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<東京怪談・PCゲームノベル>


CallingV 【金糸梅】



「馬鹿だよ……」
 十種巴は顔を俯かせ、搾り出すように言う。
「でも」
 でもね。
「そんな陽狩さんだから……私は好きになったんだよ……。わかった。そこまで言うんだもの……」
 巴は顔をあげる。
「私は陽狩さんを止めない!」
 陽狩がはっきりと見えていないことに気づく。涙のせいで視界が歪んでいるのだ。
 どうしよう。泣かないで見送ろうって決めたのに。
 巴は慌てて涙を拳で拭った。
「ごめん……せめて笑って見送りたいのに……。止めちゃいけないってわかってる。でも……私、陽狩さんに苦しんで欲しくない……でも、生きていて欲しい……。行かないで死なないでって無茶なワガママな事を言って引き止めたい……。でも、そんなことしたくない!
 頭じゃわかってるのに……心が、気持ちが追いつかない……ごめん、ごめんね陽狩さん……!」
 拭っても拭っても涙が止まることはない。喉の奥が震えた。
 こんなことを言って困らせたくないのに。でもこれが最後だったらと思うとやはり伝えたくなってしまう。
 うまく言葉にならない。彼を、彼を送り出す言葉が欲しいのに。安心させる言葉が欲しいのに。
「泣かないでくれ、巴」
 巴の顔に陽狩の手が伸び、そっと涙を拭った。
「こうなるって、わかってた。だから悲しませたくなかったんだ」
「わかっ……てる」
 巴は必死に何度も何度も目元を擦った。
「本当にありがとな。オレを、こんなオレを好きになってくれて。オレをずっと想ってくれて。おまえを泣かせてしまったのに……こんなに悲しませてるのに、オレのことを慕ってくれて。
 だからもう行くよ。巴が精一杯頑張ってオレを送り出そうとしているなら、それに応えなくちゃな」
 微かに笑いを含んで彼は穏やかに言う。大好きな人の声は、なんて居心地がいいんだろう。ああ、私は好きだ。この人が、好き。
 もう行ってしまうのかと思っていたが陽狩はなかなか行こうとしない。怪訝そうに見上げると、なにやら悩んでいるようだった。だが、彼は決意したように一歩こちらに踏み出してくる。
 巴の額に軽くキスをして陽狩は離れた。顔が真っ赤だった。
「礼にもなりゃしねぇけど……。その、これが精一杯で……」
 焦りながら、それでも彼は爽やかな笑顔を浮かべた。その外見の通りの、十代の少年が照れて浮かべる笑顔だった。
「こんなんじゃ、嫌われちまうかもだけど。意気地なしだと思ってくれていいぜ。その、『女の子』って意識した相手にキスするのってかなり緊張するから、これで勘弁な」
「…………」
 唖然とした巴は額をおさえるように手を遣る。ほんの微かなキスの感触。
 ばか。こんなことされたら絶対忘れられない。陽狩さん以上の人、見つかるわけない。この人以上に好きになれる人なんて、これから生きる人生で見つからなくていい。陽狩さんが、いい。
 泣くな、私。ここでは笑え。笑うんだ!
「行ってらっしゃい、陽狩さん」
 笑えているだろうか、私は。この人を不安にさせていないだろうか。
 陽狩は頷きもせずに二歩ほど後退し、そのままきびすを返して走って行ってしまった。その姿を見送ってしばらくして、巴の表情が歪む。涙がまた流れ出した。
 行ってきます、って言ってくれなかった……。その理由は。
(陽狩さん……もう戻ってくる気ないんだ……)
「うぅ……」
 堪えていたものが、全てあふれ出る。
「うわああああああん! ひっ、う、あああーんっ」
 大声をあげて巴は泣いた。こんな風に泣くのは子供だけだ。でもいい。今はこれでいい。
 夜の静けさの中、巴の声が大きく響いた。
 こんな辛い初恋でも。
 こんな切ない恋でも。
 それでも私、
 陽狩さんのことが――。

 走りながら陽狩は笑う。微かに洩れ出る笑い声には、涙が混じっていた。
「は……ははっ。ほんと、情けねェ」
 泣くくらいなら、痩せ我慢するんじゃなかった。いや、でも。
 陽狩は顔に片手を遣る。
(悔しいぜ。どうしてオレはもっとうまくできねーんだ)
 昔からそうだった。好意を寄せてくる相手をことごとく傷つけてきた。なのに。
 巴の涙を見て心が揺らいだ。本当に、揺らいだ。だがそれは許されないことだ。
 呪いを解けば陽狩の身体がもたないことは、陽狩自身がわかっている。この身体は時間の外にいた。そして呪いを解けば、時間の中に『引き戻される』。この身体は……一瞬で350年分の時間を被るだろう。砂塵に、なってしまうはずだ。
 だからこそ。
(オレが最後までやらなきゃならない……)
 ありがとう。こんなオレを好きになってくれて。ほんの一瞬でも、オレに人間の気分を味わわせてくれて。
 だからオレは振り向かない。このまま真っ直ぐ、オレのやるべきことを果たす――!



 一ヵ月後――。

 正門の外へと朝の掃除に出てきたところを、襲われた。
「声を出すな」
 後ろから首に刃物を当てられる。けれども驚きはしなかった。こういった殺気に驚かないほど、遠逆の者は歪んでいないのだから。
「何か用でしょうか?」
 私は静かに問うた。背後の相手は応える。
「悪いが、あんたと同調して中に入らせてくれ」
「…………」
 さて、どうしよう。
 考えてしまうのはここに滞在している異邦人のことだ。長の一番の『お気に入り』と一緒にやって来たあの坊や……。
「目的を教えてもらえれば考えます」
 私は何を言っているのだろうか。でもたまに、遊んでみたくなる。この燻っている感情を、発露させてみたくなる。
 事情を聞いて、そして、面白そうだと感じてしまった。ああやっぱり私。
(コワレテるんだ……)
「わかりました。協力します」
 相手は怪訝そうにした。私がなぜ笑っているか、理解しかねているようだった。

 静かだった。広い畳の部屋。その奥に老人は常に座っている。ほとんどこの場から動いたことはない。その秘密を知る者はごく少数。
 襖を斬り裂いて中に入ってきた陽狩を老人は、顔色一つ変えずに迎え入れた。
「ようこそ。久方ぶりの帰宅ですな、兄さま」
「…………ああ。350年ぶりだな、あたる」
 苦いものを噛み締めて陽狩は応えた。
 遠逆中。「中」と書いて「あたる」と読む。陽狩の血の繋がった、実の弟だ。
「上の兄さまはもう随分前に逝ってしまった。我々だけが醜くこの世にしがみついているわけですな」
「それももう終わる。
 あたる、憑物封印はもう一切やるな。遠逆家だけがこの世にしがみついてても、オレたちの先祖が仕えた『あの人たち』は、『あの一族』は還ってこない!」
「途中で待つことを放棄したあなたが、言うのですか」
 静かに老人は言う。陽狩は薄く笑う。責められるべきだ。責めたいなら責めろ。それだけのことを、オレはした。
「あそこで逃げたのはオレの過ちだった。あそこで逃げてはいけなかった。300年以上生きて、やっと理解するなんてオレもかなりのバカだよな」
「…………」
「時間はかかったが責任を果たしに戻った」
 長い時間を生きてきて、自分の生きている意味を考えなかった日はない。あの逃げた日を、忘れたこともない。
 いまだに憑物封印がおこなわれていると知って、陽狩は戻るべきだと判断したのだ。自分が『あの時』に止めていれば、こんなことには……別の犠牲者を出す必要はなかったのだ。
 それは傲慢というべきものかもしれない。自分がいなくても、憑物封印はおこなわれていたかもしれない。けれど。
 わかってしまった。理解してしまった。陽狩は、なんの前触れもなく、唐突に理解してしまった。自分がなんの為に存在したのか。生まれたのか。
「憑物封印を完全に止める……。それがオレが今日まで生きていた意味だ」
「欠月」
 あたるの声と同時に、あたるの真後ろの陰から少年が出てくる。ずっとここに控えていたのだろう。
 全身黒づくめ――遠逆家の戦闘訓練着に身を包んだ少年はゆっくりと陽狩の行く手を遮るように立つ。
「長に触れることは許さない」
「そうだ。必ずわしを護れ」
 その言葉に少年は頷いた。陽狩としては舌打ちしたい気分だ。よりによって、この場面で一番厄介なヤツを用意しているとは。
(さすがオレの弟……というところか。オレと相性の悪いタイプを持ってくるとはな)
 弟は笑みを浮かべたままだ。陽狩もあたるも、長い時間を生きてきた。互いに歪んでしまっていても仕方ない。けれど、今日それを打ち砕く!
 人間を盾にして、兄貴を止められると思うなよ。
 覚悟はした。臆病者の一大決心だった。それを、果たす。
 目の前の少年を氷から解放したのも自分なら、息の根を止めるのも自分の役目なのかもしれない。
 陽狩は武器を構えた。漆黒の刃を少年に向ける。それは宣戦布告だ――!



 激しい戦闘の痕跡が残る室内……もう室内と呼ぶには相応しくないが、そこにいるのは二人だけだ。
 血で汚れた衣服の陽狩と……その弟。
「300年以上もおまえが牛耳ってたとは思わなかった。当主だって……うまく細工しておまえは何回もやってきたんだろ?」
「……兄さまが逃げたせいでその皺寄せはわしに全部きたのだ。だからわしは、遠逆家を存続させる義務がある。わしは兄さまの代わりだ。あの時、兄さまに触れてしまったがために、こんな姿に成り果てた……。今さらそのことを責めはしないがね」
「ああ。だから、終わらせるためにここに来た。このままずっと、おまえは生きていくつもりだっただろうけどな」
「わしを殺すことはできない。それは兄さまにも言えることだ。それに決して『終わり』などない」
「だろうな。終わるのは、秘密を知ってるオレたちだ。充分に、憑物封印を実行できる能力を持ったオレたちは『ここで終わる』。そのために、準備をしてきた」
 あたるは沈黙した。それから重そうな瞼を、片方だけあげる。
「兄さまには何か策があるのですな。しかし、そんなことをすれば兄さまもただでは済むまい。その肉体が『時間経過』に耐えられるわけがない」
 陽狩の肉体は周囲の時間の流れから隔離された状態だ。その境目を消すのは、誰が見ても破滅への行為だろう。
 陽狩は空中から巻物を引っ張り出す。二つの巻物にはそれぞれ東と西で集められた妖魔たちが詰まっている。
 広げられた巻物は破壊された室内に広がった。そして二人を囲むようにゆらゆらと空中を漂う。
 前は、この巻物を破り捨てた。いや、刀で散り散りにしたのだ。
 陽狩は微笑む。
「遠い未来、もしかしたら近い未来かもしれない。誰かが遠逆家の繁栄を求めて憑物封印を復活させるかもしれねぇ。だがその時、またオレみたいなのが選ばれるだろう。
 どれだけ長い時間をかけても、終着駅へと導く……それだけの役目を負って生まれてきた者がな」
「……難儀なものですな」
「まあな。だが、ここでオレの話は終わりだ。誰かがこの『物語』を引き継がないことを願うぜ」
 小さく、本当に小さく呟く。この時のために用意していた仕掛けを全て、余すことなく発動させる一言を。

 陽狩とあたるの居た建物がその渦に巻き込まれる。発生した竜巻は周囲を巻き込んで上へ上へと伸びていった。その乱暴な力に抗う術などない。
 あたるは風が強くならないうちにと思ったのか、口を開いた。
「それでは二度目のお別れですな。あちらでお待ちしておりますよ」
 ぐずっ、と弟の身体が崩れた。溶ける、というほうが合っていた。
 残された陽狩は激しくなっていく風の中で微笑する。
 長かった。本当に長かった。けれど。
 心残りがある。
「ともえ」
 愛しさを込めて名を呼ぶ。それが切なくて、陽狩は嘆息した。諦めの悪いことだ。
 彼女が好きでいてくれた、真っ直ぐな自分でいよう。最期の瞬間まで。
 涙を見せず、前を向いて。
「……今度こそ、さよならだ」
 陽狩の肉体がざらっと砂になって崩壊し、風に呑まれて飛んでいった。

 全てを飲み込んだ竜巻はやがて天へ昇り、吸い込まれて消え失せてしまった。
 遠逆家の中心部分にあった建物は……その建物内で起こった事件と、長の命と共に消失してしまったのである。



 いつもの日常だった。陽狩が消えて一ヶ月以上経っても。
 巴は何事もなかったような態度で生活していた。
 クラスメートとバカな話をして盛り上がったり、家でバラエティ番組を見て笑い声をあげたり。笑顔は、絶やさないようにしていた。
 あれで良かった、と思い込もうとしていた。
 テレビの前に座る巴は徐々に笑顔をなくしていく。
「……あれで、良かったんだよ……あれで……」
 だけど。
 どうしよう、涙が出そう。堪えて、私。
「だけどもう一度……夢でもいい……。逢いたい……陽狩さんに逢いたいよぉ……。あんな告白じゃなくて、ちゃんと……ちゃんと『好きです』って……言いたかった……」
 堪え切れずに涙が浮かんでくる。その時、玄関のチャイムが鳴り響いた。
「? こんな時間に誰だろ」
 壁にかけられている時計を見ると22時を過ぎている。こんな夜更けに……。
 妙な期待感を持ってしまい、巴は慌てて立ち上がって目元を擦った。まだ泣いていないのだから、目元は腫れていないはずだ。
 もしかして、と期待しない人間はいない。
「はい、ちょっと待ってください!」
 大きめの声を出して玄関を開ける。そこに立っていたのは見知らぬ少女だった。自分と年齢はあまり変わらない、長い黒髪の娘だ。
 にぃ、と笑みを浮かべる。背筋に悪寒が走るような笑顔だった。
「遠逆未星と申します。こちら、十種巴さんのお宅で間違っておりません?」
 間違っていようがなんだろうがどうでもいい、という口調で喋る少女は巴がムッとするほど綺麗だった。黒のパンツスーツ姿の未星に「そうですが」と応えると、彼女はふところから手紙を取り出す。
「預かっていました。ようやく一息つけたのでお届けにあがりました。届けるまでに時間がかかってしまったのは、お許しを」
 まったく謝っていない。彼女はフンと鼻で笑ったのだ。
 巴は手紙を受け取り、未星をじろりと見る。
「……ありがとうございました」
「お礼は結構。面白い見世物を拝見したので、これくらいの、配達くらいのことは駄賃みたいなものです」
 わけのわからないことを言って女はきびすを返し、早々に去っていった。なんなんだ一体。
 巴は玄関をぴしゃんと強く閉めて居間に戻る。
 手紙は淡い桃色の封筒に入っていた。差出人の名前がないが、気持ちが焦る。きっとあの人だと勘が働いた。
 封筒を開けて中の便箋を取り出すと、今時珍しい縦書きのものだった。封筒とお揃いなので、わざわざ購入したのだろう。


 十種巴様――
 この手紙が巴のところに届いているということは、オレはこの世にもういません。
 この手紙を届けてくれるように誰に頼もうか悩みつつ、書いています。うまく誰かに託すことができればいいけど。
 呪いが解けたかどうかを気にするだろうから、先に答えておく。
 呪いは解けた。だからオレは死んだ。
 はっきり言わないで、とか言いそうだな。わかってるんだが、本当のことだし……こうして書いている手紙で曖昧にするのもどうかなと思って、はっきり書くことにした。
 呪いを解くと、その負荷にオレの肉体は耐えられない。オレの身体は時間の流れを無視してきた。その時間を一気に身体に受けたら、耐えられないだろう。その予想はもうずっと昔にしていた。
 350年は、普通の人間からすればすごく長い。けれど、こうして振り返るとやっぱり一瞬というか……。
 色んなヤツに出会って、色んなことがあった。思い返せば……巴の前では辛いことばっかりみたいな言い方してたけど、いいこともたくさんあったんだ。嬉しいことも、楽しいことも。
 こんなオレを助けてくれるヤツもいたし、オレが別れを告げた途端に憎悪を向けてきたヤツもいた。
 巴みたいに、ただひたすら……好意を寄せてくれたヤツも。
 冗談だろうと思われるのが嫌なので、ここでもう一度はっきり言います。オレは死んでいるでしょう、もうこの世にはいないでしょう。
 また泣かれそうだからあんまり書きたくないんだが、それでもやっぱり書くべきだと思うから書いています。
 正直、巴に泣かれるのは非常に困ります。オレも男なので、女の子に泣かれるのは本当に困る。
 けれども心優しい君のことだから、きっとオレのこの手紙を読んで泣いていることでしょう。ひどい男だと思ってくれて構いません。……巴のことだから「そんなことないです」って言いそう。嬉しいけど、やっぱり責めたほうが楽なのでそうしてくれ。
 オレのことを忘れるなとは言いません。巴はムキになって嫌だって言いそうだし……そういうのを強要するのはもうやめます。
 巴の思うままに、オレのことを憶えていてください。君の目にどういう風にオレが映っていたかわからないけれど……。時間の経過と共に思い出って美化されちまうので、そういうとこは心配だけど……。
 最後になります。もう便箋もなくなりそうだ。
 最後だから。言えなかった事を言いたいと思います。この場合は「書く」だけどな。ま、そのへんは気にせず。
 オレは巴のことを好きになりかけてた。オレの長い人生で一度も異性を好きになったことがない、ってことはない。好意を抱いただけならかなりの数なので、そのへんは省きます。
 こんなことを書くなんて、巴を苦しめるだけだと思います。けれど君はオレの気持ちを知りたがっていたし、知る権利があると思います。
 もうすぐオレは死ぬでしょう。だから、この状況に陥って自覚した。オレは君のことが、十種巴のことが、好きでした。
 守ってあげたいと思い、可愛いなと思い、なによりオレのために一生懸命な君がすごく魅力的だった。こんなに誰かのために一生懸命になれる子がいるのかと、感心していたほどに。羨ましいと思ったのかもしれない。
 けれど偽りなく、オレ、遠逆陽狩は君に恋をしていた。いつ始まったのかもわからなかったし、今でも本当にそうなのかと思うことはあるけれど……辛いなと思うと君のことを思い出して元気を出そうとしている自分がいるので……降参です。
 ありがとう。何度言っても足りないけれど、オレを好きになってくれてありがとう。
 巴の未来に幸多きことを祈っています。


 一番最後の下のほうに「遠逆陽狩」と書かれて、手紙は終わっていた。
 巴は呆然としていた。だが目からは涙が零れ、頬を伝い、床に落ちていた。
「ひかるさ……ん」
 囁き声で、巴は我に返る。そして視線をもう一度手紙に落とした。綺麗な字で書かれている手紙は、陽狩からのものだ。やはり、そうだった。
「……ずるいよぉ」
 巴はしゃくりあげる。手紙を握り潰してしまう。手に力が入ったためだ。
「ずるいよぉ、最後にこんな……こんな……」
 嬉しかった。彼は、自分のことを好きだったのだ。嬉しかった。これで嬉しくない女なんて、いないはずだ。
「ばかぁ……! もっと早くに気づけ鈍感! ニブいよ陽狩さんっ。もっと……もっと早くに気づいてたら、デートくらい……!」
 そんなことは夢のまた夢。彼は使命があった。そんなことは無理だ。けれどもこの半年の間で、彼の心を動かした。自分を褒めたい。自分の恋は叶った。けれど同時に。
 完膚なきまでに、壊れた。
「初恋の人と両想いになれたのに……! それなのに! 相手が死んでるなんて……!」
 幸せだ。途方もなく幸せなのに。幸せで辛い。幸せが辛い。けれどもこの手紙は彼の心遣いだ。生死不明でやきもきする気持ちを一刀両断してくれた。
 ぐぐっと巴は歯を食いしばる。堪えようと力を入れたが無駄だった。
「好き。大好き。大好き陽狩さん……! 逢いたいよぉ! オバケでもなんでもいいから! 私のこと好きなら、逢いにきてよぉ!」
 顔を覆って巴は訴える。けれどもその望みは叶わないことも……わかっていた。



***



 4月に入った。桜が開花し、春らしい風景になる。やはり桜が咲くと春という感じがした。
 巴は鏡の前で制服を着て微笑してみせた。新学期が始まる。また、始まる。いつもの日常。学校へ行って、授業を受けて、友達と笑って……。

 でも、陽狩さんはいないんだね。

 鏡の中の自分も苦い感情に瞳を染めた。
 彼がいなくても世界はいつも通りだ。
 巴はそのまま学校へと行くために玄関に向かう。誰も居ない家を振り向き、「行ってきます」と言ってから扉を開けた。眩しい太陽の光に小さく息を吐く。
 自分だけが辛い恋をしたわけじゃない。だから被害者みたいな顔をしちゃいけない。けれども憂鬱なことに変わりはない。
 春休みの間に付き合いだした者もいるだろうし、きっと恋愛話を聞くはめになる。悪いわけじゃない。けれども巴には苦痛だ。

 そうだね。周りと違うと、やっぱり辛いね陽狩さん。

 彼はずっとずっと、こんな気持ちでいたのだ。時には楽しいことも嬉しいことも悲しいことも、怒ることだってあっただろう。けれども彼は『除け者』だった、いつも。彼自身がそれをはっきりと認識していた。
 クラスの友達に、自分が失恋してるから恋愛話は控えて、なんて……それは巴の勝手な都合だ。陽狩もそういうのが嫌だったのだろう。だからいつも近づく人を遠ざけていたはずだ。
 今でも陽狩に似た髪形や雰囲気を持つ人を見ると反応してしまう。それが悔しい。
 ほら今も。
 通り過ぎた男性の肩が軽くぶつかり、「すみません」と謝って行ってしまう。
「こっちこそボーっとしてました。すみません」
 謝る巴は前を向く。と、足を止めた。
 車道を挟んだ向こうを歩く人の波……その中に陽狩に似た少年がいた。
 咄嗟に巴は顔を逸らす。似てるというだけで陽狩を重ねてしまうなんて、ダメだ。弱っている心が、勝手に彼の身代わりを見つけようとする。そんなのイヤ。絶対イヤ。
 恐る恐る視線を戻す。よく見ると全然似ていない。激しい落胆に巴は深い溜息をつく。
「……陽狩さんほどかっこいい人なんて……いないもん」
「サンキュ。照れるな」
 すぐ後ろからそんな声が聞こえて巴はびくんっと身体を反応させた。
 うそ……。
「今日から学校か? じゃあ、午前だけか、今日は」
 うそ……!
 涙が滲んで前がうまく見えない。振り向くのが怖い。どうしよう。誰か……誰か!
 振り向いて別人だったら。ううん、そんなこと。でも万が一。もし。もし。もしかしてってことだってあるじゃない!
 両肩に背後から手を置かれ、一気に振り向かされる。
「ああ、やっぱり泣いてた。ほんとおまえは泣き虫な女だなぁ」
 苦笑しながら言う少年に巴は声もない。硬直した体は動きそうになかった。
 言わなくちゃ。ちゃんと。きちんと――。
「わ、わた、わたし……私あなたのこと……! 大好き……好きです……!」
 その告白と同時に涙が溢れてしまった。
 目の前の彼はそっと顔を寄せて、触れるようなキスをしてきた。そして彼は照れ臭そうにする。
「オレも」
 巴はそれを聞いて微笑もうとした。きっと涙で顔がぐしゃぐしゃになっているだろうけど、精一杯の笑顔を浮かべたのだ。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【6494/十種・巴(とぐさ・ともえ)/女/15/高校生・治癒術の術師】

NPC
【遠逆・陽狩(とおさか・ひかる)/男/17/退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました十種様。
 長かったこのお話を少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
 最後まで書かせていただき、大感謝です。
 十種様と彼のこれからの未来が幸福で満ちていますように……!