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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


干からびた怪異

 月間アトラス編集部の片隅で、ビデオテープの映像が静かに流れだす。

 枝―――そう、それはどう見てもただの枯れ枝であった。
 太さも大きさも鉛筆ほど、四方へと伸びた細い部分を手足とみたてれば、少々強引ではあるが人がたに見えないこともない。だが枯れ枝は枯れ枝だ。それ以外のなにものでもない。
 異変が起きたのは子供と思しき手がその枝をつまみあげた直後。水が満たされたバスタブへとひたされた瞬間、枯れ枝としか思えなかったそれが不意に泳ぎだしたのである。ゆらゆらと身体を左右に動かし巧みに泳ぐ姿はまるで魚のようだ。
 やがて子供の手がすくいあげればそれはまた、ただの枯れ枝へと戻ってしまう。

『山でセコの木乃伊を見つけました。ぜひ見にきてください』

 ビデオテープと共に送られてきた手紙によると、セコとは河童によく似た妖怪だそうだ。普段は川にすんでいるが冬の寒さが厳しい季節になると身体に毛がはえ、山にこもって暮らすのだという。差出人の地元では色々とセコに関する逸話も残っているそうで、いまでもセコの姿を見かけたという人は少なくないらしい。
 この枯れ枝のようなものは、セコが真夏の暑い日なんらかの理由で山を下りられなくなり、そのまま干からびてしまったものではないか。手紙はその一文で締めくくられていた。
 差出人の名は谷川正。小学1年生の男の子である。
 おそらくはビデオに映っている手も正のものなのであろう。映像を見つめていた麗香がリモコンのボタンを押すと、映像は正の手がセコをつまみあげたところまで巻き戻りまた再生される。そしてセコをバスタブからすくいあげたところで再び巻き戻され………。
 それを何度か繰り返した後、麗香は確信した。
「大きくなってる………」
 ふやけたのではない。わずかではあるが水を吸ってセコは大きくなっているのだ。
 嫌な予感にかられ、麗香はさっそく調査員を正の元へと派遣する。
 そしてちょうどそのころ、正の家はゆっくりと、だが確実に彼らによって包囲されつつあった。



「セコは群れで行動しているんだよ。それが季節の変わり目にいっせいに移動するんだが、これがなかなかに壮観でね。わしも子供の頃一度だけ見たことがあるが、あまりの数に興奮してその日は眠れなかったねぇ。今じゃだいぶ数も減ったと思うが、わしらのじい様たちなんかはセコが移動すると『ああ、冬も本番だな』とか『そろそろ春になるぞ』とかいい合っていたよ。あれは、そのなんだ、えーと………」
「おじいさん達にとって、セコの移動は季節の風物詩だったわけですね」
「そうそう、それ。兄ちゃんうまいこというね。そういえばちょうど今頃だよ、セコが山を降りるのは。兄ちゃんも運がよければ見られるかもしれない。けど近づきすぎちゃいけないよ。遠目に見るのが肝心だ」
「遠目に、ですか。やはり近づきすぎると危険ですか?」
「うーん、まあなんといっても妖怪だからね。危険といえば危険だろう。尻こ玉を抜かれても困るし、それになんていうかな。セコたちは悪ふざけが過ぎるからねぇ………」

 正の元へと向かうバスの中で隣り合わせた老人は、地元に古くからいる人間だけあってセコのことをよく知っていた。春の日差しを思わせる忍の穏やかな相槌に、老人もつい調子に乗ってしまったのであろう。延々と続くおしゃべりは隙をみて『次で降りますから』と告げなければ、終点まで止まることはなかったかもしれない。
 それでも老人の話は実りのあるものであった。同時に忍に新たな不安の種を植えつけていたのだが。

 気が向いて、ちょいと編集部へ遊びに行った矢先に受けた今回の調査依頼は、忍に嫌な予感を抱かせるに足りるものであった。
 テープの送り主である正はまだ小学一年生。誰彼かまわずにセコの木乃伊を見せびらかし、その都度水の中を泳がせている可能性は十分あるだろう。
 水へとひたすたびにセコが大きくなる。そのことに正が気付くのは今日か、明日か。セコが水を吸い続け、本来の姿を、力を取り戻すのは今日か、明日か。
「せめて昨日でないことを祈るばかりだ」
 老人と談笑していたときとは真逆の冷たい声音を停留所へと残し、忍は正の家へと急いだ。バス通りを外れ、山へと入る道をただひたすらに進む。不安の種は嫌な予感と焦りを糧に、心の奥底で少しずつ、少しずつ大きくなっていた。

『セコは群れで行動しているんだよ』

 老人の話が事実だとすれば、群れで行動しているはずのセコからなぜ脱落者が出たのだろうか。忍はそれを不審に感じていた。しかも干からびて木乃伊になるまで放置されるなど、通常の群れという観念からはとても考えられないことだ。

『まあなんといっても妖怪だからね』

 妖怪、化け物、魔物、人外。
 確かに、そうカテゴリー分けされる存在が、必ずしも人間の観念に沿うとは限らないだろう。それでも仲間が干からびても放置するにはそれなりの理由があるはずだ。人には理解できなくとも、セコたちには通じる理由が。
 たとえば干からびたセコになんらかの咎があり、木乃伊にされること事態が罰であった場合。
 たとえばはぐれた仲間を捜すことが、セコたちにとって禁忌であった場合。
 たとえば―――――――。

『セコたちは悪ふざけが過ぎるからねぇ』

「―――――っ!?」
 不意に地面が激しく揺れ、忍は思わず地面へと片膝をついていた。
 地震か?
 だが道の両脇にうっそうと茂る木々は静かなものだ。かすかに聞こえる小鳥の鳴き声にも異変はない。ただ、道の先にやや小柄な人影が見えた。
 毛の抜けかけた猿のような体に、人に似た顔。そして河童のような頭の皿に背中の甲羅、手足の水かき。
 老人に聞いたとおりの姿。
「セコよ、まさかお前が?」

 にたり

 忍の問いに楽しげな、そして気味の悪い笑みを浮かべると、セコは走るというよりは飛び跳ねるようにして逃げ出していた。その先が正の家であることに気付き、忍もすぐさま後を追う。一見して農家とわかる庭先に奇怪な姿が消え続けて忍も駆け込めば、家人は留守なのか辺りに人の気配は感じられなかった。農業を営む家ならば家族全員で仕事に出かけることも珍しくはあるまい。だが、セコがここへ逃げ込んだということは。
「うわぁあああ! ひいっ!? やだぁぁああああっ!!」
 幼い子供の悲鳴に、忍は壁を蹴り母屋の屋根へと飛んでいた。見回せば裏庭に今は珍しくなったポンプ式の井戸と、その周辺に佇む十数匹ものセコの姿が。そしてセコ群れの中で正らしき少年が涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしている。
「手前らなにをしている!」
 叫ぶよりも先に体が反応していた。強弓から放たれた矢のごとき勢いで群れの中へと飛び込み、正を抱えて瞬時に離れる。
 セコたちが襲い掛かってくる様子はない。不意の乱入者にも、正を奪われたことにも、ただ笑っている。にたり、にたりと。
 その悪意さえ覚える笑みから目を離さずに確認すれば、どうやら正に外傷はないようであった。しかしながらセコにそうとう怖い目にあわされたのであろう。忍の腕の中でもなお泣きじゃくりシャツの袖をしっかりと握って放そうとしない。
 忍は己の中に息づく激しい感情を諌めるかのように、深く息を吸った。
「セコよ、もうよしなさい。私は手前らの手で幼い命が消される前に守りにきた者です」

 にたり、にたり
 にやにや

 セコが笑う。
 実に楽しげに、正の泣き顔を見るのが嬉しくてたまらないというように。
 やはり、そうなのか。忍は確信する。
「………手前らが仲間を連れておとなしく帰るならば止めはしません。ですがこれ以上、幼子に無体なまねをするようならば、それ相応の手段をとらせてもらいます………いいですね?」
 最後の問いは正へ向けたものだった。干からびたセコを仲間の元へ戻してよいかという意を、感情を高ぶらせながらも少年は正確に読み取ったらしい。こくこくと首を縦に振りながら指差す先には、他のセコたちよりも更に小柄なセコが見える。
 あれが干からびていたセコなのか。もう既にあそこまで大きくなっていたのか。あれが仲間を呼んだのか。
 セコを見つめる忍の顔に嫌悪の表情がありありと浮かぶ。
 きっと正はセコたちが仕返しに来たと思っているだろう。仲間をさらわれ怒っているのだと。それでいいと忍は思った。どんな命でもおもちゃや見世物にしちゃならねぇ。そのことを正がわかってくれれば。
 セコの行いが、全て悪ふざけであることなど知らなくてもいいのだ。

 にたり、にたり
 にやにや

 人に迷惑をかけるほどに度を越してふざけることが、セコにとっての愉悦の極み。たとえ仲間が干からびようとも、その不慮の事態を喜び楽しむ。もしかしたら干からびたセコでさえ、そのことを楽しんでいたのかもしれない。
 人間の手に落ち見世物にされるのもまた一興。元に戻れば戻ったで、仲間を呼び自らを拾った幼子を弄ぶ。

『気に入らねえ』

 だがセコたちがおとなしく山へ戻っていく以上、忍になすべきことはなかった。正をなぶるのにも飽きたのか、それとも脅しが効いたのか。隙を突いて攻撃をしかけてくる様子もないものを、追撃する意味はない。なによりも、そうあるべくして生まれてきた存在を否定するのは愚か者に等しい。
 それでもなお忍ぶが釈然としない思いを抱くのは、セコの性が悪意に捕らわれた人間となんら変わらないためだ。

『しょせん人も妖怪も五十歩百歩ということか』

「あ…りが……」
「ん?」
「……た…すけくれて……あ、ありがとう…おにいちゃん……」
「………………」
 しゃくりあげながらもなんとかそれだけ告げると、正は再び泣きじゃくる。だがそれはもはや恐怖のためではなく、安堵のゆえの涙であったのだろう。
 そんな幼子に、忍は辛うじてそれとわかる程度の優しげな笑みを浮かべたのであった。


 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5745/加藤・忍/男/25歳/泥棒】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、ライターのカプランです。
 このたびは「干からびた怪異」にご参加いただきましてありがとうございました。
 参加人数がお一人様ということで少々さびしい話になってしまいましたがいかがでしたでしょうか。
 少しでもお気に召していただければ幸いです。またご縁がありましたら宜しくお願いします。
 
 なおセコは実在する(?)妖怪ですが、この物語で使用した性質、能力などは一部を除きフィクションであることを明記させていただきます。