コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


輪と和

 仕事には緊張感があるべきだ。
 弁護士である文月 紳一郎(ふみつき・しんいちろう)は、いつもそう思っている。法律という所にかかわるのだから、自分だけではなく、出来ればクライアントにもそれを求めたい。
「……ITに関する法には曖昧な部分がまだ多いから、既存の法律で対処出来ない部分があるな」
「曖昧だから法に触れてないと言いきれる部分もありそうですが、危ない橋を渡って転落するのは嫌だから、そこは避けた方がいいですね」
 篁コーポレーションの社長である、篁 雅輝(たかむら・まさき)は、書類に目を通しながら紳一郎の話を聞いている。彼は二十七歳という若さで会社を継いでいるが、会社の根本にかかわるような法律関係に関する相談を「弁護士任せ」にせず、全て自分で一度目を通す。
 会社というのは何もなさそうに動いているように見えて、裏では常に法律との戦いだ。
 企業買収、株式売買、消費者保護に守秘義務……金が動けば法も動く。それを冷静に法律と照らし合わせ、処理していくのが紳一郎の仕事だ。
「あと、先だって別の会社が起こした食品不祥事で、食品に関する法律が少し変わるかも知れない。その辺りに関しては大丈夫か?」
 食品・化学を主に取り扱っている篁コーポレーションにとっては、食品衛生法や消費者保護法は他人事ではない。何処か一つの会社がクレーム隠しをすると、それは業界全体に降りかかる。報告が上まで行かないうちに握りつぶされ、雅輝が知らなかったと言ってもそれは全く通じない。社長という責任は、それほどまでに重い。
 淡々と話をする紳一郎に、雅輝は別の書類を差し出し目を細めた。
「工場には清掃や検査をもう一度確認させ直して、問題が起きたら上に完全に通達するように体制を見直しました。社内不祥事は大抵内部告発が多いから、視察に行く回数とかを増やすことも考えてます」
 日本の食品に関する信頼度は、世界のどこよりも厳しい。
 アメリカなどでは缶詰に虫が入っていても、ある一定の数を超えなければ法に触れることも問題になることもないのだが、日本ではそうはいかない。人が物を扱えば、必ず何処かで問題が起きる。その時の対処如何で株が上がることもあれば、下手をすると会社が倒産寸前の危機まで追い込まれることもある。
 それを止めるのも弁護士である紳一郎の仕事だ。
「他の業務にも熱心に顔を出しているようだが、視察を入れる暇があるのか?」
 書類から目を上げずに紳一郎がそう言うと、雅輝はぱさっと音を立てて書類をテーブルに置く。
 今日この部屋にいるのは、雅輝と紳一郎だけだ。普段この部屋は重要な相談や商談にしか使わないらしく、部屋のどこにも隙がない。その隙のなさを緩めるように、雅輝が息をつく。
「自分の会社なのに、全部人任せにしているわけにはいかないですからね。何かあったときに『知らなかった』とか『深くお詫び申し上げます』だけ言うのなら、誰だって出来ますよ」
 これなら大丈夫だろう。時々雅輝はいつ眠っているのかと思うこともあるが、自分の会社が多くの社員に支えられていると、ちゃんと分かっているのならこの会社が不祥事を起こすようなことはない。
「その通りだ。じゃあ次は特許の話だな」
 一つの問題が終わればまた次へ。
 そうやって紳一郎が次の話をしようとしたときだった。雅輝が新しい書類を手に取り、急にくすっと笑う。
「篁、何が可笑しい?」
「いや、文月さんは仕事熱心だなって。僕は常々、人間が何かを扱う事が全ての問題の原因じゃないかと思っているんですが、文月さんならそんなミスをしなさそうです」
「……それは、遠回しに私が機械のようだと言っているのか?」
 返事の代わりに返ってきたのは、何かを含んだような微笑み。
 自分ではそんなつもりはなかったのだが、そんなに機械のように仕事をこなしていただろうか。
 だが法関係に関しては、自分の感情を入れすぎてしまえば判断が鈍る。会社の顧問をすることが多いので、刑事事件よりは民事などを取り扱うことが多くても、告発などを取り扱うときに、感情や感傷を入れるわけにはいかない。そう思っているのだが、それが雅輝からは「機械のよう」と思われたらしい。
「褒めてるんですよ、文月さん。ビジネスの相手なら、それぐらいが丁度いいんです」
「どう考えても褒め言葉には聞こえなかったが、まあいい。特許に関する手続きを全て済ませてしまおう……」

 仕事中はお互い冷静に物事を処理するが、それが終われば話は別だ。
「場所を変えて、お茶でも飲んでいかれませんか?」
「そうだな。この後の予定までには時間が空いたし、たまには話でもするか」
 二人が移動したのは、篁コーポレーションの社長室だった。先ほどの部屋は隙がない感じだったが、こっちの方がお互い過ごしやすい。雅輝が自分で紅茶を入れ、冷蔵庫から菓子を出してくれる。
「お互い忙しくて、ゆっくり話をする暇もありませんでしたね。文月さんと直接話をしたのは、クリスマスマーケット以来ですし」
 そう言えばそうだった。流石に毎回自分で話が出来るほど雅輝は暇ではないし、紳一郎も他にいくつか会社顧問を抱えている。簡単な相談なら部下がここに来ることもある。
「そんなに前だったか?」
 仕事の話が終わったので、煙草に火を付ける。紳一郎は喫煙家だが、雅輝に煙草を勧めると笑って首を横に振った。
「そうですよ。そう言えば、あの時聞き損ねてしまったんですが、彼は文月さんの友人ですか?」
 彼。
 それに紳一郎は煙を吐き、まだ長い煙草を灰皿に置く。
 雅輝が言っているのは、あの時会った菊坂 静(きっさか・しずか)の事だろう。思わず眉間に皺を寄せながら黙っていると、雅輝が何か気付いたように顔を上げた。
「別に巻き込むとか、そういう訳じゃありませんから、そんな難しい顔をしないで下さい。息子さんでもないようでしたし、兄が知り合いだったようなので聞いてみたかっただけですから」
 眉間に皺を寄せてしまうのは自分の癖だ。それに雅輝が一度口で言ったことを曲げない人間だというのはよく知っている。
 下手に巻き込まれないように、先手を打った方が良いかも知れない。もう一度煙草に手を伸ばし、溜息と一緒に息を吐く。
「あの子……静は親友の子供だ。昔、事故に遭い両親を亡くしてな」
 雅輝は黙ってその話を聞いていた。
 静は三歳の頃事故に遭い、両親を失った。静が助かったのは、ある意味奇跡……いや、あれは死神の悪戯なのだろう。その経緯も何もかも紳一郎は知っているが、それには気付かない振りをしているし、他の誰かに言うつもりもない。一生墓まで持っていく秘密だ。
「私の養子にする話もあったんだが、当の本人がそれだけは駄目だと……」
 紳一郎自身、静を引き取る気であった。だが、静がそれを嫌がった。
 静は自分が死神になってしまったことを、幼いながらも悟っていた。そんな自分が紳一郎の子供にはなれない。普通の人である紳一郎が自分の側にいたら、その鎌は紳一郎の命も刈り取ってしまうかも知れない。
 紳一郎にだけは絶対言えない。それは、紳一郎が知らない静の「秘密」だ。
「子供なのに、何か思うところがあったんでしょうね」
 こういうとき、変な感情を見せないのが雅輝のいいところだ。ここで何故と詮索をされるのは嫌だし、変に可愛そうがられるのはもっと嫌だ。相手の立場に無理矢理入り込まず、聞くときは傍観者に徹する。もしかしたら紳一郎が、雅輝を好ましいと思っているのは、案外そんなところなのかも知れない。
 少しの沈黙。
 冷めかけた紅茶のカップを持ち、何かを思い出すように紳一郎は遠くに目を向ける。
「そうだな。まだ小学校にも上がらない子供が、包帯だらけで半狂乱になって嫌がったんだ、無理には出来ん」
 ダメ。おじちゃんの子になるのは、絶対ダメ……!
 幼い静がそう言った言葉を、紳一郎は今でも覚えている。あんなに小さいのに、自分を死なせたくないと必死に泣いて嫌がる姿。何もなければただの子供でいられたのに、あの時静は、容姿になることを子供のわがままに見せかけて、無理矢理大人にならなければいけなかった。
 本当はあの時「大丈夫だ」と言えば良かったのかも知れない。
 だが、それでは静はきっと心を閉ざしてしまう。その力に気付かない振りをして「そうだな、お父さんとお母さんは二人だけだ」と言うのが、紳一郎には精一杯だった。
 その代わりと言うわけではないが、紳一郎は静の後見人をしている。出来れば良い家庭に恵まれるよう……と思っていたのだが、それは叶わなかったらしい。今はお互い別々に暮らしながら、たまに顔を出し一緒に食事をするような仲だ。
 それを聞き、雅輝が目を細める。
「そうですか。ずいぶん心配していた様子だったんで、気にはなっていたんです。それならなおさら懐に飛び込んでこないように、僕が気をつけた方が良さそうですね」
 雅輝の懐には『小夜啼鳥』が隠れている。
 それは会社以外に雅輝が自由に出来る個人組織の暗喩だが、紳一郎はそこに静を関わらせたくなかった。それはクリスマスマーケットでも言ったのだが、雅輝は改めて「僕が気をつける」と言った。それが安心すると同時に、紳一郎の中に新たな不安を作る。
 雅輝自身が気をつけても、静がそこに飛び込んでしまったら……その時自分はどうしたらいいのだろう。
 別に雅輝を疎ましいと思っているわけではない。ビジネスを抜きにしても、好ましい人物だと思っている。だが雅輝が抱えている闇は深く、そこに入ればきっと抜け出せない……。
「大丈夫ですよ」
 黙り込んでいる紳一郎に、雅輝がふっと笑った。
「僕は文月さんと仲良くさせていただきたいですし、兄などを通して繋がっている『輪と和』を壊したくありません。それに静君が文月さんを大事に思っているのなら、僕の懐には飛び込んでこないでしょう」
 雅輝はちゃんと気付いていた。
 紳一郎が静を思い、静が紳一郎を思っていることを。それに『小夜啼鳥』はある意味雅輝に忠誠を誓い、その為なら死すらも厭わない者達が揃っている組織だ。大事なものがたくさんある静は、そんなところに来ない。
「信用していいんだろうな」
 短くなった煙草を消し、紳一郎は顔を上げる。雅輝はその目を見たまま逸らさない。
「僕が信用出来ない事をしたことが、一度でもありましたか?」
「あったらただじゃおかない」
「肝に銘じておきます」
 ふっと視線が緩む。それに紳一郎も息をつく。
 この関係を崩したくない。雅輝とは良いビジネスパートナーでいたいし、静には出来れば平穏な人生を歩んでもらいたい。『輪と和』を断ち切るのは簡単だが、繋げるのは難しい。その為に、自分は気付かない振りをしよう……。
 少なくなったカップに、雅輝が湯気の立ち紅茶を入れ直す。そして息をつきながらこう言った。
「そういえば静君は元気ですか?一時期眠れなかったそうで、兄がその事を心配していたんですが」
 その話は初耳だが、今はそんな事もないようだ。
 だが紳一郎は眉間に皺を寄せ、難しい表情をする。
「……この間、静が倒れたんだ」
 いったい何があったのか。春近くになってインフルエンザが流行り出したりしているが、紳一郎の口ぶりだとそれとも違うようだ。じっと話の続きを待っている雅輝に、紳一郎は溜息混じりにこういって天を仰ぐ。
「この間一緒に食事をした際、私の作った海苔の佃煮を食べた瞬間、突然倒れたんだ。誤飲や発作の類ではなかったのだが、いったい何が原因なのか……」
 ………。
 雅輝がそれを聞き、俯いて笑いを堪えた。
「何が可笑しい?」
「い、いえ……文月さん、その佃煮は自分で食べられましたか?」
「いや。私はあまり好きではないが、静がよく食べているから作ってみたんだが……だから篁、何が可笑しい」
 静が倒れた原因。それは紳一郎が作った佃煮のせいだ。
 紳一郎の作る料理は、口にすると卒倒しそうなほど不味い。これで見た目が悪ければ避けることも出来るのだが、なまじ見た目と香りが良いので、ある意味タチの悪い地雷だ。雅輝も一度「作りすぎた」というきんぴらを少しだけもらったことがあるのだが、卒倒とは行かずとも、あまりの不味さに思わず兄に渡してしまった。
 その後、きんぴらは兄が研究所の職員達に一口ずつ「不味さを共有してみない?」と食べさせていたようだが。
「文月さん、一度ご自分で作られた料理の味見をお勧めしますよ。きっと倒れた理由が分かるでしょうから」
「さっぱり意味が分からないし、味も普通だったぞ」
 自分が作った料理が何の理由というのか。紳一郎は自分の料理の味が卒倒物だというのを気付いていない。病院に連れて行っても、静が倒れた理由は分からなかった。
 当たり前だ。
 別におかしな物を入れた訳でもない。どんな風に作っても、出来上がった料理が必ず不味い物になる。それは、何でもそつなくこなし、器用に見える紳一郎の意外な一面だ。
 怪訝そうに雅輝を見ながら、紳一郎は何か思い出したようにカバンを開けハンカチで包まれた小さなタッパーを取り出す。
「……まあいい。それで佃煮が余ってしまっているんだが、よかったら食べないか?」
 何故その原因を自分の元に持ってくるのか。紅茶を飲み、きっぱりと一言。
「お断りします」
「佃煮は嫌いだったか?」
「嫌いじゃありませんが、今倒れている暇がないんですよ。僕が休みたいと思ったときは、文月さんにご連絡しますから、その時はおかゆでも作って下さい」
 休んでいるときにおかゆを作って欲しいというのなら分かるが、どうして休みたいときにおかゆを作らねばならないのか。
 タッパーを開けると、醤油の美味しそうな香りが漂った。菓子についていたフォークでそれを一口食べるが、佃煮はこんな味じゃないかと思う。
「普通だと思うんだが……」
「じゃあ、文月さんが食べればいいじゃないですか」
「いや、家にはたくさん余っているんだ」
 さて、自分の料理に気付いていない紳一郎が作ったこれをどうしようか。
 真面目な顔でタッパーを差し出している紳一郎に丁寧に断りを入れつつ、雅輝は呆れるように喉の奥でくつくつと笑った。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6112/文月・紳一郎/男性/39歳/弁護士
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」

◆ライター通信
ありがとうございます、水月小織です。
篁と文月さんの仕事風景、静君と文月さんの関係、そして文月さんの意外な一面…ということで、こんな話を書かせていただきました。会社関係は何かする度に法律との戦いなのですが、お互い多忙そうなのでなかなか顔を合わせられてないような気がします。
二人は秘密を持ちながら、お互い出さずに暮らしていますが、それが何だか心に染みます。二人の間に必要な心の距離なのかも知れません。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。