コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Cbamomile



(さて……合鍵を渡したのはいいが、あれからどうなっているやら……)
 菊坂静のマンションまでの道のりを歩いていた文月紳一郎は、少しだけ冷たい風に目を微かに細める。
(……まさか同棲していたりしてな)
 苦笑いが浮かんだ。



 紳一郎は怪訝そうにする。欠月は「こんにちは」と顔を覗かせて引っ込んだ。腕や足に包帯を巻いてあるのが、パジャマに隠されていない部分からうかがえた。
「あ、文月さんいらっしゃい」
 気さくに台所から顔を覗かせて言う静に、紳一郎はさらに不審そうにした。
「欠月君はどうしたんだ。怪我をしたのか?」
「階段を転げ落ちたそうです」
 えへへ、と照れ笑いする静を紳一郎は妙な生物でも見るような目で見る。なぜそこで照れて笑うのか、紳一郎には理解できない。
「あれでもかなり良くなったんですよ。一週間前はもっと酷かったんです」
 紳一郎は居間のソファに腰をおろした。静はコーヒーを入れたカップを運んでくると、紳一郎の前のテーブルに置く。静は紳一郎と向かい合う形でソファに座った。
 欠月は洗面所の鏡で顔の傷を確認しているのだそうだ。
「完治するまで、ほとんど傷がなくなるまで根気よく薬を塗るってきかなくて……。欠月さんて結構頑固なんですよね」
「なるほど……。それで洗面所から出てこないのか」
「一時間はああしてますよ、毎日」
 毎日、という静の言葉に紳一郎が黙ってしまう。静としては何気ない一言だったため、紳一郎が黙り込んだ理由に気づかなかった。
 やがて紳一郎が重そうな口を開いた。
「……欠月君に合鍵は渡したのか?」
 静はその問いに三秒ほど答えなかった。間を空けてから、「はい」とはっきり頷く。
「……同棲してる……のか?」
「……はい。ってエエッ!?」
 重い雰囲気をブチ壊すくらいの素っ頓狂な大声をあげた静が顔を赤くする。
「ど、同棲って、なんか、表現が……っ、いや、あの、今はちょっと一緒に暮らしてますけど」
「同棲じゃないか」
「そんなさらりと言わないでください……!」
 頭を抱えて俯く静の内面の葛藤は紳一郎にはわからない。
「そうか……同棲してるのか」
 なぜか神妙に言う紳一郎の言葉に静は悲鳴をあげそうな勢いで否定する。
「してますけど、してますけど、文月さんが思ってるような、変な、あの、そういうのではないですから!」
「変?」
「いやだから……っ」
 静は渋々という感じで口を閉じ、「なんでもないです」とぶすっとして呟く。
「静くーん、包帯ちょうだーい」
 洗面所からの欠月の声に静はすぐさま立ち上がって彼のもとに行ってしまう。紳一郎はその様子を横目で見て、コーヒーの入ったカップを持ち上げた。
(……微妙な気分だ)



 居間に静と共にやって来た欠月は相変わらずの愛想で、妙齢の女性の心を一撃で仕留められそうな破壊力を秘めた笑顔を浮かべていた。横に立つ静も少年にしては綺麗だが、欠月の比較にならないだろう。それほど欠月は表情を作るのが巧いのだ。
「さっき挨拶しましたけど、こんにちは」
「怪我は大丈夫か?」
「静君が一生懸命に看護してくれるから、ボクとしてはこのまま怪我をしていたい気分もありますね」
「なに言うんですか!」
 すぐさま静が顔を赤らめて文句を言った。微笑ましいやら……なんとやら。
(男同士でこういう光景を繰り広げるというのは……どうとらえたらいいんだろうか……)
 などと、紳一郎は心の隅で考える。答えは決まっていた。あまり気にしないこと、だ。
「二人は同棲して……いるんだろ?」
 静ではなく欠月に向けて言うと、彼は笑顔で頷く。
「病気の症状が軽くなったので自宅療養に切り替わったんです。また悪くなれば病院に逆戻りですけど。
 この傷が完治するまでは静君のお世話になろうかなって。背中の傷まで手が届かなくて困ってたんですよね、薬が塗れないし。静君の親切に感謝です」
「ふぅん。そうか」
 紳一郎はあっさりと頷く。疑う余地のない、マトモな回答だ。
 言葉巧みな欠月を静は少し驚きの目で見つめた。よくもまぁここまで本当らしい嘘がつけるものだ。
 欠月は静と並んで紳一郎の向かい側に腰掛けた。紳一郎は静を眺める。
「傷、もうほとんど治ってますね。良かった〜」
「あんまり可愛いこというと襲うからおやめなさい」
 からかい口調で応える欠月が面白くて静がくすくす笑う。あぁ、と紳一郎はしみじみ思った。
(……これなら大丈夫……か?)
 静の精神状態はかなり安定しているようで、誰が見ても幸せそうだ。これなら、きっと。
(これを話す日が来るとはな……欠月君のおかげか……。私では出来なかった事をしたんだな……)
 微笑している紳一郎に気づき、欠月がきょとんとした。
「なんで微笑んでるんですか? なんなら混ざります? 静君てイジると面白いですよ」
「欠月さんてば!」
「……いや、やめておこう。
 静、ちょっと話がある」
 声をかけられた静が、紳一郎の雰囲気を察して姿勢を正し、聞く体勢になる。横の欠月はそ知らぬ顔で立ち上がり、自分のコーヒーを淹れる為に台所へと向かう。完全に席を外さないというのが、静を守っている証拠で紳一郎は好ましく思った。例えどれほど静に近い、保護者であっても、欠月は油断すらしないということだ。
「なんですか?」
「静、今度おまえに会わせたい子がいる」
「?」
「欠月君も一緒で構わないから、今度会ってみないか?」
 突然の申し出に静は困惑していた。紳一郎が会わせたい……しかも「子」ときた。紳一郎からすれば子供と見られている年代の少年少女だろうことは予想される。
 会ってどうするんだろうという表情をする静に、紳一郎は続けた。
「すぐに決める必要はない」
「はぁ」
「だが……おまえは一人じゃない……それを知る為にもおまえとあの子は会う必要があると思う。欠月君みたいに必要とするかどうかは任せるがな……」
「なんか……言ってる意味がわからないというか……」
 首を傾げつつ静はぽつりぽつりと小さく言う。確かに静の視点からでは意味不明な提案だろう。
「僕、一人じゃないです」
 はっきりと静は言い放った。タイミングよく欠月がコーヒーカップを片手に戻って来た。
 一人じゃない、と静があっさりと言ってのけたことに紳一郎は内心驚く。一人でいることが当たり前だった静の発言とは思えなかったのだ。
 言外に「欠月さんがいます」と言われたのだ。はっきりと。
「……そうだな」
 紳一郎は頷く。静にとっては居なくてはならない距離に欠月の存在があると認識させられた。
「会うだけでもいい」
「……考えておきます」
 今は会う気がない、ということだとすぐにわかった。



 紳一郎は以前自分が使っていた部屋を覗いてみた。現在欠月は静と一緒にここに居るというのだから、使っているのはここだろうと思ったのだ。覗くのは失礼かと思ったが、静はさらりと「入ってもいいですよ」と許可をくれた。
 覗くとそこは、以前の面影が微塵もない部屋に成り果てていた。
 本。本。本の山。なんだこれはと紳一郎が愕然とする。
「あ、それはボクのですよ。荷物置き場にしてますんで」
 後ろから欠月が声をかけてきて、年甲斐もなくびくっと反応する。気配を消して背後に回らないでくれと言いたかった。
「これが欠月君の? 本ばかりだが」
「読書家なんです」
 えへ、と欠月は可愛らしく笑う。似合っていて逆に気味が悪い。
「おすすめのありますよ。えーっと、文月さんはどういうのが好みですか? 本は読みます?」
「あーっ! ダメですって! 文月さん、欠月さんの言うこと聞かないでください!」
 慌てて静が止めに入る。欠月が唇を尖らせた。
「なんでぇ?」
「そんな子供っぽく言ってもダメです! せっかく文月さんにいい印象だけでいてもらってるんですから、壊すようなことしちゃダメです!」
「壊すってそんな大げさな……」
 ぶすっとする欠月の背中を押して静が居間へと戻って行く。紳一郎はドアを閉めた。一体どんな本を自分に薦める気だったのだろうか……。
 欠月が居るだけで家の中が明るいと紳一郎は感じる。先ほど欠月が居た洗面所も覗くが、そこで足を止めた。ドアの隙間から見える洗面台には見知らぬ歯ブラシがある。
(……紫色……もしかして欠月君のか?)
 やっぱり同棲してるんじゃないかと紳一郎は確信する。静が聞けば否定してくるだろうが。
 なんだか家の中がすっきりしているので紳一郎は不思議そうにしながら居間に戻った。

「なんだか、やけに整頓されてるな」
 ソファの上で欠伸をしている欠月とは違い、紳一郎の呟きに静は一瞬動きを止める。欠月は何食わぬ顔でテレビのチャンネルを変えた。
「旅行に行こうと思ってるんです。ほら、欠月さんてほとんど病院暮らしだったじゃないですか。のんびり二人で旅もいいかなって話しになったんです」
「そうなのか」
「ええ、そうですよ」
 欠月がフォローするように言う。それが静を安心させた。
 紳一郎は知る由もない。これからこの二人がどこへ『旅行』に行こうとしているのか。
 それは旅行と呼べるものではなく、どれほどの時間がかかるかわからない……この場所に戻って来れるか誰もわかりはしないのだから。
 欠月がわざと答えず、静に応えさせたのは……静に選ばせるためだ。その覚悟をもう一度見るためではなく……静が揺らいでいるのなら置いていくつもりだったのだ。
 欠月の「そうですよ」は、静には「一緒に連れて行く」と聞こえた。
「そういえば欠月君はどの部屋を使ってるんだ?」
「和室です。静君の部屋は二人だと狭いんですよー。恥ずかしがるし」
「またそうやってからかう!」
 耳まで赤くして欠月を怒る静は、そっと紳一郎を見る。保護者の紳一郎は明らかに自分たちを誤解していた。
 これ以上誤解されませんように! などと思うが、それは無駄な願いだったようだ。
「一緒の部屋でもいいじゃないか、静」
「文月さんまで!」
「別に恥ずかしがることもないだろう。家の中には欠月君とおまえだけなのだし」
「っ! そういう問題ではないんです!」
 喚く静は、それでも心の中で思う。この場所とはもうすぐお別れ。こんな楽しい会話とも遠くなる。けれども、僕は――――。
(幸せです)