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記憶喪失依頼人?
ふと気付いたら、自分が誰なのかさっぱりわからなくなっていた。
あたりを見回せば、ちらほらとどこかへ向かう人々が歩いている。しかし誰も自分に見向きもしないところを見ると、知り合いらしき人物はいないようだ。
自分は誰で、ここはどこで、自分はどこに向かっているのか。とりあえず立ち止まって考えてみることにする。しかしやはりわからない。なんだか記憶に靄がかかったみたいに、何も思い出せない。
何か自分のことがわかるものを持っているかもしれない。そう考えてポケットに手を入れる。指先に冷たい金属の感触がしたので取り出してみた。
それは銀のプレートのついたネックレスだった。プレートには[AKI]と彫られている。
―――「アキ」。それが自分の名前なのだろうか。数度名前らしきそれを呟いて、自分の名前かはともかく、馴染みのある響きだということを認識する。
他に手がかりになりそうなものは持っていなかったので、とにかく歩き出そうと正面を見た。そこには鉄筋作りの雑居ビル。引き寄せられるようにそれに近づきながら、自分はここに来たかったのだろうかとぼんやり考える。
足が独立した意思を持つかごとく勝手に動き、そのまま何かに導かれるようにある一室の前で止まった。ほとんど無意識に扉に手をかける。
自分が足を踏み入れたそこが「草間興信所」という名であると知るのは、それから少し後のことだった。
「あら、お客さま?」
カチャ、とドアノブが回る音を聞き、シュライン・エマはドアを見る。この興信所の所長である草間・武彦は、今しがたシュラインが淹れたばかりのコーヒーを一口すすり、小さく溜息をついた。…嫌な予感がする。
ドアを開けておずおずと姿を見せたのは、赤みがかった長い茶髪を白のリボンで緩く縛った少女だった。山吹色のシンプルなワンピースの胸元で、銀色のネックレスが揺れている。
「……あの、ここどこですか?」
小さく、しかししっかりと紡がれた言葉に、シュラインと草間は顔を見合わせる。
迷子だろうか。しかし迷って辿り着くような場所にこの興信所はない。ましてやこんな子供がこのビルに近づくことはないだろう。
「ええと…ここは草間興信所だけれど」
とりあえず返答すれば、少女は困ったように眉根を寄せた。
「お二人が私の知り合い、というわけでは…ないですか」
少女の言葉の途中で怪訝そうな顔になった二人に、少女は落胆したようだった。
「ええと、あの、わたし…自分が誰なのかわからないんです」
突拍子のない台詞である。再びシュラインと草間は顔を見合わせた。
「記憶喪失ってことかしら?」
「まあ、今の言葉を信じるならそうだろう」
「嘘をついているようには見えないけれど…」
ひそひそと小声で言葉を交わす。少女は不安げにそんな二人を見ている。
「…とりあえず、座ったらどうかしら? 話はそれからにしましょう」
そうシュラインが言い、ぎこちない雰囲気のままソファに話の場を移した。
「気付いたらビルの前に居た、と。そう言うこと?」
「はい。自分のことがわからないと気付いてすぐに立ち止まったんです。そのときには身体はビルの入り口に向いてましたし…多分ここに向かっていたんじゃないかと思います。すごく自然にここに着きましたから…」
少女の話を聞き、少し考え込むシュライン。手がかりかもしれない、と渡されたネックレスを見てみたが、製造元も何も書いていなかった。手作りなのかもしれない。
他に身に付けていたものも同様で、製造元、メーカー名などが表記されているものはなかった。広く出まわっているものであっても手がかりにならないが、何の表記もない手作りであってもそれのみでは手がかりにならない。その方面で少女の身元を探すのは無理そうだ。
「それじゃ、そのネックレスに彫られている[AKI]が名前だとして…警察に捜索願が出されていないか訊いてみましょう。それと、このビルの近くにあなたを探している人がいないかも。あなたの言葉からするとこのビルを目指していたのは間違いないでしょうし、誰かと待ち合わせていたのかもしれないわ。それならすぐにあなたに気付くでしょうし」
「そう…ですね。何から何まですいません…」
恐縮する少女にシュラインは柔らかく笑む。
「気にしないで。困ったときはお互い様、よ」
シュラインの笑みにか言葉にか、少女は目を伏せて頬を赤らませる。それに苦笑して、シュラインは外に出るように少女を促した。
少女を先に立たせ、シュラインが少女と話していた間ずっと黙っていた草間と並ぶ。
「…どうしたんだ?」
少女と話していたときとは一転し、厳しい顔つきになったシュラインに草間が問う。
シュラインは一瞬悩む素振りを見せたが、口を開いた。
「おかしいのよ、あの子」
「おかしい?」
「心音が聞こえないの。……聞こえないはずないのに」
眉根を寄せて口元に手を当てる。考え込むシュラインを草間は黙って見守る。
「多分あの子、―――…人間じゃないわ」
興信所内には零を残し、草間とシュラインは少女と共にビルを出た。
「やっぱりない、か……」
警察に「アキ」という名の少女の捜索願が出されていないかと尋ねてみたが、やはり答えは否だった。
半ば予想していたことなので落胆はないが、ますます少女の正体が気にかかる。
嫌な感じはしないのだけど、と胸中で呟く。興信所へ持ち込まれる怪奇の類に関わる内に培われた勘は、少女が只人ではないが害のあるものでもないと告げている。
だんだんと春が近づいているとはいえ、まだまだ冷たい空気が肌を刺す。指先が冷えていくのを感じたシュラインは、手袋も必要だったかしら、とひとりごちた。
件の少女はといえば、ビルを出てから始終きょろきょろと辺りを見回している。落ち着きなくちょこちょこと動く様は小動物を彷彿とさせて微笑ましい。自然と笑みがこぼれる。
と、少女がぴくん、と何かに反応し、そして硬直した。空の一点を見上げたまま微動だにしない。
「…………?」
どうしたのかと思いながらも、何故か焦りは生まれない。それは草間も同様のようで、少女をただ静かに見ているだけだ。
「ハル…?」
少女が何事かを呟いたが、それは突如三人を襲った突風により掻き消された。とは言えシュラインの優秀な耳はそれを難なく拾い上げた。
「ハル?」
繰り返したシュラインの前には何時の間にか青い髪の少年が居た。中性的ではあるが恐らく少年で合っているだろう。桜色のリストバンドがやけに目に付くその少年は、少女のものとよく似たネックレスを首から下げていた。
「ったくアキ、またドジやらかしたな?」
溜息をつきながら、少年は「アキ」と呼ばれた少女に近づく。
「ご、ごめんなさい…」
しゅん、と項垂れて謝る少女に呆れたように再び溜息をついた少年は、黙ったまま自分達を見ていたシュラインと草間に目を向ける。
「こいつが迷惑をかけたみたいですいません。色々危なっかしいから目を離さないようにしてたんですけど、気付いたら居なくて。お二人についてて頂けて助かりました」
丁寧に礼をした少年に、シュラインは少し逡巡したのち口を開いた。
「いえ、それは気にしないで。こちらが好きでやったことだから。……それより、あなたたちは――人間じゃないわよね?」
シュラインの不躾とも取れる言葉にも、少年はにこりと笑っただけだった。シュラインにとっても少年にとっても、その問いは何らおかしいことではない。
「はい、俺もアキも人間ではありません。明確な名前はないですが……『季節』が意識を持った存在だと思ってくだされば。アキはまだ意識が芽生えてそう経ってないので不安定なんです。なので一人で行動させないようにしてたんですけど」
「記憶がなかったのもそのせいなのかしら?」
「そうです。記憶がとんだり混乱したり、一時的に記憶喪失になったり。よくあることなので、そうなった場合にはここに来るように暗示をかけたんです。…お二人は草間興信所の方でしょう?不思議に縁のある場所だからそう困ったことにはならないと思って。勝手にすいません」
『不思議に縁のある場所』と言われた瞬間、草間が小さく舌打ちした。好きで関わってるんじゃない、とこぼすのにシュラインは苦笑する。
「記憶は戻ったのよね?」
シュラインが少女に問えば、少女はこくんと頷く。恥ずかしそうに赤面しながらも、小さな声で二人に礼を告げる。
「あの、すいませんでした。ええとそれと…ありがとうございました」
それに草間は小さく首を振り、シュラインは笑みを浮かべる。
「いいのよ。記憶が戻ってよかったわ」
少女はますます頬を赤らめて俯く。かと思えば、勢いよく顔を上げて言う。
「あ、あのっ!ええとその、お礼を!!」
そうして首にかけていたネックレスを外し、シュラインに差し出す。きらきらと日の光を反射して輝くネックレスを前に、シュラインはきょとんとした。
「あのですね、その、これ、このネックレスはただのネックレスじゃなくて、ちょっと特殊で…!」
勢い込む少女だったが、いかんせん気合が空回りしている感がある。要領を得ない話し方の少女の頭を少年がぺしりと叩く。
「落ち着け、アキ。説明なら俺がやる」
そう言って改めてシュラインに向き直り、落ち着いた声音で話し出した。
「このネックレスは四つの季節がそれぞれ持ってます。意識を持った季節が具現化する際に必ず身につけているものなんですが、これ単体でも少しだけ季節に干渉することが出来て…例えばアキのネックレスを持っていれば、秋以外の季節でも秋の味覚を楽しめたりするんです。あくまで持ち主が願えば、ですけど。ネックレスを持ちながらちょっと願えば、秋に関わる大概のことは叶うはずです。そんなに広範囲には及ばないはずですから安心してください」
すらすらとつかえることなく説明した少年は、口を閉じて一歩下がる。入れ替わるように前に出た少女が、ネックレスをシュラインの手に握らせる。
「お礼、です。受け取ってください!」
にっこりと全開の笑顔を向けられて、シュラインは断るのも失礼だろうとネックレスを受け取る。
「どうもありがとう」
微笑めば、またも少女は赤面する。……なんだかいけないことをしている気分だ。そんなつもりはないのだけど。
「それではお二人とも、ありがとうございました。またこいつが迷惑をかけるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
「どうもありがとうございました」
丁寧に礼をする少年と少女に、草間は渋面になる。それを横目で見て笑いを堪えつつ、シュラインは二人に笑いかける。
「気にしないで。また会えるといいわね」
「はいっ!」
輝かんばかりの笑顔で返事をした少女に呆れたように溜息をこぼして、少年は少女の手を取る。途端、少年が現れたときと同様の突風が起こり――思わず閉じていた目を開ければ、二人の姿は消えていた。
「行っちゃった、わね」
「…そうだな」
「また会えるかしら」
「二度と会わなくていい」
不機嫌な様子の草間に笑いつつ、さてこれからどうしようかと考える。無意識にこすり合わせた手を、別の手が攫った。
「武彦さん?」
「…………………冷えるからな」
絶妙に顔を逸らして、ぼそりと呟く草間。赤い耳は寒さのためか、それとも。
くすりと笑って、シュラインは考える。
少しくらい事務所を空けても問題ないだろう。ならばこのままどこかに出かけるのも楽しそうだ。
自分の考えに心を躍らせながら、シュラインは草間に提案する。耳元で、密やかに――まるで睦言を囁くかのように。
それにますます草間が顔を赤くしたのは………言うまでもない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、遊月と申します。
「記憶喪失依頼人?」ご参加ありがとうございました。
なにやら新依頼が反映されるまでのタイムラグがあったようで。戸惑わせてしまったようですね、申し訳ありませんでした。
だというのに「記憶喪失依頼人?」でご参加くださって、本当にありがとうございます。
正体は季節の『秋』ということに。なんとなく少女にしてみました。シュライン様の微笑みにノックアウトしてますけど…。
そしてシュライン様に懐いたNPCに嫉妬する、存在感の薄い草間氏(笑)
シュライン様といえば草間氏、ということで終わりだけちょっと恋人同士っぽく…なってますでしょうか(汗)
草間氏もシュライン様もお互いの気持ちには気付いているんでしょうが、シュライン様の方が一枚上手、みたいな感じで。
ご満足いただける作品に仕上がっているとよいのですが…。ご縁がありましたらまたご参加ください。
それでは、本当にありがとうございました。
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