コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


江戸艇 〜舞台裏〜



 ■Opening■

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だが、彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。

 その艇内に広がるのは江戸の町。
 第一階層−江戸城と第二階層−城下町。
 まるでかつて実在した江戸の町をまるごとくりぬいたような、活気に満ちた空間が広がっていた。





 ■Welcome to Edo■

 まるでそれは子守唄だった。
 春の木漏れ日が吹く風に机の上で揺れている。昼休みの終わった5時限目。穏やかな日差しが窓辺に座る者達に優しく降り注いでいた。年齢不詳の国語教師が読み上げる枕草子だか徒然草だかは、話題が古過ぎてついていけない。それはまるで眠りを誘う子守唄のように。春はあけぼの。ああ、いとをかし。けれど人は言うのである。春眠暁を覚えず。ゆえに春のあけぼのなんて見られない。これぞ正に春。ああ、いとをかし。いとあはれなり。

 まるでそれは子守唄だった。
 机の固い感触が柔らかくなっている。
 国語教師のばばくさい声が若くなっている。
 もう次の授業になったのか、なんて天波慎霰は夢うつつに考えた。誰かが、自分を起こすというよりは眠りを誘うようにゆったりとしたリズムで肩を叩いている。
 誰だろう。
 そういえば自分は机の上につっぷして寝ている筈ではなかったか。なのに今は完全に横になっている事に気づいて慎霰は目を開けた。教室の床の上に寝てるなんてシャレにならない。けれど目の前にあるのは教室の床ではなく畳。自分はそれを少し高いところから見下ろしている。どうやら枕か何かに頭をのせているらしい。枕とおぼしきそれに手を触れた。
「気ぃつかはった?」
 はんなりとした京都弁は若い女の声。柔らかい、独特のイントネーションで突然頭上から降ってきた声に慎霰は限界まで目を見開いた。
 自分が今、頭をのせているものが、その女性の膝だと気付いた瞬間、慎霰は飛び起きるのもそこそこに、部屋の隅まで這うようにして逃げると、壁に背をはりつける。
「……わりぃ」
 口の中がやけに乾いて、それだけ言うのが精一杯だった。
「どないしぃはったん?」
 女が覗き込むように首を傾げている。色白に紅を差した和服姿の綺麗なお姉さんだった。大きなパッチリとした目が不思議そうに瞬いていた。
 慎霰はカーッと頭に血が昇るのを感じて視線を彷徨わせた。それでなくとも女性は苦手なのだ。あまり話をした事がないし、何を話せばいいのかわからない。何より近寄られただけで耳まで真っ赤になってしまうのだ。それがあろう事か膝枕である。
 膝……。
 慎霰は思い出して気が遠くなりかけた。あまりにも途方もなさすぎる。夢なら自分は何を考えてるんだと突っ込みたいところだ。しかしつねった頬は痛かった。
 慎霰はハッと顔をあげて部屋を見渡した。
 畳が6枚。6畳の部屋なのに感覚的には8畳くらいある部屋に、古ぼけたタンスが2つ並び、隅に几帳が立っている。窓にはガラスの代わりに薄い障子紙。天井に電気のようなものはなく行灯が部屋の隅に、対角線上に2つあるだけだった。
 だからこそ―――。
「おいこら! 何処の誰かは知らねェが、俺を化かすんじゃねェ!!」
 慎霰は天井の方を見上げて怒鳴りつけた。
 ついさっきまで、学校の教室で眠たい古文の授業を受けていたのである。ともすれば、どう考えたってこれは、狐か狸かあやかしの仕業に違いない。
 だが―――。
「化かす?」
 女がきょとんとした顔で慎霰を見返した。
 彼女に怒鳴ったつもりはあるような、ないようなで慎霰は視線を彷徨わせる。
「うちが?」
 意外そうに尋ねる女に、慎霰は女が泣き出すんじゃないかと思ってうろたえた。
「え……あ、いや違っ……」
 だが女は泣き出すどころかころころと鈴を転がしたように笑い出した。
「うちが化かすやって。おもしろいお人やわぁ」
 何となく胸を撫で下ろす。
「まだ、寝ぼけたはんのとちゃう?」
 そう言われて気が抜けた。女が苦手な自分に女を差し向ける。これが本当に化かされているのだとしたら、相手はなかなかに侮れないところだ。
 女は立ち上がると、内掛けの裾を優雅に捌いて窓を開けた。外の空気と、それから喧騒が聞こえてくる。
「そこに倒れたはったんえ」
 女が窓の外を指差して言った。
 慎霰が遠目にそちらを振り返る。見えるのは、彼が住んでいる都会というよりも、田舎に近い感じがした。ただ、田舎にしては出歩いている人が多い。そしてみんな和服を着ている。
「ここは?」
 慎霰が尋ねた。
「ここは江戸日本橋本町え」
 その時初めて慎霰は、自分が小袖を着流している事に気が付いた。



 ◇◇◇ ◇◇ ◇



 どうやらこれは、夢でもあやかしによるまやかしでもないらしい。
 どういった具合なのか自分は江戸の世界に紛れ込んでしまったようだ。とはいえ、ここはいわゆる江戸時代というものでも無い気がする。髷を結っていない東京風とでも称すべきか、こんな髪型の自分を珍しがったり、奇異の目で見たりする者が全くいないからだ。かといってどこかの時代劇撮影所というのでもない。間違いなくここは『江戸』なのだ。
 慎霰は空を見上げた。これが本当の空色というやつだろうか。コバルトブルーの空はまるで青が群れているようだった。群青の空にくっきりと浮かぶ白い雲。田舎町とは違う人々の喧騒。
 ここにかつての東京がある。
 どうしてこんな場所へ来てしまったのか。その理由とか、元に戻る方法とか、そんな事を考えるよりも早く、慎霰はニヤリと笑っていた。
 こんな機会は滅多にない。こんな体験も滅多にない。
 日本橋大通り。白壁土蔵の大店が並び多くの人が行き交うその大通りを慎霰はワクワクしながら歩きだした。
 目に止まった茶屋の暖簾をくぐる。
 畳敷きの長いすのようものが3つ並んでいるだけの簡素な茶屋だ。テーブルなんてものもない。当たり前か。テーブルに椅子を並べるなんて西洋風、まだまだ日常には縁遠い時代だ。メニューなんて気の利いたものもない。
 そこに座って慎霰は店のおやじに声をかけた。
「おじちゃん、団子ある?」
「ああ、あるよ」
 おやじは景気よく応えて店の奥へ消えると、程なくして皿に団子を盛ってお茶と一緒に盆にのせて運んできた。それを畳敷きの椅子の上に置く。
 慎霰は1串取って1口。シンプルだが旨い。
 どんどん手が進む。
「腹が減っちゃぁ戦は出来ねェからな」
「この治世に戦かい」
 おやじは笑いながら相槌を打った。
「おうよ。天狗様の見参でィ」
 慎霰は笑顔で応えて拳を振り上げる。
「天狗さまたぁ、こりゃまたたまげたな」
 おやじが大仰に目を丸くしてみせた。慎霰の言を冗談と取ったのだろう、ならばただのお愛想だ。しかし慎霰は敢えて力を誇示するような真似はしなかった。
 江戸時代ではないにしても、珍妙なこの江戸世界。まだまだ河童も山姥も健在なのだ。天狗だって畏敬の念で見られているに違いない。となれば、天狗である自分のやるべき事はただ一つ。天狗としてどーんと悪徳商人なんかを懲らしめて、江戸のスターになってやる。そうすれば、このおやじも慎霰の言が本当だったとわかるだろう。
「おじちゃん。この辺に悪徳商人はいねェかな?」
 慎霰が尋ねた。
「は?」
 聞かれたおやじが面食らったような顔で慎霰を見返した。
「それと服だな。着物屋」
「はぁ……呉服屋ならこの先ちょっと行ったところにあるが……悪徳商人ねぇ?」
「心当たりがねェならしゃーねェか。おじちゃん、勘定」
 慎霰は最後の団子を口の中に頬張ると、肩を竦めて勢いよく立ち上がった。
「ああ、10文だ」
 おやじが言った。
「10……文?」
「ああ」
「円は使えない? ……よな?」
 心なしか慎霰の笑顔が引き攣ってくる。
「円? 何だそりゃ」
 おやじが眉を顰めながら疑わしげに慎霰の顔を覗き込んだ。
「いや、まぁ……」
 慎霰は視線を斜め下に彷徨わせる。ここは江戸の世界だ。江戸の世界の通過が円なわけもない。すっかり忘れていたわけではないが、そういう事までは頭がまわらなかった。
 世の中先立つものは金である。天下の大天狗様が食い逃げじゃぁさまにならない。しかも団子とお茶で。一縷の望みは、この袖の中にある財布。だんご屋おやじに笑顔を向けながら彼はソレを取り出した。着物の端切れで作ったような布袋が紐でぐるぐる巻きにされている。なんともシンプルなものだ。自分の財布とは違ったが、制服が着物になっている事実をかんがみれば、ズボンの尻ポケットに入れておいた財布がこれになっていてもおかしくはあるまい。問題は中身だ。店に入る前に確認しとくんだった。
 慎霰は中を開いて、ざーっと畳の上に広げた。
 見た事もない古銭が出てきた。小判もあったが、殆どが5円玉のようなのに穴の四角い銭だった。縦に寛永、横に寳通と書いてある。裏には何も書いてない。
「えぇっと……」
 慎霰はそれを10枚数えておやじに差し出した。
「10文ってこれでいい?」
「あ…ああ」
「良かった……。よし、腹ごしらえも済んだし次は服だな」
 そう言って慎霰は茶屋を後にしたのだった。



 それは後から気付く事になるのだが、この江戸世界で使った分のお金は、元の世界の所持金からマイナスされる。その時々によって換金率は違うが、今回の場合は10文で500円だった。無駄づかいには気をつけよう。
 閑話休題。



 時に人とは、形から入るものらしい。
 呉服屋へやってきた慎霰はそこで天狗っぽい着物を調達しようとしていた。ところがそこに並んでいるのは全て反物。どうやらこの世界の服はオーダーメイドか自分で縫うらしい。
 今から頼んでいつ仕上がってくるんだ。それ以前にいくらかかるんだ、と愛想笑いもそこそこに店を出て、そこで慎霰は盛大に溜息を吐きだした。
 山伏じゃなくてもいいかなぁ、羽を見せればそれらしくなるかもしれない、などと妥協案を考える。いっそ妖術で服を取り替えるか。
 と、突然袂の方から声がした。
「おじちゃん」
 まさか自分が呼ばれているとは思わず慎霰はそれを無視して歩き出す。
 これから、とにかく太ってて何かを企んでそうな顔の悪代官や、金色の派手な着物を着込んだ成金主義の悪徳商人を捜さなければならないのだ。
 だが。
「おじちゃん!」
 子供の声と共に慎霰の足が止まった。自分の袖を掴まれているのに、慎霰は子供を振り替える。切り禿の小さな女の子だった。五つか六つか。
 慎霰はがっくり項垂れた。
 この歳で、おじちゃん。
「お・に・い・ちゃ・ん」
 慎霰が言い聞かせるように言うと、女の子はわずかに首を傾げて尋ねた。
「着物、捜してるの?」
「ああ……うん」
「あたし、古着屋さん知ってる。こっち」
 そう言って女の子が袖を掴んだまま歩き出したから、慎霰も歩き出さないわけにはいかなかった。これはやはり後で知った事だったが、江戸時代もオーダーメイドや手縫いだけではなく、古着が愛用されていたらしい。確かに着物をわざわざ仕立てられるなんてのは一部の金持ちぐらいだったのだろう。
 慎霰は結局その古着屋で黒い山伏の装束と高下駄を買い揃えた。
「ありがとう」
 慎霰が礼を言うと、女の子はにこっと笑って言った。
「おにいちゃん、天狗さまなの?」
「え? ああ、そうだけど」
 どうやら女の子はだんご屋での話を聞いていたらしい。
「あたしのお願い聞いてくれる?
 女の子が声をかけてきたのは、これが目的だったのか。
「お願いってなんだい?」
 首を傾げた慎霰に、女の子は辺りを見回してから彼の手を掴むと歩き出した。
 どうやらここでは話せないといった風だ。
 怪訝に女の子に付いて行く。
 女の子に連れてこられたのは人気のない神社だった。鳥居をくぐり石段をのぼる。一番上の石段に腰を下ろすと、女の子はもう一度辺りを確認してから、声を顰めて話しだした。
「おにいちゃん、強い?」
「まぁな」
「悪い天狗さまじゃないよね?」
「そんな風に聞いたら、悪い天狗さまでも、うんって答えるかもしれないよ」
「…………」
 しょんぼりとうな垂れてしまった女の子に、慎霰は慌てて優しい声をかける。
「道案内してもらったお礼をしないとな。どうしたんだい?」
「……あのね。あたし、聞いてしまったの」
「何をだい?」
 促した慎霰に、そうして女の子が話しだしたのは、簡単に言えば、江戸幕府に献上品を納める幕府御用商人をおおせつかった枡屋を妬んだ角屋が、献上品に唾付け枡屋を落としいれ、自分たちが幕府御用商人に名乗りをあげようというものだった。
 たまたま彼女は、角屋が枡屋を陥れる策を練っているところを、聞いてしまったのだという。

 ―――自分が天狗道に落ちたのはいつの頃だったか。

 慎霰はぼんやり昔を思い出した。自分がこの子と同じくらいの頃、自分はこんなにも賢明であっただろうか。
 こんな小さな子供が事の善悪を判じて止めようとしているのだ。頭がさがる。
「よし、任せろ!」
 慎霰はやる気満々で請け負った。
 ちょうど自分はそういう連中を懲らしめるために、これから捜そうと思っていたところだったのである。彼女のお願いをきいてやらない理由がない。
「うん!」
 女の子は元気よく頷いた。



 ◇◇◇ ◇◇ ◇



「天知る、地知る、俺が知る……違うなぁ。天知る、地知る、神が知る。町のみんなが知らなくたって、貴様らの悪事。この大天狗様がお見通しよォ!!」
 女の子から詳しい情報を聞いて彼女と別れると、慎霰はさっそく準備に取り掛かっていた。
「なんかしっくりこねェよなァ……大体、天狗なのに神様ってなんだ、神様って」
 彼が考えているのは勿論、角屋を前にかっこよくビシッと決めるための啖呵のきいた口上である。やはり決め台詞は必要なのだ。万一噛んだりしては格好がつかない。練習しておくに越した事はないのである。
 などと、その場に颯爽と現われ悪巧みを挫く過程を細かにシミュレートしている時だった。
 彼の耳がその音を微かに捉えたのは。
「!?」
 振り返った瞬間地面を蹴る。
 天狗は一歩で百里を進む。それは正に瞬間移動と謳われた。だが、彼が彼女の悲鳴の場所へ駆けつけた時には、既に全て終わった後なのか。ただ、あの女の子が付けていた鈴が一つ、そこに落ちていた。



 聞いてはならぬ話を聞いてしまい、それを誰かに話そうとしていたのだ。それは既に話された後だったが。彼女が無理矢理連れて行かれる可能性をもう少し考慮しておくのだった、と慎霰は鈴を握り締めた。
 泣いてないといいなと思う。
 女が泣くのはどうも苦手だ。
 子供が泣くのもどうも苦手だ。
 慎霰はゆっくりと歩き出した。
 行き先は決まっている。
 陽はいつしか西の空を茜色に染め始めていた。たそがれ時。もうすぐ暮れ六つの鐘が鳴るのだろう。本当は夜襲を仕掛けるつもりだったが、逢魔が刻も悪くない。むしろ天狗にはおあつらえ向きというものだろう。
 角屋の前。
 慎霰は普段隠している黒い翼を開いた。
 たまたまその通りを歩いていた不幸な者達が、面食らったように足を止め、慌てふためき転んでは、這う這うの態で我先に走って逃げようとした。この時間。うっかり魔に出逢ってしまったといわんばかりの彼らを、しかし慎霰は気にも止めた風もなく飛び立つと、角屋の屋敷の庭にある一本の大木の枝に降り立った。
 縁側をお茶を運んでいた下女が、一番最初に彼に気付いてこけつまろびつ悲鳴をあげた。ならず者の用心棒やら三下どもが駆けつけ、彼に驚きつつ刀を抜き得物を構える。
 慎霰は枝に腰を下ろして暫く奴らを見下ろしていたが、ふと相好を緩めると、まるでいたずらを思いついた子供のような顔付きで、パチンと指を鳴らしてみせた。
 その瞬間奴らが並んで盆踊りを始めた。
「何事か!?」
 角屋の主人らしい恰幅のいい男が奥から飛び出してきた。一喝されて三下どもは慌てふためいたが、自分の力ではどうする事も出来なくて、ただ盆踊りを踊り続けている。
「お前が角屋の主か」
「!? 貴様……何者」
 木の上にいた慎霰に、角屋の誰何は胴に入ったものだった。悪事を働くだけあって、肝の据わり方が違うのだろうか。三下どもほどの狼狽はない。
 慎霰は一番後ろを踊る三下の足に一本の腰紐を巻き付けて、全員の妖術を解いてやった。
 突然術が解けて動けるようになった奴らは、しかし後ろの奴が腰紐に足を取られて前に転んでしまったため、ドミノ倒しのように次々に皆倒れていった。
 慎霰は、笑いを噛み殺す事も出来ず、可笑しそうに腹を抱えて笑っている。
 三下どもが何とか立ち上がって、再び得物を握りなおし慎霰を睨みつけた。
「御用商人である枡屋をねたみ、陥れんとしたその企て既に明白。事が露見し町奉行所の世話になる前に、今ここで改心すれば多少の温情は考えてやろう」
「ふん。何わけのわからん事を」
「あら? 改心する気はない? それは困ったなぁ」
「黙れ! 奴をつまみ出せ!!」
「まぁまぁ、そう慌てなさんな」
 慎霰が相手をなだめるように手を振った。だがその仕草が相手をバカにしているように見えたのか、逆効果だったようで、ヤツラは更にいきり立った。
 しかし、それも束の間。彼らの顔は氷ついた。
「なっ!?」
「残念でした」
 そこに現れたのは巨大な紙風船のようだった。但し、それは人で出来ていた。大きく膨らんだ体を風船のようにぽよんぽよんと弾ませながら落ちてきたのである。それが枡屋の献上品をこっそり粗悪品と入れ替えるよう、工作を頼んでおいたならず者たちだと気付いて、初めて角屋は狼狽した。
「……貴様何者……」
 慎霰の口の端が辛辣に歪む。彼は枝から宙へと立ち上がった。彼の足を支えるものはない。
 誰もが畏怖の念に一歩退いた。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。悪を倒せと俺を呼ぶ。天上天下唯我独尊! 大天狗さまの降臨でィ! 我が天に代わって冥罰を降す!!」
 ここに来るまで練習してきた口上を言い放って、慎霰は彼らをにらみつけた。
「こんなのは、まやかしだ! 斬れ!!」
 怯んだ用心棒たちに角屋が金切り声をあげた。
 慎霰は指をパチンと鳴らすと地面に降り立つ。
 怯えながらも自分を奮い立たせて三下どもは斬りつけた。
 しかし彼は避けるでもない。三下の刀が彼の着物を切り裂き肌にまっすぐ赤い線を引いた。それに勢いづいたのか、他の三下が再び斬りつける。だが慎霰は別段気にした風もなくそこに立ったままだった。赤い線は肩に背に増え続け、三下どもは再び怯み始める。本当に奴は天狗で、不死身の肉体を持っているとでもいうのか。
 だが、やがて腕に覚えがあるらしい用心棒が前に進み出てその胴を二つに分かった。
 その体が、どうと倒れて初めて皆の顔に安堵の色がさす。
 角屋は、やれやれとばかりに踵を返そうとした。
 その足首を何かが掴んだ。
 誰か、ではない。何か。
 それは手ではない。
 しかし人肌ほどの温もりがある。
 角屋の顔が驚愕に歪んだ。
 彼の足首に巻き付いていたのは生暖かい血。慎霰の体から溢れた血が、まるで意志を持ったアメーバのようにねっとりとまとわり付いていたのだ。
 いやそれだけではない。角屋だけでなく、用心棒や三下どもにも同じようにまとわりつき、彼らを引き摺りまわし始めたのだ。
 絶叫が角屋の邸内を駆け巡っていった。



「天狗のおにいちゃん!」
 女の子が縁側を駆け出てきた。
 慎霰は鈴を取り出して彼女に差し出す。
「大丈夫だったかい?」
「見つけてくれたの? うん。大丈夫」
 女の子は笑顔で鈴を受け取った。
 彼女の目元に涙の跡はない。叱られたりはしなかったのか。慎霰はホッと息を吐いて。
「あれは?」
 女の子が庭の方を指差した。
「ああ。パパはね、ちょっと今悪い夢を見てるところだよ。でも、それが終わったらきっと優しいパパに戻ってる」
 慎霰が笑って言った。
 庭に降りる時から幻術を使った。彼らは今、軽い擬似地獄を体験しているところである。絶対に行きたくないと思えば、悪い事ももう出来なくなるだろう。
「パパ?」
 女の子が聞きなれない言葉に首を傾げる。
「えぇっと……おとっつぁん?」
「本当?」
「うん。絶対」
「……良かった」
 女の子―――角屋の娘はホッと胸を撫で下ろしたように笑った。それから―――。
「うん。でも、またおとっつぁんが道を間違えた時は、今度は君が正してあげるんだよ」
「…………」
「大丈夫。君なら出来る」
 慎霰が勇気付けるように女の子の頭を撫でてやる。きっと出来る。
「でも、どうしてもダメな時は俺を呼べよ」
「うん。天狗のおにいちゃん、ありがとう」
 女の子が満面の笑みを返した。
 刹那、世界が白く光輝いた。
 目を開けていられないほどの強い光が慎霰を包みこむ。


 春はあけぼの。ああ、いとをかし。
 年齢不詳の声がしていた。
「天波くん。天波くん!」
 慎霰はうっすらと目を開ける。
 いつもの見慣れた教室。教卓には古文の教科書を手にした国語教師。
「なんだ、やっぱり夢か……」
 そう呟いて顔をあげた。面白い夢を見た。江戸時代に行っていたのだ。
「なに、そのかっこ。いつ着替えたの?」
 国語教師に尋ねられて慎霰は自分を振り返る。
「!?」
 まるで天狗のような自分のその姿に目を見開いた。
 直後、教室を揺るがす大爆笑の渦に囲まれていた。





 住人の『ありがとう』の言葉が帰るためのカギとなる。


 夢か現か現が夢か。
 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だけど彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。
 たまたま偶然そこを歩いていた一部の東京人を、何の脈絡もなく巻き込みながら。
 しかし案ずることなかれ。
 江戸に召喚された東京人は、住人達の『お願い』を完遂すれば、己が呼び出された時間と空間を違う事無く、必ずや元の世界に返してもらえるのだから。

 但し、服は元には戻らない。





 ■大団円■





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1928/天波・慎霰/男/15/天狗・高校生】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。