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<東京怪談・PCゲームノベル>


CallingV 【金糸梅】



 初瀬日和は真っ直ぐ深陰を見た。深陰は決めたのだ。自らの手で運命を終わらせることを。
(深陰さんは350年という、想像もつかない歳月をたった一人で渡ってこられた。人も、物も、時代も何もかもが自分を残して過ぎ去っていく……そんな境遇におかれたら)
 終わりにしたいという願いを、誰が責められる? 自分にだってできない。
(私だって同じことを思う……。家族や、友人や、心を分け合った人が自分を残してどんどんいなくなっていく、その辛さに自分なら耐えられない。命を絶ちたくてもそれができないなんて……きっと発狂してしまう)
 だから。
(深陰さんの決断はわかる)
 けれども。
(その決断に納得していない自分もいる)
 この人に関わって、この人にはもう会えなくなるかもしれないと思ったら。
(私は……寂しい)
 寂しい。それは単純な気持ちだった。
 深陰に会えなくなるのは寂しい。
 日和は拳を握りしめた。言わなければ。送り出さなければ。
(役目を果たした後に深陰さんがどうなるのかと思うと辛い……)
 どうしよう。迷い始めるときりがなかった。
「私」
 日和はやっとの思いで口を開いた。
「深陰さんの立ち向かう運命が、そしてその結果が……希望に繋がる……そういうものであって欲しい、です」
 ああお願い。どうか最後まで言わせてください神様。私はこの人に比べれば16年しか生きていない子供です。けれども、どうか。
「そう、願います」
 涙が出そう。でも、こらえなくちゃ。
 私よりこの人のほうが辛いんだから。
 笑顔を維持できているだろうか? 歪んでいないだろうか? 深陰さんを不安にさせていないだろうか?
 深陰はどんな顔をしている?
 あ、と日和は思った。
 深陰は微笑んでいた。なんて綺麗……。
「ありがとう」
 どうしてそんなに強くいられるんですか? 私は、あなたみたいになれません。今も、泣きそうです。
「希望に繋がればいいと思ってるわ、わたしも」
 深陰はそっと自身の胸に手を置いた。
「わたしはその為に戻って来たの。本当は。
 死にたいのも本当。でもね、本当は……本当はね」
 そっと。囁くように彼女は言った。
「解放してあげたくて」
 その言葉に日和は目を見開いた。
「全部ひっくるめて、もう終わりにするべきだって、思ったの。
 遠逆家のことは……これからのみんなで考えてくれればいい。でも、遠い祖先として、わたしは今を生きる彼らの為に戦わなくちゃならない。あの時逃げちゃったから」
 深陰の瞳に力が宿るのが、わかった。日和はその光に魅せられる。
 綺麗事ばかり言う自分とは違う。深陰は自分の望みを叶えるために全力で挑む人だ。眩しすぎる人だ。
「……なんて、善人面して言うなって思うけどね」
 深陰は手を差し出した。怪訝そうにする日和に「ほら、手を出して」と言う。
 恐る恐る手を出す日和。そのか細く小さく白い手を、深陰は掴んだ。強引に、握手する。
「もう一度言うわ。ありがとう」
「私……お礼を言われるようなこと、してません」
「そこまでわたしを想ってくれて、ありがとう」
「…………」
「あんたはいい女よ。ただ、もっと賢くなりなさい。馬鹿な男につけ込まれるわ、そんなんじゃ」
「恋人はいますよ」
 泣き笑いになった。ああ、行ってしまうのだ。この手を離せばこの人は行ってしまう。
 深陰は「へぇ」と呟くと目を細めた。
「ならそいつ頭悪いのね」
 さらりとひどいことを言うので日和は硬直してしまった。けれども深陰はニヤリと笑う。
「もっと女を磨きなさい。って、わたしが言うのはお門違いかな。これからのあんたの人生、ぶつかってもへこたれない強さがあんたにはある。
 でも、わたしみたいな傷つけ方をする人もいるでしょう。もっと辛い目に遭う事もある。一人で立てる勇気を持てとは言わない」
 けれども。
「いま、目の前に、わたしの目の前に日和、あなたしかいないことを……今、この場に一対一でいることを。どうか、忘れないで。
 結局人間は一人だとか、そういうことを言ってるんじゃないわ。確かにそれも一理ある。でもね、こうしてあなた一人で何かを成さなきゃならない局面は、人生に一度はあるから」
 しっかりと、深陰は握る手に力を込めた。彼女のメッセージを自分は受け取れただろうか?
 深陰は手を離した。温もりが、去っていく。
「頑固なことはいいけれど、そんなんじゃ彼氏も苦労するわね」
 微笑んで彼女はきびすを返した。ツインテールがその勢いにつられて揺れる。颯爽と去っていく。
 行っちゃう……!
 日和は追いかけそうになるのを堪えた。
「深陰さんっ……!」
 精一杯の勇気を。
 どうか、届いて。
「私、会えて良かった……! 深陰さんに会えて!」
 涙が止まらない。どうして人生には別れがあるのだろう。どうして彼女が死ななければならないのだろう。自分が好きになった人がどうしてこんな運命を持っているのだろう。理不尽だ。ムチャクチャだ。けれどもだからこそ。
(私は深陰さんに会えたんだ……)
 彼女が不老不死だからこそ自分と出会えたのだ。でなければ彼女は300年前に死んでいる。出会うことのなかった、出会いだ。
「私こそ、ありがとうございました……!」
 泣きながらそう告げる。
 すると、深陰は足を止めて振り向いた。
「行ってくる!」
 元気いっぱいに応えた深陰の笑顔は、日和が今まで見てきたどの笑顔よりも……綺麗だった。



 一ヵ月後――。

 まだ朝の九時……遠逆家の正門の前に佇む遠逆和彦は背後の深陰を振り向く。
「まだ、あなたの言っている事が信じられない」
「でしょうね。信じなくてもいいわ。信じてもらおうなんて思ってないもの」
 肩をすくめる深陰に和彦は嘆息する。
「協力を仰いだとは思えない口ぶりだな」
「脅してでも言うことはきかせるつもりだったもの」
 この一ヶ月、彼を説得するのに深陰は費やした。遠逆家に入るにはまず屋敷を囲む結界を突破しなければならない。血族以外は入れない結界だ。
 深陰は中に入れるが、自分が単独で侵入したと即座に判明しては困る。だから、和彦を利用することにしたのだ。
 深陰は手を差し出す。
「あんたと同調するわ。ここまで来て逃げるなんて許さないわよ」
「……わかってる」
 渋々と和彦がその手を握った。
 和彦は呟く。
「本当に俺の……祖先なのか、あなたは」
「本当よ。あんたはわたしの兄さんの直系」
 真実だ。深陰は和彦の複雑そうな表情を見て内心苦笑する。兄にそっくりだ。顔つきではない。面影と雰囲気が、だ。
「約束は守るわ。だからあんたも、わかってるわね?」
「……承知したからここに居る。何度も確認しないでくれ」
「それが聞きたかった」
 にやっと笑って二人は正門を越えた。深陰はすぐさま駆け出す。目指す先は一つだ。
 全てに決着をつけ、ここで全てを終わらせる……!

 広い広い畳の部屋……その奥に鎮座する老人。遠逆家を動かしている、支配者。
 襖を破壊して飛び込んできた深陰は、老人のほうを一直線に見た。
「……久しぶりね」
「お元気そうで」
 深陰の言葉に老人はそう応える。深陰は苦い笑みを浮かべる。
「随分変わったわね、あたる」
「変わっていないのは姿だけですかな、姉さま」
 二人の間に長い、そして重い沈黙。
 遠逆中。「中」と書いて「あたる」と読む。正真正銘……遠逆深陰の実弟だ。
 深陰はゆっくりと近づいていく。右手には一振りの漆黒の刀。
「あんたが生きてると知って、わたしは本当に驚いた。動揺したわ。わたしだけかと、思ってた」
 この永い時間を生きているのは。
 深陰の声に老人は薄く笑う。
「それはこちらもですよ、姉さま。あなたは昔と何一つ変わらない姿だ。羨ましい。わしは見ての通り醜い姿に成り果てた。年をいくら重ねても死ねないこの肉体では、そうなるほかない」
「……もう終わりにしましょう」
「なんですと?」
「終わらせるのよ。350年前に気づけなかったわたしの責任だわ。あんたを巻き込んでしまった。犠牲者を作ってしまった。本当なら、『あの場で終わらせるのがわたしの役目』だったのに」
「それは傲慢ですよ」
「いいえ、傲慢じゃない。天命だった」
 憑物封印が今も尚続いていると知った時の深陰はわかってしまったのだ。唐突に自分の生きている意味を。
 ごく稀に自分の役目を認識できる人間がいる。深陰は300年以上かかってそれに気づいた。自分がなぜ遠逆家に生まれ、そしてなぜ今も生かされているのか。それは果たすべきことを果たしていないせいだ。
 そんなことは思い込みだと言うヤツもいるだろう。だが深陰にはわかってしまった。それで充分だ。他人にこの感覚がわかるはずもない。この、宿命を、自分の生きる意味を理解してしまった感触は。
 だから自分が死ぬことも、わかってしまった。
「憑物封印はここで終わる」
「終わらせない」
「いいえ終わらせる。わたしが、ここで、終わらせる」
 しっかりと深陰は言い切った。それは揺るがない決心だ。そのために逃亡生活を打ち切ったのだから。
「そううまくいきますかな?」
 あたるの言葉と同時に、彼の背後から一人の少年が出てくる。黒い衣服に身を包んだ少年の顔には見覚えがあった。
「あなたの相手は欠月がする。
 欠月、わかっておるな?」
「心得てます」
 欠月と呼ばれた少年は即座に頷いた。深陰は皮肉っぽく笑う。
「今さら」
 そう、今さら、だ。
「今さら誰かを犠牲にしたって、わたしは怯まないわよ、あたる」
 深陰は武器を変形させた。彼女の手に馴染んだ武器……サイ。
 選んだ。自分で選んだ。
 逃げた自分。いつまでも逃げ続けた自分。全部。全部終わらせよう。ここで。だってそうじゃないか。
(わたし、色んな人に迷惑かけた)
 自分が生きてきたことで狂わせた人生もある。
 ある人は自分を好きと言った。年をとらなくてもいいから、結婚しようと言ってくれた。その、差し出された手が恐ろしくて振り払った。
 怖かった。自分を置いて周囲は物凄いスピードで時間が流れていく。その速度も恐ろしかった。いつまで経っても慣れない。今も慣れない。
(償うんじゃない……これは、わたしがやると決めたことなの)
 深陰は構える。
「ここで終わらせなきゃ、女が廃るってもんよね」
 相手の少年も武器を手に握る。弓だ。彼は矢を番える。
 深陰は笑みを消し、足に力を込めてそこから走り出した。



 戦いは長引いた。いや、それほど長くはない。そう感じていたのは深陰と、戦っている少年だけだろう。
 深陰の衣服はぼろぼろだが、身体は無傷。それに比べて相手は傷だらけだ。
(強いわね)
 でも負けるわけにはいかない。どれほど時間がかかっても、負けるわけにはいかないのだ。
 欠月は荒い息を吐き出して立ち上がる。たいした根性だ。こういう男が一番面倒なのだ。
(何度も立ち上がってくるタイプは好みじゃないのよ。特に、敵だとね)
 その時だ。二人の間に割って入った人物がいた。破壊されたこの部屋には易々と侵入できたからだろう。
「深陰、ここは俺に任せろ」
「和彦……?」
 現れた和彦が欠月に向き直る。欠月は憎悪の瞳で和彦を見つめる。
 だが深陰はその隙を見逃さなかった。二人の横を駆け抜ける。そしてそのまま――。
(ごめんね、悪いお姉ちゃんで)
 あんたを巻き込んで、一人だけ逃げちゃって。
 深陰はサイを振り上げる。その武器が変形した。大きく、伸びて、槍になる。
 それを深陰は振り下ろした。心臓を貫き、老人は動きを止める。欠月が目を見開いた。和彦もだ。
(……あたるが心臓の動きを再開させるまで数秒かかる)
 死んだと思っているだろう二人を振り向き、深陰は言い放った。
「早く行きなさい」
「で、でも」
 和彦はさすがに動揺していた。目の前で、遠逆家を動かしていたトップが殺されたのだ。無理もない。
「早く!」
 急かすと和彦は欠月の腕を引っ張って部屋から出て行った。欠月は信じられないという顔をして、老人から目を離さなかった。部屋を出て行くまで、ずっと。
 残った深陰は小さく笑い声を洩らす。そして弟のほうを振り向いた。
「……ひどいことをなさる。実の弟の心臓を貫きますか」
 胸に刺さった槍は溶けている。深陰の足元の影に戻っていた。老人は低く言って姉を見上げた。
 凛としている姉の姿は、弟には眩しかった。暗い場所に身を置き続けた自分としては、眩しくて直視できない。
「終わらせるわ。憑物封印は」
「この家を存続させたくないので? わしはその為だけに生きてきた」
「それを選ぶのはわたしたちじゃない。わたしたちはもう死んでいるはずの人間なのだから。
 あたる、憑物封印のことを知っているのはあんただけのはずよ。300年もここのトップで居続けたあんたなら、やりそうだわ」
「わしは死なない身体だからな」
「ここで死ぬ。あんたもわたしも、ここで死ぬの」
 ひどく穏やかに言う深陰は、深呼吸した。
「終わらせましょう。せめてあんたとわたしだけは」
「どうやって?」
「そのための準備はしてきた」
「…………よいのですか?」
「わたしもあんたも長く生き過ぎた。もうそろそろいいと思うの」
「……本気なのですね」
 老人は笑みを浮かべる。諦めてはいないが、納得したものだった。
 静かだった。まるでこの世に二人しかいないような錯覚をおぼえてしまう。
 深陰は空中から巻物を取り出す。二つの巻物は色違いのもので、東と西の『逆図』だ。
 それを広げる。二人を囲むように巻物は部屋の中に伸びた。部屋の宙に漂う巻物には、深陰が封じた妖魔たちの姿がある。
「長かったわね、あたる」
「いえ。短かった。我らの人生では、あの方たちは復活せなんだ……口惜しい」
 深陰は微笑む。
「わたしたちの物語はここでおしまい。もう舞台から降りましょう。わたしもあんたも年をとりすぎたわ」
「老兵は去るべきというわけですな」
 そうよ、と囁くと深陰は、緊張する。
 さあ、幕を引こう。
 小さく、その言葉を呟く。引き金の言葉を。ここに来るまでに仕掛けていた全てのものを発動させる言葉を。

 深陰の呟きが終わると同時にソレは起こった。
 室内で竜巻が発生したのだ。小さなそれは屋根瓦を巻き上げて巨大化した。
 深陰はもう一度弟の姿を見た。彼は自分と違って呪いを微妙にしか受けなかったのだ。死ねないだけで、身体は年を経ていく。
 弟は姉の姿を見た。昔と変わらない姉は悲痛な表情をしている。
「姉さま、今度はきちんと死ねるといいのですが」
「そうね」
 返事をした途端、あたるの肉体がぐずりと溶けた。
 こうして目の前にした弟の死は呆気ない。そうか。死ぬってのはやはり。
「呆気ないものなんだろうな……」
 こうして長く生きてきて、終わりがこれか。最期がこれか。
 深陰は微笑する。
「ああでも……気分はいいわ」
 刹那、彼女の肉体は砂に変わって崩れ、そのまま風に呑まれた。

 全てを飲み込んだ竜巻はやがて天へ昇り、吸い込まれて消え失せてしまった。
 遠逆家の中心部分にあった建物は……その建物内で起こった事件と、長の命と共に消失してしまったのである。



 深陰が日和と別れから一月以上が経過していた。
 学校からの帰り道、夕暮れの中……日和を待ち受けている人物がいた。日和は驚きに目を見開く。
「和彦……さん?」
 もう随分長いこと会っていない人だった。相変わらずカッコイイ。
 ひと気のない道で、塀に背を預けて待っていた彼は姿勢を正し、そして真っ直ぐ日和の前まで歩いて来た。
「久しぶり」
 と、彼は微笑する。日和はハッと我に返って慌ててこくこくと頷いた。
「お、お久しぶりです和彦さん」
「今日は君に手紙を持ってきた」
 彼はするっとふところから一通の手紙を取り出す。それを日和に渡した。
「届けるのが少し遅れてしまった」
 彼はそう言うなり背を向けて歩き出す。日和はわけがわからずに和彦の背に声をかけた。
「ま、待ってください! これ、誰からですか?」
「読めばわかるよ、日和さん」
 そう言って彼は去った。
 日和が手紙を開けたのは帰ってからだ。自室に戻り、鞄を置いてから早速封を開ける。
 中の便箋は今時珍しい縦書きのもので、そこに綺麗な字がある。誰のものか、すぐにわかった。


 初瀬日和様――
 この手紙があなたのところに届けられる頃、わたしはもうこの世にいないでしょう。
 そしてわたしが無事に死ねたということは、呪いが解けたということになります。
 わたしは本来なら、350年前につけなければならない決着を先延ばしにしていました。さすが臆病者、という感じだけどね。
 それを果たせたと思います。果たせなくては帰ってきた意味がありません。
 日和に辛く当たったこと、ごめんなさい。でも、あんたも悪いから。どっちも悪いってことで許してくれればいいけど、そんな都合よくいかないし……嫌いになるならそれでもいいわ。そのほうがあんたには楽かもしれないし。
 日和のことがとても心配です。あなたみたいな人にとってはやはり、この世は生きていくには辛いと思います。
 それを感じていないことは幸福であり、不幸でもあると……思います。気づけていないだけで、近い将来、必ず壁にぶち当たるからです。その時、日和の助けになる人が傍に居ればいいけれど。頭の悪そうな彼氏ではちょっと難しいかと思います。あっ、ひどいこと書いてるわね。考えてみればあなたの彼氏には会ったことがなかった。年上か年下かも聞いてなかったし、どんな相手なのかわからないわ。
 うんと年上で穏やかな人ならいいけれど。でもそれだと、きっと間抜けなヤツね。なんだかさっきからひどいことばっかり書いてるわ。なぜかしら……。
 あんたのことだから最後までわたしがどこかで生きていると、そういう儚い希望を持ってしまうと思います。そういう人間だということはわかっているので、はっきり書きます。
 この手紙が届いたということは、わたしは絶命しています。それはわたし自身が生きていればこの手紙は届かない手はずになっているからです。だから、この手紙はわたしが死んだことの証です。
 もう死んだので、決して希望を持つのはやめなさい。あなたが辛いばかりです。
 きっとどこかで生きているとか、きっと帰ってくるとか、そんな物語の中みたいな奇跡は起こりません。この手紙を預けた相手は、かなり真面目な少年なので、わたしが生きていればこの手紙を破り捨ててくれることになっています。
 もう便箋もないので最後に一言。
 最後の最後までわたしの友達になろうとしたあなたに完敗です。でも女友達にしてはなんかぎくしゃくしてるというか……うぅん、うまく言えません。
 でも、そういう友達もあるんじゃないかとは思う。だいたい真の友達ってのはわかんないし。最後の心残りは、あんたの中の『友達』ってどういうものか訊くのを忘れたことかしら。
 友達と言うには奇妙な間柄ではあるけれど……。まあ悪い気はしません。
 それではこのへんで。


 便箋の最後は「遠逆深陰」と書かれて終わっていた。
 日和は呆然と手紙を読み返す。
「深陰さんが……死んだ?」
 うそ……。
 実際、心のどこかで思っていた。深陰は生きていると。きっとどこかで生きていると。
 その脆い希望が粉々にされた。それも、ほかならぬ深陰自身の手によって。
 手紙を持ってきた和彦の性格のことも考えると、深陰が生きているならこの手紙は処分されているはずだ。それが、処分されずに日和の元に届けられたということは……その意味は。
「……深陰さん、死ねた……んですね」
 力なく笑う。喜んでいいのか悲しんでいいのかわからない。深陰はどんな気持ちで逝ったのだろうか?
「安らかな気持ちだと……いいんですけど」
 胸の中にぽっかりと穴があいたような心境だった。
 過ごした時間は大切だとか。深陰のことを全部憶えておきたいとか。いい思い出にしたいとか。
(私……私本当に子どもで、綺麗事ばっかり……!)
 いい思い出なんか、そんなの、すぐには無理だ。こんなに悲しいじゃない! 無理よ!
 涙を流す日和はとうとうベッドに伏せた。顔を枕に押し付けて、泣き声をあげまいとした。
(深陰さんはわかってた……! 失うってことがどんなにキツいことか。だからあんな風に遠ざけてたのに……!)
 辛くて悲しくて、こんなに胸が痛い。この痛みは本当に時間が解決してくれるのだろうか? 永遠に残りそうな気さえする。そんな痛みを易々と『いい思い出になる』なんて言った過去の自分を殴りたい。
 『いい思い出』として振り返れるまで憶えておきたいだって!? 振り返れるか? 本当に。
 振り返るってどのくらいの時間がかかるの? 一年? 二年? 十年? それとももっと? そんなの誰にもわからないじゃない! なのにあんなに簡単に言い放った自分。どこまで愚かなのだろう。
 涙を零し続ける日和は胸の痛みに耐えなければならなかった。おそらくは明日、目は腫れていることだろう。
 深陰に最後に会った時、日和は彼女の未来が「希望に繋がれば」と願った。日和の知らないことではあったが、深陰は自分ではなく、遠逆の者達に希望をもたらすために戻ってきたのだ。
 意図した意味は違っても、深陰にはその言葉が心強かった。それも、日和の知らないことである。



*** 



 春休みに入り、そろそろ新学期だ。クラスはどうなるんだろう。春休みの今、みんなは何をしているだろう?
 日和は青空を見上げる。
 どこか暗い気持ちがある。それは時間が解決するだろうとは思う……けれども、完全には信じられない。喪失感は、なくならないと思う。

 深陰さん、私もいつか誰かの『いい思い出』になれるでしょうか……?

 自分がこれだけ辛いのに、こんな痛みを他の誰かが経験するのは……かなり、想像でも悲しいことだ。
 ここに深陰がいればきっと「くよくよすんな!」と背中を叩きそうだ。
 今日はこれからファミレスに行かなければならない。待ち合わせだ。元気のない自分を心配してのことだろう。
 雑踏の中を進む日和は嘆息する。これだけ人が多くても、もう深陰はいないのだ。これだけ……。
 ぐっ、と涙を堪える。

 そうだ。泣いてはいけません。深陰さんも、泣いてなかった……!

 どれほどの別れを繰り返してきたかわからないあの人。それなのに彼女は泣いていなかった。
 だから。
「俯かない」
 声が。
「そんなことしてるから、ダメなのよ。もっと背筋伸ばしてシャキっとしなさい」
 日和は震えた。そして顔をしわくちゃにして振り向く。そしてそこで微笑んでいた相手に抱きついた。
 彼女はそのことに驚いたようだがそっと日和の背中に手を回し、軽く背中を叩いてくれた。
「お、おかえりっ、なさい……!」
「――ただいま」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【3524/初瀬・日和(はつせ・ひより)/女/16/高校生】

NPC
【遠逆・深陰(とおさか・みかげ)/女/17/退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました初瀬様。
 長かったこのお話を少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
 最後まで書かせていただき、大感謝です。
 あなたが、これからの未来に待ち受ける苦難に打ち勝てますように……!