した。紐が切れ掛かっているので、空いた時間で修繕しようと持ってきたのだ。
「やっぱり、紐を取り替えないと駄目かしら」
 そうならば、中々にして長期戦となるかもしれない。シュラインはお守りをポケットにしまい、立ち上がった。
 珈琲でも入れ、のんびりと直そうと思ったのだ。
「ついでに、皆の分もいれようかしら」
 小さく呟きながら給湯室へと向かおうとした、その瞬間だった。目の前に、白い扉が現れたのだ。
「これは、どうしたのかしら?」
 不思議そうに小首をかしげ、扉を見つめる。すると、扉に金属のプレートがついていることに気付く。プレートには『この扉の向こうには、あなたが強く思う相手が居ます。その相手に、あなたは真実しか喋れません』と書いてある。
「強く思う、相手?」
 シュラインはポケットの中のお守りをぎゅっと握り締める。そして、もう片方の手でドアノブを掴む。
 ガチャ、という音と共に扉は開かれた。そうして、開いた先にシルエットが見えた。逆光になっているから、ぼんやりとしか確認できない。
「誰……?」
 何度もまばたきをし、だんだんと光がおさまっていくのを待つ。すると、シルエットは次第にはっきりとしてきた。
「……おや、シュラインちゃんじゃないかい?」
「おばあちゃん?」
 声をかけられたシュラインは、思わず手にしていたお守りをより一層握り締めた。
 目の前に居たのは、お守りをくれた張本人である、実家の近所に住む夫婦の下にやってきた、おばあちゃんだった。
 もう二度と、会えないはずの。


○心

 突如現れたシュラインに、おばあちゃんは最初こそ驚きはしたものの、すぐに満面の笑みへと変えた。
「よく来たね!」
「会えて嬉しいわ。なんだか、元気そうだし」
 シュラインはそう言い、おばあちゃんを見る。染めた金髪はきらきらと太陽の光に照らされて光っており、相変わらずラッパーのような格好をして若々しさがみなぎっている。
 おばあちゃんはシュラインに縁側へ腰掛けるように進め、自らもお茶とお菓子を持って縁側に座った。
「こんなものしかなくて悪いんだけどね」
 そう言って差し出された茶菓子は、里芋の煮っ転がしだ。
「あら、本家本元ね」
 シュラインはそう言い、里芋の入った小鉢を手にする。ほわほわと立ち上る湯気が、鼻をくすぐる匂いをつれて食欲をそそる。
「シュラインちゃんも随分上達したからね。今でもまだ作っているんだろう?」
「ええ、勿論よ。今じゃあ人に食べてもらえるくらいには、料理が上達したのよ」
「最初は味噌汁も満足に作れなかったのにね」
「そうね」
 二人は顔を見合し、ふふふ、と笑いあう。
 その時、ふとシュラインの視界の端に無造作に置かれたウォークマンが入ってきた。
「相変わらず洋楽を聴いているの?」
 それも無節操に、とシュラインは心の中で付け加える。おばあちゃんは「当然だよ」と言ってにっと笑う。
「音楽は、楽しむためにあるんだからね」
「本当に変わっていないのね。嬉しいわ」
 シュラインはそう言い、里芋を口に運ぶ。自分が作るのと同じような、だがどことなく違うような味だ。勿論、美味しいのには間違いないのだが。
 おばあちゃんは、美味しそうに食べるシュラインを見て微笑んでいる。
「私ね、おばあちゃんに凄く感謝しているのよ」
 お茶やお花といった様々な免許を持っているおばあちゃんから、たくさんのことを教えてもらったことを思い出す。
「感謝、かい?」
「だって、教えてもらったことは、仕事とかで凄く役に立っているの。教えてもらって、良かったって思っているわ」
 もし、教わっていなかったらと思うと、シュラインはぞっとする。草間興信所にさえ辿りつけていないかもしれない。
「教えた事が役立っているなら、何よりだよ。もっとも、教えた事をシュラインが実行したから役に立っているんだけどね」
「あら、教えて貰ったからには実行しないともったいないでしょう?」
 シュラインの言葉に、おばあちゃんは「そりゃそうだね」と言って笑う。シュラインも一緒になって笑い、それから「おばあちゃん」と話しかける。
「私ね、後悔している事があるの」
「いきなりどうしたんだい?」
 おばあちゃんは心配そうにシュラインを見る。シュラインは茶の湯飲みを握り締めたまま、うつむく。
 扉をくぐった所為か、心に秘めたままだったものが溢れ出しはじめていた。シュラインの心を彷徨っていた、思いが。
 その思いが伝わったのか、おばあちゃんは黙ってシュラインをじっと見つめた。
「私……顔を見せるのを暫くサボってしまっていた時があったから」
「シュラインちゃん」
「また明日行けばいいだなんて、何度も何度も繰り返して。入院中だったけど、元気に見えたからって」
 未だにシュラインの心を捉えて離さない、薄暗い過去。自分の忙しさを言い訳にして、入院していたおばあちゃんのお見舞いをサボっていた。
 入院していたのだから、寂しくない訳が無い。ずっと元気でいる筈も無い。
 体が悪かったからこそ、入院していたというのに……!
「私、軽く考えてたの。元気に見えたから、大丈夫だなんて。おばあちゃんだって、その内すぐ退院しちゃうんだからって」
 シュラインの思いは、予想外の形で覆された。顔を見せることをサボっていたその時に、おばあちゃんが亡くなったのだ。
 後悔してもしきれぬ、謝っても謝りきれぬ出来事だ。
「あの時は、本当にごめんなさい。私、会いに行かないといけなかったのに」
「そういうのは、後になってから気付くものなんだよ。シュラインちゃん、気付けたじゃないか」
「でも、遅かったわ!」
 シュラインはぎゅっと湯飲みを握り締める。おばあちゃんは、そんなシュラインの手にそっと触れる。
「シュラインちゃん、後悔しているんだろう? 謝ってもくれたじゃないか。だから、もういいんだよ」
「おばあちゃん……」
「過去にやってしまった事は、どうしようもないだろう? だから今は、これからどうすればいいかを考えるんだよ」
「どうすればいいかを」
 おばあちゃんは微笑み、そっと頷いた。シュラインの手を、皺だらけの優しい暖かな手で包み込む。
「……私、まずは一歩踏み出そうと思ったわ」
「そうだね。それは大事な事だよ」
「動いて、そして感謝しようと思ったわ。おばあちゃんのお陰で、私は気付けたの」
 おばあちゃんは「そう」と言って頷いた。シュラインはおばあちゃんに抱きついた。目の奥が、喉が、熱い。
「ごめんなさい。そして、有難う……! 私の、最初の、大事な親友のおばあちゃん」
 シュラインがそういうと、おばあちゃんはそっとシュラインの頭を撫でた。
「私こそ、有難うね、シュラインちゃん。私も、シュラインちゃんは大事な親友だよ」
 おばあちゃんはそう言い、ゆっくりとシュラインを体から離した。そして、シュラインが手にしていたお守りに気付く。
「それ、まだ持っていてくれているんだね」
「当たり前よ。大事なお守りだもの」
 シュラインはそう言い、おばあちゃんにお守りを渡す。おばあちゃんは「おや」と言いながら、切れ掛かっている部分に触れる。
「直しておこうかね」
「え、本当?」
 おばあちゃんは微笑みながら頷き、手早くお守りの紐を直してくれた。綺麗になった紐のお守りを、シュラインにそっと手渡す。
「シュラインちゃん、幸せになるんだよ」
「おばあちゃん……」
「シュラインちゃんが幸せでいる事が、一番嬉しいんだから」
 おばあちゃんのその言葉を最後に、シュラインのまわりの景色が薄くなり始めた。
「おばあちゃん、有難う……ありがとう!」
 シュラインは叫ぶように何度も繰り返した。それに対し「幸せにね」という声が聞こえていたが、それもだんだん小さくなっていってしまった。


 気付けば、シュラインは興信所内に居た。
「夢、だったのかしら?」
 白の扉は何処にも見当たらない。すると本当に夢だったように思えて、シュラインは小さく笑う。
「でも、素敵な夢だったわ」
 そう呟いた後、自分が泣いていることに気付いた。慌ててハンカチを出そうと、ポケットに手を突っ込んだ。
「……あ」
 シュラインはポケットから取り出したお守りを見、思わず微笑んだ。やはり、夢ではなかったのだと確信しながら。
 取り出したお守りの紐は、綺麗に直されていたのだった。


<胸に宿る鼓動を感じ・了>

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 コニチハ、霜月玲守です。このたびはホワイトディノベル「白き鼓動」にご参加いただきまして、有難うございます。いかがでしたでしょうか。ホワイトディといいつつ、本当にホワイトディなのか? と聞きたくなるようなオープニングにもかかわらず、参加していただけて嬉しいです。
 シュライン・エマ様、いつもご参加いただきまして有難うございます。再びおばあちゃんの描写が出来て嬉しかったです。シュラインさんの心を形成する大事な存在だと思いますので、書かせていただけて光栄です。
 少しでも気に入ってくださると嬉しいです。発注、有難うございました。ホワイトディに間に合わず、すいませんでした。
 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それでは、またお会いできるその時迄。